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ジャズとクラシックとではピアノの弾き方が違うの?中編 [Lee Evans Society]

「クラシックとジャズとではピアノの弾き方が違うのか?」という問題についてのお話。

前回の続きです。

結論から言えば「違わない」のですが、かと言って「ジャズ経験のないクラシックピアニストがジャズピアノ楽譜を弾いてもジャズに聴こえない」事も事実。

従って「ジャズの弾き方を学びましょう」というのが、僕が代表を務める「リー・エバンス・ソサエティ」の提唱ですが、「あれっ、では先ほど言った、クラシックとジャズとで弾き方は違わない、はウソなの?」という突っ込まれるかも知れません。

という訳で今回は前回の続き「中編」として「クラシックとジャズとでは弾き方は違わないが、ジャズの弾き方は学ばなければならない」の前提として「そもそも正しいピアノの弾き方とは何か?」についてお話しましょう。


そもそも「正しいピアノの弾き方」とは何か?

繰り返しお話しましたように「リー・エバンス・メソッド」では「正しいピアノの弾き方」で学び、或いは、それができない人の為に「正しいピアノの弾き方」が習得できるようにプログラムされています。

この場合の「正しいピアノの弾き方」とはイコール「クラシックの弾き方」と考えて貰っても問題ありません。

では「クラシックの弾き方」とは何か?

ツェルニーで「正しいピアノの弾き方」が学べるのか?

例によって「自伝(笑)」になってしまい恐縮ですが、僕が「正しいピアノの弾き方」を習得できたのは三十代の半ば頃だったと自負しています。

そんな僕を例としますと、僕の場合は、十代から二十代の半ば迄は、只管に「ピアノ奏法」の研究に務めました。

今時は「何々ピアノ奏法」の研究会や講座が方々で開かれています。僕がティーンや若い頃も、そういう催しがあった筈ですが、当時は情報が得らせず、結局、本で読んでは、精々ハノンやツェルニーで「指を造る事」したり、腕の使い方を工夫したに明け暮れていました。

ピアノから離れ、キーボード奏者に転向したから漸く理解できた「ピアノの弾き方」

これも「自伝」ですが(笑)、僕が二十代半ば、つまり1980年代半ば頃は、「デジタル楽器」が勃興し、僕も心を奪われたのは、シンセサイザーの音が好きだったから、ではなく「自分一人で多重録音が可能で、一人でオーケストラを造れる」事に惹かれたからです。

それで電子ピアノやシンセサイザー等を買い求め、やがてバブルを迎えた日本での音楽需要の急増により、僕も「スタジオミュージシャン」の「見習い」としてスタジオの仕事をさせて貰えるようになりました。

それで収入を「機材購入」につぎ込み、八畳ほどの自室は、当時、愛用していたディアパソン(国産)グランドピアノと共に、KORG、ローランド、ヤマハ等の国産メーカー、Kurzweil、Emu、Ensoniq等の海外製電子楽器で足の踏み場もない程に埋まってゆきました。

今ならば一台のパソコンでできる事が、当時は何台もの機材を揃える必要があり、僕の自室システムも一台のマッキントッシュ・コンピューターに接続された8台のシンセサイザーが、合計64パートを制御する、込み入ったシステムになっていました。

ほぼ同じ機材で構成された職場のシステムは「就業時間」だった事もあり使いこなせましたが、帰宅し、自分の音楽を作らねばと、コンピューターやミキサー、八台のシンセサイザーを立上げねば音一つ出てこない、というシステムが面倒臭くなりました。

国産高級車が買えてしまう機材購入費の支払いも負担に思え、結局、システムをシンプルにする事に決め、米国のEnsoniqというメーカーのと、音楽制作に便利だった国産KORGのとで、2~3台のキーボード(シンセサイザーとサンプラー)のみを自宅用の音楽制作機材としました。

特に気に入っていたのは米国EnsoniqのEPS16~ASR10というキーボードですが、つまり「ピアノ鍵盤」ではなくシンセサイザー鍵盤のキーボードが相棒だった訳です。

