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音楽家になる方法(!) [音楽ビジネス]

皆さん,こんにちわ。昨日は「音楽で人に生きる力を与えたい」が「どうすれば,そうなれるか?」というご相談に対して「自らの修練,つまり生き方が感動を与える」という,まぁ,書いてしまえば「そりゃあ,そうやろう」というお答えを述べました。

ご質問を頂いたAさんは未だ大学四年生でお若いのですが,理想を持たれ,充実した生き方をしたい,とお考えのなかなか頼もしい方です。

実は別なメールでは「音楽家になりたい」という希望と共に「どうすれば音楽家になれるのか?」というご質問もありました。よくよく考えてみれば,なるほど僕も「音楽の仕事」で食っている訳ですが,果たして「音楽家」なのか?と言われれば自分でもよく分かりませんし,こういう難しい問題に対し,僕如きが意見を述べる,というのは極めておこがましい所存ですが,敢えて現実の僕のダラしなさには目をツムリ,「理想」を述べる事で回答とさせて頂ましょう。

音楽家になる方法「音楽に関する,あらゆる経験を積み,秀徹し,実体を掴み,何らかの形で表現する」

Aさんからのご相談で「ある音楽系企業への就職が決まったが,ピアノを弾く時間がなくなるので,その就職に躊躇している。どうすべきか?」とありました。

単純に言えば「折角,就職できたのだから,生活もあるから就業して下さい」とも言えます。
しかし「生活の為に職に就く」という理由だけですと,そんな仕事は詰まらなく思えるし,
「自分のやりたい事は違うなぁ」という訳で三年も経ずに退職されるかも知れません。

昔というか僕の若い時分は,どんなにツマラナイ仕事でも,我慢して会社にいれば,
それなりの生活が保障される,とあって「歯を食いしばって」でも定年退職迄頑張る,というのが,
まぁ損得を考えれば得な生き方でした。

ところが今時は歯を食いしばる前に,会社が倒産したり,リストラされたり,或は定年所か,五年もいればミイラのように干からびかねない労働に就かされたりで「こりゃあ堪らん」と退職せざるを得ない人が若者に限らず,僕のようなオヤジ世代でも無数にあります。

まだ就職される前から退職の話なぞするのは極めて失礼かと思いますが,就職する事で「大切な事をする時間が失われ,自分が描いた人生と異なるレールに載せられる」から躊躇してしまう,という話も沢山聴きます。

僕自身は「歯を食いしばる」前にひょいひょいと「転職」し続け,変な話,自分でスタジオやオフィスを開いても,名前や住所は同じでも中身は三年位の割合でさっさと替えてしまう訳ですから,この手の「就職〜転職」相談には全然対応できない人格な訳です。

ただ,個人的な事なので具体的には書けませんが,Aさんが就職内定された会社の業務というものは,
僕はある程度知っている業界なので大凡の予測が着き,恐らく,それはAさんがイメージするものと相当かけ離れているかも知れません。

僕のような仕事をしていると,ちゃんとした会社員や何らかのプロだけでなく,いわゆるフリーター的な若者〜オジさんも少なからず集まりますが,それらの方は不幸にして就職の機会に恵まれなかった,とか,あまりにもハードで保たなかった,という方もおられますが,結構「就職したがイメージと違うので辞めた」という方も少なくありません。

自分が描いていたイメージと違う,というのは就職に限らず恋愛〜結婚にも当てはまる事ですが(汗),僕はむしろ「イメージと違うからいい!」と申し上げておきましょう。

いわゆる「人生経験」という意味ではありませんが,具体的に音楽の仕事を進めるとなると,
その実,付随してくる音楽とは直接関係ない仕事ができないと音楽の仕事として成立しないからです。

僕は「カフェ・ピアニスト」なんて自称し,「カフェ・ミャージック」に関わっていますが,
その実,音楽や音響だけでなく,カフェのメニュー制作から食パンの仕入れ先迄,色々な事が分かっておかないと「カフェ・ミュージック」が具体的に成立しないのです。

或は比較的分かり易い例でいえば,僕は「ジャズ系のカフェ/ラウンジ・ミュージック」関係者という事になっていますが,若い頃は(本名ではありませんが)演歌の作編曲もやれば,アイドル系の音楽もやる,という具合にどうにも雑多な経験を積んでいます。

かと言って「生活の為に割り切って」何かをやった,という事は一度もなく,演歌の作曲だろうが,たこ焼き屋の屋台だろうが(実際やってたので),全て自分のコダワリは通し,夫々において「あいつらしい仕事やな」という評価は頂く迄にはなった筈です。

