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ハノンでピアノは上達しますか?というご質問 [レッスン]

こんにちは。最近、時間があれば、新しいホームページ用の原稿を書く時間に費やしていますが、色々な人にレッスンしていると新たに気づく事や考えさせられる事が多々あり、それこそ僕自身にとっても「生徒さんにレッスンをする事」で得られる楽しみの一つです。

今日も「趣味でジャズピアノを習っておられる」男性の生徒さんから、「ハノンの練習に時間をかければピアノの上達が早くなりますか?」とのご質問を頂きました。

「ハノンの効用(というか効用の無さ)」について以前、書いた事がありますが、その頃と、今とでは僕の考えも変わったので、改めて「ハノンの効用」について考えてみましょう。

ハノンを練習すれば「ハノンが上達」します

確実に言える事は、ハノンやチェルニー等を一生懸命練習すれば、ハノンなりチェルニーが上達します。だからと言ってピアノが上達し、例えばバッハやショパン、或いはジャズを弾く能力が高まるのか?と言えば、無関係だと思われます。

なるほど「ハノンの半時間くらい練習すると指がよく動くようになり、本来の課題(バッハなりジャズなり)がスラスラと弾けるようになる!」という話は判らなくもありません。

ではハノンに充てた半時間なり一時間なりを、本来の課題にあてても、その時間分程には、バッハなりジャズなりが「スラスラと弾けるようになる」という事はないのか?

例えば、僕がクラシックのピアニストで「ショパンの前奏曲三番」を本番で弾きたいとして、今から一時間ハノンを練習した後にショパンを練習した方が効率が良いのか、その一時間分を余計にショパンを練習した方が良いのか、結構悩む所ですね。

僕もハノンを全然弾かないのか?といえば、たまにハノンを練習する時があります。それはどういう時かといえば「練習する気力がない時」。

何にも弾く気にならないが、「頭を使わずに弾ける」ハノンくらいならば弾ける、という時もままあります。何も弾かないよりは、ハノンでも弾いて「指を動かした方がマシだろうな」とは思います。

或いは日々「練習時間」を定めているものの、どうも「練習を開始する気にならない時」もハノンを弾けばよいかも知れません。

しかし、振り返ってみれば「ハノン」に時間を費やしたからと言って得る者は多くないように感じます。

ハノンのデメリットは「時間の無駄」に加えて「指だけ動かす癖」がつく事


僕の「自伝(笑)」なんぞ書いても仕方ないのですが、僕自身はティーンエイジャーから二十代前半にかけて、矢鱈と「ハノン」に時間をかけていました。

僕は、学校こそ「クラシック系音大」でしたが、「ピアノ科」ではなく、「作曲科」だった事から、大してピアノの腕前は必要なかったのですが、僕の場合、そもそも「クラシックの作曲家」を目指した訳でなく、目標は「ジャズピアニストになる事」でした。

今はどうなっているのか知りませんが、僕がティーンエイジャー時分の、僕の母校ピアノ科に入学するとなればショパンやリストの難曲をバリバリに弾きこなさなければならず、そんな事は到底不可能だった事と、「ジャズピアニストになる為」には、リストの難曲を弾きこなす技術はなくても構わないが、「作曲」や音楽理論的な事は相当に必要。

だから「ピアノ科が無理」という消去法と「音楽理論や作曲を学びたい」という積極的理由から「作曲科」にモグリこんだ訳ですが、入学して判明した事は僕は「作曲家」には向いていない、という事。

「楽譜を書く」のも面倒だし、「楽譜を書いて、他のピアニストの演奏して貰い、演奏が終われば、ステージに呼ばれて、作曲者として挨拶する」というのが、どうにもカッタルイ、と感じたんですね。

加えて「クラシックの作曲家」と言っても、ベートーヴェンやショパン風の曲を作る訳でなく、メロディーも和音もないような「無調」と呼ばれる「現代音楽」である事は条件となります。

実は僕自身は「現代音楽」は結構好き、というか、「日本人が演奏するベートーヴェン等のクラシック」なんぞ、本音としては全然聴きたいと思わないけれども、「日本人が演奏する、日本の現代音楽の作品」の演奏会は相当に好きでした。

但し、例えば日本花子なりの「ピアノリサイタル」等で、バッハやショパン等の「クラシック名曲」に混じって、「委託作品」と称される山田桃太郎先生の新作の「現代音楽」が演奏されると、僕は宜しいとしても、ホールの観客は内心「さっぱり判らない」「退屈だから早く終わらないかな」なんて思ってる訳。

それで漸く山田桃太郎先生の「新作」という「訳の分からない現代音楽」が終わると、観客は社交辞令と「やっと終わってくれた」という「安堵の拍手」が起こり、その「拍手に応えて」山田桃太郎先生が客席からステージに上がり、観客にお辞儀したり、演奏者を拍手で讃えたりし、予め用意された花束が桃太郎先生に贈呈される・・

というお決まりの図式には、僕はどうにも耐えられなくて、「現代音楽の作曲家」を目指すコースから始めから脱落していた次第。

その分と言ってはなんですが、「ピアノ演奏は頑張らねばならない」と思ってた訳ですが、その頃の僕のピアノ演奏は「作曲科の学生にしては巧い」というか「指が回る」ものの、そもそも作曲科の先生から「君はピアノの使い方(奏法や作曲法)がまるでダメだ」と断定されていました。

僕はピアノを始めたのが十歳と遅く、加えて「まともな音楽教育」を受け始めたのも高校二年くらいであり、ピアノも下手だったが、当時の音大に進学しようか、という高校生ならば当然修得している基本的な「音楽理論」や「ソルフェージュ」も全くダメ。

変な所は頭でっかちで「芸術論」みたいな本は読み漁り、訳の分からない人に偉そうに「芸術論」をぶるのは大好きでしたが、専門家の先生のご自宅で、「音大受験」を目指すお弟子さんが集まると、具体的な技術と知識のスキルが低過ぎて「借りてきた猫」というよりは、「塩をかけられたナメクジ」の如くに萎縮してしまう、という惨めさでした。

惨め過ぎで「音楽の道を断念」する、という事にはならなかったのは、僕に「隠れた才能がある事を大先生が見抜いて励ました」からでは全くなく、「田舎の高校生特有の無知による強さ」つまり「今に見ていろ!将来は追い抜かすぞ」という妄想故でありましょう。

その為に只管「どうすれば、この不器用な指が動くようになるのか?」と考えた末、「とにかくハノン全巻六十曲を一日一回弾きとおす」という課題を自分に課した訳です。

勿論、ハノンだけ練習していた訳でなく、チェルニーやバッハ、ソナタを夫々一時間練習し、その他、入試の為の「和声学」の課題をやり、おまけに苦手の「ソルフェージュ」のレッスンにも通い、しかも一応は「高校生」もやる、という訳で矢鱈と忙しい日々でした。

その結果、どうなったか?といえば、「ハノンが上手になった」といいますか、ハノン全ての曲を、どんな調でも、どんなリズム変奏でも弾けるようになりました。

要するに、いざ音大に進学しても「作曲科の学生にしては指が動くね」とピアノの先生から「慰められる」存在になった訳です。というのは、具体的にベートーヴェンなりを弾いても、ロクな演奏ができなかったからです。

ピアノを弾く、というのは、単に指を動かせばいい、というものではない

僕は「ジャズピアニストになりたい!」という夢というか目標を掲げつつも、「クラシックピアノもできればプロになりたい」という「密かな目標」も持っていました。

結局、「公式な場」で「クラシックピアノを演奏」したのは、当時のガールフレンドだった「声楽科の学生」の伴奏を一曲だけさせて貰っただけで、自作の「クラシックピアノ曲」の演奏さえ、自分では弾けずに、ピアノ科の学生にお願いする始末。

ついでに言えば、「作曲科学生」としてのスキルも極めて低くく、目標だった「ジャズピアノ」も「正規のやり方」が全く理解できず、仕方がないので「音楽理論を無視して、どんな音を出しても構わない」と称された「フリー・ジャズ」のライブのみが、唯一の出番でありました。

ちなみにフリー・ジャズの鬼才といわれた山下洋輔氏は「理屈なんか関係なしに、好きな音を、好きにように出しても構わ五」とかなんとか本に書いておられましたが、その数十年後、漸く「ジャズの正規のやり方」が理解できるようになって聴くと、山下さんの演奏というのもは、ちゃんとした音楽理論と、高度な演奏技術によってできている、と理解できます。

なによりも「リズム感」が素晴らしいのですが、そんな事は何にも知らなかった当時の僕は、とにかくなんでも構わないから多くの音を弾けば良い、とばかり、ピアノの鍵盤の上から下までを物凄い勢いで弾く、というか叩きまくっていた訳した。

一緒に演奏した人も何にも分かってなかったし、観客も何も分かってなかったから、「凄い演奏でした!」なんて言われてニンマリしていた訳ですが、僕の演奏なんぞは、「詐欺師」とは言えないにせよ、インチキ極まりなかった次第です。

幸いにも、そういうインチキに自分自身が嫌になり、卒業後、再び一から音楽を学び直し始め、なんとなく音楽の仕事にもありつけた訳ですが、三十歳を越えた頃から、漸く、自分が「学んだ」と思っていた事が根本的には間違っていた、と分かり、奈落の底に真っ逆さまに落ちつつ、再び「一から学び直す」を始め、漸く「これならば、まぁ大丈夫だろう」と思えた時には四十歳になっておりました。

その十年後には、再び「基礎」について疑問が沸き起こり、色々と勉強して現在に至る訳でずか、三十歳の頃に「学んできた事が(海外)では通用しない事」に絶望しつつ、止めてしまわなかったのは僕帰来の「田舎者特有の強さ」もありましょうが、何のかんの言っても、当時は色々と音楽の仕事があり、生活が困窮するという事がなかったからでしょう。

結局の所、まぁ本当の意味で「一人前」になれたのは四十歳の頃ですが、もう二十年早く「一人前」になれていれば、そりゃあ「楽しい人生」が送れた筈。

何か悪い事でもやって刑務所で二十年凄し、「人生を二十年失った」というならば自業自得だと分かりますが、敢えて言えば僕が「二十年遅れて、漸く一人前」になれたのは、「勉強のやり方が判らなかった」つまり「練習すべき課題」の選択を誤ったからだ、といえましょう。

貴重な十代と二十代前半を「ハノンの練習」に充て、といますが、「ハノン」自体が悪い訳ではないが、「ハノンさえ弾いていればピアノが上達する」と心得違いし事で失敗の原因。

タッチを作る、とは「弾き方」の問題ではなく、「音楽理論のスキル」の問題

クラシックピアノの学生ともなれば毎日八時間とか十二時間とかの練習は当たり前ですが、同じ八時間練習を続けても、「上手いピアニスト」と呼ばれたり、いわゆる「入学が難しい音大や入選が難しいコンクール」に通る人もいれば、通らない「下手な人」もいます。

そこで「才能が違う」という話になる訳ですが、では一体「才能」とは何ぞや?となるとよく判らないのですが、「良い(或いは巧い)ピアニスト」や「才能がある人」は、何よりも「楽譜の理解」がダメな人よりも深いと言えます。

「楽譜の理解」といえば、大雑把にいえば「楽曲分析」となりますが、この「楽曲分析」自体にインチキ本が多く、極めて、乱暴に、かつ表層しか読めない人が多い。

例えば「ドミナントの和音がトニックに進行する」なんて事すら知らない人は論外として、それ位は知っていたり、楽譜に和音分析を書ける人はそこそこおられるでしょう。

問題は「ドミナントがトニックに進行する」として、ならば「どういう音が弾くべきか」という事を考えない人が大多数なんですね。

「あたしゃあ、真面目な性格なので、楽譜に忠実に弾きます」なんて言って、全ての音を同じ調子で叩く人がいたりしますが、かと言って、勝手に変えて弾くのもダメ。

実は「楽譜の上」では同じ8分音符でも、実際に長さは全て違います。それは好きなように変えていい、という訳では全くなく、楽譜を分析する事で、それぞれの音符の実際の長さの違い、強さの違い等が見えて来ます。

そして「こう鳴らさねばならない」という地図ができて来る訳で、その地図の通りに実際に鍵盤をコントロールして弾けるように目指すのが「練習」です。

実は「ハノン」も機会的に均等に弾けばいい、という事は全くなく、リズムや和音ないでの解決等に留意して「細かく弾き分ける」べきですが、さすがに「ハノン」の場合、音の変化が乏しい。

その点、例えば「バッハのインベンション」の場合、二声のハ長調「ドレミファレミド/ソー」のフレーズについても、全ての音符の繋がりや、長さ、強さを変えて弾かねば「音楽」になりません。

にも関わらず「ハノン式」に単に弾くだけ、という人が殆どですが、これは「バッハ風のハノン」に過ぎず、いつまでたっても「バッハが弾けるようになる」訳ではなく、時間というか人生の無駄。

ペタリングについては、右のペタルを踏みっぱなしの人が少なくないけれども、実は、こうなってしまうのは、「リズム」についての理解が欠如しているからです。

ペタルなんてものは、物凄く細かい踏みかえが必要ですが、それらについては「オンビート」と「オフビート」の感覚が必要。日本人は基本的には「音痴」なので「オンビート」の感覚しかない人が少なくないから、平気でペタルを踏みっぱなしにする訳ですね。

そして、これらのペダリングの「練習」も「ハノン」ではできません。

結局の所、「ハノン」で「練習」できる事は「ピアノ奏法」の中の極めて狭い範囲。
他に練習すべき事が山ほどある訳。むしろ「ハノン的に指を動かすだけの練習」はやればやるほど「ピアノが下手になる」ともいえましょう。




























タグ:ピアノ練習
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ジャズの基礎としてはクラシックを学ぶ方法/作曲を学ぶこと [レッスン]

