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ホロヴィッツと中村紘子の違いで学ぶ「ジャズのノリ」 [Lee Evans Society]

「クラシックとジャズのノリは違う!」という意見はよく聞きますが、結論から言えば、「それは間違い!ジャズとクラシックのノリは同じ!」と断言します。

「一拍三連」が「ジャズビート」の基本

そもそも「ジャズビート」とは何なのか?

これは大雑把にいえば「ジャズビート」とは「一拍三連」と呼ばれるリズムが基本となります。例えば「リー・エバンス・メソッド」のピアノ教本(Jazz Matazz )には下記の用の表示があります。

これは楽譜上に八分音符が二つ並んでいる場合、三連符の二つと一つに変える、という意味です。
基本.png



例えば、こちらは、僕の教室の「Lounge Jazz Moods科」の基本教材である「オスカー・ピーターソンのエチュード(某国内出版社からは「オスカー・ピーターソンのジャズハノン」という奇妙な翻訳タイトルで出版されていますが」ですが、一拍目には三連符がありますが、後は八分音符が続きます。

おす.png


突然「ノリ」を変えて弾くのではなく、楽譜上は「八分音符二つ」ですが、実際には「三連符」で弾きます。

尤も「楽譜上は均等に八分音符二つ書き、演奏する場合に三連符に変える」という約束になったのは、多分、1950年代頃かと思います。

それ以前は、流石に「三連符」で表記する事はありませんでしたが、「付点8分音符と16分音符」で表記したりしたようです(下は1940年代頃に編曲されたテディ・ウィルソンの譜面)

テディ.png


これは「付点8分音符と16分音符」で記譜されていますが、実際には「三連符の2;1」で弾きます。

これを「ジャズ三連(Jazz 8th)」と呼びます。

ところで「付点8分音符と16分音符で書かれたクラシック曲」は沢山あるが、実は、これも3:1ではなく、2:1の「ジャズ三連」で弾くべきです。

なんて書くと「えっ、クラシックの名曲を勝手にジャズ化して構わないのか?!」と驚かれるかも知れませんが、これは「ジャズ化」ではなく「伝統的なクラシックの弾き方」なのです。

ベートーベン交響曲五番アダージオは「ジャズのノリ?」

例えばベートーベンの交響曲五番「運命」の二楽章「アダージオ」は、或る意味、有名な一楽章よりも「名曲」だと僕は思いますが、この曲は楽譜上は「付点8分音符と16分音符」で書かれていますが、実際には「ジャズ三連(正確には「クラシックのノリ」」で弾きます。楽譜はhttps://store.piascore.com/scores/48080

PMS001944_1.jpg


試しにYouTube動画を観ましょう。

https://youtu.be/E7MbdTSQhw0?si=4EXez80IRdN88LGz

これはクルト・マズア指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
が1970年代に録音したレコードですが、当時、ドイツは東西に分かれており、
西ドイツが、ベルリンフィルでさえ「国際化(アメリカ化?)」していたのに対し、
東ドイツのオーケストラは「戦前からのドイツの伝統を色濃く残した演奏」をしました。

要するに「ドイツの伝統的な演奏」だと「付点8分音符と16分音符=ジャズ三連」となります。

或いは戦前のドイツ最大の巨匠フルトベングラーが1950年代に録音した「アダージオ」 (これはオーケストラがローマ交響楽団ですが)も「ジャズ三連」となっています。
https://youtu.be/87TZqxvhuAg?si=RKNU5zWDHsuI1FMA

但し「クラシック」と呼ばれる演奏家の全員がそうなるのか?といえば違っており、
少なくとも「日本のクラシック演奏家」は「伝統的なクラシック」とは異なった演奏を行います。

平均的な日本人がやると「お猿のかごや」になる

ダシにして申し訳ないが、これは志音会オーケストラの演奏。
https://youtu.be/y1Txndf4tHI?si=opeQIi8zle_ap3ij

「ジャズ三連」云々以前に、一拍内の後の音が薄くなり、「拍頭」だけのノリとなっています。これを僕は「ドンパン節」と呼んでいますが、折角のベートーヴェンが、どうしても「えっさ、ほいさ」という「おさるの籠屋」に聴こえてしまいます。

とは言え、アマチュア~セミプロの方々によるオーケストラで、ここまで演奏できれば立派とも言えますが、もう一歩踏み込んで「クラシック音楽のノリ」で演奏できれば最高ですね。

敢えて事例は出しませんが、ジャズも似た状況ですが、不思議な事に1970年代頃のジャズに限らず、クラシックや歌謡曲ですら「ドンパン節」ではない欧米的なノリの演奏家や歌手は少なくありませんでした。

ザピーナッツ「スターダスト」https://youtu.be/olhmZH0v5d8?si=-1ofvdQG79yUvMPb
歌手も伴奏も「本物のジャズ三連」してます。

勿論、日本人で「欧米のクラシック」と同じ感覚の方が増えている事は言うまでもありません。

そもそも三連符はどう弾くべきか?

ドイツやフランス等の「ヨーロッパの伝統的なクラシックのノリ=ジャズ三連」と、「平均的な日本人のノリ=ドンパン節」がなぜ違うのか?について暇な方は研究されると宜しいかと思いますが、本来のクラックやジャズのノリはどうあるべきでしょうか?

そこで今日は基本的な「三連符」が中心になる曲としてベートーヴェンの「月光」を例としました。
この曲の伴奏というか基本リズムとして「ソドミ、ソドミ」という三連符が登場します。
月光.png


この三連符については「ドンパン節」系の方はクラシック、ジャズ問わず「タ・タ・タ」と全てを「オンビート(上から下に落ちる)」のみで演奏します。

実は三連符に限らず一拍は「円」になっており、かつ「三連符」の三つの音符は「均等の長さ」ではなく、敢えて書けば「ソドミ」ではなく、「ソドーミ」であり、最後の「ミ」は「円」の山を越えて、落下する動きと繋がっています。

幸いにも「良質な楽譜」の場合、三連符を均等の長さに書いておらず、微妙に、最後の「ミ」と次の拍の「ソ」を接近させています。

ホロビッツと中村紘子を聴き比べる

ちなみに、この「月光の曲」を聴き比べてみました。

先ずは「二十世紀最大の巨匠ピアニスト」といわれたウラディーミル・ホロビッツの演奏。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第14番 ≪月光≫ 嬰ハ短調 Op 27-2  ホロヴィッツ Beethoven Piano Sonata No.14
https://youtu.be/26kw9YP7Lkg?si=EfIQ5ZkXpsl8vhRg


これは米国CBS時代の録音で、後のドイツ・グラモフォンの録音と比較すると「残響がないスタジオ」録音という事もあり、タッチやペタリングの細かいニュアンスがより鮮明にわかります。

日本人は「残響コンプレックス」があるのか、「残響が長いと下手糞を誤魔化せる」からなのか、やたらと「残響が長いホール」やら、そういう環境で録音されたレコードをありがたがりますが、当時のCBSにおける録音は、ホロビッツ自身の希望もあり、「残響なし」「マイクが接近している」であり、タッチがよく見えます。

ホロビッツは三連を、釣り針のような方で「円」を描いて演奏します。

また四拍子についても「ジャズ的(?)」なバウンドがあり、美しい立体構成を描きます。

対して日本を代表するピアニストである中村紘子さんの演奏を聴いてみましょう。

中村紘子/ピアノソナタ第14番嬰ハ短調op.27-2「月光」(ベートーヴェン)
https://youtu.be/oQ_pUdLd6bY?si=TFj2R3nNWBvakmp5

三連符が「タタタ」と「オフビート」の連続、つまりホロビッツのような「円」ではなく、「お坊さんが木魚を叩く」ようなノリになります。

また四拍子に関してもバウンドはなく、尺八のような「音が自然消滅」する感じ。

ホロビッツは紛れもなく「ヨーロッパのクラシック音楽の伝統」の伝承者の一人ですが、中村紘子さんは、なんだか「座禅をくんでの瞑想」をするような音楽になっており、「ヨーロッパの伝統」とは相当に違った感覚で演奏されておられます。

違うからダメ、とも言い切れず、「仏教音楽のようなクラシック」というのもアリですが、違いは認識しておくべきでしょう。

ついでに比較的若いピアニストで絶大な人気を誇るエレーヌ・グリモーさんの演奏を聴きましょう。

Beethoven:Moonlight Sonata -Adagio sostenuto- hélène grimaud,piano
https://youtu.be/buVzKH7T5CU?si=nc9QIi8ggwLJCDQ2

見事に「三連符」が「ジャズ三連」になっており、且、四拍子も見事に「ジャズのノリ」と同様のバウンスを持ちます。

説明は省きますが、ホロビッツと同年代の巨匠クラウディオ・アラウも同じです。

Claudio Arrau Beethoven "Moonlight Sonata" (Full)
https://youtu.be/W0UrRWyIZ74?si=hRoAbefl8v-pEyLK

戦前の巨匠ヴィルヘルム・バックハウスも同じ
BACKHAUS & BEETHOVEN'S 'MOONLIGHT' SONATA
https://youtu.be/w1uQ8sLZIy0?si=54BkgJjNSvzyKRhr


僕は、或る意味「中村紘子さんに憧れてピアノを始めた」程の中村ファンではありますが、純粋に音楽的に言えば中村さんの「仏教的(?)なノリ」は、「欧米のピアニストのノリ」とは相当違うな、と思います。

この「月光ソナタ」に関しては、日本人が演奏すると、三連の基本リズム、つまり「ジャズのノリ」に注意が回らず、「座禅のような瞑想」を期待してしまう事が、果たして「ベートーベン本来の演奏」から逸脱していないか?という問題は起こります。

日本的な「座禅の月光」の対極にあるのがグレン・グールドの演奏。
https://youtu.be/HoP4lK1drrA?si=sOE1gJuca123ycSg

これは「座禅」を期待する人の願いも空しく、「ベートーヴェンの楽譜に忠実」な演奏が行われます。(グールドの演奏については、別の機会にお話ししたいと思いますが、「楽譜が読めない評論家」先生達がいうような「気ままな演奏」では全くなく、「楽譜の深部迄徹底的に洗い出した」本来の演奏だといえましょう。)

「ジャズとクラシックのノリ」を比較する以前に、「クラシックのノリ」と「日本人のノリ」について認識すると共に、そもそも「ジャズとクラシック」問わずに「三連符」の感覚が日本人と欧米人とでは全く違う事。

またクラシックは三連符の使用は「控えめ」だけど、ジャズは基本的に三連符である。という「料理の仕方」が違う、という事も認識しましょう。

つまり「三連符の形」は、いわば食材であり、その使い方、つまり「料理」はクラシックとジャズでは異なる、という事になります。

次回はその事について詳しくお話したいと思います。つづく

ついでにお薦めのジャズピアニストであるジョン/ルイスのソロをどうぞ。

https://youtu.be/7E-FESqeN98?si=rHUB60SH_mqgu-X3

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon音楽教室講師
Lee Evans Society of Japan 代表 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon

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ジャズの「オフビート感覚」をクラシック曲で学ぶ [Lee Evans Society]

日本人独特のゲイシャやリキシャマン的ビートから脱却すべし!

