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ピアノタッチを美しくする「ジャズピアノ」のリー・エバンス・メソッド

ジャズピアニストを目指すものの、「インチキ即興演奏」から始まり、何とか「なんちゃってジャズ」までは「進化」できた。僕でしたが、それではダメだということぐらいはわかっていました。

話は1980年代初頭、僕が20代前半の頃です。

僕が「インチキ即興演奏」から「なんちゃってジャズ」まで「進級」できたのは、大金を払って入会した「ジャズ教室プロ養成科」のレッスンではなく、独学で練習を続けた「坂本輝先生/レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズ全巻のお陰でした。

坂本先生の教材は、僕が中学〜高校生の時に使っていた通信教育の「トレーニングペーパー」に似ており、或いは受講した事はありませんが「公文式の勉強」と似ており、細分化された課題をパターンとして只管に繰り返し練習する、というものでした。

この考え方は、当時の僕に最も納得ができるものでした。

僕はピアノを始めたのが10歳で、しかも専門的に音楽教育を受けた事がなかったので、いざ高校生になって音大入試の講座に出向きますと、「出来が悪い」どころの騒ぎではなく、あまりにも何もできないので、子供の頃から英才教育を受けたライバル(?)受験生は元より、先生からも「人間以下」の扱いをされてしまいました。

それでも懲りずに続けれたのは、勿論、才能があったからでも、ハングリー精神に溢れていたからでもなく、単に「田舎の高校生」特有の無知な故の楽観からでした。

とはいえ「人間並みにピアノが弾けるようになる」事が絶対に必要だった訳で、種々のハンデを何とか克服する方法として考え出したのが「ハノン全曲を毎日弾き通すこと」でした。

ハノンに二時間半くらいかけ、その後、ツェルニーやバッハ、ベートーヴェンなんかを練習し、その後に「作曲の勉強」をやる、という、今にして思えば「完全に間違った」つまり「最も効率が悪い勉強法」をやってしまった訳です。

その結果、音大時代はピアノの先生から「作曲科の学生にしては、指は動くね」と言われましたが、「指は動く」と言う評価は、「指が動かない」よりはマシにせよ、「演奏としてはロクなものではない」というダメ出しだった事に気付いたのも、ずっと後の話でした。

尤も「純朴な田舎の学生」だった僕は「褒められた」と勘違いし、「よく動く指」で「めちゃくちゃにピアノを弾きまくる」スタイルの「インチキ・フリージャズ」のライブ活動に励んだ次第です。

流石に「これではダメだ」と「インチキ性」を自覚し、「ジャズピアノを基礎から学ぼう」とばかりに坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」の練習に励んだ結果、「インチキ」だったのが「なんちゃってジャズ」位に「進級」できた訳です。

ジャズピアノの励むとクラシックが弾けなくなり、クラシックピアノに励むとジャズが弾けなくなる、というジレンマに悩む


僕は音大卒業後は某楽器メーカーに三年ほど勤務しましたが、勤め人は体質に合わない事もあり、退職し、二十代半ばには、フリーランスのピアノ弾きに堕ちました。

前述のように「なんちゃってジャズ」レベルのピアノ奏者でしたが、当時はそれでも「仕事」は結構あり、当時は大卒初任給が10万円位の時に、ホテルラウンジやら何やらでピアノを弾くと1万円位貰え、且、仕事は毎日あったので、取り敢えず「小遣いには不自由しない」日々でした。

尤も某ラウンジに「転職」すれば一晩2万5千円、且、隣接するラウンジも同額出してくれ、半時間おきに交互にやれば一晩で5万円も稼げる、というので、余程、その話に話に乗ろうかな、と迷ってしまいました。

 思い留まったのは「そんな事よりも、本物のジャズピアニストになりたい!」という「人生の目標(価値観)」を確認したからでした。

そういえば僕が「仕事=BGM演奏」していた某ホテルラウンジに大塚善勝先生が出演される、との事で「見学」に行きました。ちなみに大塚先生のギャラは、はっきりした額は忘れましたが、特別に安くして貰って10万円位だったと関係事務所から伺いました。

つまり僕の10倍のギャラを取られた訳ですが、それが羨ましい、とは思わなかったけれども、大塚先生の演奏の素晴らしさ、「正統性」が羨ましい、と感じました。

そういえば、当時の僕が感心した「大阪在住のジャズピアニスト」としては、大塚善勝先生の他、「オーバーシーズ」と言うライブハウスを経営していた寺井尚之先生がいます。

寺井先生は楽器にも拘り、ヤマハの小型グランドピアノでしたが、工場も含め気に入った個体を探し求められ、大切に弾かれ、僕は論外として滅多なピアニストには触らせない、との事。