まぁ頑張った,という事ではなく,楽しんだ,という感覚でしたが,思ってもみなかった仕事をやらされる羽目になるからヨソに勤めるのは面白いし,やってる当時は嫌でも,後になって非常に役立つ技能や知識が沢山あった,というか,色々とやった事で「自分が本来やりたかった事」を具現化する能力を持てたとも言えます。

そういう意味で「イメージと違う」「自分が希望しない職種」こそ自分を拡大する絶好のチャンスといえましょう。

但し,それらを適当にやる,というだけならば,例え正社員だろうが精神的には「フリーター」に過ぎず,時間を切り売りするだけの月日になる訳で,そんな事は「人生の浪費」に過ぎません。それぞれの仕事に秀徹し,本質が掴める程度にならなければ,効率の悪い人生となります。

…何らかの形で表現できる,という事。

つまりは「学ぶだけ」では無意味で,まぁブログやフェィスブックはともかく,何かの原稿としてまとめるとかが必要となります。

僕は自分のお弟子さん(一般生徒とは別な,やや特種な目的で習いに来られている方)に対しては,それこそ八百万にあらゆる事を喋りまくりますが,それを聞いてるだけだとしたら,お互いに時間の無駄という事になり,それどころが,何かの被害者になったように思われてしまうので考えものですが,それらの会話から何かを造れる人は,やはり次の段階に昇っていくようです。

とにもかくにも「形があるもの」にまとめてしまう,というのは大変なのです。

僕の教室の音楽レッスンでいえば,例えば習得したレパートリーは,とにもかくにも動画として残してしまい,公開するしないは別として,ある程度,人が聴けるレベル迄に作り込んで(練習を重ねて)貰います。

或は,これは,やらない生徒さん(お弟子さん)はやって来ないのですが,中級以上のジャズピアノの方ならば既存の楽譜を「五段譜」という独自のフォーマットの譜面に(以下説明は省略しますが)「モードスケール」と「ボイシング」を書き,更に進める方ならば自分で編曲して貰うようにします。

或は「フィギュア」と呼びますが,いわゆる「パターン」を12調に移調し弾けるように練習して貰います。

又「論文」という程ではありませんが,種々の話を「原稿」として纏めて貰います。

たったそれだけの事ですが,何のかんのと口実を設け,まるでやらない人もいれば,熱心に毎回編曲や原稿を届けてくれる方もいます。  

つまり「何曲レパートリーを持てたか?」「何曲楽譜に書き落とせたか?」「何ページ原稿を書いたか?」そしてもーその量が多い程,音楽家として必要なスキルを持てる,といえます。

つづく
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「音楽で人に生きる力を与えれる音楽家になりたい」というご要望を頂ました。 [音楽ビジネス]

お久しぶりです,というか,この一週間もドロ沼のような忙しさにかまけ,ブログの更新が滞っておりました。本当は「今日は,これこれやりました」式の日誌報告型にすれば僕のブログも更新数が上がりますが,僕の日常なぞ人様に公開(というか露出)できるような面白い話しでは全くないので,わざわざブログネタにはできないのです。

何かピアノ又はパソコンの前から前とで移動するだけの日々。その他,身体の鍛錬少々。
その他の時間は,考えてみれば一日中,食べるか話すか,歌うか。その合間に寝るか雑事をする,というだけ。毎日,色々な人と会いますな。こういう仕事も,KImball Piano Salonでのデイレクターやって下さっている羽鳥さんみたいに「人と会うのが好き」な人には楽しいでしょうれども,僕は人と会う事は苦痛ではないが割合に面倒臭い,という性格です。

とはいえ「それやったらお会いしたい」というは,実は自分の(音楽以外の)趣味…と言ってもあまり無いのですが…に関する事。尤も先方さんは僕に会いたいかどうは不明ですが。

次が,やはり僕というかKimball Piano Salonやチャールストン倶楽部の活動にご賛同頂ける方。

逆に「文句を言いたい」人に会うのは正直気が重い。というか,どう考えても「文句を言いたい人」の方が多い筈なのですが,どういう訳かそういう人もアクセスされる事が皆無に近く…というか捨て置かれているのでしょうが…,賛同して下さったり,関心を示して下さい方の方が多く,一歩間違うと「裸の王様」化しますが,実は僕自身には色々な「師」がおり,四六時中「文句を言われる」状況でして,バランスが取られているのでしょう。多分。