「クラシックピアニストの為のジャズピアノ・レッスン」の第四回目。話を次に進める筈でしたが、今日もある「クラシックピアノの先生」から以下の趣旨の質問を頂きましたので、こちらへの回答を優先します。

質問「中学生のピアノの生徒について質問です。彼女は、現在、ベートーヴェンのソナタやショパンのワルツ等を勉強中で、将来、音楽の道に進みたい、との事。それは良いのですが、彼女は、クラシックピアノではなくジャズピアノを目指したいとの事。それでクラシックピアノを習うのを止めて、ジャズピアノ教室に変わりたい、と言い出しています。そんな中、(藤井の)ブログで、ジャズの基礎はクラシックだ、とありましたので、その事を彼女に伝え、クラシックをやめないように説得しました。ただ、ジャズも習いたい、というのですが、どうしたものでしょうか?」

うーん、これは「人生相談」ですね(笑)。

僕の立場では、「音楽の道」とやらを目指す事自体が、良い事なのかダメなのかわからないので、「ジャズピアノの道」については、何ともお答えできません。

とりあえず教養(情操教育)としてピアノを学ばれている、という前提で考えてみました。
生徒がクラシックをやめたジャズに転校したい、というのだが

基本的な考えとして、「ジャズの道」なんてものがあるとして、「クラシック・レッスン」を止めるのは間違っていると思います。

矛盾するようですが、僕の教室には、大人を対象に「ピアノもジャズも未経験の人」を対象とした「ジャズピアノ・コース」というのがあります(現在は、生徒さんよりも、講師を目指したい方募集中)

理想的にはある程度「クラシックピアノ」を習得してから「ジャズピアノ」を始めた方が良いのですが、大人の場合、そうなると「ジャズピアノ」を始めるのが、五年も十年も先になります。

かと言って「なんちゃってジャズピアノ」みたいな「イカガワシイ」事は僕の所ではやりません。

いわゆる「正しいピアノ奏法や運指」抜きにはジャズピアノも弾けないので、ピアノ自体を「ちゃんと弾けるようなる」ことは必修なのですが、だからと言って、バイエルやブルグミュラーである必要はありません。

僕の教室では、米国の教育家でNY市立大学教授の「リー・エバンス」氏のメソッドを使っていますが、これはブルグミュラーの代わりにジャズやブルースの曲を使いつつ、体系的にちゃんとしたピアノ奏法を習得する、というメソッドです。

この場合、生徒は「クラシック音楽」を弾くことないピアノ人生を始める事になりますが、敢えて言えば、大人に関しては別に「クラシックがなくても構わない」と思っています。

但し、将来的に「クラシックも弾いてみたい」と思った場合には、実は「リー・エバンス」等の「ちゃんとしたジャズメソッド」でピアノを習得した人は、バッハでもモーツァルトでもショパンでも、ちゃんと弾けるのです。

例えばエレクトーンで音楽を始めた子供や大人が、将来、ピアノでバッハが弾けるようになるのか、と言えば不明ですが、「正しいメソッド」であるリー・エバンス等で「ジャズ」を始めた人は、自然と「クラシックピアノに必要な技法」を習得している訳で、クラシックも弾ける、という所存です。

ちなみに、これは大人の話であり、中学生の場合はどうなのかな?

子供にはクラシックを与えるべき

そういえば、以前、小学生の子供を連れたお母さんが僕の教室に来られ、「ウチの子供は落ち着きがないので、クラシックみたいな堅苦しいものは向いてません。ジャズだと自由に弾ける筈なので、ジャズを教えて欲しいのです」と言われました。

申し訳ないが、僕は即座にお断りしました。

他の教室ではクラシックピアノを習うので、僕の所ではジャズを習いたい、というのであれば大歓迎ですが、「クラシック」をちゃんと弾けない子供は、ジャズも弾けません。

世の中には「ウケ狙い」の変な「ジャズ教室」もあって、子供やティーンに「めちゃくちゃ」な事を弾かせて「自由に音楽を楽しんでいる」なんて宣ってたりする場合もありますが、ウチに限らず、「マトモなジャズ教室」は、かなり厳格にリズムやなんかを教える訳で、勘違いした「自由」なぞありません。

結局「子供さんには、クラシックピアノならばお教えしますが、ジャズはお教えしません」みたいな話でもの別れとなってしまいました(;_;)。

ジャズをやりたいならば「クラシックの作曲」を勉強すればいい

では、どういう子供が「ジャズ向き(?)」なのか?

「楽譜をちゃんと弾こうとしない子供」というのは、ジャズが向いているとか、なんとか言う以前に、「落ち着いて座る事」の修行なんてのをやればいいと思いますが、どう言う子供や大人が「ジャズ向き」なのか?

僕は、それについては「作曲が好きな子供」と答えるようにしています。

僕の教室は「ジャズピアノ科」だから、「即興(アドリブ)」も課題としてありますが、世間よくあるような「アドリブパターン」を覚えるような練習は一切やりません。

確かに「アドリブパターン」をコピペで演奏すれば、一見、それらしく見えますが、音楽としてツマラナイと思うんですね。こう言っては何ですが、ライブハウスで「セッション」している人達にせよ、所詮はコピペでやっている人が少なくなくて、聴いてて退屈します。

ところで「作曲」ですが、大雑把に分けて「歌曲」と「器楽曲」とでは違ったものになります。

この場合は「器楽」の作曲ですが、思いつくまま、とか霊感が降ってくる(笑)なんて人もいましょうが、そうではなく、「モチーフを展開」させる「形式の展開」を学びます。

それと「作曲しました。曲は頭の中にあります」なんてのはダメで、必ず五線紙の上に書かせるようにします、と言うか、そもそも「頭の中にある音を五線紙に書く」事の訓練が凄く大切なんですね。

普通の「クラックピアノ教室」では「作曲」は教えない、というか、そもそも先生が教えれるとは限らないけれども、僕の所では、必ず「紙の上に書く」形の「作曲」をやって貰います。
作曲.jpeg


これは僕(藤井一成)が監修している「リー・エバンス・メソッド」国内版の一部ですが、「作曲」というか「楽譜にかけるようになる訓練」をやっています。殊更に「ジャズ風」である必要はなく、「クラシック風(?)」だろうとも、ちゃんと「モチーフ」を展開させれる事が肝要。

よく「音楽は理論ではない〜」なんて宣う「文盲」の御仁がおられますが、そういう御仁に限って、ワンパターンで退屈な音楽をやってたりする訳で、やはり「理論」を「感性」で拡大できてこそ、クラシックなりジャズなりになるという所存です。

本当に楽譜が読めれば「即興」はできます

結論から言えば「ジャズなんぞ、いつでも勉強できる」し、「本当にクラシックを学べば、ジャズの基礎が形成される形成されるはずです。


これは前回も書きまたが、端的には「本当に楽譜が読めれば、即興演奏や作曲なんか直ぐにできます」と。
単に「ド」と書いてあれば、ドの鍵盤を叩けば済む、後は「勝手な感情を添える」と言うのが、よくある「クラシックピアノのレッスン」ですが、こう言うのは日本独特の「変なスタイル」何です。

同じ「ド」であっても Dm7の中の「ド」なのか、A♭7の中の「ド」なのか、で意味が違ってくるので弾き方も変わってきます。

ところでそもそも、今弾いている和音が「トニック」なのか「ドミナント」なのかを判別しようともしないし、そもそも判別する能力もない「ピアノの先生」が少なくないのですが、こう言うのは、やはり「我流でピアノを弾いているだけ」。

だから本当に意味での「基礎」にならないから、クラシックも弾けてない。「あたしは、楽譜通りには弾けるが、即興はできません」なんて堂々と言われますが、これ実際には「楽譜が本当に読めないから、即興する能力もない」と告白しているようなものです。

なんて相変わらず「ひとの商売を邪魔する」お説法をやらかしてしまいましたが、深く、クラシックを学びさえすれば、ジャズなんて直ぐにできます。

将来、「ジャズピアノをやりたい」ならば、深くクラシックを学ばれる方が良いとアドバイスします。

ジャズは成人してから始めても遅くない。ティーンエイジャーが「軽業師」みたいにジャズを弾いているのを見ると、気色が悪いし、それこそ「二十歳を過ぎればタダの人」になる訳で「人生を失敗」します。

「基礎」をじっくり育ててこそ、未来は明るい !

と言う相変わらずの話になってしまいました。つづく

大阪梅田芸術劇場北向かい Kimball Piano Salon 音楽教室主宰 藤井一成
レッスンやこのブログの内容へのお問い合わせはホームページにアクセスし、メールでお送りください。
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon












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クラシックピアニストの為のジャズ・レッスン/ショパンが原点 [レッスン]

「クラシックピアニストの為のジャズピアノレッスン」というテーマの三回目。

前々回に「ジャズピアノの巨匠アート・テイタムを、クラシックピアノの、20世紀最大の巨匠ウラディーミル・ホロビッツ が賞賛した」と書いた所、「その理由を教えて !」になんてご要望もあり、前回は詳しく書く予定でした。

ところが、あるクラシック系音大の学生さんから「ジャズピアノを学びたい気もするが、クラシック経験がダメになるのではないと心配しているが、実際、どうなのか?」というご質問が入り、それについての回答を前回は書きました。

それで、今日こそは「テイタム&ホロビッツ 」について書くつもりでしたが、始めに僕が「クラシックピアニストにオススメのジャズはレトロスウィング系なストライドピアノだ」と書いた所、「肝心のストライド・ピアノがどういうものが分からないから説明してくれ、というご指摘メールをいただきました。

という訳で「テイタム&ホロビッツ 」に付いては次回お話しするとして、今日は「クラシックピアニストにお薦めのジャズスタイル」である1930〜40年代の「ストライドピアノ」に付いてお話しします。
ストライド奏法とは?

何度もこのブログで書きましたが、日本で「ジャズ」を意味する「ライブハウスでセッションする1950〜60年代スタイルのモダンジャズ」だけではなく、1920年代の「ニューオリンズ・ジャズ」や1930年代の「スウィング・ジャズ」等様々あります。

「ストライドピアノ」は、1920〜40年代頃に発達(流行)した「スウィングジャズ」の一種、つまり「ピアノソロ」を前提とした系音楽スタイルです。

「ストライドピアノ」のいわれは、「ストライド」と呼ばれる「奏法=編曲法」が多用される事にあります。では「ストライド奏法」とは何かと言えば、下記の楽譜のように、左手が10度(例えばドとオクタープ+3度上のミ)のベースを弾き、次にその10度を「ストライド(またいで)」して和音を弾きを、繰り返し続ける事にあります。
981753_3 2.jpeg


尤も実際の「ストライドピアノ」は、「ストライド奏法(編曲法)」ばかりやる訳でなく、様々なピアノ奏法(編曲法)が用いられます。

下記は「ストライドピアノ」の最高峰、アート・テイタムの即興演奏を採譜した楽譜ですが、そもそも1ページ目には「ストライド奏法」は登場しません。
 
play along.jpeg


実際に楽譜を弾く、この「10度と和音を交互に弾くストライド奏法」はなかなか難しく、それ故、
「ショパンやリストのピアノ曲が弾けるクラシックピアニスト」にこそ、「ストライドピアノ」修得を目指して頂きたい訳ですが、「ストライドピアノ」の最初の全盛期は1920年代頃でした。

1920年代のニューヨーク、当時は高級住宅街だった「ハーレム」のクラブでは夜な夜な「ストライドピアノ」の華麗な演奏が競われました。

当時の巨匠、JPジョンソン、ユーピー・プレイク、ウィリー・ザ・ライオン・スミス等の黒人ピアニスト達は、正に「超絶技巧」と共に「高い音楽性」で聴くものを酔わせます。

その中の一人、1890年代の生まれの「ユービー・ブレイク」の演奏をご紹介しますが、勿論、1920年代(当時は録音できず自動ピアノに録音)や1930年代の素晴らしい演奏もありますが、敢えて1970年代、つまり、ブレイクが90歳頃のコンサートの様子を収めたこの動画を観てみましょう。

https://youtu.be/21SMdsr-i78

ブレイクは、この十年後に「100歳のコンサート」を催した程に元気で長生きしました訳で、この90歳頃は、十年後と比較すれば「若い頃(?)」と言えなくもないのですが、流石に壮年時代と比較すれば、技術的には衰えている筈ですが、それでも「華麗な技法」は健在。

また「音楽的」には、無駄がない立体的な構築と、豊かな歌ごごろとで、音楽として楽しめる演奏である事は確かです !

同じく1920年代の「ハーレム・ストライド」の巨匠、ウィーリー・ザ・ライオン・スミスの1965年、パリでのライブ演奏動画を観てみましょう。

https://youtu.be/_j_xXlHZr5g

しっかりしたピアノ技術と、ハッピーな雰囲気、しっとりした情感で、とても楽しめます。

この「ストライドピアノ」の全盛期である1920〜40年代頃にかけて、どうも米国の観衆は、ジャズに限らずクラシックでも、ピアニスト対し「超絶技法」を求める傾向があったようです。

例えば1930〜40年代に「ストライドピアノ(ジャズ)」とクラシックピアノの両分野で「天才少女」と呼ばれた黒人のヘンゼル・スコットの演奏を観て下さい。

https://youtu.be/OSkfgxe0oFw

物凄い技巧ですね。10度と和音を交互に弾く「ストライド奏法」も凄まじい。

しかし、僕はヘンゼル・スコットによる、この手の「超絶技巧」をひけらかす演奏は、あまり良いとは思いません。ヘンゼル・スコットは、黒人女性ですが、ジュリアード音楽院でクラシックピアノを学びました。(黒人がジュリアードでクラシックを学ぶ事自体は、珍しい事ではなかったようですが)。

そしてスコットは「超絶技巧」のみならず、「高い音楽性」の持ち主でしたが、どうも市場から、「超絶技法の見せびらかし」を要求され、かえって「音楽性」について注目されなかったようです。

ちなみに「超絶技巧」という点では、時代を少し進む1930年代もキラ星揃いですが、やはりアート・テイタムの演奏は群を抜いてしました。

https://youtu.be/aNAJlqn0nO4

凄まじい技巧ですが、しかし、高度な音楽性を有するのがテイタムの素晴らしい所です。

何れにせよ、テイタム的な事をピアノ演奏しようとするならば、「ショパンの練習曲全曲を習得した経験」がある方が有利な事は確か。それ故、「クラシックピアニスト」にこそテイタムのような「ストライドピアノ」がお薦めな訳です。

ちなみに私自身は、テイタムの技巧は無理なので、テイタムの音楽構造を模倣しつつ、ずーっとシンプルな独自のストライドピアノのスタイルを作っていますげとね。

ストライドピアノの原点は「ラグタイム」or「ショパン」?

