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ブルースとゴスペル、ラグタイムの関係 [独断による音楽史]

こんにちは。クラシックとジャズのピアノが学べるメソッドとして「リー・エバンス」と共に「ギロック」や「バスティン」等についてお話している所でした。

日本では「ジャズ=モダンジャズ」だが、だからと言って「なんちゃってジャズ」はダメ

何度も書いていますが、日本では「ジャズ=1950〜60年代のモダンジャズのセッション」という固定観念があります。

だから多くの「ジャズピアノ教室」では「初歩用教材」として「ウィントン・ケリー/枯葉」や「ビル・エバンス/ワルツ・フォー・デビュー」みたいな「モダンジャズのピアノ名演奏」を、適当に編曲した「なんちゃってジャズ」的教材を用います。

対して欧米では、そもそも「ジャズ」は「モダンジャズ」とは限らず、一昔古い「スウィング・ジャズ」や更に古い「ニューオリンズ・ジャズ」も含まれます。

また「ジャズ教育の場」では「初歩用教材」として日本によくある「なんちゃってモダンジャズ」ではなく、古い時代のジャズや、ジャズ以前の音楽である「ラグタイム」や「ブルース」等を学ぶ事が「基礎」だという考え方が広くあります。

「ジャズの基礎」=「1920年代の初期ジャズとジャズ源流」が世界の標準

そんな訳で、「ギロック」も「リー・エバンス」「バスティン」も「なんちゃってジャズ」ではなく、欧米での「ジャズ教育」での「初級用」としては、1920年代頃の「初期ジャズ」やそれ以前の「ジャズの源流」を学びます。

但し、「南部/ニューオリンズジャズのギロック」と「北部ニューヨークジャズのリー・エバンス」ではスタイルが異なります。

本来、米国大手レコード会社のディレクターや編曲家、スタジオミュージシャンだったリー・エバンス先生の場合、最終的に先生ご自身の音楽スタイルである「1960~70年代のイージーリスニング・ジャズ」にたどり着くに対し、教育専業のギロック先生やお弟子さん達は「1920年代のニューオリンズジャズ」に留まるか、今風の「ヒーリング音楽」に傾きます。

僕自身は、なんやかんや言っても「モダンジャズ」が自分の音楽基盤になっているので、敢えて「リー・エバンス」と「ギロック」を二者択一すれば「1920年代ジャズから始まって、やがて1960年代のモダンジャズにたどり着くリー・エバンス」を選択します。

しかし、「南部ジャズ」が北上して「北部ジャズ」を作った訳で、「南部ジャズ」の「ギロック」を学ぶことは、より「源流」=「ジャズの基礎」に遡っている、と言えるでしょう。また「南部ジャズとその源流」である「ニューオリンズジャズ」「ラグタイム」「ブルース」のみ習得できれば、それだけで充分「楽しい音楽ライフ」が得られます。

という訳で前置きが長くなりましたが、今回も「ギロック」の「南部ジャズ」について突っ込んでお話します。


ジャズの源流=「ブルース」「ラグタイム」「マーチ」「ゴスペル」

前回は「ブルース」にまつわる通説である「ブルースは奴隷であった黒人が、綿摘み作業の苦しみによって作り上げた」を否定すると共に、「ブルース」の発祥は、奴隷解放後の「黒人向け酒場」のエンタティメントとして始まった、という事をお話しました。

南北戦争に南軍が敗北した事で、全米で「奴隷解放令」が発令され、それまで「奴隷」だった人達が「解放」された訳ですが、実際には相変わらず農園や女中として働くせよ、進出したきた北部資本の工場で働くにせよ、「賃金労働者」とは名ばかりの扱いだったようです。

それでも以前に比べれば「人権」がある程度は保障されたり、能力があれば「賃金労働」で稼げた訳で、遥かにマシな生活になった事で、解放された「元奴隷」黒人用の商店や酒場が作られました。

酒場と言っても、現在の感覚のバーや居酒屋ではなく、食事もできれば、酒も飲める、生活用品も売られている、或いは売春目当ての女性も集まる、という雑多な空間だった筈で、そこでの歌われた音楽がやがて発展し、職業ミュージシャンによって演奏され、歌われたのが「ブルース」です。

当初は「ブルース」に定まった形式はありませんでしたが、「向こうの店でウケた」フレーズやコード進行なぞが伝わり、やがて「ブルース」形式が定まりましたが、歌詞については「誰かが作詞した」のを歌う、というよりは、即興或いは事前に用意した歌詞を歌う、という感じ。

つまり日本の「俳句」や「連歌」のようなもので、だった訳で、他愛ない恋愛話もあれば、生活や労働の苦しさ、政治批判等なんでも歌い、昔の「お笑いの吉本」のような猥雑な雰囲気で、ヤジられたり、共感されたりした筈です。

ここで認識するべきは、全ての「解放された黒人」が酒場で「ブルース」を歌ったり、聴いて楽しんだりした訳ではない、という点です。

「酒場に行くほどの収入がなかった」という経済事情はさて置き、積極的な理由から「ブルースの酒場」に行かなかった黒人がいます。

大雑把に言えば、「ゴスペル」や「ラグタイム」に親しむ黒人は「ブルース」とは距離を置きました。

今でこそ、「ギロック」が「健康的な音楽」の一つとして「ブルース」曲を教材に含めていますが、当時は白人は元から、黒人全てに受け入れられた訳ではありませんでした。


「ブルース」と対立(?)した「ゴスペル」や「ラグタイム」


日本では一人の歌手が躊躇いなく「ブルース」と「ゴスペル」の両方を歌いますが、これは「ブルース」「ゴスペル」の意義を理解していなから、という理由もありますが、かの淡谷のり子氏の「ブルース」の如く、「ブルース」が本来とは離れて日本に普及した、という経緯も無関係ではありません。

また前述の如く、白人中産階級であるギロック先生以下が「ブルース」を作曲するのは、「ブルース」が「黒人の喜怒哀楽を現わす流行歌」という在り方を離れ、「米国の音楽形式の一つ」に変化しているからでしょう。

とは言え、実際に「ゴスペル歌手」が「ブルース」を歌う事はないようです。

というのは大雑把に言えば「ゴスペル」とは前述のように「キリスト教プロテスタントの福音派(ゴスペル)教会の宗教音楽」であるのに対し、「ブルース」は良くて「世俗音楽」下手すると「キリスト教を否定した生き方のメッセージ」であったからです。