という話はさておき,今日も「我田引水」になりますが,僕のブログを読まれて賛同された方からのメールを頂ましたので,抜粋してご紹介すると共に僕の追記を書かせて頂きます。

内容は僕が以前書いた「クラシックの近代音楽を理解する為にはジャズ和声を学ぶ方が早い」に関する部分です。

****************************************************
Aさんからのお便り;

こんにちわ。藤井さんのブログを読ませて頂いた際,かねがね識りたい,と思っていた事が述べられてあったので驚くと共にお便りさせて頂ました。

現在,私は教育学部の音楽専攻の4年生です。

B県を中心に演奏の機会を頂き、今年は新人演奏会にも出演することが出来ました。

しかし、来年からは自分自身で生活の基盤を作らなければならないので、就職活動を経て、或る音楽関連企業に内定を頂き,来年から新生活を始める事になっております。

私は幼少のころピアノを習い始めてから音楽が大好きで、将来は、クラシックに限らずジャズや作曲もちゃんと勉強して、演奏家・アーティストになりたいという夢を今でも強く持っています。

内定を頂いてから、音楽関連のお仕事ではあるものの、ピアノと離れてしまうことがやはり引っ掛かり、ここしばらくは、『ピアノをもっと深いところまで勉強したい』『音楽の本質、深さをもっと追究したい』という思いがどうしても強くなり,調べていたところ、Kimball Piano Salon のホームページ、藤井さんのブログに辿りつきました。

記事では酷評されていましたが(笑)私も音楽の友社の【信号色の和声】を勉強していて、楽曲の分析が出来ると思っていましたが、今一つ実効性がなく,楽曲の深い部分が読めません。

そんな中,藤井さんの「ジャズ理論でこそクラシックの近代音楽は分析できる」という記事を読み本当に驚くと共に,そのような本質的で実践的な学び方にとても興味を引かれました。

大学に入って以来,私はジャズピアノに惹かれて、クラシックの譜面を追う作業ばかりで育ってきた私は、カプースチンならばできる!と思い、今はカプースチンの「変奏曲」を練習したりしています。

私は『音楽の本質を吸収する』事で、音楽で何かを成し遂げる人、そして自分の音楽が人の生きる力になる、幸せになって貰える、エネルギーや癒しを与えられる、そんな音楽家になりたいという思いを強く持ちます。

そして,それを実践しておられる藤井さんの門をくぐりたいと思いました。こんな私ですが,
入門をお許し頂けますでしょうか?

**********************************************
A様;

お便りありがとうございました! 又,ご就職おめでとうこざいました。この就職難の時代にあって,
就職できた人は,やはり幸運かと思います。

さて「音楽で人の生きる力なる〜」という下りには深い感銘を受けました。
まだ学生のご年齢でありながら刹那的でなく,キチンとして「人生の意味」をお考えのようなので,
Aさんと共に御学である大学の方にも強い敬意を抱く次第です。

ぶっちゃけた言い方をすれば「今時の若者はなかなか頼もしいな」というものですが,
私の元に入門される極めて若い方でも「人として考えるべき事」を考えておられる方がおられて感心させられてしまいます。

むしろ,いい歳をしたオバさんで「何とか努力しないで,感性だけで演奏して,稼げる方法ないですかぁ?」とマヌケな質問をして来られる事例が稀とはいえあり「維新の会にでも尋ねてくれ」と答えていましたが…。

勿論,如何に素晴らしい理念であっても具現化できる能力や人脈,縁,経済力等が伴わなければ,絵に描いた餅になりましょうし,それらは一朝一夕でできるものではありませんから,コツコツとして努力を始めねばならない事は言う迄もありません。

***********************************
さてお考えにあった「音楽の本質を吸収する』事で、音楽で何かを成し遂げる人、そして自分の音楽が人の生きる力になる、幸せになって貰える、エネルギーや癒しを与えられる、そんな音楽家になりたい」という理念ですが,是非,具現化というか,そういう人に成って頂きたいと思います。

問題は「どうすれば,そういう人になれるのか?」という事ですね。

「ジャズ和声を勉強すべき」というのは「能力習得の目標」に過ぎませんが,むしろ本題である「どうすれば,そういう人になれるのか?」とは能力云々以前の「どう生きるのか?」というシンプルにして広大なテーマになり,僕自身も四六時中考えている問題にぶち当たります。

僕自身はいわゆる「癒しの音楽」は目指しませんし,人の演奏に関しても正直言って「癒し系」については,大体「駄目な奴が手っ取り早く稼ぐ」為にやっている場合が多く,つまりは未熟な演奏が殆どなので,聴いていて却ってイライラざせられます。