前回「日本人にはピアノのアフタータッチの感覚が欠落している」という事と「アフタータッチを意識しないのは、オフビート感覚がないからだ」とお話しました。

問題の「オフビート感覚」ですが、「ビート(拍)」に「オン」と「オフ」がある事位は知っている方は少なくありませんが、実感としてビートに「オン」と「オフ」を感じたり、具体的に演奏できる方は多くないようです。

「ビート」の「オン&オフ」なしで、ナメクジのように横に流れていく演奏を、「ゲイシャ・クラシック」とか「リキシャマン・ジャズ」と称する日本的エキゾチックで売る、という発想も悪くはないでしょう。

しかし、お隣の中国から、日本人よりは「ビートのオン&オフがある」演奏家が大量に生み出される昨今、「ゲイシャ・クラシック」では世渡りできませんので、「ビート感覚」の基本は習得して頂きたいものだと思います。

「オン=落ちる」「オフ=上がる」が「ビートの基本」

詳しくは別な機会にYouTube動画でお話しますが、「ビート」の「オン&オフ」は、例えば、腕を「上げる」「下げる」と同じですが、得てして日本人の場合は、「下げる」方に力が入ってしまいます。

これがピアノ演奏の際には「モグラ叩き奏法(笑)」と呼ばれる日本独特の変な弾き方になる訳ですが、「モグラ叩き」が嫌な人は単に鍵盤を這うだけの「ナメクジ奏法(笑)」になってしまいますが、どちらも「ピアノ本来の弾き方」ではありません。

実は「鍵盤を弾く」には力は不要です。単に腕を落とせば鍵盤に落下しますが、逆に「鍵盤から離す=腕を上げる」には筋力が必要で、演奏とは、この「落下(弛緩)」と「引き上げ(緊張)」の繰り返しになります。

ところで、日本人の場合、得てして「モグラ叩き」のごとく「鍵盤を叩く」か、ナメクジのごとく「鍵盤を這う」しかなく、これでは美しい音も、力強い音も出せません。

勿論、日本人でも、そうでない「ピアノ本来の弾き方」ができる方も少なくなく、そういう人達は、いわゆる「うまいピアニスト」なのですが、「うまい」から「本来の弾き方」ができるのではなく、「本来の弾き方」ができるから「うまい」訳です。

つまり「ピアノをうまく弾く」には「本来の弾き方」が必修ですが、前回もお話しましたが、「何々奏法講座」的には「弾き方」のみを取り出して訓練する事は、間違いではないにせよ、根本にある「音楽性」つまり「ビート感覚」の理解と訓練を優先させるべきです。


ビートの「オン=フレーズの終わり」「オフ=フレーズの始まり」

ところで「ビートのオン&オフ」ですが、ジャズだろうがクラシックだろうがロック、ボサノバ等々、欧米の音楽ならば絶対に存在します。

一拍の中にも「オン&オフ」があり、四拍子は奇数拍が「オン」で偶数拍が「オフ」になります。

いずれにせよ重要な点はビートは「オフ」から始まっている、という点です。

例えば「バッハ作曲前奏曲ハ長調」を「ドミ ソド ミソ ドミ」と弾く人は少なくありませんが、それは間違いです。

バッハ.png


この曲は16分音符を最小単位とし、16分音符で「オン&オフ」があり、「オフ」である「ミ」から始まりますので、「ド ミソ ド三 ソド ミド」という具合に音が繋がります。

また「ちゃんとした楽譜出版社から出版されている楽譜」ならば、16分音符が微妙に、上記のように「ド ミソ ドミ」という具合に、寄せて書かれているのがわかります。

僕の「ジャズピアノ教室」に、来られるクラシックピアノ経験者の大部分が「楽譜通りには弾けるが、即興はできない」と言われますが、僕は直ちに、それを「否定」します。

というのは「あたなも即興ができますよ」という意味ではなく「楽譜通り」に弾けていないからです。大多数の人は「楽譜に記されている、微妙な音符の左右の繋がりを無視し、我流でドミ ソド ミソ ドミ」という風に惹かれているからです。

ところで16分音符は、必ずこうなるのか、と言えば、それは違います。

例えばモーツァルトの有名な「トルコ行進曲」を観ますと、曲の冒頭は「シ ラ ソ♯ ラ」とありますが、ここの和音は「Am(ラド三)」です。

(0).jpg


和音が「ラドミ」なのに、そこに含まれない「シ」や「ソ♯」があり、これらを「楽典の本」によれば「刺繡音」と呼ぶそうですが、実はそんな事はどうでもなく、肝心な事は、この「シ」や「ソ♯」が「変位音」である点です。

つまり元は「ラ」なのだけど、上に変化(変位)すれば「シ」になり、下に変化(変位)すれば「ソ♯」になります。

そして「変位音」は元の音である「現位音」に「解決」します。

そして「変位音」と「現位音」はカップルになっており、つまり、この部分に関しては「シラ ゾ♯ラ ドー」と弾くのが正しく、実はリズムの最小単位は16分音符ではなく8分音符だという事になります。

前述の「バッハの前奏曲ハ長調」は16分音符基調の曲であり、これを「16ビートの曲」といいます。

対して「モーツァルトのトルコ行進曲」の冒頭は8分音符基調の「8ビートの曲」という事になります。

但し、この曲は少し進んで「ドレドシ ラシラソ」という部分になると、和音自体は「F♯m(ファ♯ラド♯)」になり、「ド♯ レド♯ シラ シラ」という具合に16音符基調の「16ビートの曲」となります。

(1).jpg


実はモーツァルト音楽は、コロコロと8ビートが16ビートになったり、或いは伴奏は8ビートだがメロディーは2ビート、という具合に色々な「ビート感覚」が上下左右で変化して組み合わされます。

この「トルコ行進曲」を弾く際、「ここは8ビート、ここから16ビート、次は8ビートで等々」と「ビート」を意識して弾き分けてこそ「楽譜通り」に弾いている事になりますが、大多数の人は「楽譜を無視して勝手な弾き方」をしていると思います。

逆に言えば、「楽譜通りに弾ける」つまりは「本来の意味で、楽譜が読める人」は「ピアノをうまく弾ける」可能性が大な訳で、先ずは「楽譜が読む」とは何を意味しているのか、を理解される事が肝要でしょう。

ジャズとクラシックとで「ビート感覚」に違いはない!

ところで「ジャズとクラシックとではビート感覚が違う」と勘違いしている人が少なくありませんが、ジャズに限らず、ロックでもブルースでも、クラシックとなんら変わりません。

勿論「リズムパターン」は異なります。

いわゆる「ロックのリズムパターン」とか「ボサノバのリズムパターン」とかがありますが、これは「リズムを組合わせた結果」できたものです。

いわば「リズム」とは料理で言えば材料、例えば豚肉のようなものですが、これを「生姜焼き=ロック」にするのか、「酢豚=ボサノバ」にするのか、「カツレツ=アレグロ(クラシック)」にするのかは「料理=ジャンル」の違いです。

しかし元になる「リズム=豚肉」は変わりません。

という訳で次回は「ジャズとクラシックとではリズム感覚に違いはない」という事をお話します!


Kimball Piano Salon 音楽教室講師
Lee Evans Society of Japan 代表 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon


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ピアノのアフタータッチは「リズム感」で決まる [Lee Evans Society]

前々回、僕は「キーボード奏者」時代に「
アフタープレッシャーを活用するキーボード奏法」を習得した事で自分の「ピアノ奏法」を大幅に向上する事ができた、とお話しました。

その後、「キーボードのアフタープレッシャーと、アフタープレッシャーが効かないピアノとでは奏法が違う筈。両者の関連について、もっと書いてくれ」というご意見を頂きました。

なるほど「キーボードのアフタープレッシャー」と「ピアノ奏法」とは無関係といえば無関係ですし、そもそも「アフタープレッシャーやピアノ奏法」と絡ませてお話する筈だった「リズム感」の事についてお話していないままでした。

という訳で、今日は「アフタープレッシャー〜ピアノ奏法(アフタータッチ)〜リズム感」についてお話しましょう。

キーボードの「アフタープレッシャー」とは?

そもそも「アフタープレッシャーとは何か?」ご存知でない方もおられましょうから、改めて説明しますと、キーボード(シンセサイザー等)の「鍵盤を押さえた後、更に押し込んだり、鍵盤を左右に揺らす事で音に変化を与える」というシステムの事です。



「デジタルキーボード(シンセサイザー等)」には備わったシステムですが、例えばキーボードで「ギターの音色」を演奏する場合、ギターの弦を弾いた後の「きぃーん」という「音の変化」を、鍵盤を押し込んだり、左右に震わせる事で表現できます。

中級価格帯以上の「デジタルキーボード(シンセサイザー)」には備わりますが、電子ピアノや、「デジタルキーボードだけどピアノ鍵盤」が備わった機種には備わりません。
(ヤマハの最高機種であるMontage-M8はピアノ鍵盤ですが、例外的に「アフタープレッシャー」が備わりますが)

ピアノにも「アフタープレッシャー」機能はあるか?

ところで「デジタルキーボードのピアノ鍵盤版」や電子ピアノには「アフタープレッシャー」機能が備わらないのは、

アコースティック・ピアノには「アフタープレッシャー」機能がないからです。

尤も「本当にないのか?」と言えば、僕は「そうとも言えない」と思います。

そういえば、かなり以前の話になりますが、神戸に「スタインウェイのショールーム」があった頃、僕は時々出入させて頂きましたが、いつだったかショールームのマネージャーさマネージャーさんから「スタインウェイは、鍵盤を弾いた後、更に押さえると音が変わります!」と言う話を伺いました。

つまり「スタインウェイはアフタープレッシャーが効く」という訳ですが、同行していた友人であるピアノ技術者は、後になって「そんな馬鹿な事があるか」と笑っていました。


そこで、当時、僕の自宅用に愛用していた国産「ディアパソンのグランドピアノ(183E)」で「アフタープレッシャー」を出してやると、その友人は腰を抜かしていました。



まぁ、実際には、「鍵盤のガタ」を利用(悪用?)している訳で、ピアノ調整の観点からは宜しくない事なのかも知れませんが、僕の個人的経験では、スタインウェイよりも、昔のベーゼンドルファーやプレイエル等のいわゆる「シングルアクション」の方が「楽にアフタープレッシャー」が使えました。

且、僕自身はいわば「アフタープレッシャーが使えるピアノ」を「個人練習用」として求めて来た訳ですが、「本番」の際には「楽に弾ける」ダブルアクションが便利ですね。

そういう意味で「ピアノにもアフタープレッシャー機能はある!」と言える訳ですが、実際にはピアノに関しては「アフタープレッシャー機能の有無」よりも重要なのが「アフタータッチ」なのです。

キーボードのアフタープレッシャー機能=ピアノのアフタータッチとペタリング

ピアノには「アフタープレッシャーは無い!」としても、「アフタータッチはある!」と言い切れるのは、「アフタータッチ」は「奏法」ではなく、ピアノの鍵盤機構だからです。

ピアノ鍵盤を押さえると中央辺りに抵抗がある筈ですが、この抵抗以後を「アフタータッチ」といいます。

このピアノの「アフタータッチ」は、演奏者がどうこうできるものではない、という事になっていますが、実はピアノによっても、演奏者によっても、大きな違いがあります。

尚、ここでは、本来の意味とは少し異なりますが、解りやすくする為に「アフタータッチ=「鍵盤の上げ方」とします。

そしてキーボードのアフタープレッシャーにほぼ相当するものとして「アフタータッチ」が演奏の質を大きく左右します。

日本人は「アフタータッチ=鍵盤の上げ方」に無神経だ

演奏に関していえば、日本人は一般的に「鍵盤をどう押さえる(或いは叩く)か?」については神経を尖らせますが、「鍵盤をどう上げるか?いつ上げるか?」については無神経な人だと思います。

敢えて言えば、演奏者のみならず、国産ピアノも「鍵盤の離し方」が曖昧、つまり無神経な物、或いは、いい加減に調整された物が少なくありません。

ニューヨーク・スタインウェイは極めて敏感なタッチを持つから、下手糞には向かない

少し話が脱線しますが、演奏者が「鍵盤をどう押さえた?」と共に「鍵盤をどう上げたか?」に敏感に反応できてこそ「良いピアノ」と言えますが、僕の経験範囲で言えば、国産でも「良いピアノ」もあります。
以前も書きましたが、ヤマハのCFⅢSが発売された際に使わせて頂きましたが、これは「とても良いピアノ」だと思いました。音は良いとも思いませんでしたが…。

逆に、或る会場のピアノは「ハンブルグ・スタインウェイのセミコンサート・グランド」なので安心して出向きましたが、「鍵盤を上げるタイミング」が国産ピアノ並に曖昧で、感心しませんでした。

そういえば、これも、僕個人の経験に過ぎませんが、同じスタインウェイでも、ハンブルク製よりもニューヨーク製の方が「タッチがシビア」つまり「鍵盤を押さえるタイミング」も「鍵盤の上げるタイミング」も明確に出るように感じました。


従って演奏者が「下手糞」だと、ニューヨーク・スタインウェイの場合、「下手糞加減が丸出し」になってしまいます。そういう演奏者は、だから反省し、精進すれば良いのですが、「ガサツな演奏」の原因が自分ではなくピアノにあると勘違いし、「ニューヨーク・スタインウェイはB級品だ」などと吹聴して回るから困ったものです。

確かに「曖昧なタッチ」に調整されたスタインウェイなりベーゼンドルファーなりの「良く響くピアノ」を、日本人好みの「残響だらけの空間」で弾けば、カラオケなみに「下手糞でもマシに聴こえる」のでしょう。

しかし、少なくとも「練習」に関しては「シビアなタッチ」に調整されたピアノを、残響のない空間で厳しく行うべきでしょう。

「アフタータッチ」は「リズム感」が決める

「アフタータッチ=鍵盤を上げる(離す)タイミング」は演奏の非常に重要な要素ですが、前述のような「鍵盤を押さえるタイミング」には注意を払っても、「鍵盤を上げる(離す)タイミング」は無神経なのが大方の日本人です。

