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クラシックピアニストにお薦めのジャズ・メソッド国内上陸が失敗した理由1 [Lee Evans Society]

「クラシックピアニストやレスナーにお勧めのジャズメソードであるリー・エバンス」は1980年代の「第1弾」が、2008年に「第二弾」が黒船の如く国内上陸を果たしました。

ところが出版された数々の「リー・エバンス教材」は出版部数と言う観点では、「第一弾」こそ「物珍しさ」から、それなりに売れたものの、「第二弾」に関してはさっぱり、と言う結果のままフェイドアウトしました。

なぜこうなったのか?について敢えて明らかにすると共に、僕が主宰する「日本リー・エバンス協会」による「リー・エバンス・メソッドの国内普及の再起動!」について今日はお話します!

不完全だった「第一弾」

僕は、1980年代初頭の、リー・エバンス教材国内上陸「第一弾」については、学習者)として使わせて頂く、という一ユーザーの立場でしたが、2008年の「第二弾」にはご縁があり「監修者」として関わりました。

その際、「リー・エバンス教材」の全容を知る訳ですが、知ってから見ますと、1980年代の「第一弾」は基礎である「初級用」を飛ばして、いきなり「中級」から始まっており、且つ「中級」以後もない、という「だからジャズピアノが弾けるようにならなかっのだ」としか言いようがない代物だった、と分かりました。

もっとも1980年代の「第一弾」を出版した音楽之友社の取捨選択は、ある意味では間違っていないのは、ユーザー(対象者)として想定した、僕も含む「クラシックピアノの経験があり、且つ、ジャズピアノが弾けるようなりたい者」がソソラレルのは「中級用(後年に編集される「96のエチュード」他)だと見抜いていたからです。

これは、いわば英会話教室が、「外国人講師と楽しく会話しているサロン」の風景だけを見せて生徒募集し、実際にサロンに生徒を放り込んでしまうようなもので、放り込まれた生徒は当初こそ感激するものの、「基礎」がないから何もできずに挫折してしまう、というようなものです。

こうなったのは音楽之友社が「金儲け主義」だったからでは全くなく、「クラシック経験者がジャズを始める際に必要な基礎」が何か理解できていなかったからだと思います。

実際、僕自身、この「リー・エバンス教材」の「第一弾」を2~3年一生懸命に練習したものの、なるほど「ピアノ演奏技術」は向上し、「コードやアドリブのパータン」の持ち数を増やせましたが、これでも以前の「なんちゃってジャズ」状態から脱却できていません。


「第二弾」が売れなかったのは、出版企画の失敗が一因

2008年に僕がリー・エバンス教材国内版「第二弾」出版の「監修者」として参加した事で、「第一弾」の間違い、つまり「基礎」レベルの教材を無視した事と共に、その「基礎」部分のリー・エバンス教材がとても素晴らしい事を知りました。

かと言って、それを「出版物として伝える」事は容易ではない、と察しました。

僕が「第一弾」で練習した頃から既に二十数年が経過し、僕は他のメソッドによって「ジャズピアノの演奏方法」を習得し、且つ「ジャズ教育」も専門としておりました。

そういう立場で観れば、リー・エバンスは「使える教材」である事は確かですが、困った事に、リー・エバンス先生ご自身による「リー・エバンス教材の使い方」的な本が殆どない、という状態でした。

なぜないのか?といえば、リー・エバンス先生が怠慢だったからではなく、なまじ、あるレベル以上の深みを持つ教材については、指導する側や学ぶ側の経験や技能、感性の違いで、何層もの使い分けができてしまうからです。

クラシック系メソッドですが、同じく米国系の「バスティン」は極めて良くできて「レッスンプログラム」で、よきも悪しきも「誰が教えても同じような効果」が得られます。

逆言えば、それ以上の効果はない訳ですが、バッハの「アンナ・マクダレーナの為の練習帳(初級向けの小品集)」にせよ、リー・エバンスにせよ、詳しい説明はないが、色々な用法で、色々な事が学べます。

逆にいえば、趣旨を理解できないと、「こんなん簡単や」的に流されてしまいます。

実際、Amazon等の評価でも「ジャズ的要素がない」などという書き込みがありましたが、「ジャズピアノが弾けない人」がリー・エバンス練習曲を弾くと「ジャズに聴こえない」事は確かです。

対して、僕自身も含め「ジャズに精通している者」が弾けば「立派なジャズ」になります。

そういえば、僕のお弟子さんである「プロのブルース・ギター奏者」は、この「リー・エバンス教材初級」で「ピアノ入門」しましたが、彼はリー・エバンスの練習曲の新しい曲を弾くたびに、「典型的なブルース・フレーズが、しかし、デファメルした形で沢山登場する!ええ曲やなぁ」と喜んでおりました。

かといって「ジャズやブルース経験がないと使えない」のではなく、クラシックピアニストやレスナーは元より、ピアノ初心者も、「リー・エバンス教材」で勉強(練習)を続ける事で、自然と「ジャズやブルースの感覚が習得できる」という仕組みです。