美しく、豊かな音色で「オーソドックスなモダンジャズ」を演奏されておられましたが、後に知ったのですが「トミー・フラナガン」という歴史的なジャズピアニストが唯一「弟子」として認めた方だそうです。

僕が注目したのは、「ジャズ的要素」もさることながら「音色の美しさ」です。僕も「タッチが綺麗」とかは言われていましたが、現実に「ジャズピアノ」としては大して美しく弾けなかったのは、「なんちゃってジャズ」レベルはクリアするも、「本物のジャズピアノ」の奏法やハーモニー等を全く習得してなかったからです。

しかし、そんな事も理解してなかった僕は「練習量さえ増やせば、綺麗な音色で弾けるようになる」と呑気に考えていました。

確かに練習量は多い方が良いのは確かですが、「何を、何の為に練習するのか?」はっきりと理解していないと、永遠に「なんちゃってジャズ」から脱却できない訳ですが、当時の僕は「ジャズ的練習」としては前述の「坂本輝先生のレッツ・プレイ・ジャズピアノ」しかやりようがありませんでした。

もう一つの「練習」が実は「クラシックピアノ」でした。

当時も「ハノン」はやっていましたが、「練習曲」としては流石に「ツェルニー」からは脱却し「モシュコフスキー」あたりを熱心に練習し、なるほど、それなりの効果を実感していました。

尤も困った問題が生じていました。

ジャズを弾くほどにクラシックが下手になり、クラシックを弾くほどにジャズが下手になった!「なんちゃってジャズ」の顛末

それは「なんちゃってジャズ」でジャズを演奏するほど、クラシックピアノが「崩れる」というか下手になり、慌てて「クラシックピアノの練習」に励みますと、今度はジャズやボサノバが弾けなくなった事です。

周囲の人の話では「ジャズとクラシックとでは弾き方が違うから両立はできない!」との事。これは「ジャズ」「クラシック」の夫々の人から言われました。

何しろ当時は、「クラシック声楽家がジャズをやりたい」と入門志願すると先生から「酒とタバコで喉を潰して来い!」などと言われていました。

流石に、そんな「バカな話」を信じる程には僕は愚かでなかったのは、偉大なジャズピアニストであるビル・エヴァンスやジョン、ルイス、バド・パウエル等が「クラシックピアノにも精通していた」ことを知っていたからです。

或いは、当時、僕が「具体的にお手本」にしていた「リッチー(リチャード)バイラーク」はと言う1日8時間練習するうちの6時間位はクラシックを練習すると聞いたからです。

では、なぜ当時の僕が「ジャズとクラシックの両立」ができなかったのか、と言えば、自分で「クラシックの弾き方」とか「ジャズの弾き方」と称していたものが「なんちゃって=ニセモノ」に過ぎなかったからです。

そういえば、学生時代にイタリア語の勉強を始めると英語が読めなくなったのと同じです。
例えば、Fiveは英語では「ファイブ」と呼びますが、これをイタリア語読みすると「フィーべ」になってしまいます。


こうなってしまうのは、日本の英語教育で用いる「発音記号」が間違っている、とは言いませんが、結局、「発音記号」から「カタカナ読み」し、イタリア語については「ローマ字読み」をやはり「カタカナ読み」するからです。

もし本来の「ヨーロッパ語の読み方」を理解すれば、英語だろうが、イタリア語だろうが、フランス語だろうが、それなりに読める筈ですが、万事「カタカナ読み」と「耳から覚えた、それらしい発音」、つまり「なんちゃって英語/イタリア語」だから矛盾する訳です。


つまり、僕の「ピアノの弾き方」は、クラシックにせよ、ジャズにせよ、「なんちゃって」だったから、クラシックとジャズとで矛盾してしまう訳です。

とはいえ、当時はそんな事は知らず、単に「ジャズの練習の内容が悪い」と考えていました。

そういえば坂本輝先生の教材には「指使い」が書かれておらず、「間違った指使い=弾きかた」で練習しているのではないか、という恐れが常にありました。

実は「指使い」というものは、フレージングから導かれるものであり、僕が高校生の時に学んだように「正しい手の形や指つがい」があり、それが常時出て来るようにハノンやツェルニーを沢山練習しなければならない、というのは「間違い」なんですね。