「ストライドピアノ」には「ストライド奏法」だけではなく、様々なピアノ音楽の要素で構築されている、と前述しましたが、では「ストライド奏法」自体は、いつ生まれた?と思いますか?

いわゆる「ジャズ史」の通説では、1930年代の「ハーレム・ストライド」を遡れば、1920年代の「ニューオリンズ・ジャズ」が見えてきます。

「ニューオリンズ・ジャズ」の自称「創始者」であるピアニストで作曲家のジェリーロール・モートンの演奏を聴いてみましょう。

https://youtu.be/ujFWZrs6pow

これも「ストライド奏法」の一種ですが、まだ「10度のベース」は用いられず、単音のベースと和音の繰り返しだったようです。

ちなみにモートンの音楽スタイルは「ストライドピアノ」だけではなく、今でいう「ラテン音楽」的なものもあります。

https://youtu.be/MkGjDbKauVo

このジュリー・ロール・モートンは、映画「海の上のピアニスト」でも「ジェリーロール・モートン」として登場します。

https://youtu.be/6yHLYc8IJT0

尤も誰が演奏しているのか知りませんが、本物のモートンの演奏と比べると「品格」がなく、僕なんぞは、このシーンだけで映画全体のイメージが悪くなった程ですが、要するにモートンは素晴らしかった、という訳ですね。

ラグタイムが「ストライドピアノ」の原点?

更に「ニューオリンズ・ジャズ」を遡ると、19世紀末から1910年代に流行した「ラグタイム」というスタイルがあります。

ピアノ発表会の定番、スコット・ジョプリンの「エンターティナー」も「ラグタイム」の名曲の一つと言えます。

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「ラグタイム」も「10度の左手ベース」はなく、単音と和音の繰り返しに止まりますが、「ストライド奏法」である事にはなく、「ストライドピアノの原点」は「ラグタイム」と言っても間違いではなさそうです。

では「ラグタイム」の原点は何かと言えば、19世紀末当時、ニューオリンズで人気が高かった「マーチ・バンド」でしょう。

「マーチ」をピアノ編曲した例として、運動会でよく使われる「クシコスの郵便馬車」という曲の楽譜を見ますと、簡単な「ストライド奏法」が用いられている事が分かります。

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19世紀末、「マーチの王様」と呼ばれたジョン・フィリップ・スーザによって多くのマーチが作曲され、軍楽隊を始め、多くのマーチバンドが結成されました。

その「マーチ」をピアノに移したのが「ラグタイム」な訳で、結局、「ストライドピアノ」を原点に遡れば「マーチ」になるのか、と言えば、これも違う訳ですね。

ショパンのノクターンが「ストライドピアノ」の原点 !

「ラグタイム」については、改めて別の機会に詳しく述べたいと思いますが、元々は「クレオール」と呼ばれた混血黒人によって作られたピアノ、バイオリン、クラリネット等の「室内楽」的な音楽だと言えます。

米国史ではつい避けられてしまうようですが、南北戦争以前のニューオリンズは、少し前までフランス領土だった事もあり、フランスの法律で州が運営されていました。

フランスの法律では奴隷黒人(女性)と主人である白人(男性)の間に生まれた子供は、奴隷ではなく、主人の側、つまりは「白人(フランス人)」として扱われ、フランス式の教育を受けました。

やがては成人した「クレオール」は父の財産を相続し、つまり「奴隷農園の主人」に収まる人が多かったようです。

この辺りの「史実」については、タブー視されているようですが、混血とはいえ黒人である「クレオール」達は、「奴隷農園の主人」として奴隷達を過酷に搾取し、或いは南北戦争では、南軍(奴隷解放反対)として戦った訳です。

或いは南北戦争終結までは、ニューオリンズの市会議員や銀行の半数が「クレオール」だった程で、今の価値観では「黒人」ながら、当時の「クレオール」の大多数が中産階級の生活を甘受したようです。

ところが南北戦争の敗戦によって、奴隷制は崩壊し、つまり「農園経営」が難しくなった事、新たに制定された北部式法律により、「クレオール」は「黒人」に分類されるようになった事等で、要するに「クレオール」の没落が始まります。

結局、没落した「クレオール」は、女性は、元の屋敷を改装しての高級「売春宿」を経営し、男性は「売春宿のピアノ弾き」に収まった、というのが定説です。

ところで「クレオール」達は、元々「フランス人」として、フランス式の教育を受け、フランス語を話し、音楽については「クラシック音楽」を演奏したようです。その際、トランペットやサックスのような屋外楽器ではなく、ピアノやバイオリン、クラリネットのような室内楽器が選ばれた訳で、「ラグタイム」もやはりピアノやバイオリン等の室内楽的な音楽でした。

ここで注意したいのは、日本に限らず、米国でも「ラグタイム奏者」というのは、例えばライブをすれば全曲「ラグタイム」で演奏しますが、本来の「売春宿のピアノ弾き」は「ラグタイム」ばかりをやっていた訳でなく、バラードやワルツ、ポルカ等、なんでも演奏し、また、演奏できる技能を有しました。

記録によれば、「売春宿のピアノ弾き」の収入はなかなかのもので、今の価値で言えば、一晩に十万円位稼ぐのもザラだった上、多くは、売春婦のヒモになり、かなり怠惰な生活を送ったようです(羨ましい/笑)

クレオールによる「ラグタイム」が生まれたニューオリンズには、他には元奴隷の黒人達による、解散した南軍の放出楽器にブラスバンドの「マーチ」、或いは娯施設で歌われた「ブルース」等がありました。

それらの三種の音楽は、いわば敵対していたようですが、1920年代の南部不況の際、黒人が北部へ一斉に大移動し、東部のNYは遠いので、中間に位置するシカゴに彼らが止まった末、「ラグタイム」「マーチ」「ブルース」等が融合して作られたのが前述のジェリーロール・モートン(ピアノ)やルイ・アームストロング(トランペット)、シドニー・ベシエ(クラリネット)等による「ニューオリンズ・ジャズ」です。

では、それらの動きと「クラシック音楽」が関係していたのか?という問題ですが、私は「ある」と断言できます。

というのは、前述のように「クレオール」達はフランス式教育、つまりは「クラシック音楽」の素養があった、という事もありますが、特に1920年以後、NYで発展した「ハーレム・ストライドピアノ」にショパン等の影響が多く見られるからです。

下記はショパンの「夜想曲」のいくつかの曲の一部ですが、完全に「ストライドピアノ」しています !
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そしてNYに住む黒人音楽家には、これらのクラシック音楽を学ぶ機会は充分にありました。何故ならば、黒人達同様に貧しい生活を強いられたヨーロッパ移民の中には、優れた音楽家は少なくなく、つまり1920年代当時としては最新のメソッドでクラシック音楽を学ぶ事が可能だった訳です。

それらの音楽技法が「ハーレム・ストライド」を構築していく要素になった筈です。

ショパンやリストの学んだ経験が「ストライドピアノ」では完全に活かせる

私の結論として、JPジョンソンやユービー・ブレイク、ライオン・スミス等の1920年代の、アート・テイタム、テディ・ウィルソン、アール・ハインズ等の1930年代の、「ストライドピアノ」の巨匠の音楽の背景には、ショパンやリスト等の「クラシック・ロマン派」が強く影響していると言えます。

つまり「ストライドピアノ」を習得する「過程」として「ショパンやリストの習得」が必要だ、という訳ですが、例えば「プロのジャズピアニスト」であっても、今までショパンやリストの音楽を習った事がない人が、これからショパンやリストを始めるとなれば、それは無理でしょう、としか言いようがありません。

しかし、既にショパンやリストを学んだ経験のある「クラシックピアニスト(趣味で習うピアノ学習者も含め)」ならば、「ストライドピアノ」習得に必要なスキルの内、少なくとも七割は既に有している、と言えましょう。

後の三割を学べば、「プロのストライドピアニスト」としての活躍は夢ではありません。

という訳で「クラシックピアニストの為のジャズピアノ」として「ストライド」をお奨めすると共に、僕のところでレッスンを始めていますので、リアル(大阪梅田)或いはオンラインでの受講が可能ですのでご興味がある方は下記ホームページからメールでご連絡下さい。或いは電話もOk。

次回「アート・テイタムとホロビッツ の関係」についてお話しします !つづく

大阪梅田芸術劇場北向かい Kimball Piano Salon 音楽教室 主宰 藤井一成
電話(070)5438-5371 (直) http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon



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質問「ジャズピアノを習うと、クラシックピアノ経験がダメになりますか?」 [レッスン]

前回、「クラシックピアニストにお薦めのジャズ」スタイルは、モダンジャズよりも一昔古い「スウィング・ジャズ」の「ストライドピアノ」スタイルだと申しました。

日本では「ジャズ」といえば、ライブハウスでセッションする「1950〜60年代のモダンジャズ」を意味しますが、世界的には、それよりも1世代古い「スウィング・ジャズ」も結構盛んです。日本でも若い人を中心に「スウィング・ジャズ」が盛り上がりつつあります。

僕自身は本来「モダンジャズ」系のピアノ奏者/講師でしたが、「スウイング・ジャズ」の勉強も始め、早十年以上経ち、漸く自分なりの「スウィング・ジャズスタイルのピアノ」が弾けるようになったと思えるようになりました。

かつ「雰囲気=我流」ではなく、技術的、音楽理論的にも体系化できたので、皆さんに対しても、レッスンを呼びかけるようになったですが、そのお陰か色々な方が、大阪梅田にある僕の教室に習いに来られます。或いは「オンライン」でのレッスンを受講されます。

僕の生徒さんと言うのは、大雑把にいえば「クラシック(のピアノや声楽の)経験がある人」とない人とに分かれますが、中級以上の方の大多数は「クラシック経験」があります。

とはいえ「クラシック経験」も「子供の時に近所の教室でソナチネとかを習った」と言う趣味レベルの人もいれば、クラシック系音大を卒業し、クラシック演奏会を主宰される方もおられます。

まぁ、色々な経歴の人が来られた方が面白い事は確かですが、最近、僕も年老いた(笑)せいか、昔に戻る、と言うか「クラシック世界」も重視したいと思うわけでして、いっそ「クラシックピアニスト/声楽家専門のジャズ教室」なんて事も考えなくもないのですが、これも変ですよね。

とは言え、現実に「クラシックピアニスト/声楽家やレスナー」の方の入門(入会)が増えている訳で、かれこれ「クラシックピアニスト/声楽家のためのジャズ」レッスンも力を入れています。

クラシックピアニストには「モダン・ジャズ」よりも「スゥイング・ジャズ」スタイルがお薦め

ところで前回から「クラシックピアニストには、モダンジャズではなくスゥイングジャズ系の方が合致するのか?」というお話を始めていました。

前述もしましたが、このブログで何度も書きましたが、「ジャズ」と一口に言っても「時代別」に様々なスタイルがあり、日本では「ジャズ=1950〜60年代のモダンジャズ」を意味するが、1930〜40年代の「スゥイング・ジャズ」もなかなか良いと。

そして「クラシック・ピアニスト(クラシックピアノ経験が長い人)」には「モダンジャズ」ではなく「スウィング・ジャズ」のピアノスタイルである「ストライドピアノ」がお薦め、とも言いました。

種明かしをすれば、僕の教室に習いに来る「クラシックピアニスト/声楽家」つまりクラシック系音大等を卒業された方というのは、単に「ジャズに興味があるから」と言う軽い気持ちではなく、「できればジャズ系の仕事もしてみたい !」と言う下心(笑)と言うか希望満載で扉を開かれます。

その場合、今更「モダンジャズ」で身を立てる事は難しいから辞めといた方がいいですよ、と実態をお伝えしますが、「スウィグ・ジャズ」ならば充分可能性はある、とお伝えしています。

実は、あらゆる「ジャズ」は、基礎として「クラシック」の技術や知識の上に成立していますが、かと言って、「ライブハウスでセッションしている1950〜60モダンジャズ」の場合は、「クラシック以外の音楽要素」が沢山詰め込まれています。

クラシックの素養が邪魔になる、と言う事は全くありませんが、その「クラシック以外の音楽要素」を今更修得するのは困難でして、趣味で楽しみ程度ならばともかく、職業的な活動を目指すのは不可能に近いとお断りする次第です。

ところが「スウィング・ジャズ」のピアノや歌の場合、もう必要とする音楽技能の80パーセントが「クラシック」そのものなんです。

別な言い方をすれば「ライブとかをやっているプロのモダンジャズ・ミュージシャン」と言えど、「スゥイング・ジャズ」に「転向」しようと思えば、「クラシック技能(経験)」が充分ではないから、敷居が高いのに対し、案外、「クラシックピアニスト」の方が達成させ易い、と言う訳です。

かつ、卑近な話でいえば、「スウィングジャズ系/ストライドピアノ」の方が、「ライブハウスのセッションには合わない」かも知れないが、ホテルやなんかのピアノ演奏の仕事には適する訳で、職業として成立する可能性が少しは高い訳ですね(煽っている訳ではございませんが/笑)

と言うわけで「クラシックピアニスト/声楽家/レスナーの為のジャズ教室」なんて事を大阪梅田で主宰している次第です。

ところで前回は、「なぜクラシックピアニストにはスウィングジャズが合うのか」と言う説明の一環として「スウィングジャズ系ピアノの巨匠アート・テイタムを、20世紀最大のクラシックピアノの巨匠ウラディーミル・ホロビッツ が賞賛した」と言う話をご紹介しました。

今日は「ではホロビッツはテイタムのどの部分を賞賛したのか?」と言う事をお話するつもりでしたが、前回、投稿に対し、早速、メールにてご質問を頂きましたので、その趣旨をご紹介します。

質問「クラシックピアノをずっと続けて来たが、ジャズピアノをやると、自分の音楽が崩れそうで、ジャズに飛び込めない。どうしたものか?」

と言う訳で、今日は予定を変更し、そもそも「クラシックピアノとジャズピアノは両立するのか?」というテーマでお話したいと思います。

ジャズとクラシックは音楽的に物凄く遠いから、足を踏み入れるのが怖い、と言うのがご質問。

ではジャズとクラシックは全く違う音楽なのか?