これは日本人ピアニストによくある「ペダルを踏みっぱなし」にする「下手糞な演奏」も原因の一つです。

小節の頭からダンパー(サスティーン)ペダルを踏めば、当然、どこで鍵盤を上げようとも関係がなくなります。

ペタリングについては別な機会にお話しますが、原則として「鍵盤を弾く前にはペタルは踏まない」「踏んだペダルは、次の音を弾く前に離す」という事になります。
(音を持続させる場合は、グランドピアノの中央ペタルを用います。)

ところで「アフタータッチ」云々のお話をしますと、時々「そういう奏法を教えて欲しい」という問合せを頂く事があります。

ピアノレッスン自体はお請けしますが、「何々奏法講座」的な「奏法」のみを切り離してお教えする事は全く無意味なのでお請けしません。などと言えば「何々奏法講座」を開催されておられる先生の営業妨害になりますけど(笑)。

なぜ「奏法のみのレッスン」をやらないのか、といえば、確かに「鍵盤を上げるタイミング」を意識する事は重要ですが、こればかりを訓練しても「使えない」からです。

というのは「アフタータッチ=鍵盤を上げるタイミング」を決めるのは、「何々奏法の訓練」ではなく「リズム感」だからです。

オンビート=鍵盤を弾く、オフビート=鍵盤を上げる


根本的に日本人に欠落する「音感」として「ビート」の「オン」と「オフ」があります。

言葉こそ「オンビート」や「オフビート」を知っている人は少なくありませんが、実際に演奏させると「オンビート」しか意識できない、つまり「オンビートだけの演奏」になる人が大部分です。

これはクラシックに限らず、ジャズやロック、或いはダンスミュージックと称する音楽もしかり。

非常に大雑把に説明しますと、「オンビート」とは「上から下に落ちていく拍(ビート)」であり、「オフビート」とは「下から上に登る拍(ビート)」です。

正確に言えば「オンビートしかない音楽」というものは存在せず、オンもオフもなく、ナメクジのように横に移動するだけ、という音楽感覚という事になります。

とりあえず説明し易い様に「オンビート」はある、としますが、「下から上に登る」という感覚は日本人の100人中少なくとも90人位はないようです。

例えば四拍子の場合、一拍の中に「オンとオフ・ビート」があり、四拍子も一拍目は「オン(落ちる)」二拍目は「オフ(上がる)」三拍目は「オン(落ちる)」四拍目は「オフ(上がる)」となります。

更には一小節目全体が「オン」、二小節目全体が「オフ」ともくくれます。

ピアノ鍵盤の演奏でいえば、フレーズを弾く事は「オンビート」であり、フレーズの終わりが「オフビート」になります。

先ほど「何々奏法だけのレッスンはお請けしない」と言いましたが、「鍵盤を上げる、下げる」については、同じような八分音符が並ぶとして、全ての音符が「オン」と「オフ」に分離するし、或いは右手左手で「オン」と「オフ」の場所が変わってきます。

従って事前に「何々奏法」として「オンビートとオフビートの練習」をしても、実際の曲はもっと複雑だからです。

また「何々奏法」なぞ意識しなくても、「音楽自体のオンとオフ」を意識すれば、必然的に「正しい位置で鍵盤を落としたり上げたり」する弾き方になるからです。

ジャズとクラシックとで「オンビートとオフビートの関係」は変わらない


以上の理由から「リズム感」つまり「オンビートとオフビート」を理解すれば、必然的に「鍵盤の上げ方=アフタータッチ」を意識するようになります。

大雑把に言えば、必要がある部分をギリギリまで鍵盤を押さえ、パっと鍵盤を上げる訳ですが、日本人は一般に「鍵盤を上げる速度」が遅いし、国産ピアノ自体の「鍵盤が上がる速度」も遅いといえます。

動く「速度」が遅いから、「早目」に「ゆっくりした速度」であげる事になります。

日常生活ならば「早目に家を出て、ゆっくり歩いて目的地に向かう」のは良い事ですが、ピアノに関しては逆で「ギリギリまで待ち、速い速度で移動する」が正しい事になります。

よくYouTube等でピアノ屋さんや技術者がピアノを紹介する動画として、ご自身で演奏しているシーンを観かけますが、営業専門の方が何を弾こうと、それは微笑ましいと見過ごせます。

しかし技術者が、自分が調整されたピアノを弾く際に、演奏するテンポはなんでも良いのですが、「鍵盤の上下」を「ゆっくり」しかできないのを観ると、そのピアノの調整自体も「間違っているのではないか」と心配になります。

どんなテンポであろうが、どんな曲想であろうが、鍵盤の上下は速い速度を弾くべきですが、この部分に関しては「日本人の指」は極めて不器用であり、欧米人と比較して、繊細には動かないようです。(鍵盤の上をちょこまかと動きまわる事に関しては、日本人に限らず、中国人も大したものですが)

ところで「ピアノのアフタータッチ」を決める「オンビートとオフビート」ですが、ジャズとクラシックとで変わるのか?という疑問を持たれた方もおられるかも知れません。

或いは「クラシックは、ジャズと違い、オンビートとオフビートなぞないっ!」と思われたかも知れません。

それは全て間違いで「和製クラシック」或いは「和製ジャズ」でない、「本来のクラシック」や「本来のジャズ」はオンビートやオフピートで音楽が構成されています。

クラシックに関しては、どちらかといえば、第二次世界大戦以前からの巨匠であるドイツのフルトベングラーやバックハウス、フィッシャー、ケンプ等、フランスのコルトーやフルニエのような巨匠の演奏の方が「オンビートとオフビート」の感覚が明瞭です。

という訳で、「オンビートとオフビート」について、もう少し突っ込んで考えてみたいと思います。(つづく)

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon音楽教室講師
Lee Evans Society of Japan 代表 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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ジャズとクラシックでは「ピアノの弾き方が違う」はウソ!つづき [Lee Evans Society]

「ジャズとクラシックではピアノの弾き方が違うのでは?」と言う疑問を多く方がお持ちのようです。



ジャズとクラシックとで「弾き方」が違っても困らないとも言えますが、クラシックピアノを長年追求して来られた方が「ジャズピアノを始める場合」や、クラシックピアノの先生が「教えている生徒さんがジャズを始めたい、と言い出した場合」は、深刻な問題となります。



結論、或いは僕の考えとしては、前回述べましたように「ジャズとクラシックで弾き方は違わない」となりますが、言ってるだけでは単なる「気休め」に過ぎませんね。



という訳で、今日は突っ込んで「ジャズとクラシックとでは弾き方は違わない」根拠をお話します。


そもそも「クラシック的な弾き方」とはなにか?



有名無名の「ジャズピアニスト」で「クラシックピアノ経験が全くない」という人は例外的ですが、「クラシック経験の過多」については千差万別です。



有名ジャズピアニストを見渡せば、白人のビル・エヴァンスやキース・ジャレット、リチャード・バイラーク等は「クラシックピアノのトレーニングを積んでいる」ようです。



対して黒人であるセロニアス・モンクやマル・ウォルドロン等は、そういう感じは薄い。


かと言って、同じ黒人であっても、1920~40年代「スウィングジャズ」時代の「ストライドピアノ」と呼ばれるスタイルのジャズピアニスト達は、クラシック・ピアノの超絶技法の持ち主が多い。



「ストライドピアノ」の最高峰と言われるアート・テイタムに至っては、当時アメリカに亡命してきた「二十世紀最高のピアニスト」と呼ばれた巨匠、ウラディーミル・ホロビッツが、先輩であるラフマニノフを例外として唯一認めたピアニストでありました。



(ホロビッツは、同じく巨匠で、先輩であるルービンシュタインを格下扱いしていたそうですが、テイタムを聴くために、テイタムが出演するクラブに通い、時にはラフマニノフを伴って出かけた、という記録が、ホロビッツをテイタムに引き合わせたジュリアード音楽院教授によってあります。)



またグレン・グールドといえば「最高のバッハ演奏家」としても有名ですが、ピアノにうるさく、ニューヨーク・スタインウェイの貸しピアノの中から、自分が気に入ったピアノについては、他のピアニストどころか調律師が弾く事も禁止したそうです。



そんなグレン・グールドが唯一「自分のピアノ(正確にはスタインウェイ社に他のピアニストに触らせないように言い渡した)」を使う事を許したのが、「ジャズピアニスト」のビル・エバンスでした。
エバンスは「グールドのピアノ」で歴史的なソロピアノの名盤「アローン」を録音しました。



この辺りのエピソードも「クラシックとジャズとで弾き方が違わない」或いは「クラシックピアニストが違和感なく聴けたジャズピアニスト」が無数に存在した、という事を証明しています。


ところで「ジャズ的な弾き方とは何か?」を考える前に「クラシック的な弾き方とは何か?」を考えてみる必要があります。



尤も、これも簡単に定義できないのは、同じ「クラシックピアニスト」でも各々で「弾き方」が違う、以上に、「時代」で「弾き方」全般が変わっている、と思えるからです。



僕が個人的に好きなのは第二次世界大戦以前から活躍していた「巨匠」と呼ばれるドイツやフランスのピアニスト達ですが、1970年代頃から活動を始めた、今時の「巨匠」とは、根本的に「ピアノの弾き方」が違う、と感じます。



これは「音楽性」が時代で変わった、という事と、使用するピアノが1950年代頃と、それ以後では変わった、という事も影響しているようです。


第二次世界大戦終了頃迄は「世界最高のピアノ」とはドイツの「ベヒシュタイン」を指し、或いはフランスでは「プレイエル」を指しましたが、当時のベヒシュタインやプレイエルは現代のモデルとはアクションもペタルも相当に異なりました。

当時のピアノは、

今の感覚で言えば「速いパッセージが弾きにくく」大音量が出しにくく、また、「音の均一さ」もイマイチですが、反面、一つの鍵盤での細かいニュアンスは出し易い。

逆に、今時は、そもそもプレイエルは存在せず(名前は継続されているようですが)ベヒシュタインは主流でない上、また、まるで異なるピアノになってしまった、という事と共に、日本に限らずアメリカやヨーロッパでも、日本製のヤマハやカワイが多数を占めるようになりました。

つまり欧米でも「ヤマハやカワイで育ったピアニスト」の割合が増加し、よきも悪しきもヤマハやカワイに適した弾き方が「現代のピアノの弾き方」の大勢を占める様になりました。

その影響でスタインウェイやベーゼンドルファーのようなピアノも、何やらヤマハやカワイに似てきたようです。

勿論、ヤマハやカワイを選択する人が増えたのは、特にヤマハピアノの、いわばオートマチックに揃ったタッチが得られる、速く、大きな音で弾ける、というメリットを良しとするからですが、反面、ニュアンスは強弱しか付け難いので、結局「速く、大きな音(或いは弱く弾いても拡声してくれる)で弾く」事を追求する事になります。

その事で「クラシックピアニスト」も昔の「伝統的なヨーロッパ式のピアノ演奏」とは大きく異なる「ピアノの弾き方」が普通になりつつあるようです。

「モダンジャズの名盤」は「昔のピアノ」が用いられた

ところで「モダンジャズの名盤」は1950~60年代に集中しますが、当時の米国のスタジオに設置されたピアノも、或いは当時のジャズピアニストが育ったピアノ環境も、「伝統的なクラシックピアニスト達の環境」に近いものでした(遥かにチープであった筈ですが)。



逆に「今時のジャズピアニスト」は、「今時のクラシックピアニスト」同様にヤマハやカワイで育っている訳で、均質だが、ニュアンスの乏しい音しか出せないので、沢山の音を詰め込む、という傾向にあるように思います。



つまり「ジャズとクラシックの違い」よりも、「戦前のピアノを弾いて育った世代」と「大量生産されたヤマハやカワイで育った世代」との「世代の違い」の方が大きい、と言えましょう。

ところで、昔の今時とでは「ピアノ」自体も違えば「ピアノの弾き方」も変わった訳ですが、
更に突っ込んで「どう変わったのか?」というお話になりますが、これが前回お話した「アフター・プレッシャー」という概念と大いに関係があります。

また「アフタープレッシャー」は「リズム感」と大いに関係があります。

つまり「リズム感=ピアノの弾き方」という図式になりますが、そもそも「リズム感」はジャズとクラシックとでは違うのではないか?という話になります。

その辺りについて次回お話しますね。つづく

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon 音楽教室講師
リー・エバンス・ソサエティ代表 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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ジャズとクラシックとではピアノの弾き方が違うの?中編 [Lee Evans Society]

「クラシックとジャズとではピアノの弾き方が違うのか?」という問題についてのお話。

前回の続きです。

結論から言えば「違わない」のですが、かと言って「ジャズ経験のないクラシックピアニストがジャズピアノ楽譜を弾いてもジャズに聴こえない」事も事実。

従って「ジャズの弾き方を学びましょう」というのが、僕が代表を務める「リー・エバンス・ソサエティ」の提唱ですが、「あれっ、では先ほど言った、クラシックとジャズとで弾き方は違わない、はウソなの?」という突っ込まれるかも知れません。

という訳で今回は前回の続き「中編」として「クラシックとジャズとでは弾き方は違わないが、ジャズの弾き方は学ばなければならない」の前提として「そもそも正しいピアノの弾き方とは何か?」についてお話しましょう。


そもそも「正しいピアノの弾き方」とは何か?