問題は、闇雲に弾いただけでは、Amazonの評論家氏のごとく「ジャズ的要素がない」で終わってしまう訳で「リー・エバンス教材の正しい学び方」を知らねばなりません。

ところが、そういう事をリー・エバンス先生自身は殆ど説明されておられないんですよねぇ。


第2弾が売れなかった他の理由

2009年にオクト出版から「リー・エバンス教材第二弾」全11冊が華々しく出版されましたが、大して売れないままにフェイドアウトした他の理由として、敢えて明かせば、国内版に関しては、「本としてのセンスが時代遅れだった」事を指摘できます。


1980年代初頭の他にライバルがなく、そもそも「ジャズは習うものではないっ!慣れるものだっ!」「ジャズの即興は感性や才能でやるものだっ!」などという「文盲な人達」が気勢を上げていた時代だからこそ、真反対に位置する「リー・エバンス教材」は輝いて見えました。

ところが二十数年を経て、「ジャズは学ばねばできない」とは言い切れないにせよ、「学ぶ」事が常識になり、米国バークリー音楽院への留学や、その流れを汲む音楽教室が日本に乱立しており、今更「リー・エバンス」と名乗るだけでは誰も振り向いてくれません。

僕自身は「バークリー音楽院」の亜流のメソッドで学びましたが、結論的にいえば「バークリー音楽院のメソッド(少なくとも亜流は)」どうも好きでなく、その後に「バリー・ハリス・メソッド」に転じたり、改めてリー・エバンスに触れる事で、その良さを理解しました。

要するに「バークリー音楽院メソッドとは違うジャズメソッド」だからこそリー・エバンスは存在価値がある訳ですが、そういう事は全く主張せず、リー・エバンスの「ピアノ練習曲(プレイ&ジョイ)」につけられたサブタイトルは「ジャズ風練習曲」。

つまり「なんちゃってジャズ」を自称するようなものですが、そもそも本物の(?)の「なんちゃってジャズ」本で溢れている訳で、益々、リー・エバンスの真価は理解されません。

そもそもシリーズ名称が変だった

加えてシリーズの「プレイ&ジョイ」「ラーン&クリエイト」「パフォーム&アプローズ」という日本語英語が「昭和感覚」なのは我慢するとして、タイトルから本の内容が全く見えてきません。

「プレイ&ジョイ」なんて名称よりも普通に「ジャズピアノ練習曲」とし、
「ラーン&クリエイト」なんぞよりも「作曲教本」「ジャズ和音教本」等の方が、
内容が伝えやすい筈。

更に問題となったのが表紙の絵で、これは実は「ポップアート感性がある人」が観れば「いいなー」と気に入られる優れものですが、「アート感覚がない人」には「子供っぽい」と拒否されます。

この点でも「監修者」と称された僕と、出版社の意識がズレていたのですが、僕自身は「リー・エバンス教材」は大人用と看做していたに対し、出版社は「中学生くらいのジュニア」を主な市場と想定しました。

その考え自体は間違っていませんが、中学生が「アート感性」でもって表紙を楽しめればよいのですが、普通の中学生ならば「なにこれ、子供の落書き?」と拒否してしまうでしょう。

とは言え、問題は「ポップアートだからダメとか良い」という話ではなく、表紙から中身が想像できない点です。

例えば僕も愛用している「ヘインズのTシャツ」の袋は、中身のシャツが見えるようになっており、そのコットン素材に惹かれる訳ですが、これが中身が見えず、例えば「イワシの缶詰」のようにイワシの絵が描かれてあれば、恐らく誰も購入しない筈です。

そもそもリー・エバンスとは何か?を伝えていない事も失敗の原因

要するに表紙の絵にせよ、タイトルにせよ、「ヘインズのTシャツの袋やロゴマークが中身を想像させる」が如くに、リー・エバンス国内版もデザインすべきでしたが、全くそうではありませんでした。

或いは本自体はさて置き、「そもそもリー・エバンス先生とはどういう方で、リー・エバンス教材の特性は何で、誰が、どういう具合に用いるべきか?」という部分が、全くプロモーションされなかった点がフェイドアウトした要因だと思います。

ちなみに、そのあたりについて「監修者」である僕は内容を伝える原稿を書き、必要な場所に「補足説明」を挿入するべく、編集会議の時点では色々な原稿を作りましたが、できあがってきた出版物には、それらの全てはカットされていました。

更に種を明かせば、2009年にリー・エバンス国内版第二弾が出版された後、僕は一枚のファックスで、「リー・エバンス監修者」や「リー・エバンス協会」をクビになり、それどころか「リー・エバンス教材」と関わる事をオクト出版から一方的に禁じられてしまいます。

その四年後のある日、東京からオクト出版社長が、大阪梅田にある僕のオフィスに現れ、四年前の理不尽を謝罪されると共に、再び「リー・エバンス国内普及の主導」を依頼されます。

僕は過去の事には拘りがなく、謝罪を受け入れる事には全く問題がなかったのですが、四年を経た2003年時点では、僕が「リー・エバンス国内普及」に関わるには、あまりにも大きな問題が起こっていました。

次回、その辺りについての事情と共に、その後のリー・エバンス普及への取り組み、また2000年の「日本リー・エバンス協会~Lee Evans Society of Japan」のリニューアル、今後の展望についてお話します!
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