そういえば直接、先日、ある人から「ジャズ向きのピアノはどう物ですか?」というご質問を頂きました。

面倒臭いので「ジャズ向き?あぁ、それならばベーゼンドルファーだ」と答えておきましたが、実際はスタインウェイだろうがファッオーリだろうが、ベヒシュタインだろうが、要するに「良いピアノ」であれば、クラシック同様にジャズも弾き易い訳です。

これも蛇足になりますが、ベーゼンドルファーといえば、何年か前に「新型」と称する「ベーゼンのボディに、ヤマハのアクションが入ったような(違っていたらご免なさい)モデル」を試奏させて頂きました。

その際に、一時間位、その新しいフルコンのベーゼンドルファーを弾かせて貰える事になっていましたが、僕は十分位、弾かせて貰った後、出てしまいました。

そのピアノのアクションがヤマハ製なのかどうかは不明ですが、メーカーの説明に寄れば「ジャズピアノ等にも対応できる現代的なアクション」とやらが組み込まれたそうです。

では一応「ジャズピアニスト」である僕が、その「ジャズピアノにも対応できる」ベーゼンを気に入ったのか、といえば、むしろ旧来の「ベーゼンのアクション」のモデルの方が弾き易いし、更に言えば、1970年代以前の「ウィーンアクション」の方が思った通りの音が出るので好きな訳です。

1970年代頃まであった、昔式の「ウィーンアクション」というのは、弾き難いが、「音を創流」と言う点では繊細かつダイレクトに指と繋がり、僕としては、どうせベーゼンならば、上滑りするような「ジャズピアノ向き(?)の現代的なアクション」よりも、かってウィーンのクラシックピアノの巨匠ウィルヘルム・バックハウスが愛用していた昔式の方が「弾き易い」と僕は思う次第です

これも蛇足ながら、どうせ「ヤマハのアクション」を使うのであれば、いっそボディもヤマハの方が理にかなっているし、ヤマハなりのバランスの良さももあり、ヤマハはヤマハで僕も結構好きです。

これも蛇足ですが、僕は「戦前のベヒシュタイン」も大好きですなんですね。

メーカー自身は否定するけれども、ドイツの名器ベヒシュタインも戦前と戦後〜今時とでは、相当に変わってしまったと思いますが、やはり戦前にクラシックの巨匠であるルドルフ・ケンプやアルトゥール・ルービンシュタイン、ディヌ・リパッティが愛用していた頃のが僕は好きです。

要するに「ジャズ向きピアノ」なんてものは存在せず、クラシックにも良いピアノは、ジャズ二も良い、という訳です。

なんて言うと「だけど、ジャズとクラシックでは、CDで聴かれるピアノの音が全然違うぞ」と返す人がいます。
ジャズとクラシックではCDのピアノの音が違うのはなぜ?

勿論、整音やタッチの整調が違う時もありますが、「録音の際のマイクセッテイング」が、クラシックとジャズとで違い、ジャズの方がマイクをピアノに近づけて録音するようです。

ちなみにグレン・グールドやCBS時代のホロヴィッツの録音は、ジャズ的と言いますか、マイクをピアノに近い位置にセットした録音でしたし、1960年代頃までは、クラシックもかなりマイクを近づけて録音したようです。

1970年代頃から、クラシック録音は「残響豊かなホール」等で録音する事が増え、そうやって制作されたレコード/CDを「ええ響きやなぁ」なんて言う人が少なくないのですが、響に誤魔化されて、肝心の演奏の細部が聞き取れないので僕は嫌いですね。

そう言えば戦前のクラシック指揮者の大巨匠であるトスカニーニも、録音に祭し、「残響」を嫌い、徹底的に「残響なし」の環境で録音したそうです。

これも蛇足になりますが、東京のサントリーホールやら大阪のイズミホールは「長い残響」がジマンのようですが、下手なピアノも綺麗に響くと言う点は宜しいが、本当の名手の演奏を聴くとなると、この「長い残響」が邪魔になるので、僕は「残響」が加わらない前の方の席で聴くようにしています。

ジャズ特有の「タッチ(弾き方)」なぞない!

ところで「ジャズを始めるかどうか迷っているクラシックピアニスト」にとって、もう一つの悩みは「クラシックとジャズではタッチ(弾き方)が違うのではないか」という問題があります。

実際、ある「ジャズピアノの先生」のレッスンを受けた所、学んできた「クラシックピアノの弾き方」とは違う弾き方を強要され、更には「ジャズの場合、こういうタッチで弾くのだ!クラシックの弾き方をするな !」と叱られトラウマになった、なんて人もいます。

僕はその現場を観た訳ではないので、その「ジャズピアノの先生」がどんな弾き方をしているのかは定かではありませんが、どうせ「ヘタクソなピアノ弾き」だろうな、思います。

尚、それこそ「クラシックと違う感覚」として、ジャズの場合「ヘタクソでも構わない」という価値観もアリな訳で、その「ジャズピアノ先生」が演奏者としてもダメ、とは限りませんけどね。

そもそも何をもってウマい、とかヘタクソを判断する基準は各人様々な訳ですが、敢えて言えば「クラシックピアノの技術」の多い少ない=「上手/下手」の基準と言えましょう。

そして「クラシックピアノ経験が全くない」まま「プロのジャズピアニスト」になった方も少なくなく、且つ、その方が演奏家として素晴らしい、と言う事もありましょう。

但し、僕自身は長年「クラシックピアノ」トレーニングを積んでおり、あまり大きな声ではいえませんが(笑)、僕の所に「ジャズピアノを習いに来た」ついでに、僕から「クラシックピアノのレッスン」を受ける音大ピアノ科卒の人も案外少います。(注/僕自身のクラシック・レパートリーは極めて限定的ですけど)

要するに「ジャズ固有の弾き方」なんぞ存在しません。但し、敢えて言えば「クラシック的な音色」を有さないジャズピアニストも少なくないが、まぁ、大体の「上手いジャズピアニスト」と言うのは、クラシックもそれなりか、それなり以上ら弾ける人が少なくないと言う訳ですね。

これも予めてお断りましが、僕のピアノの弾き方というのも、「日本のクラシックピアノの弾き方」しか知らない人からすれば違和感があるかも知れません。

その理由は僕が「変」なのではなく、言っちゃあ悪いが「日本のクラシックピアノの弾き方」が「変」と言いますか「欧米の正統的なクラシック演奏法」とはかけ離れているからだからです。

僕の弾き方は「欧米のクラシック演奏法」からすれば「普通」な筈です。

結局の所、「ジャズ固有の弾き方」なんぞ存在せず、「日本人独特の変な弾き方」ではなく、「欧米の正統的なクラシック奏法」であれば「正しいジャズピアノの弾き方」ができる、と言う訳です。

敢えて言えば、僕のところで「正しいジャズピアノの弾き方」を修得されれば、自然とモーッアルトだろうがショパンだろうが、より美しく、表現力豊かに弾けるようになる、と言う訳です。

「ジャズピアノ教室に習いに行ったから、クラシックが下手になった」なんて事があれば、その「ジャズピアノ教室」はインチキだと言えましょう。
ジャズ固有のリズムに乗れないのだが、というお悩み結論、「ジャズピアノを習った事でクラシックも上達」するのが本物

なんて事を色々と書きましたが、要するに「正しいジャズピアノの先生」の場合は、
「長年習ってきたクラシックピアノの感覚」が駄目になる筈がなく、また「ジャズとクラシックを分けて考える必要すらない」事を理解させて貰えると思います。

「クラシックとジャズとでは弾き方やリズムが違う」とか「クラシックとジャズとでは音楽理論が違う」なんて言う先生がいるとすれば、所詮は「ニセモノ」でしょう。

「クラシックの先生」が「ジャズは違う」なんて言われたとしても、それは致し方ない。
「クラシックの先生」が「ジャズについて知らない」のは当然だから。

しかし「ジャズの先生」が「クラシックとジャズは違う」と安易に言うとすれば、その先生の「ジャズ」自体を疑うべきです。

真摯に勉強すれば、ジャズというのは、クラシックの技術や理論の延長線上にある事が理解できるからです。勿論、「クラシック経験や技能なし」に素晴らしいジャズ演奏をすることは可能ですが、そういう人の場合、教える相手を選ぶ(クラシック経験がない生徒)に限定すべきでしょう。

おっとなんの事ない、同業者の悪口(笑)で話が終わってしまいましたが、要するに「クラシックもジャズも本来は同じ」なわけで、「クラシック経験が長い人」も安心して「ジャズ」を習って頂きたいと思います。

という訳で「ジャズピアノの巨匠アート・テイタムとクラシックピアノの巨匠ホロビッツについて」は次回に続きます。

尚、僕のレッスン(リアルは大阪梅田、オンラインは全国どこでも可能)へのお問い合わせ等は、ホームページからメールで頂けるとありがたいです。或いは電話もOKですが、詳しい事をFace-timeやLine等でオンラインでお話しする事も可能です(要予約)。ではでは次回 !

大阪梅田芸術劇場北向かい Kimball Piano Salon 音楽教室 主宰 藤井一成
電話(070)5438ー5371 http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon

写真は僕ですー
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秘伝公開(?!)「息を吸ってから歌う」という簡単な事ができていないのです [レッスン]

前回「合唱経験」のある方から「ジャズボーカルとクラシック(合唱)とでは発声等が違うのか?」
という質問を頂きました。

それで、このブログで返信を書き始めた所、つい「ジャズボーカルが成立するまでの歴史」
を書いて時間が尽きました(汗)。

という訳で今日はマジメに解凍しましょう。

声は前方に投げるのですか? 上方に抜く感じですか?

質問/

発声に関してですが、
言葉は「前方に投げる感じ」というのはわかりました。
音に関しても同じでしょうか?

私は合唱をやっていましたが、その時のイメージとしては
高音は、後頭部を通って頭頂へ抜いていく という感じが染みついています。
(たぶん裏声だと思います)

ジャズボーカルでは、音程の高い音もすべて前に飛ばしますか?

回答/「声」には「共鳴」と「空気」があるのです

先ずは認識と言いますかレッスンの復讐をしますと、
「声」には身体のどこかに響かせる「共鳴音」と、
口から「空気」を吐き出す「呼吸音」があります。

これは合唱に限らず、ジャズやポップス等のジャンルを問わず
「ボーカル」をやる人に多く見られる特徴と言いますか「悪癖」ですが、
得てして「共鳴音」のみで勝負(?)したがります。

「ええ声でんなー」

なんて評価は嬉しいものですが、声が良いとか悪い、とかは、
大雑把に言えば「共鳴」の具合によります。

或いは本人の努力とは無関係に、骨格や何かが生まれながらにして
「ええ声」を作る形を有する場合は決して少なくありません。

いわば「美人」に生まれたようなものです。

又、「努力」に寄って「美人」に近づいたり、より「美人」になれます。

つまりは「共鳴」いかんで「美人」度をあげれる訳です。

かと言って女性の人格というものが「美人」かどうかで決めれないのと同様、
「歌唱」としての「表現」は「共鳴」だけで決めれません。

「息を吸う」簡単な事だけで殆どの人ができていない「発声の基本」です

これはウチの「秘伝(笑)」の一つですが、殆どの人が「息を吸う」事なしに、
歌い始めたり、話したりしますが、これが「間違い」の始まり。

例えば「Fly me to the Moon」と読んでみて、
と言うと何の気なしに、「息を吸わず」に喉を共鳴させて「フライ・ミー〜」と始めます。

これがダメなのです。

尤も「息を吸って」と言うと、フーッと肩をあげ、かつ喉の奥を閉めて息を吸いますが、
これもダメ。

僕は「息を吸う」イメージを掴んで貰うために腕をグーンと上げて貰いますが、
この際、真っ直ぐ上に上げれる人と、途中でへたばってしまう人とがあります。

基本的に日本人の「リズム感」と言いますか、「身体の使い方」は、
「腕を上げる」事ではなく、「打ち下ろす」方に慣れています。

最近はサッカーが流行し、応援も海外のサッカー・ファン風に
「オー」とか言って腕を上げるのですが、どうも決まらないのは、
日本人の「リズム感」が「上げる」よりも下ろす「叩く」と言う方向だからです。