繰り返しお話しましたように「リー・エバンス・メソッド」では「正しいピアノの弾き方」で学び、或いは、それができない人の為に「正しいピアノの弾き方」が習得できるようにプログラムされています。

この場合の「正しいピアノの弾き方」とはイコール「クラシックの弾き方」と考えて貰っても問題ありません。

では「クラシックの弾き方」とは何か?

ツェルニーで「正しいピアノの弾き方」が学べるのか?

例によって「自伝(笑)」になってしまい恐縮ですが、僕が「正しいピアノの弾き方」を習得できたのは三十代の半ば頃だったと自負しています。

そんな僕を例としますと、僕の場合は、十代から二十代の半ば迄は、只管に「ピアノ奏法」の研究に務めました。

今時は「何々ピアノ奏法」の研究会や講座が方々で開かれています。僕がティーンや若い頃も、そういう催しがあった筈ですが、当時は情報が得らせず、結局、本で読んでは、精々ハノンやツェルニーで「指を造る事」したり、腕の使い方を工夫したに明け暮れていました。

ピアノから離れ、キーボード奏者に転向したから漸く理解できた「ピアノの弾き方」

これも「自伝」ですが(笑)、僕が二十代半ば、つまり1980年代半ば頃は、「デジタル楽器」が勃興し、僕も心を奪われたのは、シンセサイザーの音が好きだったから、ではなく「自分一人で多重録音が可能で、一人でオーケストラを造れる」事に惹かれたからです。

それで電子ピアノやシンセサイザー等を買い求め、やがてバブルを迎えた日本での音楽需要の急増により、僕も「スタジオミュージシャン」の「見習い」としてスタジオの仕事をさせて貰えるようになりました。

それで収入を「機材購入」につぎ込み、八畳ほどの自室は、当時、愛用していたディアパソン(国産)グランドピアノと共に、KORG、ローランド、ヤマハ等の国産メーカー、Kurzweil、Emu、Ensoniq等の海外製電子楽器で足の踏み場もない程に埋まってゆきました。

今ならば一台のパソコンでできる事が、当時は何台もの機材を揃える必要があり、僕の自室システムも一台のマッキントッシュ・コンピューターに接続された8台のシンセサイザーが、合計64パートを制御する、込み入ったシステムになっていました。

ほぼ同じ機材で構成された職場のシステムは「就業時間」だった事もあり使いこなせましたが、帰宅し、自分の音楽を作らねばと、コンピューターやミキサー、八台のシンセサイザーを立上げねば音一つ出てこない、というシステムが面倒臭くなりました。

国産高級車が買えてしまう機材購入費の支払いも負担に思え、結局、システムをシンプルにする事に決め、米国のEnsoniqというメーカーのと、音楽制作に便利だった国産KORGのとで、2~3台のキーボード(シンセサイザーとサンプラー)のみを自宅用の音楽制作機材としました。

特に気に入っていたのは米国EnsoniqのEPS16~ASR10というキーボードですが、つまり「ピアノ鍵盤」ではなくシンセサイザー鍵盤のキーボードが相棒だった訳です。

この「シンセサイザー/サンプラー」等のキーボードは、ピアノとは全く違った演奏技能が必要で、ダンパー(サスティーン)は滅多に使わないが、「エクスプレッション(ボリューム)」ペタルや、ベンダーと呼ばれるコントロール系を綿密に操作する必要があります。

Ensonicqに限らず、中級以上の機種になると鍵盤に「アフタープレッシャー」という機能が加わり、これはピアノだと鍵盤を弾けばそれで終わりなのに対し、鍵盤を押さえたまま、更に鍵盤を深く弾いたり、左右に揺らすと、ビブラート等がかかる、という仕組み。

そういえば、EnsoniqやKORGに加えて、ヤマハのシンセサイザーであるSY77や後継機種のSY99という高級機をシ使い始めましたが、これらは単に鍵盤弾くだけだとショボい音しか出ないが、ペタル、ベンダー、アフタープレッシャー等を駆使すると実に表情豊かな音が出る、という優れものでした。

ヤマハは、これらの「コントロール系」に拘りがあるのか「キーボード奏者の演奏技能向上」に使命感(?)を持っているのか、とにかく「コントロール系の駆使」を演奏者に求めるので、SY99等で練習すると、なるほど「演奏技能」が向上しました。

蛇足ながら1990年代初頭に発売されたヤマハの高級シンセサイザーVL1に至っては、最早「コントロール系の偏執狂」とさえ言える凄さで、口に加えたブレスコントローラーを迄駆使しないと格好がつかない、という代物。

かと言って、それほど印象的な音が出て来る訳でなく、僕は手を出しませんでしたが、「徹底的に演奏技能に拘る」当時のヤマハの電子楽器開発は、やはり立派と言えましょう。

そんな凄いというか偏執狂的に「コントロール系の駆使」が求められるデジタル楽器に囲まれていた関係で、「単に強弱しか出せない」と思えたピアノはツマラナイ楽器だと思ってしまってました。

幸いにも、ウィーンの名器ベーゼンドルファーと出会った事で、その誤りに気づきました。

ベーゼンドルファーで「ピアノ奏法」に目覚める

「ベーゼンドルファーとの出会い」と言っても、購入した訳でなく、当時、新大阪にあった「日本ベーゼンドルファー」のショールームのピアノを弾かせて貰った、というだけの話ですが、何かの用事ででかけたショールームのベーゼンドルファーにすっかり感心しました。

告白すれば、「キーボード奏者」になる以前、つまり二十代半頃にもベーゼンドルファーを弾かせて貰う機会はありましたが、当時はまともに音を出せませんでした。

当時はピアノ(グランド)といえばヤマハかカワイ、ディアパソンの180㎝くらいのピアノか、極たまにホールで弾かせて貰うスタインウェイのコンサートグランドが僕が経験したブランドでした。

勿論、ベーゼンドルファーには憧れており、触らせて貰えただけで感激はしましたが、具体的に「ベーゼンドルファーを弾きこなせた」とは全く思えませんでした。

ところが数年ほどピアノからは離れ、ミュージシャン見習いとして、キーボードの「鍵盤のアフタープレッシャー」等のコントロールを意識できるようになってから弾くと、ベーゼンドルファーはとても良い。

一言でいえば「こんなに弾き易いピアノはない!」
驚いたのはシンセサイザー等でしかできないと思っていた「鍵盤を押さえた後に、更に押さえる=アフタープレッシャーの奏法」がピアノでできてしまう事。加えて三本のペタルは、いわば「エクスプレッション
や「ベンダー」として使える、という事です。

そういえば当時、1990年代初頭の頃、ヤマハのCFⅢSというコンサートグランド・ピアノをある演奏会用に使わせて貰いましたが、これもベーゼンドルファー同様に「完璧なコントール」ができるので、驚愕すると共に感心しました。

ベーゼンドルファー・インペリアルやヤマハのCFⅢSというコンサートグランドだから良い、といえば良いに決まってますが、「音がいい」とか「音に迫力がある」とかで良いと感じた訳でなく、「アフタープレッシャー」が使えるがごとくの「タッチの追従性の高さ」やペタルによる響きのコントールの敏感さに感心した訳です。

考えてみれば、本来、僕はキーボード奏者ではなくピアノ弾きではないか、という「願望」もありましたが、キーボード奏者時代に「タッチによるコントロール」をある程度習得できた事で、僕は「ピアノが弾ける」のでないか、と思い始めました。

バルトーク版バッハやコルトー版のショパンで「ピアノの弾き方」を学ぶ

結局、ピアノに回帰するべく、練習を再開しましたが、平行して「ジャズピアノ」の練習も始めていました。

その頃になって漸く「ジャズピアノ」も「なんちゃって」ではなく、理論的な構築したジャズハーモニーを鳴らせるようになりつつあった、という所です。

その頃、疑問に思ったのが「ジャズとクラシックは弾き方が違うのではないか?」という点。

キーボード奏者時代に理解したのは、「日本式のジャズやポップスのリズム感」と欧米のは違う、という点でした。ではジャズやポップスとクラシックは違うのか?

そんな頃、親しくなって、来日する度に僕の家に泊まりにくるようになったドイツ人のクラシックピアニストがいて、隣に座って演奏を観る事ができ、それで判ったの「アメリカ人がジャズやポップスでやっているリズム感」と「ドイツ人によるバッハやベートーヴェンのリズム感」は同じだな、と事。

改めてバッハやモーツァルト、ショパン等の楽譜を読み直しますと、それこそ「ジャズ固有のリズム感」なんて言われていた事と同じリズム感覚でフレージングが造られている事が解りました。

敢えていえば、欧米人といえど若いクラシック音楽家の演奏には違和感を感じましたが、戦前のクラシックピアノの巨匠であるバックハウスやコルトー、フィッシャー、チェロのフルニエやカザルス、バイオリンのハイフェッツ等の演奏は「ジャズのリズム感」と全く同じ。

ドイツの巨匠フルトベングラー指揮ベルリンフィルによる「ベートーヴェンの合唱交響曲」は「ジャズのリズム感」だけど、我が出身校の後輩達による「ベートーヴェンの合唱交響曲」は岩城宏之氏という「本物のクラシック」指揮者が客演するも、「えさほいサッサ」の「お猿の籠屋」=日本の民謡に聴こえるので笑ってしまいましたが。

自動ピアノとやらで再生されたラフマニノフやドビュッシー等の演奏も「ジャズのリズム感」と同じ。

考えてみれば、初めてフランスに米国ジャズが上陸するのは、ジャズが創成された当時の1920年代ですが、数年でヨーロッパ中でジャズが大流行し、ヨーロッパ人もジャズを演奏し始めます。

例えば「クラシックピアニスト」に三年で「ジャズピアノを習得して下さい」なんて言えば「パワハラ」に近い暴言となりますが、現実に僅か数年で、ヨーロッパ人はジャズを習得して自分で演奏しています。

なぜ、こんな事が可能だったのか?といえば、「本来のクラシックのリズム感」は「ジャズのリズム感」と同じだったからであり、いわば昨日迄はネイビーブレザーにウールパンツを合わせていたのを、今日からはジーンズに変えてみた程度の「低いハードル」で、ジャズとクラシックを移動できたのでしょう。

別な言い方をすれば、「伝統的なクラシックのリズム感」が形成されていないと、「ジャズのリズム感」も理解できない、という事です。

また「リズム感」が同じならば「フレージング」も同じであり、「フレージング」が同じならば「弾き方も同じ」という訳です。

バルトーク版バッハやコルトー版ショパンで「ジャズの正しい弾き方」を学んだ

僕がキーボード奏者から「ピアノ弾き」に回帰するべく、「ピアノのトレーニング」を再開した際、バッハやモーッアルト、ショパン等を練習しました。

その時、持っていた楽譜は、学生時代に購入した「クラシックピアノの日本の大家」と呼ばれる先生が改訂した版でした。

それで練習するも、どうも感覚が合わず、紀伊国屋に行って「ウィーン原典版」やら、アルフレッド・コルトー版やらを「立ち読み」すると、僕が「ジャズピアノ」で学んだフレージングつまり「指使い」と完全に一致するものが、書かれています。

それで「日本の大家」版は古本屋で売り払い(当時は高く売れた)、小遣いを動員して「ウィーン原典版」やコルトー版、或いはバルトーク版バッハやベートーヴェン等を買いあさりました。

特に感心したのが、バルトーク版とコルトー版でしたが、こういう言い方は僭越ですが、僕が描いたものと一致しましたが、この時、気づいたのが「フレージングと指使い」の関係です。

フレージングが正しい指使いを決める

コルトー版等で「本物のピアノ奏法」を学び始める以前は、「正しい指使い」とは事前に決まった形があり、それを曲に当てはめるものだ、と考えていくした。

仮に「指使いが書かれていない楽譜」に「指使い」を書き入れる場合は、ハノンやツェルニーで習得した「正しい指使い」を張り付けるのが「正しい弾き方」だと信じていました。

ところが、例えば「ウィーン原典版」やコルトー版では、「ド・レ・ミ」と隣接する音があった場合、必ずしも「2・3・4」という「ツェルニーやハノン的には正しい指使い」を指定するとは限りません。