また「ラグタイム」については、これも大雑把にいえば「奴隷」ではなかった黒人を中心に生まれた音楽であり、キリスト教を否定も賛美もしないが、「ブルース」とは「人種」が違う、という立場でした。

次回に続く

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon音楽教室講師 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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ブルースは綿花労働の苦しみを歌った説はウソ [独断による音楽史]

「ピアノ入門~中級」用メソッドとして大人気の「ギロック」のジャズである「ニューオリンズ」スタイルについてお話している所でした。

前回のお話は、「ギロック・ジャズ」の原典である「ニューオリンズ・ジャズ」の発祥は、ニューオリンズではなく、「ニューオリンズの黒人ミュージシャンが中西部の都市シカゴに移住」して生まれた事。

シカゴ移住以前は相いれなかった「ブルース」「ラグタイム」「マーチバンド」の音楽或いはミュージシャンが、シカゴでは交流して生まれたのが「ニューオリンズ・ジャズ」である事。

「ブルース」とは「黒人奴隷が綿花畑での労働の苦しみを歌った」という通説はウソであり、実際には、南北戦争後、解放され、賃金労働者になって元黒人奴隷体達が集まる「酒場」で歌われた「他愛のない男女の恋愛話し」から「政治的な話」等の歌が元になっている事。

また「ブルース」という音楽形式と、職業ミュージシャンとしてブルース奏者が確立されたのは、「吉本芸人」のような部隊経験の積み重ねによってでした。

また、今日「ブルースのフレーズや音感」として認識されるものの大多数は、黒人のみならず白人も含め「職業ミュージシャン」による定型化と洗練を経ており、端的にはジャズ同様「クラシック音楽の一種」と言える程の「西洋音楽化」がなされたからこそ、日本人も真似できる訳です。

とはいえ、「米国黒人」の存在なしに、「ブルース」は生まれなかった事は確かですが、問題は「米国黒人とは何か?」についての理解が、日本人は元より、米国人自身にも乏しい、という点にあります。

アフリカ系米国人は「一つの人種」ではない、からこそ、ブルースやジャズが生まれた

僕達日本人が、欧米に住んだ場合に困惑するのは「日本人」という立場よりも「アジア人」という「人種」にまとめられてしまう点でしょう。

日本人と、韓国人と、中国人としでは、言語も違えば、文化も違いますが、一緒くたにされてしまい困るのは、例えばパーティーで、朝鮮語や中国語でスピーチされてもチンプンカンプンであり、或いは「歓迎」の意味で韓国朝鮮の伝統音楽を聴かされても、特に嬉しいとは思わない等です。

同じように「アフリカ人」と一括りにしても、部族が異なれば、日本語と中国語くらい異なるから、互いに会話は不可能であり、「アフリカ音楽」と言っても、言語同様に異なるから、一緒に歌う、という事は不可能だそうです。

蛇足ながら、僕は数年ほど台湾に住んでいた経験から、僅かに中国語が話せるのと、「香港ポップス」にも関わったから、その頃の「香港ポップス」には割合に詳しい訳ですが、逆に日本の歌謡曲やポップス、アニメや映画等は、台湾、韓国、中国、フィリピン等に進出し、親しまれているそうです。

僕は興味はありませんが「韓国ポップス」は日本にも熱心なファンがいると聞きます。まぁ、その原型は「日本のポップス」ではないか、という話はさて置き、本来は異なる文化圏であった「アジア」も、次第に交流し、特にインターネットの普及により、「文化の融合」が行われています。

僕の子供の頃(1970年代)は、東京からの転校生が、僕が通う大阪の小中学校に来ると、とにかく「言葉が違う」事に驚いたし、東京どころか、お隣の京都や神戸の人の言葉も、大阪と違う事に驚きました。

僕自身は、未だに「大阪弁」でないと、どうも感情と言葉が一致しないから、「大阪弁」の人との会話が最も気楽ですが、僕のスタッフは、非「大阪弁」出身者か、そもそも日本語が喋れない人だったりするので、「大阪弁で捲し立てる」なんて事をやるとコミュニケーションに支障がでるので、なんとか「標準語」に近い言語を使用する事になります。

同じ事が米国の農園に集められたアフリカ人にも行われ、それぞれの部族の言葉ではなく、「標準語」である英語を用いた訳ですが、現代に生きる僕が、中国人や韓国人と会話する際も、向こうが日本語に堪能な場合を除き、「英語が共通言語」になります。

更に言えば、相手が東アジア、或いは東南アジア人であろうが、「英語が通じ」かつ、バッハやショパンのようにクラシックや、「スターダスト」や「ミスティ」のような「ジャズ・スタンダード」が好きな人ならば、会話はスムースになります。

特にジャズは無理だろうが、「クラシックピアノが弾ける人」ならば、どこの国の人のだろうが、「同じ人種」だと感じるのは、「音楽は共通語」という陳腐な標語ではなく、「クラシック~ジャズは、どこの国にも浸透しやすいシステム(普遍性)」を持っているからだと言えましょう。

「ブルース」の初期、つまり「ブルース」という形式が確立する以前は、恐らく、元奴隷だった黒人の間でのみ「共通語」による共用できる音楽だった、と筈です。

しかし「ブルース」形式が確立されるに従い、実は非「アフリカ的な要素」=「クラシック的或いはヨーロッパ的なもの」が融合された筈で、融合されるに従い全米で流行し、流行するに従い、原点の元奴隷黒人達も「ヨーロッパ的なものが融合された=アメリカ的なブルース」に影響されます。

実際、1903年に「クラシック音楽の高等教育を受けた黒人」であるW・C・ハンディ(写真)が出版した「ブルース」と秀した沢山の曲が、その後の「ブルース」確立に大きく影響します。
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その事で、遥か昔の「アフリカ源流」の言語や文化は言うに及ばず、「黒人(アフリカ系米国人)」内でも色々に分かれていた言語や文化、更には「人種」が一つに融合されていきました。

「ブルース」とは対照的な「ラグタイム」や「ゴスペル」

「ブルース」についての「伝説」を打破(笑)する事はどうでも構いませんが、「ジャズ」の歴史を認識するには、やはり「アフリカ系米国人」の歴史については、ある程度、知るべきですから、元の「ジャズピアノ・メソッド」の話からは離れてしまいますが、話を続けませんしょう。