むしろ何かしら技術的にも表現的にも限界に挑戦したような音楽,例えばジャズならばマイルス・ディビスやビリー・ホリデー,キース・ジャレット,クラシックならばアルフレッド・コルトーやヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏の方が感動するし「癒される」というか,聴いた後に元気になります。

幾ら「感情を込めた」ものであってもヘタクそな演奏は,まぁ本人が楽しむのは勝手として,聴かされると迷惑に感じます。よく「ボランティア演奏したい」なんて話も伺いますが,「あんたの演奏なぞ,聴く方がボランティアと違うか? ボランティアしたければ掃除か洗濯でもさせて貰った方が有益だよ」と言って潰してしまいます。少なくとも僕の生徒さんが「ボランティアしたい」何て言って来られれば,その人の限界を突破したようなレッスンでシゴキまくり,且,練習につぐ練習を課し,その人なりの限界突破したような型でしか行く事を禁じますが,それでも実際にそれを為し,その上で現場に向かうという方がおられまして,変な話「うちの生徒さんも,なかなか大したものだ」と感心しました。

つまり「感動を与える」という事は,自分自身は犠牲的と迄は言わないにしろ,ある意味,苦しい,といいますか,自分のもてるものを全て捧げる位でないと達成できない,という事です。

僕はいわゆる「プロ演奏者」なので「演奏」に際してはギャラを要求するし,支払いが当然とされますが,「プロ」ではない「アマチュア」の人に限って「ボランティア演奏」を希望する場合が少なくありません。「プロと違うから,ギャラを取るような演奏はできないが,ボランティア演奏ならばできる」とか言う訳ですが,そういう話を聴く度に「アホか!」と僕は思い上記のような対応になります。

例えばユニクロが被災地に新品のフリースを送った,という話があり,これは極めて効果的,且,誠意がこもった行為でしょう。ところが誰だったか「要らなくなった服」要するにナフタリン臭い着物やらシミだらけのシャツやらを送った人がいました。なるほどボロだろうが何だろうが,無いよりはズッとマシですが,考えようによっては「支援」ではなく逆に「ゴミの処分」を被災地に押付けた,ともいえます。

同様に「マトモには誰も聴いてくれない演奏」を暇を持て余しといるとはいえ,被災地や老人ホームで聴かせる,というのは,いわば不要なゴミを捨てに行くようなもので,むしろゴミ的演奏に付き合って下さる方が余程「ボランティア活動」と考えられるでしょう。

つまり少なくとも自分の中の絶対限界には挑戦したものでないと,幾ら「感情を込めた」としても,
ゴミの一種でしかなく,自分自身の修練という事が絶対的な条件となりましょう。

という訳で「人に感動を与える」音楽に達する為には,簡単にいえば「感情を込める」事でなく,物理的にも時間的にもコストを懸けた何かしら犠牲的といいますか奉仕的な「生き方」を自らに強いる事と,それを瘦せ我慢でなく楽しめる心というものを持ち続ける必要があります。

続く  Kimball Piano Salon 主宰 藤井一成 http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball

PS;リンクは世間の評判とは裏腹に本当は「大奉仕精神」の持ち主だった「クラシック界の帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンの自伝。


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音楽の仕事はないですか?というお問合せ [音楽ビジネス]

長らくプログ更新をご無沙汰してました。この数ヶ月、本業(?)の教材原稿書きや、お金にならないから「道楽」としか言い様がない作曲、締め切りに迫り、私的な時間が殆ど取れませんでした。

ところで、このプログを書き始めたせいでもないでしょうが、最近、僕の元に「何か仕事を回してくれませんか?」とか「雇ってくれませんか?」という問合せを多数頂きました。

うーん、古雑誌ならば貯まっているから、回して上げれなくもないけれども、「仕事」について回せるようなものでもないし、雇う程のお金もないし、で滅多に良い返事ができません。

但し、ウチも色々なヒトと組んで、色々な事をやってるから、稀には「丁度良い」ヒトが現れて下さった助かる場合も全くない、とは言えません。

それにしても「売込み方」を、もう少し工夫したらどうだ?と言いたくなります。

最悪のパターンが「ホテル・ラウンジでピアノ演奏をしたいのですが、何かお仕事を紹介して貰えませんか?」。そんなもん「紹介しません」としか言い様がない。
或は、うちの教室の問合せとして「教室に入会すれば、ラウンジ演奏を紹介してくれますか?」というのもあり、これも「紹介しません」。