この「シンセサイザー/サンプラー」等のキーボードは、ピアノとは全く違った演奏技能が必要で、ダンパー(サスティーン)は滅多に使わないが、「エクスプレッション(ボリューム)」ペタルや、ベンダーと呼ばれるコントロール系を綿密に操作する必要があります。

Ensonicqに限らず、中級以上の機種になると鍵盤に「アフタープレッシャー」という機能が加わり、これはピアノだと鍵盤を弾けばそれで終わりなのに対し、鍵盤を押さえたまま、更に鍵盤を深く弾いたり、左右に揺らすと、ビブラート等がかかる、という仕組み。

そういえば、EnsoniqやKORGに加えて、ヤマハのシンセサイザーであるSY77や後継機種のSY99という高級機をシ使い始めましたが、これらは単に鍵盤弾くだけだとショボい音しか出ないが、ペタル、ベンダー、アフタープレッシャー等を駆使すると実に表情豊かな音が出る、という優れものでした。

ヤマハは、これらの「コントロール系」に拘りがあるのか「キーボード奏者の演奏技能向上」に使命感(?)を持っているのか、とにかく「コントロール系の駆使」を演奏者に求めるので、SY99等で練習すると、なるほど「演奏技能」が向上しました。

蛇足ながら1990年代初頭に発売されたヤマハの高級シンセサイザーVL1に至っては、最早「コントロール系の偏執狂」とさえ言える凄さで、口に加えたブレスコントローラーを迄駆使しないと格好がつかない、という代物。

かと言って、それほど印象的な音が出て来る訳でなく、僕は手を出しませんでしたが、「徹底的に演奏技能に拘る」当時のヤマハの電子楽器開発は、やはり立派と言えましょう。

そんな凄いというか偏執狂的に「コントロール系の駆使」が求められるデジタル楽器に囲まれていた関係で、「単に強弱しか出せない」と思えたピアノはツマラナイ楽器だと思ってしまってました。

幸いにも、ウィーンの名器ベーゼンドルファーと出会った事で、その誤りに気づきました。

ベーゼンドルファーで「ピアノ奏法」に目覚める

「ベーゼンドルファーとの出会い」と言っても、購入した訳でなく、当時、新大阪にあった「日本ベーゼンドルファー」のショールームのピアノを弾かせて貰った、というだけの話ですが、何かの用事ででかけたショールームのベーゼンドルファーにすっかり感心しました。

告白すれば、「キーボード奏者」になる以前、つまり二十代半頃にもベーゼンドルファーを弾かせて貰う機会はありましたが、当時はまともに音を出せませんでした。

当時はピアノ(グランド)といえばヤマハかカワイ、ディアパソンの180㎝くらいのピアノか、極たまにホールで弾かせて貰うスタインウェイのコンサートグランドが僕が経験したブランドでした。

勿論、ベーゼンドルファーには憧れており、触らせて貰えただけで感激はしましたが、具体的に「ベーゼンドルファーを弾きこなせた」とは全く思えませんでした。

ところが数年ほどピアノからは離れ、ミュージシャン見習いとして、キーボードの「鍵盤のアフタープレッシャー」等のコントロールを意識できるようになってから弾くと、ベーゼンドルファーはとても良い。

一言でいえば「こんなに弾き易いピアノはない!」
驚いたのはシンセサイザー等でしかできないと思っていた「鍵盤を押さえた後に、更に押さえる=アフタープレッシャーの奏法」がピアノでできてしまう事。加えて三本のペタルは、いわば「エクスプレッション
や「ベンダー」として使える、という事です。

そういえば当時、1990年代初頭の頃、ヤマハのCFⅢSというコンサートグランド・ピアノをある演奏会用に使わせて貰いましたが、これもベーゼンドルファー同様に「完璧なコントール」ができるので、驚愕すると共に感心しました。

ベーゼンドルファー・インペリアルやヤマハのCFⅢSというコンサートグランドだから良い、といえば良いに決まってますが、「音がいい」とか「音に迫力がある」とかで良いと感じた訳でなく、「アフタープレッシャー」が使えるがごとくの「タッチの追従性の高さ」やペタルによる響きのコントールの敏感さに感心した訳です。