「アフリカ系米国人」いわゆる「黒人」については、本来の「アフリカ人」時代は様々な「部族」からなり、部族による言語や文化の違いは、日本と中国、韓国、タイ、ベトナム程に違う、という事を前述しました。

しかし、米国に奴隷として拉致され、異なる部族が一緒くたにされる中、「黒人奴隷」として一つにまとめられてしまいます。

では「黒人奴隷」は一つの「人種」として皆同じなのか、といえば、個性は別して、地域によって、まるで異なる「人種」として米国生活を過ごす事になります。

これは、例えば、南部のある地域で、「優しい主人」か「無慈悲な主人」かで苦しみが違う、とか、同じ主人に買われた奴隷としての立場は同じだが、一方は過酷な綿花摘み労働に従事され、一方は比較的楽な女中や召使にされた、という違いではありません。

変な例えで申し訳ありませんが、東南アジアで捕獲された野生の猿が、欧米や日本に「実験用」として送られるのか、現地で「食用」にされるのか、或いは現地や中国あたりで「ペット」にされるのか、という程に、生存自体が異なる程の違いが、アフリカから米国に拉致されてきた人々に与えられてしまます。

同じアフリカ系米国人を源流とする音楽として「ブルース」「ゴスペル」「ラグタイム」等がありますが、今でこそ、それらのウチのどの音楽を選択するかは、単に「好みの問題」ですが、それぞれの音楽が発祥した当時である19世紀末においては、「どの種類の黒人なのか?」が決めてでした。

大雑把に言えば、元「奴隷」だった黒人が選択するのが「ブルース」や「ゴスペル」、「クレオール」と呼ばれた混血黒人が選択するのが「ラグタイム」。

実際には、そう明確に職業選択ならぬ音楽選択する訳ではない筈ですが、大雑把な傾向として、「どの種類の黒人なのか?」によって異なる傾向にあった事も確かです。

いわば九州の人が、大阪でラーメン店を開業する際に「京風ラーメン」でなく「九州ラーメン」を選択した方が成功する率が高い、というのと同じです。

という訳で、次回はブルースとは対極ともいえるゴスペルやラグタイムについてお話します。

つづく

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon 音楽教室 ジャズピアノ科講師 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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「ギロック」の「ニューオリンズ・ジャズ」スタイルとは?その1 [Lee Evans Society]

専ら、僕が代表を務めるLee Evans Society of Japan)が提唱する「リー・エバンス」メソッドと、「バスティン」や「ギロック」等の違いについてお話しています。

「ピアノ入門~中級」程度を対象とする点は同じ。「バスティン」はクラシック重視で、「ギロック」はクラシックとジャズ、ヒーリング等様々。「リー・エバンス」は基本「ジャズ」ですね。

ちなみに「リー・エバンス」の「ピアノ入門~中級」対象課程は、「ジャズ的な事」も多く含まれますが、「ピアノが弾けるようになる事」「基本的な音楽理論等が学べる」等にも力点があり、「クラシックピアノ教室」での使用が想定されています。

但し、「リー・エバンス」の場合、中上級になると、完全に「ジャズ」となり、ジャズピアノの基礎がないと使えない仕組みになっています。

また「リー・エバンス」の場合、中上級課程は、リー・エバンス先生ご自身の演奏すたいるである「1960~70年代のLounge Jazz (ジャズ・ロック、ボサノバ、モード奏法等)」のジャズスタイルですが、「ピアノ入門~中級」については「1920年代の初期ジャズ」スタイルとなります。

日本では「ジャズ初級」といえば1950~60年代のウィントン・ケリーやビル・エバンス等の「モダンジャズ」の大ピアニストの演奏譜を、勝手に初心者用に切り取って使う「なんちゃってジャズ」が殆どですが、米国の場合は「古いスタイル=ジャズの原典」を学ばせる、というのが常識なようです。

その点では「バスティン」や「ギロック」も同様で、「ギロック」は1920年代の「ニューオリンズ・ジャズ」スタイル、バスティンは19世紀末~1910年代の「ラグタイム」を「ジャズピアノの初級」として用います。