この場でお伝えしておきますが、どこぞの田舎のレストランでやってるような、素人を「演奏者」として安い(というか内容の割には高い)ギャラで雇い、毎日のルーティングを組んで「BGM演奏」させるような世界は、もう終ってるでしょう。

本当は経営的には無意味な筈だけど、社長の個人的趣味で続けてる程度で、代が変わればなくなるだろうし、なくなったから、別段、文化がなくなる、という訳でなく、わざわざ聴きたい人がいる訳でなく、困る事もありませんが…。

確かに昭和40年代位迄は「ピアノが置いてある」「白いブラウスの女性が弾いている」といえば「ハイソ」な感じがしたでしょうけど、当時は一般庶民はやっと買えたトヨタカローラのリアウインドウに「レースのカーテン」を取付けたり、花瓶に「香港フラワー(プラスチックの造花)」を並べれば満足できた時代です。
「乙女の祈り」だか妙な編曲の映画音楽あたりをピアノで演奏できれば御の字。

今時は、誰でもピアノなぞ弾けるし、ピアノ自体、竹本買取センターに処分して貰う訳で、ただ弾いてます的な演奏なぞ、誰も喜びません。
やるのであれば、そんな素人とか、或は音大生の「大曲だと素人目には格好が付くが、小品となると化けの皮が剥がれて聴けたものじゃない」演奏でなく、クラシックだろうがジャズ、ポピュラーだろうが、ちゃんとしたプロの演奏を聴かせて欲しいものです。

確かに、うちでも「派遣」というか、(教室の生徒さんから選び)どこぞに演奏に行って貰う事は多々ありますが、一曲一曲、レッスンで仕上げた曲しか弾かせないし、「とりあえず、何々だから、この程度の演奏でいいや」式の演奏は厳禁。

ところでAI Music Salonにはレンタル練習室がある関係で、僕は色々な方の演奏を日々聴く機会に恵まれます。大体がクラシック系の方ですが、その中には「なかなか良い」とか「大したものだ」と思える演奏もあります。
こういうのは「聴かせる価値」がある訳ですね。

尤も、僕として事が自分の事だけで手一杯だった事もあり、長い間、意識してなかったのですが、AI Music Salonにレンタルのお客さんとはいえ、こうして、
なかなかの演奏ができる方が集まる、というのは幸運な事である、考え始めました。

そこで話しを冒頭の「何か仕事ないですか?」ですけど、要するに「聴かせる価値」がある演奏ができるのであれば、仕事なぞ「作ればいい」訳です。
「どこかのレストランのBGMの仕事ないですか?」ではなく、こちらに「商品」たる価値のある音楽家がいるとすれば、別に「どこかのレストラン」でなくても、
銀行のロビーだろうが、ブティックだろうがお構いなく、企画して「仕事を作る」事を考えた方が良い訳ですね。

要は「選んで貰う」のでなく、「自分の音楽には、あなたの持っている空間が合うから、演奏してあげます」的な、こちらが選ぶ側に立ち、且、先方のメリットを確保するという事で話しを進めるのが、ビジネス的な発想でしょう。

更に言えば、うちに来られる時も「仕事ないですか?」ではなく、ちゃんと自分の能力をプレゼンし(手っ取り早いのは演奏を聴かせて下さる事)、それなりのビジョンを持たれて来られるべきです。

従って「本業はクラシックですが、レストランの演奏だから、星に願いを、みたいなポピュラー曲の方がいいですか?」みたいのは、その時点で「失格」。
「星に願いを」にしろ「ムーンリバー」にしろ、本当にやるとなると、とんでもなく大変な事であって、それが分らない、というのは音楽の根本が分ってない証拠。
且、「レストランに合わせて」という発想が駄目。「自分の音楽は、子供が食べに来るAレストランでは合わないが、Bホテルのロピー・ラウンジならば合う」という位の自信が必要。

大体、偉そうな態度を取る人に限って演奏はデタラメな場合が少なくありませんが、出来る人は、割合にフレンドリーにどこにでも入ってくる、というのが、私見です。逆に、こちらが何かを言うと、妙にビクついたり、妙にへり下ってる人は、大抵、演奏も貧乏臭いから駄目。

根拠のない楽観は逃避に過ぎないし、「楽しければいい」という人は馬鹿に違いありませんが、妙に固い人は駄目。音楽を職としてやっていこう訳ですから、真摯さと、何かしら面白い味わいを持ってて頂きたいものです。

そういうヒトならば、うちでにも、仕事あるかも…です。(多分、ないけど)。
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