「モグラ叩き」のようにパンパンと叩く程に「興奮」するように身体ができています。
逆にゴルフのように上に上げる方向では「興奮」できないのです。

まぁ「息を吐かない」と「息を吸えない」から、
沢山の吐ききれば、循環して吸う事にはなりますが、
「息を吸う」後に「息を吐く」のとは全然違ってきます。

例えば、(いつものように)「息を吸わず」にアーでもウーでも適当に声を出して下さい。

カエルのように喉の奥が振動してアーなりウーなりが鳴っている事を分かります。

次にバースデーケーキの蝋燭を消すように、息を吸ってから、
口を尖らしてフーと息を前方に吹き出して下さい。

喉ではなく唇が振動している事が分かるでしょう。

そして、こうやって出てくる「呼吸音」こそが、
「歌唱の表現」の本質となります。

勿論、頭の上に響かせるとかの「共鳴」も
「ええ声」を作る上で重要ですが、
更に重要なのは「呼吸音」なのです。

そして、特に「マイク」に集音させるジャズやポピュラー系ボーカルの場合、
端的には(あくまで極論ですが)「共鳴」は不要で、「呼吸音」だけが問われます。

何故ならば、マイクは「集音器」ではなく、マイクは「楽器」であり、
マイクやスピーカーの振動板を最大に「共鳴(振動)」させる事こそが、
「表現力を持つボーカル」への道と言えましょう。

確かに身体への「共鳴」も無視できませんが、
それだけならば、いわば「美人なだけ」で
「何も意味がある事を発言できないキャスター」みたいなもの。

それでも「映像」を伴う場合は格好が付きますが、
ラジオ番組や「音だけで勝負する録音」の場合は、
なんの表現力も感じられない、平板な歌にしかなりません。

まぁ、実際にはマイクには二種類あり、
「ダイナミック・マイク」の場合、殆ど口に密着させて歌います。
(それ故、my マイクを用意して頂きたいのですが)

この場合、端的には「頭の方の共鳴させた音」はマイクには収録されません。

もう一つは主に録音に用いる「コンデンサー・マイク」ですが、
これもクラシック系歌手の場合は、身体の共鳴のみならず、部屋での反響までを録音し、
ジャズ・ポピュラー系の場合も、ある程度は身体の「共鳴音」も録音します。

又、現実に「呼吸音」がちゃんとできれば、自然と「共鳴音」も綺麗に出てくる訳で、
二者択一ではなく、「呼吸音も共鳴音」も上手に使えるか、
「共鳴音のみを追求しているつもりで、本当に共鳴声している訳でない声」
しか出せない、かのいずれでしょう。



****
なんて話ですが、時間が来ましたので、
次の質問である「子音と母音の関係」については次回に続きます!

尚、リンクは本文と関係ありませんが、昨日、紹介しました
美しい発声のシンガー「ダイナ・シュア」とジャズ・ピアニストだけど、
長年ロンドン交響楽団の首席指揮者でもあったアンドレ・プレビンとのデュオCDです。

大阪梅田芸術劇場北向かい Kimball Piano Salon 音楽教室主宰/藤井一成

「クラシック声楽家の為のジャズボーカル科」
「ポップス・シンガーの為のジャズ・ボーカル科」

共にオンライン/リアルでの生徒/講師募集中!

お問い合わせはホームページよりメールにて。
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月よりURLが変わりました)


Dinah Sings Previn Plays

Dinah Sings Previn Plays

  • アーティスト: Shore, Dinah
  • 出版社/メーカー: Blue Note Records
  • 発売日: 2006/08/23
  • メディア: CD



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クラシック合唱 の人がジャズボーカルをやる場合の疑問 [レッスン]

「クラシック系の方」対象「ジャズピアノ」レッスンについてお話ししていましたが、
たまたま僕のボーカル・レッスンを「オンライン」で受講されている方から、
興味深い質問メールが届きましたので、その返信をここでさせて貰います!

質問されたのは「クラシックの合唱団」で歌われていた方で、
「ジャズボーカル」に興味があり、僕の所で勉強を始められました。

まぁ「クラシック」と「ジャズ」との違いもありましょうが、
僕自身の「メソッド」は他の「ボーカル教室」とはかなり違う筈なので、
そこいらに違和感というか、更なる関心を持たれたのでしょう。

実は僕自身の「ボーカル・メソッド」について、何かと「秘伝(笑)」な部分があり、
実際に受講された方以外には公開していませんでしたが、
最近は更なる「秘伝(笑)」が色々とできましたので、
「入門編」の部分は公開しましょう。

という訳で先ずは受講生Mさんのメール。

声は前に持っていくものですか?頭の上方ではなく


藤井先生 昨日は長時間のレッスン有難うございました。
結局、レッスン後にオーディオ・インターフェイスで遊んでしまいました。
Youtubeのお気に入りチャンネルの演奏が素晴らしい音で再生できて、もう感動してしまいました!

さて、昨日の昨日の復習していましたら
結構息切れがしてきたのと、音が付けられない感じなので、
そもそもの私の解釈が何か間違っているのかもと思いました。
それで、いくつか質問させてください。

発声に関する質問ですが、
言葉は「前方に投げる感じ」というのはわかりました。
音に関しても同じでしょうか?

私は合唱をやっていましたが、その時のイメージとしては
高音は、後頭部を通って頭頂へ抜いていく という感じが染みついています。
(たぶん裏声だと思います)

ジャズボーカルでは、音程の高い音もすべて前に飛ばしますか?
それとも、言葉(特に子音)は前方で
母音の音は前方と頭上の二方向になる場合もありますか?

もしくは、そもそもジャズボーカルでは、高音は不要で、
すべて地声の延長で発声しますか?
もしかして、ミックスボイスという出し方ですか?
またお時間のあるときに教えてください。
宜しくお願いいたします。

クラシックとジャズボーカルの違い

Mさん、ご質問ありがとうございました。べリンガーのオーディオ・インターフェイスも
気に入って頂いたようで幸いです。

さてご質問ですが、大雑把にいえば「クラシックとジャズとでは発声が違うのか?」
という話になります。

これは違う、といえば、違うし、違わない、といえば違いません、なんて返事にならないのが
回答です。

といいますのは、そもそも「ジャズボーカル」と一口に言っても種々様々あり、
従って「声の出し方」にも色々な形があります。

これはご質問とは大きく離れますが、私の教室では「クラシック声楽家の為の
ジャズ・ボーカル」というものもあるので極端な話として紹介させて頂きます。

クラシック声楽家の為のジャズボーカルとは?

いわゆる「ジャズボーカル」としてイメージされるスタイルは、
1950年代に確立されたと思います。

ビリー・ホリデーといえば「ジャズボーカルの女王」的な存在ですが、
実はビリーを「ジャズ」と称するようになったのも1950年代、
つまり彼女の晩年の頃です。

それまでビリーに限らず、殆どの(今では「ジャズボーカル」と称される)黒人歌手の
殆どは「ブルース」と呼ばれていました。

では当時「ジャズボーカル」というものは何か?といえば、
実は「ジャズボーカル」自体が存在していませんでした。(端的な言い方ですけどね)。

これ又、今では「ジャズボーカル」と呼ばれるドリス・ディやペギー・リーやフランク・シナトラ等はなんと呼ばれていたか?

実は特に名称がなく、大雑把にいえば「流行歌(ポピュラー)」と呼ばれていましたが、
ちょっと話がややこしくなりますが、この手の音楽全般を「広義のジャズ」と呼ぶ場合も
あります。

ちなみ「狭義のジャズ」とは何か?

これは「楽器による即興を含む演奏」と言えます。つまり「流行歌」を器楽で即興演奏を加えて
「カバー」したのが「ジャズ」と言えます。

そういう意味では「ジャズボーカル」というのは矛盾した呼び方になりますが、
戦後の「流行歌」はロックやフォーク基調のものに移った関係で、
ジャズ系、つまりは「伴奏」をジャズ演奏家がやるものを「ジャズボーカル」と
称するようになった、という訳です。

従って狭義あるいは本来の意味では「ジャズ」とは呼べませんが、
しかし、今となっては「ジャズ」或いは「ジャズ系ボーカル」と呼ぶべきボーカルの、
1950年代頃までの音楽についてお話しましょう。

これも大雑把にいえば「黒人系」と「白人系」とに分かれます。

1940年代のスター、ジョー・スタッフォードとダイナ・シュアーはクラシック声楽?

また特に「白人系」については、1950年代頃までは、いわゆる「クラシック声楽(発声)」的な
歌唱法が使われます。

例えば米国を代表するスター歌手、ダイナ・シュアーの当時の映画

https://youtu.be/fJ4Ce-3lD2c

或いは同じく大スターであるジョー・スタッフオードの録音
https://youtu.be/U_yzmsiQqFA

これは厳密にいえば「クラシック声楽」とは違うでしょうが、
かなり近いように思います。

これは彼女達が多かれ少なかれ「クラシック声楽」の素養がある事と、
当時の歌唱として「クラシック声楽的」な事が求められたからです。

これは「黒人歌手」でも同じで、
例えば1920年代の「ブルースの女王」と呼ばれたベッシー・スミスも
今聴くと「クラシック声楽」に近い部分があるし、このレコードの
背景で聴かれる「黒人合唱」もかなり「クラシツク声楽的」でしょう。

マイクの活用が戦後の歌唱法を変えた

戦前の歌手が大なり小なり「クラシック声楽的」だった理由は、
単純に言って「マイクが使えなかった」或いは「貧弱なマイクしかなかった」、
いずれにせよ「マイクは補助的なもの」という考えによります。

従ってビッグバンドと対抗して歌うには、「クラシック的」な発声を身につけ、
とりあえず「ホールに響き渡る声」を持つことが歌手である条件となります。

対して「マイク」を「楽器」として積極的に使用し始めたのが、
ビング・クロスビーや、その流れを汲むフランク・シナトラ、ドリス・ディといった
人たちです。

これは誤解されるのですが、シナトラ等の「クルーナー唱法」と呼ばれる歌い方は、
「発声ができていない」「声量がない」から致し方なく「マイクに頼った」のではなく、
「マイクを楽器」として扱った歌唱法を確立した訳です。

例えば野外コンサートの場合、さすがのクラシックのオペラ歌手といえど、
マイクを用いますが、これは正に「マイクに頼って」歌ったいる訳ですが、
これは歌手が悪い訳でなく、会場がオペラに適してない事に問題があります。

対してシナトラ等の考え方は、1940年代ともなれば、
音楽を聴くのはラジオやレコード等の「スピーカーを通した媒体」であり、
ならばラジオや蓄音機を自分と一体化すれば、
よりリスナーに接近できる、というものです。

例えば、クラシック歌手を録音する場合、
当然、マイクを離し、部屋の響きごと録音しますが、
これはクラシック歌唱が「部屋に響かせる事」を前提とするからです。

或いは、上記のジョー・スタッフォード等の歌手も、
基本的には自分の生声がホール中に響かせる、という事を考えています。

ところがシナトラの考え方は、いわばラジオのスピーカーが自分の口であって、
そこから部屋に声を響かせる、従ってマイクを口元に接近させ、
部屋の響きは録音しない、というものです。

マイクの楽器化的使用で要求されるようになった母音や子音の表現

シナトラの考え方は、映画界にも及び、これは案外、注目されていませんが、
マリリン・モンローはいわば「台詞をシナトラの歌唱法」で演じます。

従来の「映画俳優」にせよ、「歌手」にせよ、
或いは、舞台の上で、ホール中に響かせるような声を出す事が第一義とされましたが、
その分、言葉の細かいニュアンスは放棄します。

細かいニュアンスは出せないが、全体としては力強く伝えれれば良い、という発想は、
クラシックのオペラが最も足るものですが、同じクラシックでも、「リート」と呼ばれる
シューベルトやシュトラウスの歌曲歌唱となると「量より質」という所で、
細かな表現が求められます。

シューベルトなぞは、本来、家庭のリビングルームで精々十人程度を相手に歌うものだそうですが、
フランク・シナトラの考え方は、これと同じながら、ラジオやレコードという媒体によって、
いかなる大きなホールよりも多数の人に同時に声を届けれる、というものです。

幸いにも1950年代ともなれば、スピーカーやマイクが発達し、
ホールに設置すれば、声自体は音量を出さず、その分、細かなニュアンスに
特化して歌唱しても、全ての席に、その音楽を届かせる、という事ができるようになりしまた。

とは言え、原点に戻って「クラシック発声によるジャズボーカル」もありです

なんて書くと、「マイクを使った発声」は良いことづくめのようですが、
事に「ボーカルを学ぶ」という段階では、色々な障害も起こります。

また戦前の「マイクを使わない(活用しない)発声法」によるジャズ、というものもアリ、
だと私は思います。

但し、この場合は、日本で「ジャズ」と呼ばれる1950年代以後の「モダンジャズ」の伴奏で
歌うというのはナンセンス。

1920年代のガーシュイン当時の伴奏スタイル等で統合する必要があります。

これは、これで、とっても良いのです。

そして、これを僕の教室では「クラシック声楽家の為のジャズボーカル」の一つの行き方として、
推奨しています。

おっと、しかし、Mさんの場合は、そこまで「クラシック声楽家」でもなく、
いわゆる普通の意味での「ジャズボーカル」を学びたい訳で色々とご質問を頂けは訳ですね。

例によって時間が尽きましたので、その辺りにはついては次回に!