「リー・エバンス」の「北部ジャズ」も良いが、「ギロック」の「南部ジャズ」も良い! ところで前回も書きましたが、僕は「リー・エバンス」を普及させる立場ですが、僕自身のレッスンでは、「リー・エバンス」のみならず「バスティン」や「ギロック」も教材として使います。 「バスティン」は、ちょっと違うタイプの教材なので今日は脇に置くとして、「ギロック」というか、正確には「ギロック」派の「マーサ・ミアー」さんの「Jazz.Rag&Bluese」全二十巻は、僕の教室の推奨教材でもあります。 生徒さんの好みで「リー・エバンス」と「ギロック(マーサ・ミアー)」の何れかを選択して貰ってますが、その選択は生徒さんによる音楽志向=好みで決めて貰っています。 では生徒さんの「好み」はどこに因るのか、といえば、同じ「ジャズ」ながら、「ギロック」が「南部ジャズ」であるに対し、「リー・エバンス」は「北部ジャズ」という違いがあります。 僕自身は、多分、「北部ジャズ」の系統に属するピアノ奏者でずか、多くの生徒さん同様、僕も「南部ジャズ」も大好き。且つ変な話ですが、教室(Kimball Piano Salon 大阪梅田)の練習室にあるキンボールピアノの音色とも合う、という訳で、ライバル(?)の「ギロック/マーサ・ミアー」も結構愛用しています。 という訳で、本来、今日は「リー・エバンス」のスタイルである「北部ジャズ」についてお話しする筈でしたが、ちょっと予定を変更し、「ギロック」の「ニューオリンズ」スタイルのジャズについて追加でお話させて頂きます。 「ギロック」は「ニューオリンズ・ジャズ」ではなく「ニューオリンズ」スタイルのジャズ 「ギロック」は、ウィリアム・ギロック先生以下「ギロック派」のグレンダ・オースチン、キャサリン・ロリンさん、マーサ・ミアーさん達は米国の南部或いは南部に近い地域の出身だったり住んだりしています。 だからと言う理由だけでもありませんが、「ギロック」は南部の「ニューオリンズ・ジャズ」スタイルで作曲されています。 対して北部ニューヨーク出身のリー・エバンス先生は「北部ジャズ」スタイルですが、南部生まれだから「南部ジャズ」、北部生まれだから「北部ジャズ」とは一概にいえなません。 そもそも「南部ジャズ」というジャンルが存在したのは1920年代頃までで、それ以後は「北部ジャズ」に統合されており、ギロック先生以下が「南部に住んでいるから」と言って、必ずしも「南部ジャズ」にこだわる必要はなく、バリバリの「北部ジャズ」を展開する事も可能な筈です。 にも拘わらずギロック先生以下が「南部ジャズ」に拘るのは、「南部のジャズ」だからでなく、「1920年代の音楽」だからという理由かと思われます。 前述のように「ジャズの初級」としては、「1950~60年代のモダンジャズの下手なコピー=なんちゃってジャズ」ではなく、1920年代以前の「ジャズの古典や、ジャズの源流であるブルースやラグタイム等」を学ばせるべき、という考え方が米国の常識です。 ですから南部に住むギロック先生以下が「1920年代のジャズ」である「ニューオリンズ・ジャズ」を用い、北部のリー・エバンス先生が1920年代の「北部ジャズ」を用いるのは理に適っています。 問題は「南部ジャズ」と「北部ジャズ」の違いですね。 1920年代頃までの米国は南北で別に国だった ジャズの源流(前身)として19世紀半ばの米国「南北戦争」後に南部で発祥した「ブルース」や「ラグタイム」等のいわゆる「米国の黒人音楽」を上げる事ができます。 これらの「米国黒人音楽」は南部で生まれ、やがて北部に伝わり、北部式の発展を経た後、南部に逆輸入され…と南北関係のない「ジャズ」へと進化しますが、本来、米国は南北で別な国、と言える程の異なる文化圏を持つ国家でした。 日本の明治維新が起った1865年に終結した「南北戦争」は、今の感覚では「内戦」ですが、当時は隣接する二つの国が戦争した訳で、その戦死者数は第二次世界大戦時の米軍の被害を上回ります。 北部と南部、更に西部と東部とで、いわば韓国と北朝鮮位に文化も法律も異なっていた訳ですが、「ジャズ」も南部と北部とで違っていました。 正確には南北が実質的には別な国だった時代には「ジャズ」という音楽ジャンルは存在せず、「ジャズ」が一般化するのは南北が完全に統合された1930年代以後の話です。 では、それ以前に「ジャズ」はなかったのか、と言えば、1920年代頃には、南部、北部共、今の感覚で「ジャズ」と呼べるもの生まれ、大人気を博していました。 大雑把に分類ですが、南部のは「ニューオリンズ・ジャズ」、北部は未だに名前がないので、僕達が「ガーシュイン・ジャズ」とか「チャールストン・ジャズ」とか呼んでいる音楽が夫々の地域で大流行しています。 「ニューオリンズ・ジャズ」はシカゴで生まれた ところで「ギロック」は自らの「ジャズ」を「ニューオリンズ・スタイル」と呼んでいますが、これは微妙な表現。うるさく突っ込むと実は「ギロック」は「ニューオリンズ・ジャズ」ではなく、「ニューオリンズ・スタイル(ニューオリンズ風と呼ぶべきか)」のジャズと言えます。 これは勘違いされている話ですが、「ニューオリンズ・ジャズ」はニューオリンズで生まれた訳でなく、中西部の都市「シカゴ」で生まれました。 つまりニューオリンズ出身のミュージシャンが、ニューオリンズ他「南部不況」が原因で、ニューオリンズを捨て北上するも、ニューヨークは遠すぎる、中間のシカゴが住みつきました。 その際、ニューオリンズ在住時代は、互いに反目しあっていた「ラグタイム」「ブルース」「マーチバンド」のミュージシャン或いは音楽スタイルが、合併したできたのが新しい音楽スタイルが生まれました。 それが今日「ニューオリンズ・ジャズ」と呼ばれたスタイルです。 つまり「ニューオリンズ出身」でないと「ニューオリンズ・ジャズ」ではない訳ですが、例えばシカゴ出身のミュージシャンが「ニューオリンズ・ジャズ」を真似たものは、「ニューオリンズ風」に過ぎないとも言えますが、「ディキシーランド・ジャズ」という呼び方も生まれました。 例えば大阪人が「博多ラーメン」を店を出しても、厳密には「博多ラーメン」ではなく「博多風ラーメン」に過ぎません。ならば開き直って、大阪風味も加えた「大阪ラーメン」を確立した、というのが原型の「ニューオリンズ・ジャズ」と「ディキシーランド・ジャズ」の違いです。 ちなみに「ニューオリンズ・ジャズ」のミュージシャンは大多数が黒人ですが、「ディキシーランド・ジャズ」は白人。そして白人による音楽だからという理由で、北部ニューヨークにも「ディキシーランド・ジャズ」が上陸し、更にニューヨーク式技術を加えたものが、逆に原典の「ニューオリンズ・ジャズ」に影響したりします。 いわば「博多ラーメン」が大阪で「大阪ラーメン」になり、更にそれが東京に使わって「東京ラーメン」になった、という流れが1910~20年代の米国音楽で起こります。(注;ラーメンの例え話は、実際のラーメンの歴史とは全く無関係です) 話を「ギロック」に戻せば、テキサス出身の白人であるギロック先生達によるジャズは、厳密には「ニューオリンズ・ジャズ」ではなく「テキサス・ジャズ」という事になりますが、本来の意味での「ニューオリンズ・ジャズ」とは、単に出身地域だけでなく「1920年代の」という時代区分も問われます。 つまり近年のニューオリンズ出身の黒人が「ニューオリンズ・ジャズ」のスタイルで演奏したからと言って、それは「ニューオリンズ・ジャズ」ではなく、「ニューオリンズ・ジャズ風」に過ぎない、となる訳です。 その辺りを踏まえて「ギロック」は「ニューオリンズ・ジャズ」とは言わず、「ニューオリンズ・スタイル(ニューオリンズ風)」と称されておられる訳ですが、だからと言って「ギロック」がインチキではなく、「ニューオリンズ・ジャズ」の正しい伝承者だある事は確かです。 つづく
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クラシックピアノ教室の為のジャズメソッド「リー・エバンス」 [Lee Evans Society]

こんにちは。米国の「ピアノ入門~中級対象ピアノ・メソッド」である「バスティン」「ギロック」「リー・エバンス」等を比較し、それぞれのメソッドの特徴についてお話している所でした。

