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ラウンジ・ジャズ・コレクションなリー・エバンス・メソッドを主軸に再起動 [Lee Evans Society]

「リー・エバンス協会」を再起動させる

前回の続き

一旦、関係が切れていた「日本リー・エバンス協会」に僕が復帰した最大の理由は、ズバリ言って「敢えてやりたい人」が「他にいなかった(笑)」事に尽きると思います。

なにしろ、2009年頃に名目上は設立されたものの、僕が復帰した2003年頃には、「普及活動」とやらは完全に行き詰まり、教材だけは無暗に出版されるものの、広報もできいなければ、そもそも「使い方」を理解している人もいない、という有様。

つまりは「先行き真っ暗」という状態でした。

国内出版元であるオクト出版が「リー・エバンス第二弾」に取り組んだのは、「商売」もありましたでしょうが、それだけではなく「こういう素晴らしい教材を日本の音楽教室で使って貰いたい」という純粋な気持ちが強かったから、という事は判りました。

それで出版の為に会社の資本をつぎ込んでしまった様ですが、結局、「楽譜出版の老舗」の一つであったオクト出版社は、会社として立ち行かなくなり、廃業してしまいます。

僕自身は、オクト出版社の経営とは全く関りがありませんが、要するに「全く売れない事が原因で、会社までダメになってしまった」リー・エバンスを、資金もなく再建するのは、なんとも困難な話でありました。

加えて、僕は「リー・エバンス協会」だけではなく、それぞれは全然小さなプロジェクトならが「Lounge Jazz Moods」「チャールストン俱楽部」「Shizen」という名目の、音楽演奏と教室の活動に朝から晩まで追われていました。

また教室としても、或る意味「ジャズピアノ科」の実質的な多数派となる「初級」クラスの教材として、「ラリー・ミンスキー」や「マーサ・ミアー」にハマっており、「リー・エバンス」を使う余地はあまりない、という状況もありました。

かと言って、オクト出版社同様に、僕もまた「リー・エバンスの良さを多くの日本のピアノ教室に広めたい」という強い想いはありました。

結局、僕自身は活動には限界があったので、僕のお弟子さんで「現役ピアノ講師」をやっておられる方々に「リー・エバンス」の研究や普及活動をお願いしました。

しかし、これが大失敗!

変な話で、職業こそ「ピアノ講師」だけど、敢えて僕の所にレッスンに通うのは、「脱ピアノ講師」といいますか「ラウンジジャズのピアノ奏者」への転身するべく能力を習得する為、という訳で、優秀なお弟子さんに限って「リー・エバンス普及」はやりたがらない、というジレンマが生じました。

要するに、オクト出版社には「資金がない」という問題が生じていましたが、僕の所は、資金のみならず「人材」もいない、という問題に直面しておりました。

逆に言えば、僕が期待したようにはやってくれないものの、「リー・エバンスの音楽」の研究については強い興味を持つ人は現れ、且、そのまま何年も勉曲を続けてくれた訳で、指導している僕自身の「リー・エバンスの音楽」の理解が高まりました。

リー・エバンス「 ラウンジ・ジャズ・コレクション」の素晴らしさ

僕自身は、元々は「教材」として「リー・エバンス」を見ていなかったのですが、お弟子さんと一緒に研究する内に、「リー・エバンスの音楽」つまり作編曲作品の素晴らしさを再認識する、というか、実は「漸く理解」できるようになりました。

また僕自身の演奏スタイルであった「ビンテージ(或いはエレガンス)・スゥイング」と称する「1930~40年代のジャズピアノ・スタイル」の「基礎」としても「リー・エバンスの音楽や教材」が使える、という事も解ってきました。

それ以前は「ビンテージ・スウィング」の「基礎」は、「マーサ・ミアーの1920年代ニューオリンズ・ジャズ・スタイル」だと考えていましたが、テディ・ウィルソンやアール・ハインズ、アート・テイタム等の「ビンテージ・スウィングの巨人達」の音楽影響は、「リー・エバンス」にも強くある。

つまり「リー・エバンス」を熱心に勉強(練習)すれば、やがては「ビンテージ・スウィング」に連なる、だから「マーサ・ミアーなし」でもやっていけるな、と思いました。

逆に「1960~70年代のスムースジャズ」的なものは「ラリー・ミンスキー」も良いが、「リー・エバンス」の方が或る意味では良く、つまり「ラリー・ミンスキーなし」でもやっている、と思いました。