つづく

大阪梅田芸術劇場北向かい Kimball Piano Salon 音楽教室 主宰 藤井一成

「クラシック声楽家の為のジャズボーカル科」を現在開設中。ご興味がある方は、
ホームページよりご連絡下さいませ。
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月よりURLが変わりました)

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なんちゃってジャズピアノは百害あって一利なし! [レッスン]

前回に続き、僕が主宰する大阪梅田「Kimball Piano Salon音楽教室」での、
「クラシック系の人の為のジャズピアノ」コースのお話。

僕が大阪梅田で主宰する「Kimball Piano Salon」の音楽教室のジャズ科には、
大雑把に分けて下記の三種の生徒さんが来られます。

1,クラシック系ピアニストや音楽講師
2.ポップス愛好者やロックやブルースのプロアマ・ミュージシヤン
3,プロアマ・ジャズミュージシャン

実は、僕にとって「最も気楽に教えれる」のが「プロのジャズミュージシャン」なんです。

ジャズには修得すべき色々な「技術と知識」がありますが、
「プロ・ミュージシャン」ともなれば基本的な事は習得済み。

総体としては、僕よりも達者かも知れない人もおられ、しかし、
僕に長がある特定の「技術と知識」について習いに来る訳。

一方、いわば「弟子入り」する形で「ミュージシャン」なり講師を目指し、
総体的に学びに来られる方がいて、教えるのは面白いけど、
僕の受け入れ体制が小さいので、極僅かな募集のみ。

難問は「なんちゃってジャズピアノ」や「オラオケの女王(笑)」

逆にやり難いのがピアノでいえば「なんちゃってジャズピアノ」、
ボーカルでいえば「カラオケの女王(笑)」やっておられる方。

僕の教室には「ピアノもジャズも全く経験がない人の為のジャズピアノ」コースを
(まだ公開していませんが)設定している位ですから、
レベルが「入門〜初級」である事は全然OK。

と言うか「入門」レベルのレッスンには教室として力を注いでいます。

或いは「子供の時にクラシックピアノをソナチネくらいまで習った。
音楽はJポップしか聴かないが、ジャズピアノを弾いてみたい」なんて言う、
上記2「のポップス愛好者」も全然OK。

困るのが我流が長い「なんちゃってジャズピアノ」や「カラオケの女王」。

正確には、クラシックと違いポピュラー系の場合、
殆どの人が「我流」でずってやってる訳で、
それで行き詰まったから習いに来た、なんてのは普通なのです。

むしろ「行き詰まった」と感じ、「基礎」から学びなおして見よう、
なんて人は僕的にはとても歓迎!なんです。

逆に「行き詰まり」なんて感じず、
「我流」の延長線を求められても、それは無理と言うものです。

でも、それ自体は構わないのですが、
こちらで用意したメソッドは練習せず、
易しく、と言うか「デタラメに編曲した」ビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビュー」
あたりを、いい加減に弾いて貰っても、永遠に「マトモ」な仕上がりになりません。

「カラオケの女王」も、サラ・ボーンの「ミスティ」あたりを「物真似」するのは上手だけど、
きちんと歌詞の発音を練習し、やフレージングを形成したりは苦手。

「基礎」をしっかりと学ぶことが重要

例えば「料理教室」でもマトモな教室ほど、「包丁の動かし方」みたいな
「基礎」を徹底的にやります。

逆に「基礎」はお座なりにして、「世界のメニューのレシピ」なんかを作るのは
「教室」としては「インチキ」としか言いようがないのですね。

ちなみに僕の「ジャズピアノ科」では「基礎」教材として、
リー・エバンスやマーサ・ミアー或いはオスカー・ピーターソンの「エチュード」をやります。

流石にオスカー・ピーターソンは自身のスタイルですが、
米国を代表する教育家であるリー・エバンス等の場合は別。

すなわちリー自身は1960年代に「新主流派ジャズ」のピアニストとしてメジャー・デビューしつつ、
米国メジャーのポップス・ヒットの編曲家やデイレクターとして活躍した経歴ながら、
「基礎(初級用)教材」としては「1920年代のラグタイム、ブルース、ディキーランド・ジャズ」
みたいな「初期ジャズ」のスタイルをしっかりやります。
(下記の写真はリー・エバンス著/藤井一成監修のJazz mataz 日本語版)

米国では、最終的にどんな「スタイル」のジャズをやるにせよ、
「基礎」としては、古典的な「1920年代の初期ジャズ」スタイルをキチンと押さえる、
というのが常識。

日本のようにビル・エバンスやウイントン・ケリーあたりを、
「なんちゃって編曲」で弾くような「インチキ」はやりません。

ちなみに、ロックやブルースのギターをやってきたような人が、
リー・エバンスの「基礎教材」を弾くと、「おっブルースだ! カッコいい!」とか好評。

逆にブルース感覚のない人には「ジャズっぽくない」なんてスルーされてしまいますが、
勿論、悪いのは弾き手。

ところで「なんちゃってジャズピアノ」に慣れている人は、
この種の「基礎」をやりたがらず、「デタラメな編曲」の「ビル・エバンス曲集」だかを、
いい加減に弾くのが「楽しい」らしい。

最終的に「ビル・エバンス・スタイル」をやりたいならば、
上記の「基礎」をしっかり習得し、正しい奏法やリズム感、フレージング等を、
頭の中でも、指の上でも理解できねばダメです。

なんて話をすると「楽器屋さんの音楽教室の講師」あたりからは、
「音を楽しむ、と書いて音楽といいます。音楽は楽しむもので、
堅苦しい勉強を強制させられるものではありません!」
なんて反発が来たりしますけどね。

「音楽」とは「音の道」なのです。

これも蛇足ですけど、中国語本来の「音楽」の語感は、
「音を楽しむ」なんてものではなく、
そもそも「楽」とは「いい加減にやる」という意味ではなく、
「色々な修行を経て到達した境地」という意味なんですね。

そう言えば、僕は一若い頃(1990年代)、台湾に住んでおりましたが、
ある日、台湾人の友達から「今夜は快楽的世界に行く」のだが、
お前はそう言う場所は好きか?行きたいか?と誘われました。

「はい、大変に興味深いです」とか何とか答えると、
車で山の方へ連れて行かれました。

ふもとには歓楽街みたいなのがありましたが、更に奥深い、
全く人気のない所に進むので、これは余程の「快楽的世界」ではないか、
と内心冷や汗をかいておりました。

到着した所は古寺。

うーん、これは大変な「快楽的世界」が密かに行われているのか、
と更に汗をかいておりますと、案内させられたのは「座禅道場」みたいな所。

何の事はない「快楽的」とは「お寺の修行」だった訳で、これはこれで、
良かったような、エライ目にあったような‥。

要らぬ話になりましたが、「音楽」とは「音を楽しむ」ではなく、
日本語的にいえば書道や華道のような「音による修行」という所。

書道や華道を「堅苦しいから嫌だ」「デタラメでもいい。楽しければいい」
なんて否定すればバカかと思われます。

だけど「音楽習得」に関しては「音を楽しむ、と書いて、音楽と言います」だの、
「楽しくなけば(いい加減でなければ)ダメ」なんて真顔で言う人が少なくないのは、
安請け合いの、商売しか考えてない「音楽教室」がまかり通っているからでしょう。

勿論、本来の意味で「楽しむ」事は良い事ですが、
これは表面だけでデタラメにこねくり回すのではなく、
書道や剣道、華道等ののように、「深い精神世界」への到達を目標としてこそ、
得られるものなのです。

そう言う意味で「なんちゃってジャズピアノ」やら「カラオケの女王」なんてのは、
「本当の楽しみ」を知らない。間違った「楽しみ」しか知らない不幸な人と言えましょう。

クラシックピアニスト/レスナーにも上中下様々あり

ところで元は「クラシックピアニスト/レスナーの為のジャズピアノ/ボーカル」科について、
お話してました所でした。

問題は一口に「クラシック・ピアニスト」や「クラシック・レスナー」と言っても
様々あり、正直、僕の教室に合う人と合わない人がいます。

ここで言う「クラシック・ピアニスト」とは音大ピアノ科を卒業したような人ですけど、
幅を広げて「子供の時にクラッシク教室でソナチネ位まで習った」と言う人でも、
僕的には結構歓迎なんです。

ある意味、ハノンやチェルニーやブルグミュラーやインベンション、ソナチネに相当する
「ジャズピアノ教材」が用意しており、それを当たり前に練習して、レッスンで弾けば、
普通に「進歩」できるのですから。

ただクラシック系音大出身のような人の場合、ちょっと、ややこしい。

と言うのは言っちゃあ悪いが音大にはピンからキリがあり、
トップクラスである東京芸大出身の人なんてのは、僕的には非常に教え易いのです。

逆にあまりパッとしない音大出身の人は、そもそも「学ぶ」と言う概念自体が違う場合すらあり。

例えば「生徒が沢山の集まり、教える仕事が忙しいからレッスンを休みます」とか
「ファミレスのピアノ演奏の仕事が忙しいからレッスンを休みます」なんて言うのは、
やはり二流以下の音大やら「楽器屋さんのグレード講師」やらなんです。

対して、一流の人程「良心的」で、「暫く勉強に集中したいので、仕事を休む事にしました」
なんて言うけど、考えて見れば、ラーメン屋さんなんかでも、一流になるような店は、
「スープの味が気に入らん!暫く休業して作り直す!」なんてやる訳。

ちなみに「クラシック・ピアニスト」としてある程度(職業としては成立しないにせよ)
活躍できる人は基本的に「良心的」な人が多く、ダメな人は「私は自分では演奏できないが、
教えるのは上手い」とか訳の分からない事を言う。

別に先生の「教え方」なんて下手な方が良いのです。

本当は生徒の側で「教わり方」を工夫すべきで、それくらいでないと、
クラシックにせよ、ジャズにせよモノにはならない。

しかし「教える内容」を持たない癖に「教え方が上手い」なんて言われると、
「詐欺師かいな」なんて僕は思ってしまいます。


クラシックピアノに取り組みようにジャズに取り組めば「ジャズピアノ」が修得できます

話としては「クラシックピアニスト/レスナー」にはこう言うスタイルのジャズ合います、
とか、「こうやって勉強すればいいです」なんて事を書くはずでしたが、
「なんちゃってジャズピアノ」の事を思い出して書き始めて以来、話が脱線しちゃいました。

次回は、そう言う話を書きたいと思いますが、今回の最後としては、
「学ぶことの心構え」みたいなモノになりましたので、
これの「クラシック・ピアニスト/レスナー」版を書いて〆ましょう。

基本的に「クラシックの経歴」がある事はとてもプラスになります。

よく「クラシックとジャズとでは弾き方が違う」とか
「ジャズを弾くと崩れるのでクラシックが弾けなくなる」なんて言われますが、
そういのは全くの間違い。

僕自身、「今夜はライブで二時間ジャズをやる」なんて昼間は、
あえてバッハやモーッアルト、ショパンみたいなクラシックだけを練習する時があります。

僕は「クラシックピアニス」の看板は持っておりませんので、
人前でクラシックを弾く事はありませんが、クラシックをしっかり練習(勉強)する程に、
自然と「ジャズ技術」が上がります。

よく「ジャズ固有のリズム」とか「ジャズ独特の響き」なんて言いますが、これもウソ!

実はバッハ以下「楽聖」と呼ばれる人達は、何世紀も先に進んでおり、
すでにビル・エバンスやキース・ジャレットみたいなサウンドをモノにしていました。

まぁ時代の「趣味」があるから、表向きには「モダン・ジャズのハーモニー」や
「ジャズ・ビート」なんてのがベートーヴェンのピアノ・ソナタの「表面」には見えません。

しかしコンソメ・スープのように、いわば「モダン・ジャズのハーモニーやビート」が
裏では溶け込んでいるから、ハイドンにせよ、シューベルトにせよ、豊かな響がします。

サリエリと言えば、「モーツァルトを毒殺した」と言う噂で「歴史に名を残す」事になりますが、
この毒殺は根も葉もない事実。社会的にも大成功し、また慈善事業にも熱心な人格者でしたが、
音楽自体はツマラナイ。

「ソナチネ・アルバム」に出てくるクレメンティやらクーラウ、ブルグミュラー、
チェルニーなんかと同様に平面的で、18世紀の音楽でしかない。

対してバッハ、ヘンデル、ラモー、ハイドン、モーッアルト等々の「楽聖」の音楽は、
全然別物で、何世紀も先を行ってます。

端的には「バッハの平均律ピアノ曲集」や「ベートーヴェンのピアノ・ソナタ集」だけを
「教材」にして「ジャズピアノのハーモニーや即興技術の修得」が可能です。

ベートーヴェンとキース・ジャレットが全然別物に聴こえてしまうのは、
実は「クラシックピアニスト」だからではなく、「クラシックを表層しか聴いていないから」であり、
本当に「理解」できるようになると、ハーモニーやリズムは変わらない、と感じるようになります。

したがって「ジャズを勉強する」程に「クラシックへの理解」も高まります。

「ジャズとクラシックは全然別なものです!」なんて事を、
「ジャズ」をやった事のないクラシックの人や、
逆に「クラシックをやった事がないジャズの人」が言うのは勝手だけど、
ある程度以上両方を勉強した人は「大して違わない」と言う筈なんです。

全く違うのは、クラシックとは「作曲家の意図を探っていって演奏する」に対し、
ジャズは「演奏しながら作曲する」事。

モーツァルトやショパンの楽曲を「ジャズ化」したCDもありますけど、
こう言う事を平気でやる人というのは、クラシックもジャズも本当には理解できてない、
二流のプレーヤーであって、マトモに聴くべき音楽とは到底言えません。

なんて事を長々と書いてしまいましたが、
結局の所、「真面目にクラシックピアノに向かい合う」事ができる人が、
「クラシックの時と同じようにジャズに向き合う」ならば、
何らかの意味がある音楽ができます。

逆に言えば「クラシックを真面目にやらなかったクラシックピアニスト/レスナー」というのは、
やっぱりジャズに移ってもダメなんです。

ダメだからお断り、という意味ではありませんが、
この際、ジャズの勉強を通して、逆にクラシックを勉強し直す、
というのも良いかと思います。

という訳で、次回こそは「クラシックピアニスト/レスナー」向けの
ジャズピアノのお話。

つづく

Kimball Piano Salon 音楽教室 主宰 藤井一成 

ジャズピアノ科、ジャズボーカル科 ジャズ教育科(クラシックピアノ教室でのジャズ教育)、
受講生募集中! 月謝八千円から
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月よりURLが変わりました)



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「ハノン」でピアノは上手になるのか? 1 [レッスン]