ちなみに僕は「リー・エバンス」を普及する事を目的とする「リー・エバンス・ソサエティ(Lee Evans Society of Japan)」代表なので、立場上(?)は「リー・エバンス」を一押しすべきなのですが、僕は同時に自分の音楽教室「Kimball Piano Salon」の主宰でもあり生徒さんの志向等に応じたメソッドを選択する義務があるので、上記のメソッド他色々なメソッドや教材を使い分けています。

ただ最近は、僕が言うのもなんですが「リー・エバンスはやはり素晴らしいな」とと感じる事が多いのと、「リー・エバンス」について発信する機会が増えたせいか、「リー・エバンスに関心のある方」が集まる傾向にあり、実際には「リー・エバンス」ばかりやっている日々となりました。

という訳で今日は「リー・エバンス」メソッドの魅力についてお話しましょう。

特徴1,クラシックピアノ教室の為の「ジャズピアノ・メソッド」である事

これは「ギロック」や「バスティン」も同様ですが、「リー・エバンス」は、いわゆる「ジャズピアノ教室」ではなく「クラシックピアノ教室での使用を前提」としている事が特徴の一つです。

ちなみに「クラシックピアノ教室」と一般的な「ジャズピアノ教室」はどう違うのでしょうか?

まずマトモな「クラシックピアノ教室」ではクラシックとかジャズとか関係なく、「正しくピアノが弾けるようになる事」をレッスン目標とします。

対して「ジャズピアノ教室」は、一般的に「ちゃんとピアノが弾けるようになる事」はレッスン目標ではない換わりに、「ちゃんとピアノが弾ける事が入会の前提」であるか、教える先生自身「ちゃんとピアノが弾けない」場合とがあります。

異論もありましょうが「まともなジャズピアニスト」は、クラシックピアノ的な意味で「ちゃんとピアノが弾ける」筈です。

尚「ちゃんとピアノが弾ける=ピアノ奏法」には色々な考え方があり、どれが良いのか、については、ここでは触れませんが、はっきりしている事は「クラシックとジャズとでピアノ奏法が違う」なんて事はありません。

厳密にいえば、クラシックでも、モーツァルトを弾く場合とショパンを弾く場合とでは「弾き方」が違ってきますが、それは「奏法を切り替える」のではなく、モーツァルトのある曲が欲する「音」を出すために自然と弾き方が変わるかも知れません。

それはショパンを弾く場合と微妙に異なるかも知れませんが、同様に「ジャズ」を弾く場合も少し違うかも知れないが、それは精々モーツァルトとショパンの差でしかなく、基本的な「正しい奏法」には変わりはありません。

「ちゃんとピアノが弾け」には「正しい奏法」の習得が必要ですが、取り敢えず、ここでは「ちゃんと弾ける」とは「楽譜通りに弾ける」「楽譜に記された指使い通りに弾ける」等と定義しておきます。

これらの「クラシックピアノ教室」で重視される「正しい奏法の習得」ができる「ジャズピアノ・メソッド」が「リー・エバンス」だと言えます。


特徴2, クラシックにも転用ができる「正しい奏法」が習得できる「ジャズピアノ・メソッド」

僕の教室(ジャズピアノ科)に問い合わせされる方の中に「ジャズはクラシックと違って自由に弾いていいので、やってみたい」なんて言うヒトがいますが、それは間違いというものです。

「自由に弾く」と「無茶苦茶な我流で弾く」を混同しているだけ。

二十世紀以後の「クラシックピアノ」にない「ジャズピアノ」の特徴として「即興」がありまずか、これは「滅茶苦茶に弾いても良い」という意味では全くありません。

「即興演奏」とは端的には「作曲する」事であり、五線紙に「自由に作曲して書きつけて」と言ってもできる人は僅かな筈で、「作曲法」を知らないとモチーフ展開一つできないし、「和声法」を知らないとコード進行一つ作れません。

そういう知識や技術を知らないで、何やら「作曲」するシンガーソングライターやバンドがありますが、それらは「民俗音楽」であって、「クラシック」や「ジャズ」とは根本的に異なる音楽でありますが、勿論「民俗音楽」が「感動する」なんて人の方が多いのでしょうが、僕は嫌いですね。

結局「ちゃんとした即興演奏」をするには、ちゃんとした知識や技術の習得が必要だし、弾く事に関しても「正しい奏法」が必要となります。

そして「リー・エバンス」メソッドはジャズのみならずクラシックも含む、正しい知識や技術、ピアノ奏法が学べる優れたメソッドな訳です。

特徴3  「ジャズだけ」を学んでも、自然と「クラシック」が弾けるようになる

よくクラシックピアノの先生で「ジャズを弾くと(指が)崩れるのではないか?」と心配するヒトがいます。実際には「正しくジャズを弾く」事ができれば「崩れる」なんてないし、逆に「チェルニーを崩れて弾けぱ」指が崩れてしまいます。

僕の感覚では、生徒さんに対し、バイエルやチェルニー、ブルグミュラー、ソナチネ等を推奨しない(=禁止)するのは、それらの楽曲の大多数が「音楽的に正しくない」訳で、むしろ弾く事で音楽性や指が「崩れる」と思うからです。

対してバルトークやバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの等の「楽聖」の音楽は、初心者向けの小品といえど、深く、「機械的に指を動かす」だけではなく、本当の意味での「ピアノ奏法」が要求され、必然的に「正しい奏法」が習得できます。

だから「ジャズピアノを弾けるようになりたい人」或いは僕自身に、これらの「楽聖」の音楽を練習する事を推奨する次第です。

そして「リー・エバンス」に関して話を戻せば、大量にあるエバンスの練習曲や楽曲は「正しい奏法」の習得を目的とするか、自然と習得できるのは、「正しい音の使い方」が為されているからです。

バイエルやチェルニーのような「間違ったフレージングや音の配列」だらけの楽曲を幾ら練習しても「正しい奏法」は習得できません。

「リー・エバンス」の楽曲は「正しい音」で構築されており、また、いわゆる「練習曲」としての特性も有しているので、「リー・エバンス」のみを練習したとしても、自然と「正しいピアノ奏法」が習得できます。

一年もすれば、バイエルみたいなダメ教材を使う事なく、バッハの小品のような「クラシック」を正しく弾けるようになっています。

「ジャズの基礎はクラシック」という発想は正解ですが、逆に「ジャズの中にクラシックの基礎が含まれる」訳で、ジャズピアノだけを習得しても、それが「リー・エバンス・メソッド」のように正しいものであるならば、自然とクラシックに必要な技術や知識が習得できる、という訳です。