「1・2・5」みたいな「変則的(?)」指使いが指定される事が多々あります。

これは「その方が弾き易い」からでも「色々な指で弾ける練習をしている」からではありません。

つまり「フレージングに合わせて指使いを決める」ているのです。

上記でいえば「ド・レ」は同じフレーズだけど「ミ」は別なフレーズの始まりだから、「3」の指ではなく敢えて「5」を選択するのだ、となります。

ツェルニーの「指使い」自体は間違っていないが「フレージング」はツマラナイ


では「ツェルニーの指使いは間違っているのか?」と言えば、これも「間違っていない」と断言できます。「ツェルニーが作曲したフレージングに合致」しているからです。

問題は「ツェルニーが作曲したフレージング」が「正しい」のか?という点ですが、これは「間違っている」とは言えないにせよ、「ツマラナイ」としか言いようがありません。

果たして、この「不自然で、魅力もないフレーズをい練習」したからと言って「正しいピアノ奏法」が習得できるのか?といえば大して役に立たないでしょう。

その他、モシェレスやモシュコフスキー、クレメンティ等多種多様な練習曲がありますが、期待するほどの効果が上げれないの、「音楽性が低い」つまり「正しいピアノ奏法」の範疇が狭いからです。

「正しいピアノ奏法」の理想的な「練習曲」は、バッハやショパン、シューマン、リスト、ブラームス、ドビュッシー他「楽聖」による「練習曲集」ですが、難易度が高く、歯が立たない方も少なくない訳で、なるほどモシュコフスキーのような練習曲も有効かも知れませんね。

正しいピアノ奏法が習得できるのかリー・エバンス・メソッドの特徴

ところで「リー・エバンス・メソッド」の「練習曲」はどうか?と言われれば、一言で言えば「正しい指使い」が用えます、となります。

この場合の「正しい」は、ツェルニーはさて置き、「ウィーン原典版」のバッハやモーッアルトの楽譜にふられた「フレージングに合致した合理的な指使い」を意味します。

「リー・エバンス・メソッド」の各曲の「フレージング」は、率直にいえばバッハやモーツァルト等の「楽聖」には負けます。

しかしツェルニーやクレメンティはさて置き、比較しやすい現代米国のピアノ教本であるトンプソンやギロック、バスティンに勝る、と僕は思います。

僕自身は変な話でずか「バッハの平均律ピアノ曲集」と「ショパンの練習曲集」だけあれば「ジャズピアノの練習」もできます。ついでにドビュッシーやスクリャービンもあればなお良し。

但し、それらのクラシック練習曲から「ジャズ的要素」をすくい取るのは、ジャズ自体をある程度以上理解しておかねばならないので、これから「ジャズピアノを学ぼう」という方には、「ジャズのよくあるフレーズ」が多様される「リー・エバンス・メソッド」の練習曲をお薦めします。

「ジャズフレージングとは何か?」については次回お話しますが、「正しいジャズフレージングで作曲されたもの」を練習する事で「正しいピアノ奏法」が習得或いは向上できます。

「リー・エバンス・メソッド」において、「一段譜による即興演奏」を学習段階では重視しないのは、「我流」で即興すると「間違ったジャズフレージング」を作ってしまい、当然「間違ったピアノの弾き方」になります。

従ってクラシックのピアノの先生が忌避する「ジャズを弾くと、クラシックピアノの弾き方が崩れる」という困った事態に陥ります。

「正しいジャズフレージング」を「フレージング自体の理解」を踏まえて、合理的な指使いで弾くからこそ「正しいピアノの弾き方」が習得される訳です。

次回「ジャズ的なフレージング」についてお話します。
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ジャズとクラシックとではピアノの弾き方が違うの?前編 [Lee Evans Society]

こんにちは。前回に続き、僕が代表を務める「リー・エバンス・ソサエティ」が普及に務める「リー・エバンス・メソッド」の特徴についてお話します。

クラシックピアニスト対象のリー・エバンス「ジャズメソッド」

「リー・エバンス・メソッド」は、アマチュア〜セミプロ程度のジャズピアニストと共に、「ジャズ経験が全くない」クラシックピアニストも対象とする「ジャズピアノが弾けるようになるメソッド」です。

ちなみにクラシックピアニストと書きましたが、これは「バイエル程度」から「音大ピアノ科卒」の方、或いは「習わずにピアノが弾けるようになる本」等で独学される方も含む、「クラシック経験はあるがジャズ経験はない方」全般を含みます。

「リー・エバンス・メソッド」は大雑把に言えば「クラシックピアノ教室で、クラシックピアノの先生が教える」事を想定しており、よくある初級、中級、上級等の「グレード」は、ほぼ「クラシックピアノのレベル」で分けられます。

つまり「ピアノ経験がない方」や「クラシックピアノがブルグミュラー程度」の方は、「リー・エバンス・メソッド」では「初級」という事になります。

では「ブルグミュラー修了」以上の方は自動的に「中級」になるのか?と言われば、確かに「中級」といえばそうですが、例えば「音大ピアノ科卒」の方を考えた場合、なるほどピアノ自体は巧ですが、「ジャズ的な事」は「未経験」なのが普通。

逆にピアノは未経験だがサックスやギターのプロミュージシャンで「ジャズ経験は上級」という方もおられますが、これは単純に「ピアノ入門者」として扱えない、という問題も生じます。

話を戻し、「ブルグミュラー修了以上」且「ジャズ未経験」の方について考えれば、「リー・エバンス・メソッドの色々ある曲集の難しいもの」を弾いて頂くと、とりあえず「音は出せる」事は確か。

だけども全然「ジャズ」に聴こえないし、ある種の和音が物凄く「不協和」に聴こえてしまう事が多々あります。

ちなみに「不協和」に聴こえるのは、元々和音自体が変=本来の意味での不協和、という場合もありますが、そうではなく、音の意味を理解すれば「ギリギリの緊張があるが美しい響き」に弾く方も聴く方も聴こえてきます。

「不協和音の連続」と当時の評論家に貶されたモーツァルト

これも蛇足ですが、モーツァルトの在世当時、当時の音楽評論家はモーツァルトの音楽を「不協和音の連続」と評しました。

或いは「不協和音の音楽」の代名詞である「無調」の作曲家であるシェーンベルクの曲は、例えばピエール・ブーレーズ指揮ウィーンフィルとかグレン・グールド等の「訳が分かっている演奏家」が演奏すると「不協和音」に響きません。

実は全ての音楽は「不協和」と「協和」の連続で成立しており、モーツァルトやハイドンの曲中の「不協和」を意識できないと本来のモーツァルトやハイドンにならないし、逆にシェンベルク等の現代音楽に「協和」を造れないと本来のものになりません。

訳が分からないままジャズピアノの楽譜を弾くと不協和に響く
つまり「ジャズ」や「ブルース」の響きやリズムについて理解しないまま、リー・エバンスに限らず、編曲や採譜された「ジャズピアノの楽譜」を弾くと、単に「つまらない」だけでなく、妙に「汚い響き」になります。

或いは「ブルース」の楽譜を弾くと、妙に下品に響いてしまいます。本物のブルース感覚を有する黒人ジャズ奏者であるジョン・ルイスやマイルス・ディビスによるブルースは、とても洗練された雰囲気なのに、「クラシックピアニストが、楽譜を観て弾くブルース」はとても下品なのです。

これは弾いた方の感性が悪いからなのではなく、「弾き方」を知らないから、なのです。

ジャズの弾き方をリー・エバンス・メソッドで学ぶ
つまり「リー・エバンス・メソッド」特有の分類では「中級」つまり「クラシック経験があるがジャズ経験はない」では「ジャズの弾き方」を学びます。

ここで問題になってくるのは「クラシックとジャズとでは弾き方が違うのか?」という点。

僕自身、若い頃に入会した「ジャズピアノ教室」で先生から「クラシックとジャズとでは弾き方が違うから、クラシック的な弾き方を捨てろ!」と言われ困惑したものです。

或いは今でもネットで検索すれば「クラシックとジャズとでは弾き方が違う」など書かれた意見が無数に現れます。

結論からいえば「ピアノの弾き方にジャズとクラシックに違いはない!」と断言できます。

但し「日本独特」の「間違ったクラシックの弾き方」や「間違ったジャズの弾き方」をしている方が少なくない、という問題と共に「そもそも正しいピアノの弾き方」とは何か?という課題が見えてきます。

その辺りを踏まえて「リー・エバンス・メソッドでは正しいピアノの弾き方」を前提としており、つまりは「リー・エバンス・メソッドでジャズ」を学べば、ジャズに限らず、クラシッくを弾く際にも良い影響を与える、という訳です。

「後編」に続く

リー・エバンス・メソッドによるジャズレッスン
大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon 音楽教室 藤井一成
電話 (070)5438-5371

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クラシックピアニストが挫折しない「二段譜」で学ぶジャズ [Lee Evans Society]

クラシック経験を活かせるジャズピアノ・メソッド

前回「クラシックピアノの経験はあるがジャズ経験はない方」が「ジャズピアノが弾けるようになりたい」と一般的な「ジャズ教室」に入会されると大抵「挫折」してしまう、というお話しをしました。

「クラシックピアノの経験」と一口に言っても「バイエル修了程度」から「音大ピアノ科卒」まで様々なレベルや経験がありますが、レベルが高く、経験が長い方程、「ジャズ教室」では挫折する率が高いようです。

つまりジャズピアノ自体ではなく、レッスンが合わないようですが、合わない部分として次の三点を指摘する「クラシックピアノ経験者」は少なくありません。

1,ピアノ楽譜でなく「メロディーとコードネームだけの一段譜」を用いる。 2,「クラシックとジャズとでは弾き方が違う」から奏法変更を迫られる。 3,「楽典」がクラシックとジャズとで違い過ぎて違和感がある。等々

勿論、全ての「ジャズ教室」がこうとは限りませんし、この方法が合う方も少なくありませんが、このやり方が「クラシック経験者」に寄り添ったものでも、またクラシック経験とは無関係に「ジャズピアノ習得」にベストとは限りません。

そこでお薦めしたいのが、「リー・エバンス・メソッド」による「ジャズピアノ習得」です!

僕が「リー・エバンス・メソッド」を「クラシック経験はあるがジャズ経験はない方」にお薦めするのは、僕が「リー・エバンス・ソサエティ」代表だからではありません。

実際は逆で、「クラシック経験者の経験や技能を100%活用できるジャズ・メソッドはないか?」と探した結果、「リー・エバンス」に行き着いた、という訳です。

なんて話はさて置き、なぜ「リー・エバンス・メソッド」が「クラシック経験者」に合うのか?といえば、下記のスタイルだからです。

リー・エバンス・メソッドの特徴;

1,ピアノ譜(一段譜でない)で学びます 2,クラシック同様の「正統的なピアノ奏法」で学びます(全ての楽譜には「指使い」が書かれています) 3,使えない「音楽理論」ではなく「音楽がどうやって作られているかという原理」を学びます。


では夫々の特徴についてお話しましょう。

ちなみに「クラシックピアノ経験者」という呼び方は面倒なので、以下「クラシックピアニスト」と書きますが、これはバイエル程度だろうが、音大ピアノ科卒でも関係なしで。

リー・エバンス・メソッドの特徴1:ピアノ譜(一段譜でない)で学びます


クラシックピアニストが一般の「ジャズピアノ教室」に入会された際に、最初に突き当たる違和感として、楽譜がト音記号とヘ音記号による「ピアノ譜」ではなく、メロディーとコードネームしか書かれていない日本では「一段譜」と呼ばれる楽譜を使う点があります。

勿論、「ジャズピアノを学び」最終目標として「一段譜」による編曲や即興を行いますが、「リー・エバンス・メソッド」においては当面は「ピアノ譜」を用います。

一段譜で即興できるのは「才能があるから」ではなく、「楽譜が読めない」か「技能を修得した」から

これはクラシックピアニストが勘違いされる部分で、よく言われるのが、「一段譜で即興演奏をする」には「才能が必要だ」との事ですが、実際は「単に楽譜が読めないから即興演奏をしている」だけです。

そもそも完全な楽譜を用いて演奏する音楽の方が、音楽全体では少数派で、むしろ「楽譜を読み書きできる」というのは特殊な「能力」だと言えます。

しかし「楽譜が読める」事を「才能」だ、というクラシックピアニストは皆無なのと同様、「一段譜や、それすらなしに即興演奏をする」事も「才能」ではなく、単に「能力」に過ぎません。

実は「リー・エバンス・メソッド」でも「必修」の一科目として「一段譜を使っての演奏」がありますが、それがメインではないのは、「一段譜を使っての演奏」自体が「大して重要ではない」からです。