例えば、僕が「ミ」と「ファ」を同じ「2の指」で弾くと「ジャズピアニストだから変な指使いで弾く」なんていう人がいるので驚きました。

勿論「ミ」と「ファ」を「2~3」という具合に隣の指で弾く事もありますが、これは「どちらで弾いても構わない」訳でなく、「音楽的な必然性」から同じ指で弾いたり、隣接する指で弾いたりします。

ちなみに「ウィーン原典版のモーツァルト」や「アルフレッド・コルトー版のショパン」には、「同じ指で隣接する音を弾く」指定が沢山ありますが、これは「指の都合」ではなく、「フレージングの解釈」から来るものなのです。

尤も、そういう「指使いとは何か?=正統的なピアノ奏法」を僕が学ぶのは、それから十年後の事ですが…。

リー・エバンス・メソッド「96のエチュード」に出会う

ところで「ジャズピアノを美しいタッチで弾けるようになる」には、「クラシックピアノの練習を頑張る」事も「坂本輝先生のレッツ・プレイ・ジャズピアノを頑張る事」も間違いではない、とは思いましたが、効率が良いのは「ジャズで作曲された練習曲」を沢山弾く事だ、とは想いつきました。

それで本屋に通っては色々な「ジャズの練習曲」の楽譜を探しましたが、殆どの曲集が「指使い」が書かれておらず、その本の是非はさて置き、前述の「間違った指使いでジャズを沢山弾くとクラシックピアノが下手になる」というジレンマから脱却できないだろう、と思いました。

そんな時に出会ったのが、当時、19クラシック系出版社である「音楽之友社」から発売された「リー・エバンス」の教材でした。

後に「音楽之友社」が手を引き、東芝EMIやソニーミュージックから、合本されて「96のエチュード」として出版された「クラシックからジャズの技法」全六巻や「ジャズ即興の技法」全五巻、或いは色々な音楽理論の本でした。

クラシックのツェルニーのような練習曲が沢山並び、且、レコードで耳にした「ジャズフレーズ」がその中にちりばめられています。

重要な点は、明瞭な記譜と、全曲に付けられた「指使い」でした。


リー・エバンスの「練習曲」は、ツェルニーやモシュコフスキーのようで、確かにピアノ奏法の上達に役立った

坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズは、いわば「ジャズのハノン」ともいうべき「パターンを前調で繰り返して弾く」メカニカルなものでしたが、リー・エバンスの「96のエチュード(旧「クラシックからジャズの技法))は、ツェルニーやモシュコフスキーのような「練習曲」のスタイルでした。

つまり「本当はジャズピアノの練習をしたいが、適当な練習曲がないので、ピアノ演奏上達の為に使っていたモシュコフスキーやモシュレスの練習曲」をやらなくても、このリー・エバンスだけで「ピアノ演奏技術」が上がる、から効率が良い、と思えた訳です。

実際、「普通に長調や短調の音階やアルペジオの練習」も含まれており、且、前述のように「沢山の、どこかで聴いたジャズフレーズが、正しい指使い付きで」盛り込まれていました。

それで二年位かけて全てのリー・エバンスの「練習曲」を練習し、なるほど、かっての「なんちゃってジャズ」だと問題になった「ジャズを弾くほどクラシックが下手になる」事もなく、ピアノとジャズが上達したように思えました。

ただし!

この時点では、日本で出版されていたリー・エバンスの教材の全てをやったものの、大して「本物のジャズピアノ」が弾けるようには全くなっていませんでした。

相変わらず「なんちゃってジャズ」であり、単に以前よりも「アドリブパターン」や「コードパターン」が増えただけ。

では「リー・エバンス教材はダメなのか?」といえば、そんな事は全くない。

つまり「リー・エバンス教材の正しい使い方」が僕のみならず、同じく練習した人達の大多数に解らなかった事が問題。

結局、それから二十数年を経た2008年に「リー・エバンス教材」の「第二弾」が上陸し、また、こう言ってはなんですが、僕が関わった事で、漸く「リー・エバンス教材の使い方=価値」が発揮されるようになった訳です。

という訳で次回は「リー・エバンス教材第二弾の上陸」についてお話します。

リンクは僕の公開レッスンを録画した動画です
https://youtu.be/GeO76wcUuDE
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