考えてみれば、本来、僕はキーボード奏者ではなくピアノ弾きではないか、という「願望」もありましたが、キーボード奏者時代に「タッチによるコントロール」をある程度習得できた事で、僕は「ピアノが弾ける」のでないか、と思い始めました。

バルトーク版バッハやコルトー版のショパンで「ピアノの弾き方」を学ぶ

結局、ピアノに回帰するべく、練習を再開しましたが、平行して「ジャズピアノ」の練習も始めていました。

その頃になって漸く「ジャズピアノ」も「なんちゃって」ではなく、理論的な構築したジャズハーモニーを鳴らせるようになりつつあった、という所です。

その頃、疑問に思ったのが「ジャズとクラシックは弾き方が違うのではないか?」という点。

キーボード奏者時代に理解したのは、「日本式のジャズやポップスのリズム感」と欧米のは違う、という点でした。ではジャズやポップスとクラシックは違うのか?

そんな頃、親しくなって、来日する度に僕の家に泊まりにくるようになったドイツ人のクラシックピアニストがいて、隣に座って演奏を観る事ができ、それで判ったの「アメリカ人がジャズやポップスでやっているリズム感」と「ドイツ人によるバッハやベートーヴェンのリズム感」は同じだな、と事。

改めてバッハやモーツァルト、ショパン等の楽譜を読み直しますと、それこそ「ジャズ固有のリズム感」なんて言われていた事と同じリズム感覚でフレージングが造られている事が解りました。

敢えていえば、欧米人といえど若いクラシック音楽家の演奏には違和感を感じましたが、戦前のクラシックピアノの巨匠であるバックハウスやコルトー、フィッシャー、チェロのフルニエやカザルス、バイオリンのハイフェッツ等の演奏は「ジャズのリズム感」と全く同じ。

ドイツの巨匠フルトベングラー指揮ベルリンフィルによる「ベートーヴェンの合唱交響曲」は「ジャズのリズム感」だけど、我が出身校の後輩達による「ベートーヴェンの合唱交響曲」は岩城宏之氏という「本物のクラシック」指揮者が客演するも、「えさほいサッサ」の「お猿の籠屋」=日本の民謡に聴こえるので笑ってしまいましたが。

自動ピアノとやらで再生されたラフマニノフやドビュッシー等の演奏も「ジャズのリズム感」と同じ。

考えてみれば、初めてフランスに米国ジャズが上陸するのは、ジャズが創成された当時の1920年代ですが、数年でヨーロッパ中でジャズが大流行し、ヨーロッパ人もジャズを演奏し始めます。

例えば「クラシックピアニスト」に三年で「ジャズピアノを習得して下さい」なんて言えば「パワハラ」に近い暴言となりますが、現実に僅か数年で、ヨーロッパ人はジャズを習得して自分で演奏しています。

なぜ、こんな事が可能だったのか?といえば、「本来のクラシックのリズム感」は「ジャズのリズム感」と同じだったからであり、いわば昨日迄はネイビーブレザーにウールパンツを合わせていたのを、今日からはジーンズに変えてみた程度の「低いハードル」で、ジャズとクラシックを移動できたのでしょう。

別な言い方をすれば、「伝統的なクラシックのリズム感」が形成されていないと、「ジャズのリズム感」も理解できない、という事です。

また「リズム感」が同じならば「フレージング」も同じであり、「フレージング」が同じならば「弾き方も同じ」という訳です。

バルトーク版バッハやコルトー版ショパンで「ジャズの正しい弾き方」を学んだ

僕がキーボード奏者から「ピアノ弾き」に回帰するべく、「ピアノのトレーニング」を再開した際、バッハやモーッアルト、ショパン等を練習しました。

その時、持っていた楽譜は、学生時代に購入した「クラシックピアノの日本の大家」と呼ばれる先生が改訂した版でした。

それで練習するも、どうも感覚が合わず、紀伊国屋に行って「ウィーン原典版」やら、アルフレッド・コルトー版やらを「立ち読み」すると、僕が「ジャズピアノ」で学んだフレージングつまり「指使い」と完全に一致するものが、書かれています。

