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子供にジャズピアノを習わせる事の是非 [Lee Evans Society]

そもそも「子供」がジャズを学ぶ必要があるのか?

僕が主宰する「リー・エバンス・ソサエティ」は米国の教育家リー・エバンス教授の「ジャズピアノ・メソッド」の普及活動をしています。

このメソッド「リー・エバンス」は様々な方を対象とし、その中には中学生以下の「子供」も含まれます。

ちなみに「子供」として幼児も中学生も一緒にするのは変かも知れませんが、そもそも「ジャズに関心がない」年齢層である、という点で同じなので、ここでは「子供=Kids〜ジュニア」という図式でお話します。

高校生以上の「大人」の場合、「どうやってジャズを学ぶのか?」という「メソッドの内容」が大切ですが、「子供」の場合は、それ以前に「そもそも子供がジャズを学ぶ必要があるのか?」という事から考えなくてはなりません。

「子供」は必ずしも「ジャズ」を学ぶ必要はない!

結論から言えば、「子供」は必ずしも「ジャズ」を学ぶ必要はない、と僕は思います。

「リー・エバンス・ソサエティ」の「目標」は確かに「リー・エバンス・メソッドの普及」ですが、そもそも普及させる「目的」は「ピアノ教室のレッスン環境を良くする」事にある訳でして、誰彼関係なく普及させたい訳ではないのです。

つまり「クラシック」をしっかり学べば、いわば「ジャズピアノの基礎」の半分位は形成される訳で、「大人」になってから「ジャズピアノ」を始める際の手助けとなります。

実際の所、僕の教室に来られる「大人」の音楽経験は次のパターンとなります。

1,クラシックは弾けるが、ジャズは未経験 2,ジャズを耳コピ等で我流で弾けるが、クラシック経験はない 3.クラシック経験もジャズ経験もある 4,ピアノ経験もジャズ経験もない

正直言って、教える立場として一番「楽」なのは「3・ クラシック経験もジャズ経験もある」ですが、そういう人は少数。

「1・クラシックは弾けるが、ジャズは未経験」も結構「楽」ですね。

この場合「弾ける」というのは「ソナタ以上」という意味ですけど、要するに「クラシックで培った演奏技能をジャズに流用させる方法」を僕は持っているから、要するに「ジャズ的な事」のみ教えれば済むので「楽」。

逆に2のように「ジャズ経験はあるがクラシック経験はない」という方の場合、下手すると「ピアノの弾き方」が滅茶苦茶だったり、そもそも殆ど弾けなかったりする訳で、「ピアノの弾き方」についての時間を割く事になります、

その場合に最強の武器が、実は「リー・エバンス・メソッド」なんですね。

滅茶苦茶だった指や手の運びを教えてくれるし、弾き方が滅茶苦茶という事は、「リズム感」も100%変な筈だから、徹底的な「ピアノの弾き方」を直します。

ちなみに僕の教室では、「リー・エバンス・メソッド」つまり「ジャズピアノ・スタイルの練習曲」他で「ピアノの弾き方」を直しますが、教室によっては「クラシックピアノ」を習わす講師も少なくないようです。

「クラシックピアノ」を学ことは確かに良い事ですが、「大人」とくに社会人や主婦の場合は、「ジャズピアノ」という目標からすれば遠回り過ぎるので、一石二鳥で「ピアノ」も「ジャズ」も学べる「リー・エバンス・メソッド」をお薦めしています。

「4、ピアノ経験もジャズ経験もない方」についても同じ。

また「リー・エバンス・メソッド」で「ピアノ」を学べば、いつのまにか、いざ「クラシック」の楽譜を広げても、バッハなりシューマンなり、弾けるようになっています。

という事ですが、これは、あくまで「大人」の話であり、「子供」は「クラシック」を優先した方が良いと僕は考えています。


より「親しみにくい」ものから親しむ事の重要性


「大人」の場合、目標が「ジャズピアノ」ならば、最初から「リー・エバンス・メソッド=ジャズ」で「ピアノの弾き方」と「ジャズの方法」を学ぶ方が効率的です。

しかし「子供」の場合、「ジャズピアノ」でスタートする事をお薦めしないのは、そのまま「クラシック」に関心を持たない大人になる可能性が生じるからです。

僕の場合は、「クラシック出身」と言える立場ではありませんが、学歴はクラシック系音大卒であり、子供の頃からクラシックが好きで、ずっと「クラシックピアノ」を習っていた事も事実です。

勿論、「子供」であっても「ジャズピアノ」から入り、「クラシック」に目覚める事もありますが、多分、プロアマのジャズピアノ奏者になるか、挫折しポップスに行くのではないかと想像します。

