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ブルースとゴスペル、ラグタイムの関係 [独断による音楽史]

こんにちは。クラシックとジャズのピアノが学べるメソッドとして「リー・エバンス」と共に「ギロック」や「バスティン」等についてお話している所でした。

日本では「ジャズ=モダンジャズ」だが、だからと言って「なんちゃってジャズ」はダメ

何度も書いていますが、日本では「ジャズ=1950〜60年代のモダンジャズのセッション」という固定観念があります。

だから多くの「ジャズピアノ教室」では「初歩用教材」として「ウィントン・ケリー/枯葉」や「ビル・エバンス/ワルツ・フォー・デビュー」みたいな「モダンジャズのピアノ名演奏」を、適当に編曲した「なんちゃってジャズ」的教材を用います。

対して欧米では、そもそも「ジャズ」は「モダンジャズ」とは限らず、一昔古い「スウィング・ジャズ」や更に古い「ニューオリンズ・ジャズ」も含まれます。

また「ジャズ教育の場」では「初歩用教材」として日本によくある「なんちゃってモダンジャズ」ではなく、古い時代のジャズや、ジャズ以前の音楽である「ラグタイム」や「ブルース」等を学ぶ事が「基礎」だという考え方が広くあります。

「ジャズの基礎」=「1920年代の初期ジャズとジャズ源流」が世界の標準

そんな訳で、「ギロック」も「リー・エバンス」「バスティン」も「なんちゃってジャズ」ではなく、欧米での「ジャズ教育」での「初級用」としては、1920年代頃の「初期ジャズ」やそれ以前の「ジャズの源流」を学びます。

但し、「南部/ニューオリンズジャズのギロック」と「北部ニューヨークジャズのリー・エバンス」ではスタイルが異なります。

本来、米国大手レコード会社のディレクターや編曲家、スタジオミュージシャンだったリー・エバンス先生の場合、最終的に先生ご自身の音楽スタイルである「1960~70年代のイージーリスニング・ジャズ」にたどり着くに対し、教育専業のギロック先生やお弟子さん達は「1920年代のニューオリンズジャズ」に留まるか、今風の「ヒーリング音楽」に傾きます。

僕自身は、なんやかんや言っても「モダンジャズ」が自分の音楽基盤になっているので、敢えて「リー・エバンス」と「ギロック」を二者択一すれば「1920年代ジャズから始まって、やがて1960年代のモダンジャズにたどり着くリー・エバンス」を選択します。

しかし、「南部ジャズ」が北上して「北部ジャズ」を作った訳で、「南部ジャズ」の「ギロック」を学ぶことは、より「源流」=「ジャズの基礎」に遡っている、と言えるでしょう。また「南部ジャズとその源流」である「ニューオリンズジャズ」「ラグタイム」「ブルース」のみ習得できれば、それだけで充分「楽しい音楽ライフ」が得られます。

という訳で前置きが長くなりましたが、今回も「ギロック」の「南部ジャズ」について突っ込んでお話します。


ジャズの源流=「ブルース」「ラグタイム」「マーチ」「ゴスペル」

前回は「ブルース」にまつわる通説である「ブルースは奴隷であった黒人が、綿摘み作業の苦しみによって作り上げた」を否定すると共に、「ブルース」の発祥は、奴隷解放後の「黒人向け酒場」のエンタティメントとして始まった、という事をお話しました。

南北戦争に南軍が敗北した事で、全米で「奴隷解放令」が発令され、それまで「奴隷」だった人達が「解放」された訳ですが、実際には相変わらず農園や女中として働くせよ、進出したきた北部資本の工場で働くにせよ、「賃金労働者」とは名ばかりの扱いだったようです。

それでも以前に比べれば「人権」がある程度は保障されたり、能力があれば「賃金労働」で稼げた訳で、遥かにマシな生活になった事で、解放された「元奴隷」黒人用の商店や酒場が作られました。

酒場と言っても、現在の感覚のバーや居酒屋ではなく、食事もできれば、酒も飲める、生活用品も売られている、或いは売春目当ての女性も集まる、という雑多な空間だった筈で、そこでの歌われた音楽がやがて発展し、職業ミュージシャンによって演奏され、歌われたのが「ブルース」です。

当初は「ブルース」に定まった形式はありませんでしたが、「向こうの店でウケた」フレーズやコード進行なぞが伝わり、やがて「ブルース」形式が定まりましたが、歌詞については「誰かが作詞した」のを歌う、というよりは、即興或いは事前に用意した歌詞を歌う、という感じ。

つまり日本の「俳句」や「連歌」のようなもので、だった訳で、他愛ない恋愛話もあれば、生活や労働の苦しさ、政治批判等なんでも歌い、昔の「お笑いの吉本」のような猥雑な雰囲気で、ヤジられたり、共感されたりした筈です。

ここで認識するべきは、全ての「解放された黒人」が酒場で「ブルース」を歌ったり、聴いて楽しんだりした訳ではない、という点です。

「酒場に行くほどの収入がなかった」という経済事情はさて置き、積極的な理由から「ブルースの酒場」に行かなかった黒人がいます。

大雑把に言えば、「ゴスペル」や「ラグタイム」に親しむ黒人は「ブルース」とは距離を置きました。

今でこそ、「ギロック」が「健康的な音楽」の一つとして「ブルース」曲を教材に含めていますが、当時は白人は元から、黒人全てに受け入れられた訳ではありませんでした。


「ブルース」と対立(?)した「ゴスペル」や「ラグタイム」


日本では一人の歌手が躊躇いなく「ブルース」と「ゴスペル」の両方を歌いますが、これは「ブルース」「ゴスペル」の意義を理解していなから、という理由もありますが、かの淡谷のり子氏の「ブルース」の如く、「ブルース」が本来とは離れて日本に普及した、という経緯も無関係ではありません。

また前述の如く、白人中産階級であるギロック先生以下が「ブルース」を作曲するのは、「ブルース」が「黒人の喜怒哀楽を現わす流行歌」という在り方を離れ、「米国の音楽形式の一つ」に変化しているからでしょう。

とは言え、実際に「ゴスペル歌手」が「ブルース」を歌う事はないようです。

というのは大雑把に言えば「ゴスペル」とは前述のように「キリスト教プロテスタントの福音派(ゴスペル)教会の宗教音楽」であるのに対し、「ブルース」は良くて「世俗音楽」下手すると「キリスト教を否定した生き方のメッセージ」であったからです。

また「ラグタイム」については、これも大雑把にいえば「奴隷」ではなかった黒人を中心に生まれた音楽であり、キリスト教を否定も賛美もしないが、「ブルース」とは「人種」が違う、という立場でした。

次回に続く

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon音楽教室講師 藤井一成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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