また「目標」だと思われがちな「一段譜を使っての即興演奏」も、はっきり言って大したものではなく、精々「自動車の運転免許」取得程度の努力でできます。

「自動車免許を取得」して運転ができるからと言って特殊な「才能」がある訳ではなく、当たり前に学ぶべき事を学べば、誰でも免許が取得できます。

「一段譜での即興演奏」とは精々その程度の事に過ぎません。

勿論、「F1(世界的な)レーサーになる」というのは努力のみならず「才能」が必要ですが、これは「世界的なジャズピアニストになる」のも同様です。

逆にいえば「ジャズピアノが弾けるようになる」事自体は「自動車免許を取得する」よりは少し時間と努力が必要だ程度の「誰でもできる事」なのです。

即興演奏の差は「才能」ではなく、「即興以外の技能」の差

ちなみに「運転免許」を持っている人の運転技能には相当な差があります。その差はどこから出て来るのか?については僕は専門外なので判りませんが、「ジャズピアノが弾けるようになって=自動車免許を取得した」のみならず「ジャズピアノを綺麗に弾けるようになる=運転がうまい」については解ります。

つまり「運転が上手い=この場合、横に乗せて貰ってた祭に酔いにくいろ、という意味で」のは、「交通の流れに乗り、急停車や急発進をしない」とか「ハンドルやアクセル/ブレーキの操作が上手い」等が影響します。

実は「一段譜で即興できる」というのは、精々「道路標識が読める」とか「道を知っている」程度の能力に過ぎず、結果として「運転が上手い」に相当する「聴いていた心地好い演奏」となる為には「演奏技術」や「楽曲構成や楽曲分析」が大きくモノを言います

そして「演奏技術」や「楽曲構成/分析」のスキルを養う為には、「一段譜」ではなく、高品質な内容の編曲が為された「ピアノ譜」を正確に弾けるようになる事が極めて重要なのです。

「ピアノ譜」は「練習曲」と「楽曲」の二本立て

ところで「リー・エバンス・メソッド」で用いられる「ピアノ譜」ですが、「練習曲」と「楽曲」の二本立てとなります。

違いはリー・エバンス・オリジナルが「練習曲」で、リー・エバンス編曲によるスタンダート名曲等が「楽曲」となります。

ちなみに「練習曲」にも二系統あり、初級段階ではリー・エバンス作曲のジャズやブルース、ラテン形式の小品を学びます。

これはメカニカルな演奏技能と共に「ジャズのリズムがどういうものか」を理解し、具体的にそれを弾けるようになる事が練習目的となります。

中級になると同じく小品と共に、いわばチェルニーやハノンに相当する「メカニカル練習曲」が加わりますが、よくある「只管に分散和音を弾く」的なものではなく、リー・エバンスによる「ジャズフレーズ」の連結による小品になっています。

そして、これは「アドリブの練習」と共に「どうやってアドリブを造るのか」を学ぶための課題にもなっています。

中級以後は、そのまま「レストラン等の演奏」にも使える「ラウンジ・ジャズ・コレクション」を「楽曲」として学びます。

中級~は「ラウンジ・ジャズ・コレクション」でスタンダード名曲を学ぶ

「練習曲」と平行して学ぶ「ラウンジ・ジャズ・コレクション」はリー・エバンス編曲の真髄ともいえる「極上のジャズ」ですが、ソナチネ程度の方でも弾くことが可能です。但し、この編曲作品は、とても高度なハーモニー編曲が用いられており、その分析は「ジャズ能力」が必要です。

また「練習曲」と「ジャズのリズム感」等を理解し、練習する事で習得してからでないと、この「ラウンジ・ジャズ・コレクション」を本当に演奏する事は不可能です。

また「一段譜による即興演奏」ができるから、と言って、「ラウンジ・ジャズ・コレクション」のみならず「初級用の練習曲」そえ本来の形で弾ける訳でなく、クラシックやジャズ経験の有無とは無関係に、「リー・エバンス・メソッド」を基礎から学ぶことはとても有意義です。

(次回「2,クラシック同様の「正統的なピアノ奏法」で学びます、につづきます)

クラシックピアニストが挫折しないジャズメソッド=リー・エバンスによるレッスン
は大阪梅田と横浜で展開中!

お問合せは、大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon 音楽教室
講師 藤井一成 ℡(070)5438-5371 か下記ホームページからメールで
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クラシックピアノ経験がジャズを挫折する理由=方法が悪い [Lee Evans Society]

クラシックピアノ経験者が一「ジャズピアノ教室」で挫折する理由

「クラシックピアノ経験のある方」で「ジャズピアノを弾けるようになりたいな」と想う方は少なくない、と伺います。



まぁ殆どの方は「想うだけ」で行動しないようですが、中には思い切って巷の「ジャズピアノ教室」に入会される方もおられるようです。

尤も入会された方の大部分が挫折されたとの事。

ちなみに「クラシックピアノ経験者」と一口に言っても「バイエル修了」の方もおらられば、「音大ピアノ科卒」の方もおられますが、クラシックピアノ経験が長いほど、グレードが高い程、「ジャズピアノ習得」は挫折してしまう傾向にある、と言われています。



という訳で今日は「クラシックピアノ経験者がジャズ進出に挫折する理由」と共に、正に「クラシックピアノ経験者の為のジャズメソッド」である「リー・エバンス」ならば挫折しない理由をお話しましょう。



クラシックピアノ経験者にとって巷の「ジャズピアノ教室」は異質な世界です

「クラシックピアノ経験者」と言っても幅が広いのですが、とりあえず、ここでは「音大ピアノ科卒」の方、という事で「事実に基ずくストーリー」とやらを作ってみます。



クラシックはショパンやリストの難曲を弾きこなすが、「ジャズピアノ」は「弾けるようになりたいな」と思いつつ、切羽詰まって習得する必要もないので、卒業後三十年が過ぎた、なんて人は掃いて捨てる程いるようです。



そこで「五十(或いは六十)の手習い」として、或いは、若い世代の場合は、「レストランのピアノ奏者のアルバイト演奏をしたい」なんて理由で巷の「ジャズピアノ教室」に入会したりする訳ですね。



この「レストラんのピアノ奏者のアルバイト(仕事)」というのがクセ者でして、僕も18歳くらいから始めて三十年以上やっている訳ですが、要するに「ジャズピアノが弾けた」から仕事に恵まれた、のはご理解して頂けるかと思います。



逆にいえば「ジャズピアノが弾けない」と、クラシックならばプロ級の腕前なのに、いざ「レストランのピアノ奏者」に応募すると、ロクにピアノが弾けないアマチュア奏者と同等の扱いを受けてしまう事が多々あります。

要するに「ギャラが安い!」という下世話な話になってしまい悔しい思いをする訳ですが、
では「誰のギャラが高いのか?レストランのピアノ奏者としてブイブイ言わせれるのか?」
といえば、ピアノ自体は下手だけど「ジャズピアノ」としてプロっぽい人、という事になります。


そんな事情もあって「ジャズピアノ教室」に入会し、「無料体験レッスン」こそ楽しそうだったのに、いざレッスンを始めると、充実感がなく、何も学ばないまま辞めてしまう、という「お決まりのパターン」が「クラシック経験者」にはお起こるようです。



なぜ、こうなるのか?


クラシックピアノ経験者がジャズ教室で挫折する理由1,「楽譜がない」



「無料体験レッスン」では、愛想の良い先生(ちなみに僕は愛想が悪い)が、「ブルースの即興方法」と称し、いくつかの音を示し、それでテキトーに弾けば「ブルース」になりますよー、とか教えて下さったりします。



それで「これならばジャズピアノが弾けるようになりそう!」と入会された方は少なくないようです。
ところが、いざレッスンが始まると、ツマラナクてなってしまうんですね。



勿論、先生がウソを言ってる訳でも、「無料体験レッスン」の時だけ楽しい訳でもありませんが、「クラシックピアノ経験者」の方からすれば、どうにも「レッスンの勝手が違う!」と感じてしまう要因として「楽譜がない!」点をあげれます。


「楽譜がない」と言っても、全くない、なんてレッスンは例外的で、「メロディーとコードネーム(ちなみに、これは和製英語で、本来はコードシンボルといいます)lのみ」が書かれた、日本で「一段譜」と呼ばれる楽譜は貰えるようです。



なるほど「最終的には一段譜でジャズ即興演奏ができるようになる事」が目標ですが、生まれてこの方「一段譜」で演奏した事なぞないのが「クラシックピアノ経験者」の方は、戸惑ってしまいます。


コードネームすらよく分からないのに、一体、どうやって「一段譜」で演奏するのか?と悩みます。

そこで教室で知り合った人に尋ねると「CDの演奏をコピー(採譜)するか、市販の編曲楽譜を暗譜」して「一段譜で演奏しているフリ」をすればいい、との事。



結局、自宅にこもって「CDの演奏コピー」に挑戦する訳ですが、ふと気づけば、ピアノに向かうも、鍵盤を弾く時間が激減し、「ピアノが下手」になりそう。



或いは、親切な教室だと、「コードネーム」を理解する為の教材やら、更に親切な教室だと、あらかじめ「コードパターン」が書かれた教材なんぞもあり、訳が分からぬまま、観よう魅まぬで「なんちゃってジャズピアノ」が弾けるようになる場合があります。

だけども「なんちゃってジャズ」だと、モーッアルトやショパンを弾いてる時のような充実感が得られず、ツマラナクなってしまいます。

クラシックピアノ経験者がジャズ教室で挫折する理由2,「ピアノの弾き方が違う」


最近は減少傾向(笑)にありますが、それでも「ジャズとクラシックとでは、ピアノの弾き方が違う」と考える方は少なくありません。



そう考えるのは勝手として、困るのは「クラシックの弾き方はジャズは弾けないので、クラシック奏法を捨てて、ジャズ的奏法に変えろ」と迫る先生がいる事です。



そういえば「クラシック声楽家」の方が「ジャズボーカル」を習いに行くと、先生から「クラシックとジャズとでは発声が違う」というのは受け入れるとして、「酒とタバコで喉を潰して、ジャズ的な声になれ」なんて先生に迫られる事があります。


「クラシック経験」と言っても「バイエル程度」の方ならば、未練なく「クラシックの弾き方や歌い方」を捨ててしまうましょうが、音大卒等でショパンを弾きこなせるような方にとっては、「クラシックを捨ててジャズに転身する」というのは、なんともハードルが高い問題となります。


そんな事はできない!という訳で「ジャズピアノ(やボーカル)習得」を挫折してしまう訳ですね。



クラシックピアノ経験者がジャズ教室で挫折する理由3,「音楽理論が違い過ぎる」

これはクラシックとジャズの違い、というよりは、日本のクラシック界で用いられる「日本式のドイツ風楽典」と「日本式のアメリカ風楽典」があまりに違うので、戸惑ってしまう訳です。



よく「ジャズピアノを弾けるようになりたいのですが、やはり、コードネームとかから勉強すればいいのですか?」なんて質問を僕もよく受けますが、「ドイツ風楽典」にはなかった「コードネーム」から「アメリカ風楽典」では始まってしまう事が多いようです。



困るのは、ジャズ、クラシック双方の先生から「ジャズとクラシックとでは、弾き方も理論も違う」から「両立は無理」、どちらかとしろ、と迫られる事。



「クラシックには未練がない、この際、ジャズに転身したい!」なんて人もおられますが、クラシック経験が長い「音大ピアノ科卒」の方にすれば、「クラシックを捨ててジャズに転身」は、とてつもなく大変なハードルです。


結局、「楽譜がない」「弾き方が違う」「理論も違う」と違う事だらけで、いわば「性格の不一致で離婚(笑)」するがごとく、「ジャズピアノ」を挫折してしまう、というのが、よく聞く話です。



リー・エバンス・メソッドならば、「ジャズを学んだ事」で「クラシックピアノも上達」可能



では僕が「リー・エバンス・ソサエティ」主宰として、普及活動に勤しむニューヨークの教育家リー・エバンス教授による「リー・エバンス・メソッド」の場合はどうか?