「ピアノもジャズも経験がない人のためのジャズピアノの学び方」 についてお話しする筈が、僕の体験談になり、 ついには「自伝(笑)」になってしまいました。 「失敗の連続」=「無駄のかたまり」だった僕の「ジャズピアノ習得法」というか 「ジャズピアノ人生」のお話を延々と続けるのも我ながら面倒になりました(汗)。 という訳で今日は途中経過を省き「結論」をお一つ。 「これからジャズピアノを始めよう」という方にも、 「ある程度、ジャズピアノが弾ける」という方にもアドバイス。 「失敗したジャズピアノ人生(笑)」にならない鉄則 a,「基礎」をいい加減にやっては駄目 b,「基礎」とは何なのか?を見極める c,「基礎」の修練を続ける の三点。 最大の問題は「基礎とは何か?」見極める事 誰だって「基礎が大事」という事は識っておられますが、 では「基礎」とは何か?と問われると漠然としたままなんですね。 「ジャズの基礎はクラシック」と言う説は間違ってないけれども、 では「クラシックの基礎は何か?」と聞かれれば分からない人が殆どでしょう。 「えっクラシックピアノの基礎ですか? ツェルニーやハノンをしっかりやって、楽典や聴音/視聴も習えばいいのでは」 「何々グレードの取得も励みになります」 とか見当違いのもアドバイスして下さる「ピアノの先生」は少なくありません。 確かに「何々グレード」だかに合格したり、音大や専門学校入学/卒業し、 できれば留学の一つでもすれば、「進歩」した気はするし、 「基礎」はちゃんと習得できていると自他共に感じるでしょう。 しかし、それらは「ある過程」の初歩段階を修めた、 というだけであり、本当にそれらが「音楽の基礎」として形成されるのか、 と言えばそうでもないようです。 僕自身の「人生の過ち」の始まりは、ジャズやクラシックの「基礎」を取り違えたまま驀進し、 膨大な時間を浪費してしまった事にあった、と最近想います。 という訳で「ピアノもジャズも経験がない人のためのジャズピアノの学び方」とも関わる訳で、 「学ぶべき音楽の基礎」とは何か?について考えてみましょう。 「専門的なレッスン」を受けて「基礎が全くない」と分かった 僕の「自伝(笑)」なぞ書いても仕方ないのですが、話の都合上書きますと、 僕は高校生時分から、音大進学を目指し「専門的な先生」の元にレッスンに通い始めました。 それ以前は近所のピアノの先生の元で「クラシック」を習う程度。 熱心にやったのが、中学時代に学校の音楽部で「フォーク・バンド」を結成し、 練習と「ライブ活動(?)」に励んだ程度。 尤も「女の子にモテたい」というか「モテるかも知れない!」という思惑で 当時のローティーンの定番だった「フォーク(ニューミュージック)」をやってましたが、 本当はクラシックのベートーヴェンやショパン等に傾倒し、 ジャズやロックにも関心が強い、という純朴な少年でありました。 結局、高校生頃には「ジャズピアノの道」に進もうという妄想が離れなくなり、 クラシック系音大を目指しますが、作曲科を目指したのは、 単純に「ピアノ科に入学できる技能がなかった」から。 尤もどうせ音大に行くならば作曲科の方が「ジャズピアノの即興演奏」に必要な、 音楽理論的な事が学ベルから得策だろう、とも考えました。 この発想自体は間違ってないものの、僕の能力には大きな問題がありました。 「ジャズピアノ即興に音楽理論の勉強が役立つ」という理由からクラシック系作曲科を目指しましたが、「クラシックの作曲家」ベートーヴェンに憧れたり、リック・ウェイクマンという英国プログレッシブ・ロックの「クラシックとロックの融合」に系統した事もあり、「作曲」にも憧れがありました。 それで、なにやら「作曲作品の断片らしきもの」をノートに書き付けておりましたので、 作曲の先生に「入門」する際に持参しました。 尤も、先生はそれらの「作曲の断片」には全く触れず、 「音楽作曲科進学を目指すならば、入試課題である「和声学」やら「対位法」 を学ばねばならず、教科書を購入して課題を宿題としてやって来い、という話だったので、 僕はガッカリしました。 加えて「聴音」という科目があり、先生がピアノで弾くメロディーを五線紙に書き取ったり、 逆に書かれたメロディーを歌う「視唱」という科目もある、 との事でそれらの「能力テスト」を最初に受けました。 それで判明したのは、僕には「隠れていた才能」がある、という事では全くなく、 僕に「音楽の基礎」が「お話にならない程に欠落していた」という「事実」のみでした。 そら、そうでしょ。殆ど「音楽の勉強」をした事がないのだから。 先生が「変ロ長調の聴音をするから、五線紙に変ロ長調の調号を書いてみろ」とか言われたものの、 そもそも「調号」自体が分からないから、手も足も出ない。 「4分の3拍子」と言われてもよく解らない。 先生も当初こそ「バカヤロー」とか怒鳴るのだけど、 僕が「音楽の基礎」が「原始人並」だと判ると、先生が呆れ、 逆に「苦悩の人」を自称される始末。 結局、先生の元で「作曲の勉強」に通いつつ、先生から紹介した貰った若い女の先生から、 聴音や視唱等の「ソルフェージュ」等を習う事になり、又、僕の方でも、 本屋で「楽典の本」を購入し、「ト音記号の書き方」なんてのから独学しました。 結局、一年くらい経て、漸く「原始人」から「原住民」位のレベルへと進化し、 やがては「人間レベル」の会話とレッスンを受けれるようになった次第でした。 ピアノ上達の速攻方法として「ハノン」を選択 「音楽理論」や「ソルフェージュ」の能力が「原始人並」と判定された僕でしたが、 僕自身が気にしたのは「ピアノの腕前」。 通っていた田舎の高校でこそ「ピアノの天才(笑)」なんて呼ばれていましたが、 「専門に勉強している」生徒や先生の前ではどうなのか? 「専門的に勉強」を始めた高校一年生時点で、僕は近所のピアノの先生に通い、 「チェルニー40番」「バッハ/インベンション」「ソナチネ」という全音グレードの「中級」 を習っていました。 流石の僕でも、音大のピアノ科を目指すような女の子達は、高校生ともなれば 「上級」の「ショパン」の難曲を弾きまくる、とは知っていたので、 これではダメだ、とは思ってました。 尤も「専門的な先生」に見てもらうと、これまた「基礎的な事がいい加減だ」と判定されましたが、 慰め顔で、まぁ、「作曲科」の「副科ピアノ受験」程度はなんとかクリアできるかも知れない、 とは言われました。 尤も「音大受験」という観点では済ませれても、将来は「作曲家」ではなくプロの「ジャズピアニスト」を目指した僕としては、それでは困りました。 なるほど「ジャズピアニスト」には、セロニアス・モンクとかマル・ウォルドロンのように「クラシック的には大して弾けないが偉大なジャズピアニス」は存在します。 (実際にはモンクは元々は超絶技法のストライドピアニストだったらしいですが) マル・ウォルドロン/オール・アローン(歴史的名盤) https://youtu.be/5wYyMG2KerQ しかし僕が目指すのはキース・ジャレットやリッチー・バイラークような 「クラシックが基盤」としてあるピアノスタイルでした。 https://youtu.be/NSYnjRGgrBI リッチーは一日8〜10時間くらい練習し、 音階やバッハ、ベートーヴェンやショパンのようなクラシックを6時間、 残りで「ジャズ即興」の練習をする、という話。 要するに「ショパンの練習曲」くらいは当たり前のように弾けないとダメだ、 ショパンやドビッシーにも熟達し、音大ピアノ科の連中とも、 互角の「会話」が成立するような腕前にならなければ駄目だ、自己目標を定めました。 尤も現実の僕は「チェルニー40番」やら「ソナチネ」だからお話にならない、 せめて次のステップの「チェルニー50番」や「ソナタ」を終え、 早く「上級」にならねばならない、と自分に言い聞かせました。 尤も当時の音大ピアノ科を受験するような女の子は高校生ともなれば、 「ピアノ科」受験ならば一日八時間の練習は当たり前、 僕の場合、本筋の「音大受験用の作曲関連の勉強やレッスン」、 基本的な「ソルフェージュのレッスン」に通わねばなりません。 まぁ高校は、勉強こそ「放棄(笑)」するにせよ、勝手に休む訳には行かず、 「男女交際(笑)」等の「必要経費的な時間」も必要だから、 「ピアノ練習」には一日四、五時間程度しか充てれない計算になります。 何れにせよ「ピアノが最も早く上達する方法は何か?」を考える必要があり、 結局、徹底的に「ハノン」を練習するのが効果的ではないか、と結論付けました。 それで毎日、二時間半くらいかけて「ハノン」全曲を弾き通す訳ですが、 曲ごとに「調」を半音づつ上げ、二十いくつかの「変奏」を当てはめ、 兎に角、六十曲位を弾き通す事を一年365日やる訳ですね。 それが終わった後、「チェルニー」や「バッハ」「ソナチネ」を練習。 そういう練習を高校生から始め、音大生時分も、その後の二十代実は高校生から始めた「毎日ハノン」の日々を十代と二十代の間、続けました。 その結果どうなったか? 幸い「チェルニー」は「40番」から「50番」に、「バッハは二声のインベンション」から「三声」、「フランス組曲」、「ソナチネ」は「ソナタ」〜モッァルトやベートーヴェンという具合に「進級」して行き、やがてドビッシーやスクリャビンみたない「近代音楽」も弾かせて貰えるようになりましたが。 しかし、その辺りで止まってしまった事はともかく、本当の意味で「ピアノが上達」したのか、 と言えば、やはり違うんですね。 10年以上「ハノンの練習」を続けて進歩したのは「ピアノの技能」ではなく、 単に「ハノンが上達した」というだけ、とも極論できましょう。 勿論、「ハノン」にも色々な効用がありましょう。 しかし、色々な問題もある訳です。 という訳で次回「ハノンの効用」についてお話しましょう。 つづく Kimball Piano Salon 音楽教室主宰/藤井一成 大阪梅田芸術劇場北向かい 電話(0705)-438-5371 Lounge Jazz 科、Classic科 ピアノ、ボーカル、作曲 生徒/講師募集中! http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月よりURLが変わりました) リンクはピアノ初心者にオススメの教材「バッハ/ファースト・レッスン」
First Lessons in Bach: For the Piano, Book II (Schirmer's Library of Musical Classics)

First Lessons in Bach: For the Piano, Book II (Schirmer's Library of Musical Classics)

  • 作者: Johann Sebastian Bach
  • 出版社/メーカー: G Schirmer Inc
  • 発売日: 1986/11/01
  • メディア: ペーパーバック

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コードやアドリブ・パターンを覚えるのは駄目!? ジャズピアノの習得法 [レッスン]

「ピアノもジャズも経験がない人のためのジャズピアノ教育についてお話します」
と言いつつ「誰も読みたくない自伝(?)」を押し付けている僕ですが、今日は、
前々回に続き、僕が「ジャズピアノの独学」を始めた頃のお話をします。

「ジャズ和音に興奮した!」のだけど‥

僕は高校卒業後、クラシック系音大に進学する傍、
本来の「人生の目標(!)」である「ジャズピアノの習得」の為、
坂本輝先生著の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズで独学を始めました。

当時、「レッツ・プレイ〜」は珍しい「初級用ジャズピアノ教本」でしたが、
「本物のモダンジャズの和音」で書かれており、
僕も生まれて初めて自分で「ジャズの音」が出たので興奮しました!

尤も「初心者向け」ながら「理論について書かれた部分」は理解できず、
「枯葉」や「レフト・アローン」等の課題曲に出てくる「和音パターン」を弾くだけ。

それらを書き写しても良いのですが、面倒なので、同じような感じの「モダンジャズの和音」を、
ちょっと書きましたので、「暇(笑)」か「興味がある」方は弾いてみて下さい。

Jazz CHord 色々.jpeg


今の僕は、これ位は考えずに、パッぱっと書けるのですが、
それもその筈。これ位で「モダンジャズの中級の下」位のレベルだからです。

とは言え、当時の僕は、こんな和音は自分では作れなかったし、
どうやれば、こう言う和音が作れるのか?も見当がつきませんでした。

ちなみに「モダンジャズ」の勉強をする場合、
一つの和音に対応する「ジャズ音階」があり、
どの和音にどの「ジャズ音階」が対応するのかも分からなくてはなりません。

ついでに例として、「Gm7 C7 F6」という「よくあるコード進行」を、
よくある「和音の押さえ方」とよくある「対応するジャズ音階」を書いてみましたので、
「暇(笑)」か「興味のある」方はピアノでお弾き下さい。

Jazz Scale .jpeg



いかがですか?

多分、「訳が分からない〜」と感じられたり、
「こんなに面倒な事は自分には出来ない」と絶望(笑)されたかも知れません。

しかしご安心下さい!

僕の教室に習いに来られれば、こんな事はどなたでも理解できるようになるのです。

この程度は「中級の上」位のものですから。

とはいえ、当時の僕は、こんな「音階」が存在している事すら知らなかったし、
実は「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」にも説明がありましたが、
理解できずにスルーしていました。

結局、訳が分からぬまま、「モダンジャズの和音」を「パターン」として覚えては、
我流の「即興」を加えて、同じく訳が分からぬ者同士が集まってバンドを結成し、
二十歳の頃には「ライブ活動(?)」を始めてしまうのですが、
これは「ジャズピアノ習得」と言う観点では困ったパターンなんですね。

「パターン」を覚えても大して実力にはならない!

こんな事を言うと、大勢の「ジャズピアノの先生」から文句が出るでしょうけれども、
「ジャズ和音」や「アドリブ」の「パターン」を覚えても仕方ありません!