尤も私はピアノ入門~初級の人に対しては、仮に「ジャズピアノだけを習得したい」にせよ「トンプソン」のような「クラシックピアノ」メソッドを併用する事をお薦めしています。

特に子供の生徒さんの場合は、原則「ジャズピアノ」だけのレッスンはお断りし、必ず「クラシックピアノ」の習得を条件としているのは、つまり音楽的な幅を広げたいからです。

という訳で「クラシックピアノ教室」ら合致した「ジャズピアノ」メソッドが「リー・エバンス」だというお話でした。

次回は「ギロック」との比較に戻り、「リー・エバンスのジャズスタイル」についてお話します。
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Kimball Piano Salon 音楽教室主宰 藤井一成

ジャズピアノ科生徒募集中(対面の場合のレッスンは大阪梅田芸術劇場北向のKimball Piano Salonにて。オンラインレッスンも受付中)http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon

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敢えて「ギロック・ジャズ」の魅力その2/米国ピアノとの相性良し [Lee Evans Society]

前回も「リー・エバンス・メソッド」についてお話する筈が、何のことはない、ライバル(?)の「ギロック(マーサ・ミアー)」の宣伝(?)に熱くなってしまいました[exclamation]

公平に見て「リー・エバンス」の方が作曲技能などでは「ギロック」に勝る、と思いますが、あるレベル以上の作曲家を比較する場合、技能の優劣だけではなく、その音楽が好き嫌いか、という事も選択する大きな理由ですね。

という訳で今回も「リー・エバンスを普及する立場」を離れて、僕自身も好きな「ギロック(マーサ・ミアー)」の魅力についてお話します。

きっかけは「ニューオリンズ・ジャズの研究」とキンボールピアノ

僕が「ギロック(マーサー・ミアー)」に取り組み始めたのは、2011年位ですが、当時、ウちの教室スタッフだった若い女性の要望がきっかけでした。

そのスタッフは、僕がやっていたような「モダンジャズ」ではなく、古い「ニューオリンズ・ジャズ」を学びたい、と言い出し、ならば「ギロック」が正に「ニューオリンズ・ジャズ」スタイルで作曲しているから、「ギロック」や、ギロックの仲間であるマーサ・ミアーの「Jazz,Rag&Bluese」を教材として使い始めた訳です。
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という話を前回させて頂きましたが、もう一つの理由として、僕のスタジオ(練習室)のグランドピアノを米国製「キンボール」に入れ替えた事も大いに関係しています。

南部風の音がするキンボールピアノと、南部風ジャズの「ギロック」

「キンボール」は米国中部の都市シカゴが本拠地のピアノメーカーで、創業はスタインウェイより古い十九世紀半ば、「家庭用のピアノ」ブランドとして1990年代まで営業しました。

「キンボール」が創業した19世紀半ばの米国は、南北戦争後に「ピアノブーム」が起こったのは、それまで輸入に頼っていたピアノを米国でピアノを生産始めた事、「給料を貰って働く労働者」且「ピアノに憧れる家庭」が激増した事が原因でしょう。

19世紀末、つまりリストの晩年頃、米国のピアノ生産「量」は既に世界一になっただけでなく、「質」の方でも、スタインウェイやチッカリング等の米国一流メーカーの新技術はヨーロッパのピアノにも多大な影響を与え、世界中の「ピアノの基本設計」を大幅に変えてしまいます(その辺りについては、別な機会にお話ししましょう。)

(蛇足ながら、スタインウェイ社は、米国での創業~成功後、創業者一族の出身地であるドイツに戻って「ハンブルク・スタインウェイ」社を創業。第二次世界大戦後はドイツでのライバルであるベヒシュタインが操業できなかった事もあり、トップに躍り出ると共に、本家の「米国スタインウェイ社」の質的没落も相まって、今やスタインウェイ=「ハンブルク・スタインウェイ」と定まった訳です。)

「米国ピアノ」の黄金期は、だから19世紀末から1920年代頃と言われますが、当時は、質的にも、技術的にも、米国の一流ブランドであるスタインウェイ、チッカリング、クナーベ、メーソン&ハムリンが世界を制しました。

但し、第二次世界大戦後は、米国の一流ブランドはスタインウェイのみが、かろうじて生き残りつつ、新たに勃興してきたのが米国の大量生産される「家庭用ピアノ」であるキンボール、ウーリッツァー、ストーリー&クラークのようなブランドです。

実は第二次世界大戦前のヤマハは、米国の「メーソン&ハムリン」だったかの工場を視察し、多くを学ぶと共に、ハンドメイドによる高級ピアノを目指していましたが、第二次世界大戦後は、番頭さんだった川上源一氏が悪くいえばヤマハを創業者から乗っ取る、と共に、今でいう業態変化させます。

つまり「上級を目指すピアノ造り」から、安価な「大量生産ブランド」に転じる訳ですが、これもキンボールのような米国の「家庭向きの大量生産ブランド」のビジネスを真似した、と思われます。

要するに、大雑把にいえば、「日本のキンボール」がヤマハやカワイだった訳ですが、1970年代頃からヤマハは「家庭向きの大量生産ピアノ」に飽き足らず、一つ上の「セミプロ向き」クラスのピアノ開発を目指します。

その際、米国スタインウェイを徹底的に研究したのは宜しいが、何を血迷ったのか、米国スタインウェイ社に対し「スタインウェイの店で、ヤマハを販売してくれ。ヤマハはスタインウェイと違ってBクラスだから市場が違うからいいだろう」と提案した、と言います。

その際、見本としてヤマハ・グランドピアノを見せ、「どうです?実に巧みにスタインウェイを真似したでしょう」と自慢したのは、スタインウェイから「よく頑張ったね」と褒められると純情にも考えたからでした。

これ今でいえば、中国の自動車メーカーが、ホンダそっくりの車を作ったのは良いとして、ホンダに「そっくりの二級品を作ったら、ホンダの販売店で売ってくれ」と言うようなもので、ホンダから激怒される事はあっても褒められる筈がないのと同様、スタインウェイ社からヤマハは拒絶されてしまいます。

尤も中国の自動車と違い、その時点ですら、スタインウェイ社の技術者が驚く程にヤマハの出来は、スタインウェイを除く他の米国メーカーのいかなるピアノよりも良く、「将来、ヤマハが米国のピアノメーカーの市場の悉く奪うのではないか」と危惧したそうです。