結局、やや断腸の思いでしたが、「マーサ・ミアー」や「ラリー・ミンスキー」を捨ててしまい、「リー・エバンス」一本で、僕の教室の「初級~中級」クラスは賄える、と結論づけた次第です。

ちなみに、或る意味、僕のメイン活動であった「Lounge Jazz Moods」は、1950年代のナット・キング・コール・トリオ(ピアノ弾き語り)やドリス・ディの音楽スタイルを標榜していましたが、1960年代の「ジャズ・ロックやボサノバ」もやっていました。

1960年代の「ジャズ・ロック」というのは、後年の「フュージョン」の原型ですが、ギターの「ウエス・モンゴメリー」やオルガンの「ジミー・スミス」、ピアノの「ラムゼイ・ルイス」が有名。

「ボサノバ」といえぱアストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」が有名ですが、これらの音楽スタイルに、1960~70年代にかけてリー・エバンス先生は編曲者やディレクターとして関わっておられ、「リー・エバンス/ラウンジ・ジャズ・コレクション」は正にこの世界を背景として造られています。

僕自身は、どちらかといえば、1960年代の「ジャズ・ロック」よりも、1950年代のナット・キングコールのような、スゥイングジャズ基調の方が好きですが、実際には「ジャズ・ロック」も演奏できます、というか、結構、やってきた訳です。

つまり「Lounge Jazz Moods」の「音楽教室の教材」としても「演奏の材料」としても「リー・エバンス」は使える訳で、益々、僕自身の「リー・エバンスとの関係」は高まりました。

個人的に困ったのが「コロナ渦」で、それまで僕の教室での多数派だった「ジャズボーカル科」が活動できなくなりましたが、なぜか「ジャズピアノ科」は微妙に生徒数が増えました。

また以前からの「人材」も、僕が想像していた形とは違いますが、徐々に育ってきたのと、今、アシスタントをやって下さっているYuriさんのように、ミュージシャンだけど「音楽教育活動」にも熱心で、比較的若い年代層の人も増えてきました。

もう、こうなってくれば、僕も「リー・エバンスの普及や研究の活動」にフル体制でぶつかるしかない!と決心した次第。

ところが、又しても、ここに大きな問題が起こります。

リー・エバンス教材の国内版の流通が止まる

「音楽教室」活動で使う場合に最も主流になる「ピアノ入門」や「ピアノ初級」過程に相当する「リー・エバンス教材」は2009〜2011年頃に大量に出版されました。

しかし「段々と売れなくなった」事でオクト出版社は廃業した訳ですが、逆にいえば、それらの出版物は「大量の在庫」として倉庫に眠っている筈でした。

ところが、僕がいよいよ人材も集まり、僕自身の状況もピントが合ってきた2020年頃、オクト出版社長が健康上の理由で活動できなくなり、在庫管理ができなくなりました。

要するに、当時はAmazonでは直接販売していませんでしたが、元のオクト出版に頼めば楽譜を送って貰えた訳ですが、それができなくなってしまいました。

なんのかんの言っても「パートナー」であってオクト出版社長である木村氏の活動停止は、僕にとっては、精神的にも、実質的にも打撃できた。

どうしたものか?

米国ハルレナード社との交渉が始まる

結局、リー・エバンス先生と話合い、オクト出版抜きで、また「国内版」を用いずに、米国原書と「翻訳」を組合わせる事で教材については対応し、米国の出版元であるハルレナード社に直接お世話になる事になりました。

その事で、或る意味、オクト出版に遠慮して、それまでメインとして使えなかった旧「東芝EMI~ソニーミュージックから国内出版された中級用教材」や、全く国内出版されなかった「ラウンジ・ジャズ・コレクション」、或いはリー・エバンス先生の新しいレーベルの教材や楽譜を積極的に使えるようになりました。

という訳で、コロナ渦での僕の教室のゴタゴタをすり抜け、また、国内版の色々なしがらみも解け、漸く自由にといいますか、別な意味では不自由ですが、新しい「リー・エバンス協会」を2021年に発足、或いは「再起動」させた次第です。

次回は今後の展望についてお話します。



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