これも、誉め上げつつ、否定しまう事になりますが、
坂本輝先生の「レッッ・プレイ・ジャズピアノ」シレーズは、
先生のご真意を離れ、得てして「パターン」を覚えて、
それを貼り付ければ「ジャズピアノ」になる発想の「メソッド」だと思います。

以前書きましたが、坂本先生以前の「ジャズピアノ教材」に、
「ジャズ」と銘打ってあっても、実際には「ジャズのパターン」は殆ど使われていませんでした。

ですから「何はともあれ」、「ジャズ和音」を自分で弾けるようになるのですから、
「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズは画期的と言えましょう。

また「無意識に手が動いてスラスラとパターンが弾ける」様になるには、
学ぶ側にも何年かの努力が必要で、万事飲み込みが遅かった僕なんか、
「ジャズパターン」の習得に10年くらいかかってしまいました。

「バターン」をいくら貼り付けても「ジャズ(音楽) 」にはならない

話は少し脱線しますが、よく「クラシックは楽譜があるから堅苦しいが、
ジャズは自由に即興ができるから楽しい」なんて話を聞課されますが、
実際には「聴いて楽しい」ジャズ演奏なんて極めて少数なんです。

と言うのは「即興演奏」と称しても、実際には、
「パターン」を貼り付けただけの演奏が多いからです。

これは僕のようなB級ミュージシャンだけ、でなく、
「ジャズの帝王」と呼ばれたマイルス・ディビスのような
超一流のバンドでも起こる問題だった様です。

話が脱線しますが、マイルス・デイビスと言えば、
「ジャズの帝王」と呼ばれた偉人で、
晩年はワーナーと契約していましたが、
それ以前は「CBS(今はソニーに買収された)」と契約し、
数々の「歴史的名盤」レコード(CD)を出しました。

ところでマイルスの場合、CBS時代に良いレコードが多いのは、
は良きも悪しきも名プロデューサーであるテオ・マセロが編集し、
「退屈な部分」は容赦無くカットした後、てコードとして発売されます。

マイルスのバンドには、入団当時は無名の若者だったが、「卒業(??)」する頃には、
「一流ミュージシャン」に成長された方が多い様ですが、1970年頃にキーボード奏者
を務めた「キース・ジャレット」は当初から「別格」扱いだった様です。

但し、1970年代初頭の「キース・ジャレット在籍中」当時のマイルス・バンド演奏は、
契約の関係で、殆ど発売されていませんが、近年、テレビ用に録画した映像等が
出回っており、気楽に観れるようになりました。

マイルス・デイビスのバンドでのキース・ジャレットの演奏
https://youtu.be/Wsod6BxM0f0

キース・ジャレットは、マイルスのバンドに入る前も、入った後も退団した後も身体をクネクネと躍らせながら演奏し、マイルスのバックでは、物凄い演奏するも、出番がサックスのゲイリー・バーツに変わり、バーツが「つまらない即興演奏」をするとキースは弾くのを止めてしまいます。

キースもマイルス同様に極めて創造的なアーティストですが、
そんなキースからすれば、ゲイリー・バーツはイマイチな存在。

いくらギンギンに吹きまくろうが、内容がジョン・コルトレーンあたりを
コピーしたフレーズを貼り付けているだけ、の時もあり、
そう言う場合、キースは「何も弾けない(弾かれない)」状態らしい。

勿論、フレーズや和音の「パターン」を練習する事は、有効で重要ですが、
「本番」ともなれば、練習とは別な「創造性」が要求されます。

むしろ「バターン」を覚える事よりも、
「パターン」を展開拡大する技能や感性を養うべきですが、
日本では「優秀な人」ほど、やたら「バターン」を繰り出すだけの演奏に
陥るので、結構「退屈」な演奏になってしまうんですね。

されど「パターン」も必要かな?

ところで「ジャズピアノ」を独学で始めようとしたものの、
ちゃんと学ぶ機械のないのまま、僕は二十歳の頃から
「バンド活動(?)」を始めますが、その時は、
「理論」も殆どわかっていなかったし、
「パターン」の類はほんの僅かしか知りませんでした。

前述の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」に登場する
「和音のパターン」をいくつか覚えていただけ。

「ワンパターン」ではないにせよ、
「パターンを貼り付けただけ」の「即興演奏」は極めて退屈ですが、
「パターンを習得しないまま」我流で「即興演奏」する僕の演奏も
何も退屈だった筈です。

結局、数年後に行き詰まり、今後とは本気で
「一から」ジャズピアノのみならずクラシックの作曲も
勉強する事になります。

だけども当時は「パターンを知らない」事も知らななかったし、
「勉強」もやりようがないママ、僕は二十歳の「ライブ活動(?)」をはじめます。

それで「我流」のジャズを弾くパンドを結成し、
呆れた事に「ライブハウス」に出演したりした訳です。

と言うお話を次回に続けて致します。。。

Kimball Piano Salon チャールストン倶楽部主宰 藤井一成
大阪梅田芸術劇場 北向かい 
体験レッスンや入会のお手続きは、
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月よりURLが変わりました)
まで。




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「本物のジャズコード」を生まれて初めて弾けた! のが独習の始まりでした [レッスン]

前回は、「ジャズピアノを学びたい」と思ったものの独学するしかなかった、
当時、クラシック系音大生だった僕が選択した坂本輝先生の
「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズの二つの特性についてお話ししました。

つまり「坂本メソッド」には「ジャズは体系的に学ぶべき」という基本的な発想や、
ハノンやチェルニーのような「メカニカル・トレーニング」の課題があり、
それらの課題を進めれば「ジャズピアノ」が弾けるようになる、
という他と異なるモノがあった、というお話をしましした。

今日は「坂本メソッド」の、もう一つの特性である当時としては珍しかった、
「初心者向け」だが「本物のジャズ・サウンド」があった、
という点についてお話ししましょう。

インチキな「ジャズピアノ曲集」に泣いた

僕が「ジャズピアノ」の勉強を始めた1980年代の初頭、
本屋さんで買える「ジャズピアノ曲集」の類は、
「本物のジャズ」ではなく、インチキな「歌謡曲調ポピュラーピアノ」
スタイルのものが殆どでした。

いかにも「ジャズっぽい」表紙に期待して購入し、
帰宅してピアノで鳴らすと、全然「ジャズ」に聴こえない、
という詐欺みたいな「ジャズピアノ曲集」が無数にありました。

話が例によって脱線しますが、当時の同じ楽譜が、
流石に「ジャズピアノ」とは書いてませんでしたが、
「クラシック・スタイルのポピュラーピアノ」と銘打って
今も販売されているようなので笑ってしまいましたが‥。

これも脱線するので詳しくは別な機会に書きますが、
「ジャズピアノ」のハーモニーやフレーズは、
ショパンやバッハと言った「クラシック」から派生しており、
「本物のクラシック・スタイル」ならば「ポピュラーピアノ」だろうが
何だろうが大してものですが、実際には単なる「インチキ・スタイル」の事なのでしょう。

まぁ好意的に称して「歌謡曲調ポピュラーピアノ」という所でしょう。

初めから「ジャズ」サウンドなので感激した「坂本輝著/レッツ・プレイ」

上記の「歌謡曲調
ジャズのコード.jpeg
」に対し、坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」全四巻は、
一巻の初めから「本物のジャズ」のサウンドだったので感激しました!

最初の一曲目はスタンダード名曲「枯葉」でしたが、
冒頭は「Cm7 - F7 - B♭Maj7」というコード進行となります。

これが「歌謡曲調ポピュラー」だと、下記楽譜のように「Cm7=ドミソシ♭」
「F7=ファ・ラ・ド・ミ♭」「B♭Maj7=シ♭レファラ」となります。

ジャズのコード.jpeg


ちなみに、これはいわゆる「クラシックの四声体」でちゃんと配置した和声です。

ところで同じコード進行が坂本先生の楽譜だと以下になります。
ご興味がある方はピアノで弾いて下さい。
Jazz 5way .jpeg


いかがですか? 「ジャズっぽい」でしょう?

同じ「Cm7 - F7 - B♭Maj7」でも上記の「クラシック和声(これ自体は正統的ですが)とは、
かなり違ったサウンドになりますね。

尤もこれは今になってみると「ジャズピアノ」の「初歩的なパターン」に過ぎず、
「大したものではない」というか、プロともなれば、
「ありきたり過ぎて使えない」程度のものです。

とは言え、当時の僕からすれば、
ピアノの音がリッチに「クィーン」と伸びる不思議な響きで、
「これこそ、レコードで聴くジャズの音だ!」と興奮しまた!

尤も「これでジャズピアノが弾けた!」なんて事は、
流石に田舎の純朴な音大生だった僕でさえ思わず、
「どうやれば、このような複雑な和音が作れるのか??」と疑問というか、
知識欲がムラムラと起こってきました。

なぜ「Cm7(ドミソシ♭)」に「レ」が入るのか?

「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」の理論コーナーに述べられていましたが、
殆どの理解できませんでした。

尤も坂本先生ご自身、どうやら、別に出版される筈の「理論書」で説明されるおつもりで、
「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズには簡易に説明しかなかったのかも知れません。

結局「理論」は何も分からなかったけれども、
「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」に掲載されていた楽譜を片っ端から弾き、
覚え「我流」でなんとなく「ジャズっぽい」雰囲気のピアノが弾けるように目指しました。


「ジャズ理論」の勉強を始めた

但し、これでは今にしても思えば「なんちゃってジャズピアノ」の「元祖」だった訳で、
学校(音大)に行って、クラシックは専門ながらジャズの事は何にも知らない同級生の女の子達に、
適当にフレーズや和音を弾いて聴かせ、「うわー凄い」とはお世辞を言って貰うのが関の山。

こんなものでは前述の「歌謡曲調ポピュラーピアノ」と
「コードパターン」が違うだけの「インチキ」に過ぎない、とも流石に思いました。

否、「インチキ」でも構わないが、精々、いくつかの「コードパターン」を覚えただけ、
せめて「アドリブの作り方」でも「左手の伴奏パターン」でも覚えれればな、と思いました。

そして、その程度は「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」で習得可能であり、
結局、10代の最後に坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」に出会い、
二十代は「レッツ・プレイ〜」の習得に明け暮れます。

それは独学による「ジャズピアノ習得」のスタートとしては、
さほど間違ってはいなかったと思います。

敢えて言えば、今は「坂本メソッド」とは90度位異なる「学習方法」を取ります。

「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズの習得に明け暮れ、
それが達成する事で、二十代半ば頃には、今の感覚では、
僕は「ジャズピアノの中級」位にはなれた、と思います。

当時は、それ位でもバーラウンジでの「ジャズピアノ生演奏」の仕事には不自由しなかったし、
「ジャズピアノ講師」の仕事も得れましたが、正直言って、今度は「上級」の壁がドーンと
立ちはだかっている事が見えてきます。

結局、それを越える為には更に十年位を必要としますが、
結局、二十年もかけて「初級」から「上級」に達した訳ですが、
敢えて言えば、今の僕の教室では三、四年も頑張れば、それ位には誰でもなれるでしょう。

変な話、今の僕程度の先生に、若い頃の僕が出会っていれば、
僕のもう少しマシな人生が送れたかな、とも思います。

そんな空想はさて置き、当時、坂本先生は東京のみならず京都でも教えられていた訳で、
遮二無二に入門していれば、僕も「人生を無駄にせずに済んだかも知れない」なんて、
後悔したりします。

これも今にして思う事ですが、坂本先生が音楽之友社から出版された
「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズ他は、
紙面の関係からは、全てが述べられていた訳でなく、
正直言って、これだけでは完結していないのではないか、と思います。

実際、後年、古本屋で坂本先生が翻訳された「理論書」も見つけたし、
実際に師事された人から聞いた話では、
相当に高度なレッスンがされていた、との事。

だから直接習うべきだったのですが、
当時は今と違い、情報が入らず、そもそも坂本先生にどうやってアクセスすればいいのか、
さえ分からず、結局、遠くで眺めているしかありませんでした。

ちなみに「初期(笑)」の僕が、坂本輝先生から多大な影響を受けた事は確かですが、
現在の僕は、「坂本メソッド」を否定する、というか、
今の僕の「ジャズピアノの方法」は坂本先生とは異なる発想の「メソッド」を持ちます。
(あくまで坂本先生が三十年昔のままでいる、という前提の話ですが)。

「初歩」として「枯葉」を弾くのは良い事だけど、
「ジャズピアノ」のコードやフレーズの「パターン」をメカニカルに練習し、
それをはめ込んで演奏する、という事は僕は否定的です。

そもそも僕自身は感激しましたが、「入門」として、
「ジャズコード」を弾かせる、という事自体、
逆に本当に高度なジャズコードへの理解の妨げになる、と思います。

或いは僕自身は、何年もジャズの音階や分散和音のパターン練習を続け、
指にそういう形を覚えこませ、上記のように二十代半ば過ぎには、
「中級」としては上手にピアノを弾ける、なりました。

今の僕は、その手の練習はやらないし、単に「音階練習」も滅多にしませんし、
お弟子さんにも特には薦めません(それらの音階を正確に理解する事は肝要ですが)

結局、「坂本メソッド」の「メカニカル・トレーニング」に精を出したから、
その後、ジャズピアノが上達したのか、或いは「時間(人生というべきか)」を浪費したのかは、
よく分かりません。

まぁ、良い部分も沢山あったろうし、また「坂本メソッド」とは全く無関係な形での、
僕なりの「ジャズピアノ習得法」もあり、二十歳の頃にはバンドなぞを結成し、
「ライブ活動(爆笑)」を始めた次第。

次回は「坂本メソッド」の「メカニカル・トレーニング」の内容や、
僕なりの「即興演奏」習得を目指した二十歳の頃の「勉強」について
お話しましょう。

つづく

大阪梅田芸術劇場北向かい Kimball Piano Salon 主宰 藤井一成
「ジャズピアノ/ボーカル/弾き語り」生徒募集中。

無料体験レッスンのお問い合わせは下記よりメールか
電話 0705-438-5371 まで(藤井直通)

http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月からの新URLです)

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