これは結論からいえば、ハードルが高い「クラシックからジャズへの転身」自体が不要です。


むしろ「リー・エバンス・メソッド」で「ジャズ」を学ぶ事で、バッハやショパン、ドビュッシーといった「クラシックピアノ」の演奏技術も、或いは音楽理論の知識も向上します。



それは「リー・エバンス・メソッド」が「クラシック風ジャズ」だからでも、逆に「ジャズ風クラシック」だからでもなく、正に「本物のジャズメソッド」であり、つまり「正しい演奏技術と深い音楽理論」で学ぶからです。



前述のの「挫折する理由」で説明すれば、「リー・エバンス・メソッド」の場合、



1,ピアノ譜(一段譜でない)で学びます 2、クラシック同様の「正統的なピアノ奏法」で学びます(全ての楽譜には「指使い」あり) 3、使えない「音楽理論」ではなく、「使える理論=音楽がどうやって作られているか、という原理」を学びます。


という訳で、次回「クラシックピアノ経験者が挫折しない(笑)リー・エバンス・メソッドによるジャズピアノ習得」についてお話します。

つづく

クラシックピアニストの為のジャズレッスン 大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon音楽教室、Lee Evans Society of Japan 代表 藤井一成

レッスン等のご相談は電話(070)5438-5371 http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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子供にジャズピアノを習わせる事の是非 [Lee Evans Society]

そもそも「子供」がジャズを学ぶ必要があるのか?

僕が主宰する「リー・エバンス・ソサエティ」は米国の教育家リー・エバンス教授の「ジャズピアノ・メソッド」の普及活動をしています。

このメソッド「リー・エバンス」は様々な方を対象とし、その中には中学生以下の「子供」も含まれます。

ちなみに「子供」として幼児も中学生も一緒にするのは変かも知れませんが、そもそも「ジャズに関心がない」年齢層である、という点で同じなので、ここでは「子供=Kids〜ジュニア」という図式でお話します。

高校生以上の「大人」の場合、「どうやってジャズを学ぶのか?」という「メソッドの内容」が大切ですが、「子供」の場合は、それ以前に「そもそも子供がジャズを学ぶ必要があるのか?」という事から考えなくてはなりません。

「子供」は必ずしも「ジャズ」を学ぶ必要はない!

結論から言えば、「子供」は必ずしも「ジャズ」を学ぶ必要はない、と僕は思います。

「リー・エバンス・ソサエティ」の「目標」は確かに「リー・エバンス・メソッドの普及」ですが、そもそも普及させる「目的」は「ピアノ教室のレッスン環境を良くする」事にある訳でして、誰彼関係なく普及させたい訳ではないのです。

つまり「クラシック」をしっかり学べば、いわば「ジャズピアノの基礎」の半分位は形成される訳で、「大人」になってから「ジャズピアノ」を始める際の手助けとなります。

実際の所、僕の教室に来られる「大人」の音楽経験は次のパターンとなります。

1,クラシックは弾けるが、ジャズは未経験 2,ジャズを耳コピ等で我流で弾けるが、クラシック経験はない 3.クラシック経験もジャズ経験もある 4,ピアノ経験もジャズ経験もない

正直言って、教える立場として一番「楽」なのは「3・ クラシック経験もジャズ経験もある」ですが、そういう人は少数。

「1・クラシックは弾けるが、ジャズは未経験」も結構「楽」ですね。

この場合「弾ける」というのは「ソナタ以上」という意味ですけど、要するに「クラシックで培った演奏技能をジャズに流用させる方法」を僕は持っているから、要するに「ジャズ的な事」のみ教えれば済むので「楽」。

逆に2のように「ジャズ経験はあるがクラシック経験はない」という方の場合、下手すると「ピアノの弾き方」が滅茶苦茶だったり、そもそも殆ど弾けなかったりする訳で、「ピアノの弾き方」についての時間を割く事になります、

その場合に最強の武器が、実は「リー・エバンス・メソッド」なんですね。

滅茶苦茶だった指や手の運びを教えてくれるし、弾き方が滅茶苦茶という事は、「リズム感」も100%変な筈だから、徹底的な「ピアノの弾き方」を直します。

ちなみに僕の教室では、「リー・エバンス・メソッド」つまり「ジャズピアノ・スタイルの練習曲」他で「ピアノの弾き方」を直しますが、教室によっては「クラシックピアノ」を習わす講師も少なくないようです。

「クラシックピアノ」を学ことは確かに良い事ですが、「大人」とくに社会人や主婦の場合は、「ジャズピアノ」という目標からすれば遠回り過ぎるので、一石二鳥で「ピアノ」も「ジャズ」も学べる「リー・エバンス・メソッド」をお薦めしています。

「4、ピアノ経験もジャズ経験もない方」についても同じ。

また「リー・エバンス・メソッド」で「ピアノ」を学べば、いつのまにか、いざ「クラシック」の楽譜を広げても、バッハなりシューマンなり、弾けるようになっています。

という事ですが、これは、あくまで「大人」の話であり、「子供」は「クラシック」を優先した方が良いと僕は考えています。


より「親しみにくい」ものから親しむ事の重要性


「大人」の場合、目標が「ジャズピアノ」ならば、最初から「リー・エバンス・メソッド=ジャズ」で「ピアノの弾き方」と「ジャズの方法」を学ぶ方が効率的です。

しかし「子供」の場合、「ジャズピアノ」でスタートする事をお薦めしないのは、そのまま「クラシック」に関心を持たない大人になる可能性が生じるからです。

僕の場合は、「クラシック出身」と言える立場ではありませんが、学歴はクラシック系音大卒であり、子供の頃からクラシックが好きで、ずっと「クラシックピアノ」を習っていた事も事実です。

勿論、「子供」であっても「ジャズピアノ」から入り、「クラシック」に目覚める事もありますが、多分、プロアマのジャズピアノ奏者になるか、挫折しポップスに行くのではないかと想像します。

勿論、ポップスをプロアマ・ミュージシャンとして楽しむ人生が間違っている、とは言えませんし、今時のポップスは複雑な「ジャズ理論」が導入されており、「ジャズ」が「ポップスの基礎」になっているようです。

というか「ジャズが基礎になっているポップス」と「そうでないポップス」の2種類に分けられるようです。

そんな「ジャズ」についても「クラシックの基礎」が「あるヒト」と「無い人」に分かれ、無いからダメという事はないにせよ、やはり「あるヒト」の方が演奏の幅が広い。

つまり、これから人生が始まる「子供」の場合、将来、ジャズをやるにせよ、ポップスをやるにせよ、「基礎」になるのだから「クラシック」から入った方が良い、という訳ですね。

或る意味、「ジャズ」とポップスやロック等の「ポピュラー音楽」は、ドラムやベースが編成の中核を成している、という点では似ています。

「ジャズピアノ」の演奏なり、リスナー(自分では弾けないが聴くヒト)の場合、ドラムやベースなしの「ソロピアノ」を聴きたい事もあれば、ピアノとベースのデュオを聴きたい場合もありますが、基本的にはペースやドラムが入っている方が、演奏し易いし、聴きやすい。

そういう意味では「クラシック」は「ポピュラー」と、少し遠い訳ですが、だからこそ、子供は「クラシック」から入るべきなのは、或る意味「難しい」音楽といえる「クラシック」に慣れてしまえば、後が「楽」とも言えましょう。


だけども「子供」がジャズを学べば良い、とも言える理由

なんだか「子供はジャズなんぞ学ばなくてもいい!と力説しているみたいになりましたが、では「子供はジャズを学んではいけないのか?」といえば、そんな事は全くありません!

僕のお薦めは「クラシックとジャズの同時習得」

子供に「クラシック」を親しませる事は、他の音楽をやるにせよ、やらないにせよ、技術的にも情操教育の観点からもとても良い事です。

では「子供にジャズをやらせる理由」は何かといえば、これも実はクラシックと同じなのですね。

例えばテレビ等に登場する音楽は、やはりポップスが最も多い訳ですが、その次にはクラシックが多く、狭義の「ジャズ」は滅多に出てこない。

対してバーに入ると「ジャズ」がBGMとして流れているのが普通で、「大人」は「ジャズ」に触れる機会はまあまああります。音楽には関心がなく、まして「ジャズ」には全く関心がなくても、バーやレストランのBGMとして「ジャズ」が流れているからと言って怒る人はいません。

音楽やピアノに関心があるヒトだと、その自分でも「ジャズピアノを弾きたい」と想い、それこそ僕の教室に入会されたりしますが、そういうヒトというのはジャズピアニストの名前なんて一人も知らない、というのが普通。むしろ「ジャズピアノを習い始めたから、始めて意識してジャズピアノのCDを聴いた」という所。

これは「大人」だから可能なシチュエーションであり、「子供」はバーなんか行かないないですし、そもそも子供が行くような場所には「ジャズ」なんて流れていませんから、「子供」と「ジャズ」の接点は滅多にありません。

そもそも、別な所にも書きましたが、「子供」に「大人向けのジャズ」なんぞ聴かせる必要はありません。

ちなみに、この場合の「ジャズ」とは「1950〜60年代のモダンジャズ」を意味しますが、僕自身、基本的には「モダンジャズ」のヒトだから解りますが、「モダンジャズ」というのは、子供には有害(?)な、ネガティブな感情や性的な表現も含まれています。

だから「大人」には、どうって事はありませんが、「子供」には相応しくない訳ですが、但し「ジャズ」全体を見渡しますと、「子供にも聴かせてあげたい」ジャズは存在します。

子供向きではないジャズと、子供にも聴かせたいジャズを見極めて

大雑把にいえば1940年代以前の「スウィングジャズ」や1920年代のガーシュインやJPジョンソン等のニューヨーク・ジャズ、或いはサッチモ(ルイ・アームストロング)のような「ニューオリンズ・ジャズ」、更に古い「ラグタイム」等。

まぁ、本当はジャズに限らずクラシックを含め、殆どの音楽にも「ネガティブ」な感情は含まれますが、これらのジャズは「ネガティブ」がさほど表層化してないので「子供」にも安心して聞かせられます。

加えて「リー・エバンス」にせよ、「ギロック」や「ラーニング・トゥ・プレイ」にせよ、「ジャズ」ながら「子供の情操教育」を想定し、「健康的」な表現を持ちます。

蛇足ながら、「大人」が弾いても「子供っぽくて幼稚だ」とは感じないのは、よく出来た「童話」のように「大人も楽しめる」質だからです。

という訳で「子供も楽しめるジャズ」が存在する事と、欧米の教材は「子供の健全な情操教育」を前提に作曲されていますから、「子供にお薦め」できます。

但し、あくまで「クラシック」と併用して頂きたいのは、「クラシック音楽への関心を持つ」機会を子供に与えて欲しいからです。


ポップス等を聴く際の「耳」を育成できる

「子供にジャズを学ばせる」もう一つの意義として、「ポビュラー音楽全般に対しての審美眼」を養う事が出来る事があげられます。

つまり、やおよろずの「ポビュラー音楽」にあって、「良い音楽」と「悪い音楽」を聞き分ける「感性」を持てる、という訳です。

勿論、音楽の「良い」「悪い」は主観的なもので、僕が勝手に「悪い音楽」に指定すると激怒(笑)される大勢の方がおられますが、それでも敢えて分けてしまいます。

基本的には「日本のアイドル」音楽は「悪い」。

J-Popも大部分は「くだらない」。

僕の世代だと、1970年代の日本のフォークやロックを「名曲」だなんて言うヒトは少なくありませんが、殆どは「正規の音楽教育」なしのアマチュアが思い込みで作曲したり演奏したりしていますが、しかし、観客とは連携できるので、物凄いレコードセールスを上げ、多くの人に「愛された」事も事実です。

しかし、僕の価値観では、やはり「音楽」というものは知識や技術の修練で作り上げるものであって、要するにクラシックやジャズのような「高度の音楽技法」を駆使できないものはダメだ、と思う訳ですよ。

この場合の「音楽技法」というのは、「西洋音楽」とも言えますが、例えば19世紀のロシアを観れば、チャイコフスキーに始まり、ラフマニノフ、ストランビンスキー、ハチャトリアン等は「ロシア的な雰囲気」は持ちつつ、技術や知識は「ドイツ音楽」に根ざします。

或いは「ロシア5人組」と呼ばれたムソグルスキーやリムスキー・コルサコフは、「反西洋」を掲げ、そもそも専業の作曲家だった事もありませんが、実際にはドイツ音楽の技法や知識が根底にあります。

だから大編成のオーケストラ曲を作曲できた訳で、楽譜もロクに書けず、ギターを鳴らしながら、適当に歌い、それを録音してできた、という感じの「1970年代のフォークの名曲」とは全く違う「高度な音楽」です。

蛇足ながら、僕は嫌いですけど、こうしたフォークやニュー・ミュージック〜J-Popsがダメかといえば、これはこれで「民俗音楽」としての価値はある筈です。

「民俗音楽」というのは「民族音楽」とも書けますが、要するに「民謡」。

僕が基本的にJ-Popが嫌いなのは、雰囲気こそ今風だけど、実質的には「民謡」を現代化しただけ、という感じなのと、そもそも僕は純血の日本人だけど、「日本の民謡」が苦手なんです。

「民俗=民族音楽」は嫌いだけど、「雅楽」のような洗練された「伝統芸術」は好き。
或いは「民謡」でもプロフェッショナルな技術の修練を経て「芸術」の域に達したものは「良い音楽」だと言えます。