実際、日本人の僕としては、喜ぶべきか困惑すべきかは分かりませんが、1980年代頃には、ヤマハやカワイが米国のピアノ市場を制覇した影響で多くの米国ピアノメーカーが倒産し、1990年代には「キンボール」も廃業してしまいます。


工作精度のコスパ世界一のヤマハと、音楽コスパ良しのキンボール

1970年頃の、発展途上だったヤマハのピアノを弾くと、「スタインウェイをコピーしたBクラス品」とという気がします。

言ってみれば「スタインウェイの音色」が組まれた電子ピアノのようなものですが、最近の電子ピアノはとても進歩し、僕も一台購入する予定ですが、いくら進歩した、と言っても「ピアノの代用品」である事には変わりません。

「ヤマハはピアノではない!ピアノによく似た代用品だ!」なんて言えば、下手すると訴訟されかねませんが(笑)、実際、米国のホールやスタジオでも「スタインウェイがないのであればヤマハがいい」選択されたのは「スタインウェイの代用品」と考えられたからです。

米国でコンサートグランド(フルコン)をマトモに造ったのは、本来は「家庭用~セミプロ用」だった「ボルドウィン」ですが、フルコんに関しては、傘下に収めたドイツ・ベヒシュタインの協力もあり、「スタインウェイは嫌い、ボルドウィンが良い」というファンによって指名されます。

注目すべきは「ボルドウィン」では「スタインウェイの代用」にはならない、という点で、いわば「極上のステーキ」がスタインウェイだとすれば、ヤマハは「安いステーキ」という所ながら、「ボルドウィン」はステーキではなく、「すき焼き」だったりする訳。

欧米のメーカーの考え方は、スタインウェイが「ステーキ」料理だから、自分達はステーキではない、焼き肉やすき焼き、肉のタタキ、という具合に「他の料理」で勝負しようとなりますが、日本のメーカー、或いは近年では中国のメーカーというのは、その辺りの節操がなくて、平気で「安いステーキ」を作ってしまいます。

おっと、また話が脱線した。

それでヤマハだからこそステーキならぬ「スタインウェイの代用品」が勤まりましたが、キンボールとなれば、「料理」自体がステーキではなくバーベキューやハンバーガーだったりする訳。

つまり「安いステーキ」VS「良い肉のくず肉で作ったハンバーガー」と言う図式になり、どちらを選択するべきかは一概には決めれません。

とは比較にならない程に安っぽいが、他の欧米ブランドと比較しても、「性能」面でスタインウェイに相当に接近しつつあります。

では当時の、つまり、僕のスタジオにあるキンボールはどうかといえば、そもそもスタインウェイ的な音楽性とは全く違う(実際、当時のベーゼンドルファーを資本傘下に持ち、どことなくベーゼンドルファーぽいピアノを目指した、という事もありますが)楽器としかいいようがありません。

よく「アメリカ的な音」といわれますが、そうではなく、実は「19世紀のピアノ」な音なんですね。

或る意味、今時の「ジャズ」は正に「ヤマハやカワイのグランドピアノ」と共に成長してきた訳ですが、キンボールに限らず、米国の「家庭向きピアノ」を弾くと、19世紀の、例えばシューマンやショパン、ブラームスあたりの小品、なるほど「ラグタイム」なぞがピッタリと来ます。

正直言って、僕自身はキンボールが格別に好きだった訳ではなく、適時入れ替えていたピアノが、たまたまキンボールになった、というか、元々は某ホテルのラウンジに設置するつもりで、暫定的にウチの練習室(大阪梅田Kimball Piano Salon)に入れた、という経緯でした。

結局、僕以上にキンボールが気に入ったスタッフが色々といたのと、どの道、小さな練習室で、小さなグランドピアノ(C2相当)だから音楽的にできる事が限られており、プロがピアニズムを追求するような場でもないか、と割り切り、いっそ屋号も「キンボール・ピアノ・サロン」に改め、音楽的に正に「ギロック」的な方向に進んだ、という次第でした。



いう生徒さんがいた事と、さんも含め「南部」出身なので南部スタイルである「ニューオリンズ・ジャズ」なのは当然とも言えましょう。

対して、リー・エバンス先生は、ニューヨーク出身であり、同じ1920年代のジャズであっても「ニューヨーク・スタイル」で作曲されます。

僕は大阪出身ですから「大阪ジャズ」スタイルなのか、と言われれば、そもそも「大阪ジャズ」なんてものは存在しない訳ですが、話すと「大阪弁」である事は確かです。

ちなみに英語を話す際も「日本なまり」が強いのですが、自称「英国風英語」だったり「米国風英語」だったりの真似はできなくもありません。

要するに「ジャズ」は基本的に外国(米国)のものだから、まじめに模倣すればする程、「米国風」になりたい訳ですが、「南部出身」の「ギロック派」の方々は、僕が大阪弁で話すように「南部ジャズ」をやり、同様に「北部出身」のリー・エバンス先生は「北部ジャズ」をやります。

その辺り面白いものですね。

という訳で今日も時間が来たので変な所で話を終えますが、「ギロック=南部ジャズ」という事のお話ができので、次回こそは「リー・エバンス=北部ジャズ」についてお話し、「南部ジャズと北部ジャズの違い」についてもお話したいと思います。

Kimball Piano Salon 代表 藤井一成 http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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あえて「ギロック・ジャズ」の魅力をお話します!その1 [Lee Evans Society]

僕が代表を務める「リー・エバンス協会が普及に務める「リー・エバンス・メソッド」をご説明する為、比較対象として、エバンスと同じく、アメリカの人気「ピアノ・メソッド」である「バスティン」と「ギロック」を引き合いに出していました。

すると「自分(藤井)が関わるリー・エバンス・メソードが最高だ、と言いたいのに決まってる」とのご指摘をある方からメールでいただきました。

実はバスティン、ギロック、リー・エバンス他のメソッドを生徒さんに応じて使い分けています

確かにそういう部分がないとは言い切れませんが[猫]、僕としては「リー・エバンス協会」代表として、一人でも多くの方に「リー・エバンス・メソッド」を普及したいのは山々ですが、僕は同時に「Kimball Piano Salon 梅田」という大阪の小さな音楽教室の経営者でもあります。