勿論、ポップスをプロアマ・ミュージシャンとして楽しむ人生が間違っている、とは言えませんし、今時のポップスは複雑な「ジャズ理論」が導入されており、「ジャズ」が「ポップスの基礎」になっているようです。

というか「ジャズが基礎になっているポップス」と「そうでないポップス」の2種類に分けられるようです。

そんな「ジャズ」についても「クラシックの基礎」が「あるヒト」と「無い人」に分かれ、無いからダメという事はないにせよ、やはり「あるヒト」の方が演奏の幅が広い。

つまり、これから人生が始まる「子供」の場合、将来、ジャズをやるにせよ、ポップスをやるにせよ、「基礎」になるのだから「クラシック」から入った方が良い、という訳ですね。

或る意味、「ジャズ」とポップスやロック等の「ポピュラー音楽」は、ドラムやベースが編成の中核を成している、という点では似ています。

「ジャズピアノ」の演奏なり、リスナー(自分では弾けないが聴くヒト)の場合、ドラムやベースなしの「ソロピアノ」を聴きたい事もあれば、ピアノとベースのデュオを聴きたい場合もありますが、基本的にはペースやドラムが入っている方が、演奏し易いし、聴きやすい。

そういう意味では「クラシック」は「ポピュラー」と、少し遠い訳ですが、だからこそ、子供は「クラシック」から入るべきなのは、或る意味「難しい」音楽といえる「クラシック」に慣れてしまえば、後が「楽」とも言えましょう。


だけども「子供」がジャズを学べば良い、とも言える理由

なんだか「子供はジャズなんぞ学ばなくてもいい!と力説しているみたいになりましたが、では「子供はジャズを学んではいけないのか?」といえば、そんな事は全くありません!

僕のお薦めは「クラシックとジャズの同時習得」

子供に「クラシック」を親しませる事は、他の音楽をやるにせよ、やらないにせよ、技術的にも情操教育の観点からもとても良い事です。

では「子供にジャズをやらせる理由」は何かといえば、これも実はクラシックと同じなのですね。

例えばテレビ等に登場する音楽は、やはりポップスが最も多い訳ですが、その次にはクラシックが多く、狭義の「ジャズ」は滅多に出てこない。

対してバーに入ると「ジャズ」がBGMとして流れているのが普通で、「大人」は「ジャズ」に触れる機会はまあまああります。音楽には関心がなく、まして「ジャズ」には全く関心がなくても、バーやレストランのBGMとして「ジャズ」が流れているからと言って怒る人はいません。

音楽やピアノに関心があるヒトだと、その自分でも「ジャズピアノを弾きたい」と想い、それこそ僕の教室に入会されたりしますが、そういうヒトというのはジャズピアニストの名前なんて一人も知らない、というのが普通。むしろ「ジャズピアノを習い始めたから、始めて意識してジャズピアノのCDを聴いた」という所。

これは「大人」だから可能なシチュエーションであり、「子供」はバーなんか行かないないですし、そもそも子供が行くような場所には「ジャズ」なんて流れていませんから、「子供」と「ジャズ」の接点は滅多にありません。

そもそも、別な所にも書きましたが、「子供」に「大人向けのジャズ」なんぞ聴かせる必要はありません。

ちなみに、この場合の「ジャズ」とは「1950〜60年代のモダンジャズ」を意味しますが、僕自身、基本的には「モダンジャズ」のヒトだから解りますが、「モダンジャズ」というのは、子供には有害(?)な、ネガティブな感情や性的な表現も含まれています。

だから「大人」には、どうって事はありませんが、「子供」には相応しくない訳ですが、但し「ジャズ」全体を見渡しますと、「子供にも聴かせてあげたい」ジャズは存在します。

子供向きではないジャズと、子供にも聴かせたいジャズを見極めて

大雑把にいえば1940年代以前の「スウィングジャズ」や1920年代のガーシュインやJPジョンソン等のニューヨーク・ジャズ、或いはサッチモ(ルイ・アームストロング)のような「ニューオリンズ・ジャズ」、更に古い「ラグタイム」等。

まぁ、本当はジャズに限らずクラシックを含め、殆どの音楽にも「ネガティブ」な感情は含まれますが、これらのジャズは「ネガティブ」がさほど表層化してないので「子供」にも安心して聞かせられます。