「なに、上から目線で威張っているのか」と言われれば、それまでですが、僕としては嫌いなものは嫌い。勿論、日本人としての感性を失ってはダメです。

しかし「方法」としては「民俗」ではダメで、インターナショナルに「西洋音楽」つまりはクラシックやジャズを「基礎」として構築できないものは「低俗」なものとして退けてしまう「勇気」も必要だと思います。

日本の歌謡曲については、昭和の時代に活躍した服部良一等、クラシックやジャズをしっかり学び、それを歌謡曲として「良い曲」を沢山作った派閥もありますが、昭和40年代頃むから、前述の「楽譜もろくに読めない輩」が造った「昭和の民俗音楽(フォークやニュー・ミュージック)」にとってかわったのは、日本の文化発展の観点から大変残念な事だと思います。

そういう観点で、「子供」が「クラシック」と共に「ジャズ」を学ぶと、「ポピュラー音楽」全般から「低俗」なものと「良い音楽」を見分ける審美眼が培われる訳です。

これこそが「子供がジャズを学ぶべき理由」と言えましょう。

次回「クラシックピアノ経験者の為のジャズ入門」につづく

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon音楽教室主宰 藤井一成
リー・エバンス・メソッドによるレッスンと指導者養成
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ニューオリンズ派ギロック vs NY派リー・エバンス どちらが良い? [Lee Evans Society]

リー・エバンス・メソッドが合う人、合わない人


僕が主宰を務める「リー・エバンス・ソサエティ」は米国の教育家リー・エバンス教授による「ジャズピアノ・メソッド」の普及が活動目標です。

だから出来るだけ多くの方に「リー・エバンス・メソッド」を知って〜使って欲しい、とは思いますが、「リー・エバンス・メソッド」が合う人合わない人がいます。

リーエバンスメソッドが合わない人のパターンとして、 「ジャズに興味がない人」

当然ですよね。

もう一つが「ラグタイムやニューオリンズジャズが好きな人」

これはチョット説明が必要ですね。

ジャズの「時代スタイル」のお話

「ジャズ」と一言に言っても色々なスタイルがありますが、大きな区分として「時代」があります。

クラシックでも「バロック〜古典〜ロマン~近現代」という具合に「時代区分」があるようにジャズでも1920年代から始まって1970年代頃迄、十年単位でスタイルが変化します。

1980年代以後はどうなっているのか?と言えば、実は「進化」が止まってしまい、2020年代の現在も「主流派」と呼ばれるのは「1960年代のモードジャズ」や「1950年代のハードバップ」。

勿論、「新しいスタイル」への革新を続けた人も少数ながらいますが、1970年代頃で「ジャズの進化」は一応止まり、むしろ過去のスタイルの「深化」を追求する、という方向に主流が変わっています。

これはファッションも同じで、例えば1930年代と1950年代ではスタイルが相当違う、「進化」した訳で、1970年代頃にはレーヨン等の化学繊維や「新しいスタイル」が色々と登場しました。

僕が子供の頃、つまり1970年代の小学生や中学生が描く「2020年代」なんてのは、正に「進化」が極まり、皆、宇宙服みたいな服を着て、食事は錠剤みたいなもので済ませ、音楽は宇宙音みたいな電子音になっている、と信じていた訳ですね。

ジャズの進化は1970年代で止まり、1980年代以後は過去のジャズの深化を目指す

実際は1980年代頃から「過去のスタイルへの回帰」が始まり、現在に至っても例えばメンズスーツなんかは1950年代頃のスタイルが基になっています。

話を戻せば、「ジャズ」は「時代区分」で色々なスタイルがある訳ですが、「リー・エバンス・メソッド」はリー・エバンス先生ご自身が「1960年代にデビューしたジャズピアニスト」という事もあり、「中上級用」の「ラウンジ・ジャズ・コレクション」は「1960~70年代のジャズ」スタイルになっています。

「ジャズの基礎」として1920~30年代スタイルを学ぶ

但し、それは「ラウンジ・ジャズ・コレクション」自体が、「リー・エバンス先生の音楽表現」としての編曲集だからであり、中級以下の「ピアノ教本」等については異なります。

「ピアノ教本」等はあくまで「教育」目的の「教材」であり、「ジャズの基礎」を学ぶ事にあります。

ちなみに「ジャズの基礎」として日本では「1950〜60年代のジャズ」レコードの名盤を易しく編曲したものを弾かせる事が多いようです。

つまりクラシックでいえばショパンの「革命のエチュード」はカッコイイから弾きたい人が多いが、初心者には無理なので「易しく編曲」した版を弾かせてしまう、というのと同じ。

勿論、そんな事は全く無意味!

クラシックでいえば「将来はショパンを弾く」にせよ、初心者の間は、始めから初心者向きに作曲されたバッハやベートーヴェン等の「バロック〜古典派」の小品を沢山弾かせる事が最も効果的。

同じようにリー・エバンス先生に限らず、欧米のジャズ教育家は考える訳で、「モダンジャズ(いわばロマン派スタイル)の基礎」は「なんちゃってジャズ」ではなく、クラシックの「バロック」や「古典派」に相当する「1920~30年代の初期ジャズ」とします。

適当な言葉がないので「初期ジャズ」と呼ばれていますが、この中には1920年代以前の、19世紀末に造られた「ラグタイム」も含まれます。

1920年代にジャズの王様と呼ばれたガーシュインは「ジャズミュージシャン」ではない

また1920年代といえば、クラシックしか興味がない方でもご存知かと思われるジョージ・ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」が初演された時代ですが、当時、ガーシュインは「ジャズの王様」と呼ばれていました。

かと言って、実はこの時代には「ジャズ」という音楽ジャンルは存在せず、「ジャズ」は、例えば昭和や平成に相当する「ジャズ時代」ともいうべき、「文化風俗全般」を現わす「時代区分」の名称でした。

つまり「ジャズ時代」の文化や雰囲気を代表する音楽家がガーシュインだった、という訳ですが、逆にいえば、1920年代には、今日「ジャズ」と呼ばれる音楽スタイルが何種類かありました。

詳しい話は別の機会にするとして、大雑把にいえば二種類、つまり「南部発祥のニューオリンズジャズ」と「北部発祥のニューヨークジャズ」です。

南部ジャズと北部ジャズという二つの流れ

「ニューオリンズ・ジャズ」といえば、サッチモことトランぺッターのルイ・アームストロングが有名で、ヒット曲「聖者の行進」は誰でも知っている音楽ですね。

或いはピアノ発表会に必ずと言って登場する曲「エンターテイナー」の作曲者であるスコット・ジョプリンも南部出身です。

これも大雑把な話になりますが、「ジャズ」の源流(先祖)である「ラグタイム」や「ブルース」等は南部発祥であり、後年の1920年代に、それらが合流した「ニューオリンズ・ジャズ」は南部出身の黒人達が、南部不況の為に移住した米国中部の都市シカゴで造られました。

いわば博多出身の方が大阪でラーメン店を開業したも「大阪ラーメン」ではなく「博多ラーメン」になるのと同様、「シカゴ・ジャズ」ではなく「ニューオリンズ・ジャズ」を名乗る訳ですが、サッチモ(ルイ・アームストロング)より一世代古い、サッチモの師匠であるキング・オリバーやピアニストのジェリー・ロール・モートン達が「ジャズを造った」と言えましょう。

南部ジャズの模倣から始まった北部ジャズ

対して北部ニューヨークの状況はどうだったのか?といえば、実は「ジャズ」は
なく、黒人音楽家は存在したもののブルースもジャズも演奏できなかった、という塩梅でした。

とはいえサッチモ等の「ニューオリンズ・ジャズ」がニューヨークに伝わり人気が爆発するに連れ、北部のミュージシャンは黒人、白人問わず、「ジャズ」スタイルで演奏するようになりました。

黒人では1930年代に登場するデューク・エリントンが有名ですが、少し前の1920年代に、スコット・ジョプリンの「ラグタイム」をハーモニーや構成を複雑化し、超絶技法のピアノ演奏を加えた「ストライドピアノ」と呼ばれるスタイルも注目を浴びました。

南部「ニューオリンズ・ジャズ」の創成者にしてピアニストであるジェリー・ロール・モートンは「技巧派ピアニスト」としても有名で、後の映画「海の上のピアニスト」で、主人公のライバル(?)として登場しますが、そんなジェリー・ロール・モートンが、実はニューヨークでは成功できませんでした。

つまりクラシックピアノ教育を受け、ショパンやリストの難曲を弾きこなしたニューヨークの黒人ピアニストやガーシュインのような白人ピアニストの「超絶技法」の前では、当時の観客にとってはモートンも色あせて見えた訳です。

https://youtu.be/ySQ8cA4a-f8?si=d1DyMaRd7XkrRdgL

ニューオリンズ=大阪風味、ニューヨーク=東京風味の闘い(?)

当時、南北でジャズ対立していた訳ではありませんが、いわば「天ぷらの味、関東VS関西」があり、結果としてローカルな南部は、組織的に音楽商業として発展した北部ニューヨークジャズに負けてしまいます。

だから「ジャズ=ニューヨーク」という図式になった訳ですが、今の時代になると、案外「ニューオリンズ・ジャズの味わい」は多くのファンを持ちます。

モダンジャズ・ファンはニューオリンズ・ジャズを聴かない

日本では「ジャズファン=1950〜60年代のモダンジャズのファン」を差しますが、おかしなもので「モダンジャズのファン」は「1920年代のニューオリンズ・ジャズ」には興味がない方が大多数です。

逆に「1920年代のニューオリンズ・ジャズのファン」は「1950〜60年代のモダンジャズ」に否定的な方が少なくありません。

いわば「天ぷらの味、関東VS関西」みたいなもので、「両方とも好き」という方よりも、どちらかしか認めない、という方の方が多いのと似ています。

蛇足ながら、僕は大阪人なので、天ぷら、うなぎ、うどん等は関西式でないと満足できませんが、それも蛇足ですが、蕎麦は勿論、パスタやパンは関東の方が美味しいと思います。

リー・エバンス=ニューヨーク、ギロック=ニューオリンズ、それぞれ良い

話が長くなりましたが、「リー・エバンス・メソッド」に話を戻しますと、リー・エバンス先生はニューヨーク生まれ、という事もあり、本人が意識しようがしまいが、やはり「ニューヨークの音」がします。

つまり「ジャズの基礎」である「1920~30年代の初期ジャズ」も、リー・エバンス先生の場合、どうしても「ニューヨーク・スタイル」つまり「ストライドピアノ」のJPジョンソンやファッツ・ウォーラー、「ジャズ」のガーシュインやデューク・エリントンのスタイルになります。

それで文句を言う方はいない筈ですが、「ニューオリンズ・ジャズ」が好きな方にとってはベストとは言えない筈です。

ニューオリンズ・ジャズのギロック、ニューヨーク・ジャズのリー・エバンス

結論からいいますと、僕の教室でも、「ニューオリンズ・ジャズが好き!」とか「ニューオリンズ・ジャズを弾けるようになりたい!」という方には、「リー・エバンス」ではなく「ギロック系」をお薦めしています。

「ギロック系」はウィリアム・ギロック先生以下、お弟子さんのキャサリン・ロリンさんやグレンダ・オースティンさん等、実際に「南部出身」であり、自然と「ニューオリンズ・ジャズ」が造られます。

いわば大阪人の僕が喋ると、自然と「大阪弁」になるのと同じ事ですね。

ちなみに僕の教室では、「ギロック系」ながら、お弟子さんではない「マーサ・ミアー」の国内未発売(一部のみ発売済み)の教材を使っています。

逆に「ニューオリンズ・ジャズ」に特に思い入れがない方には、僕の教室もですが、「リー・エバンス」をお薦めするのは、「ニューヨーク・スタイル」、つまり「その後のジャズ主流の源流」だから良い、という事もありますが、敢えて言えば「ジャズ・メソッド」として、「リー・エバンス」が優れているからです。

という訳で、
「ジャズに興味がない方」 「ニューオリンズ・ジャズの方が好き」という方 以外にお薦めできるのが「リー・エバンス」です

おっと、今日は「子供のジャズ=リー・エバンス・メソッドを中学生以下のKids~ジュニアが使う場合」についてお話するつもりでしたが、「ニューオリンズ・ジャズとニューヨーク・ジャズ」のお話になってしまいました。

次回は「子供のジャズ」についてお話します!

リー・エバンス・ソサエティ主宰藤井一成

藤井の教室は大阪梅田Kimball Piano Salon
リーエバンスメソッドによるレッスンは大阪と横浜で展開中!
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon











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