つまり「リー・エバンス・メソッド」と相性の悪い生徒さんに無理矢理に使わせるよりも、適していると思われる「バスティン」なり「ギロック」なりでレッスンした方が色々な意味で正解。

また僕は「リー・エバンス・メソード」と深く関わる傍ら、中上級用の「ジャズメソッド(音楽理論)」として「バリー・ハリス/三上クニ」メソッドにも深く関わっています。

「リー・エバンス」と「バリー・ハリス」は音楽スタイルも「メソッドの根幹」も異なりますが、これも生徒さん次第で選択して貰ってます。

とは言え僕の中で「リー・エバンス・メソッド」をレッスンで使用する比重が高まりつつあるのは、僕が「リー・エバンス協会」代表だからではなく、益々「リー・エバンス・メソッドの良さ」が理解できてきたのと、「リー・エバンス・メソッド」が合致する生徒さんが増えてきたからに他なりません。

改めて「バスティン」の完成度の高さに感心しつつ、「ギロック」について語る

ところで、しつこいようですが、僕の教室に来る生徒さん全員に「リー・エバンス」をお薦めしている訳ではなく、前回も書きましたが、例えばシニアで「これからピアノを始めたい」という方の場合、迷うことなく「バスティン」を薦めます。

「痒い所に手が届くレッスン・プログラム」が構築された「バスティン」は、いわばハンバーガーやコンビニの運営マニュアルみたいなものだから、習う方も、教える方も、「楽できる(笑)」訳です。

だからと言って「バスティン」が最良とも言えないのが、「フランチャイズ店のマニュアル」と「音楽教育」の異なる所でして、生徒さん或いは先生によって「バスティン」よりも、「ギロック」や「リー・エバンス」の方が良いの場合があります。

「教え方を追求=バスティン」と「教える内容を追求=ギロック」

これは極端な例え話でずか、「バスティン」関係の方に会うと「どうやって教えるのか?」について熱心に話して下さいます。対して「ギロック」関係の方に会うと「何を教えるべきか?」について話して下さいます。

つまり「How to teaching =バスティン」に対し、「What’s teaching=ギロック」と言えます。

「リー・エバンス」はどうかと言えば、どちらかと言えば「ギロック」寄り。「ギロック」とほぼ同じ「教育哲学」を有しますが、「教育哲学」については何も語っていないものの、作編曲曲集や音楽理論の教材の在り方が「教育哲学」を現わしています。

正直言って、「リー・エバンス」は優れたメソッドでありろ、曲集ですが、「教材としての使い方」に関する説明が欠落しており、「どう使えば良いのか」理解されにくい、という問題があります。

それは「バスティン」ユーザーならば「もっと分かりやすい説明をして!」と感じる程ですが、その実、使う側の「理解」といいますか、「音楽的素養」で全く異なる使い方が可能で、ダメな先生が使えばダメな教材になるし、良い先生が使えば良い教材になりますよ、なんていえば「裸の王様」の話みたいになりますが[どんっ(衝撃)]

とは言え、あまりにも訳が分からない様では普及どころではないので、僕が順次「リー・エバンス・メソッド」について解説して行きます!

ギロック派の「マーサ・ミアー」さんについて

「ギロック」に話を戻しますと、僕の教室では、ウィリアム・ギロック先生にせよ、お弟子さんであるグレンダ・オースティンさん、キャサリン・ロリンさんにせよ「ギロック派の教材」を、以前はあまり重用しませんでした。

それを大きく変えたのが、ギロック先生のお弟子さんではないが、仲間と言われるマーサ・ミアーさんの「Jazz、Rags&Blues」シリーズ全五巻×四系統と出会かったからです。

マーサ・ミアーさんにつては「日本ギロック協会」会長の安田裕子先生の監修にて「ギロック派の一員」として扱われているので、ここではマーサ・ミアーさんも「ギロック」派として扱います。


マーサ・ミアー(ギロック)の「ジャズ・タイム」の魅力

マーサ・ミアーさんの米国原書「Jazz,Rags&Blues」は、全音出版から、最初の三巻分のみが合本され「マーサ・ミアー/ジャズ・タイム」という一冊の本になって出版されています。

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このシリーズは日本では「ピアノソロ用オリジナル曲集」の全五巻中の最初の三巻だけが出版されていますが、併用で「連弾曲集」「Xmas曲を編曲したもの」「クラシック曲を編曲したもの」等で全二十巻があります。

にも関わらず三巻した国内出版されていないのは、マーサー・ミアーさんが日本で「冷遇されている(笑)」からとも言えなくもないのでずか、「これで充分」と言えます。

なぜならば、この曲集の主旨である「ニューオリンズ・スタイルのジャズピアノ曲集」は、「ギロック派」全体を見渡せば、ギロック先生を始めグレンダさん、キャサリンさん等のお弟子さんにもあり、マーサさんの「Jazz.Rags&Bluese」全二十巻を出版しなくても充分にある、と判断されたのでしょう。

そもそも「ギロックでピアノを学びたい」という生徒さんの場合、「ニューオリンズ・ジャズ」ばかりを弾きたい訳でなく、「ヒーリング曲集」やクラシック音楽も弾きたい訳で、マーサさんの「Jazz. Rags&Blues」が全二十巻出版されても使えない筈です。

「ジャズピアノ教材」として「ギロック」を使う

「ギロック協会」さんや全音出版としては、「ジャズばかりに特化しても仕方ない、他の音楽スタイルも重要だから」と、マーサ・ミアーさんの「Jazz,Rags&Blues」全二十巻全てを国内出版されなかったのは当然かと思いますが、僕の教室としては、正に全二十巻が欲しかったのです。

幸いAmazonで簡単に米国版が入手できる訳で、マーサ・ミアーさんの「Jazz,Rags&Blues」全二十巻全て購入し、多く生徒さんのレッスン用として重用しました。

これは僕の教室が、いわゆる「ピアノ教室であり、生徒さんは、クラシックの傍ら、ジャズも弾いてみる」という形態ではなく、「ジャズピアノ教室」であるからです。

そして「ジャズピアノ教室」としてマーサ・ミアーさん(「ギロック」)がとても良いので、「リー・エバンス」の普及にも努める傍ら、「マーサ・ミアー」にも愛情を寄せた次第です。

次回に続く

大阪梅田芸術劇場向かい Kimball Piano Salon 音楽教室主宰 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon

タグ:ギロック
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