加えて「リー・エバンス」にせよ、「ギロック」や「ラーニング・トゥ・プレイ」にせよ、「ジャズ」ながら「子供の情操教育」を想定し、「健康的」な表現を持ちます。

蛇足ながら、「大人」が弾いても「子供っぽくて幼稚だ」とは感じないのは、よく出来た「童話」のように「大人も楽しめる」質だからです。

という訳で「子供も楽しめるジャズ」が存在する事と、欧米の教材は「子供の健全な情操教育」を前提に作曲されていますから、「子供にお薦め」できます。

但し、あくまで「クラシック」と併用して頂きたいのは、「クラシック音楽への関心を持つ」機会を子供に与えて欲しいからです。


ポップス等を聴く際の「耳」を育成できる

「子供にジャズを学ばせる」もう一つの意義として、「ポビュラー音楽全般に対しての審美眼」を養う事が出来る事があげられます。

つまり、やおよろずの「ポビュラー音楽」にあって、「良い音楽」と「悪い音楽」を聞き分ける「感性」を持てる、という訳です。

勿論、音楽の「良い」「悪い」は主観的なもので、僕が勝手に「悪い音楽」に指定すると激怒(笑)される大勢の方がおられますが、それでも敢えて分けてしまいます。

基本的には「日本のアイドル」音楽は「悪い」。

J-Popも大部分は「くだらない」。

僕の世代だと、1970年代の日本のフォークやロックを「名曲」だなんて言うヒトは少なくありませんが、殆どは「正規の音楽教育」なしのアマチュアが思い込みで作曲したり演奏したりしていますが、しかし、観客とは連携できるので、物凄いレコードセールスを上げ、多くの人に「愛された」事も事実です。

しかし、僕の価値観では、やはり「音楽」というものは知識や技術の修練で作り上げるものであって、要するにクラシックやジャズのような「高度の音楽技法」を駆使できないものはダメだ、と思う訳ですよ。

この場合の「音楽技法」というのは、「西洋音楽」とも言えますが、例えば19世紀のロシアを観れば、チャイコフスキーに始まり、ラフマニノフ、ストランビンスキー、ハチャトリアン等は「ロシア的な雰囲気」は持ちつつ、技術や知識は「ドイツ音楽」に根ざします。

或いは「ロシア5人組」と呼ばれたムソグルスキーやリムスキー・コルサコフは、「反西洋」を掲げ、そもそも専業の作曲家だった事もありませんが、実際にはドイツ音楽の技法や知識が根底にあります。

だから大編成のオーケストラ曲を作曲できた訳で、楽譜もロクに書けず、ギターを鳴らしながら、適当に歌い、それを録音してできた、という感じの「1970年代のフォークの名曲」とは全く違う「高度な音楽」です。

蛇足ながら、僕は嫌いですけど、こうしたフォークやニュー・ミュージック〜J-Popsがダメかといえば、これはこれで「民俗音楽」としての価値はある筈です。

「民俗音楽」というのは「民族音楽」とも書けますが、要するに「民謡」。

僕が基本的にJ-Popが嫌いなのは、雰囲気こそ今風だけど、実質的には「民謡」を現代化しただけ、という感じなのと、そもそも僕は純血の日本人だけど、「日本の民謡」が苦手なんです。

「民俗=民族音楽」は嫌いだけど、「雅楽」のような洗練された「伝統芸術」は好き。
或いは「民謡」でもプロフェッショナルな技術の修練を経て「芸術」の域に達したものは「良い音楽」だと言えます。

「なに、上から目線で威張っているのか」と言われれば、それまでですが、僕としては嫌いなものは嫌い。勿論、日本人としての感性を失ってはダメです。

しかし「方法」としては「民俗」ではダメで、インターナショナルに「西洋音楽」つまりはクラシックやジャズを「基礎」として構築できないものは「低俗」なものとして退けてしまう「勇気」も必要だと思います。

日本の歌謡曲については、昭和の時代に活躍した服部良一等、クラシックやジャズをしっかり学び、それを歌謡曲として「良い曲」を沢山作った派閥もありますが、昭和40年代頃むから、前述の「楽譜もろくに読めない輩」が造った「昭和の民俗音楽(フォークやニュー・ミュージック)」にとってかわったのは、日本の文化発展の観点から大変残念な事だと思います。

そういう観点で、「子供」が「クラシック」と共に「ジャズ」を学ぶと、「ポピュラー音楽」全般から「低俗」なものと「良い音楽」を見分ける審美眼が培われる訳です。

これこそが「子供がジャズを学ぶべき理由」と言えましょう。

次回「クラシックピアノ経験者の為のジャズ入門」につづく

大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon音楽教室主宰 藤井一成
リー・エバンス・メソッドによるレッスンと指導者養成
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon










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