それで「日本の大家」版は古本屋で売り払い(当時は高く売れた)、小遣いを動員して「ウィーン原典版」やコルトー版、或いはバルトーク版バッハやベートーヴェン等を買いあさりました。

特に感心したのが、バルトーク版とコルトー版でしたが、こういう言い方は僭越ですが、僕が描いたものと一致しましたが、この時、気づいたのが「フレージングと指使い」の関係です。

フレージングが正しい指使いを決める

コルトー版等で「本物のピアノ奏法」を学び始める以前は、「正しい指使い」とは事前に決まった形があり、それを曲に当てはめるものだ、と考えていくした。

仮に「指使いが書かれていない楽譜」に「指使い」を書き入れる場合は、ハノンやツェルニーで習得した「正しい指使い」を張り付けるのが「正しい弾き方」だと信じていました。

ところが、例えば「ウィーン原典版」やコルトー版では、「ド・レ・ミ」と隣接する音があった場合、必ずしも「2・3・4」という「ツェルニーやハノン的には正しい指使い」を指定するとは限りません。

「1・2・5」みたいな「変則的(?)」指使いが指定される事が多々あります。

これは「その方が弾き易い」からでも「色々な指で弾ける練習をしている」からではありません。

つまり「フレージングに合わせて指使いを決める」ているのです。

上記でいえば「ド・レ」は同じフレーズだけど「ミ」は別なフレーズの始まりだから、「3」の指ではなく敢えて「5」を選択するのだ、となります。

ツェルニーの「指使い」自体は間違っていないが「フレージング」はツマラナイ


では「ツェルニーの指使いは間違っているのか?」と言えば、これも「間違っていない」と断言できます。「ツェルニーが作曲したフレージングに合致」しているからです。

問題は「ツェルニーが作曲したフレージング」が「正しい」のか?という点ですが、これは「間違っている」とは言えないにせよ、「ツマラナイ」としか言いようがありません。

果たして、この「不自然で、魅力もないフレーズをい練習」したからと言って「正しいピアノ奏法」が習得できるのか?といえば大して役に立たないでしょう。

その他、モシェレスやモシュコフスキー、クレメンティ等多種多様な練習曲がありますが、期待するほどの効果が上げれないの、「音楽性が低い」つまり「正しいピアノ奏法」の範疇が狭いからです。

「正しいピアノ奏法」の理想的な「練習曲」は、バッハやショパン、シューマン、リスト、ブラームス、ドビュッシー他「楽聖」による「練習曲集」ですが、難易度が高く、歯が立たない方も少なくない訳で、なるほどモシュコフスキーのような練習曲も有効かも知れませんね。

正しいピアノ奏法が習得できるのかリー・エバンス・メソッドの特徴

ところで「リー・エバンス・メソッド」の「練習曲」はどうか?と言われれば、一言で言えば「正しい指使い」が用えます、となります。

この場合の「正しい」は、ツェルニーはさて置き、「ウィーン原典版」のバッハやモーッアルトの楽譜にふられた「フレージングに合致した合理的な指使い」を意味します。

「リー・エバンス・メソッド」の各曲の「フレージング」は、率直にいえばバッハやモーツァルト等の「楽聖」には負けます。

しかしツェルニーやクレメンティはさて置き、比較しやすい現代米国のピアノ教本であるトンプソンやギロック、バスティンに勝る、と僕は思います。

僕自身は変な話でずか「バッハの平均律ピアノ曲集」と「ショパンの練習曲集」だけあれば「ジャズピアノの練習」もできます。ついでにドビュッシーやスクリャービンもあればなお良し。

但し、それらのクラシック練習曲から「ジャズ的要素」をすくい取るのは、ジャズ自体をある程度以上理解しておかねばならないので、これから「ジャズピアノを学ぼう」という方には、「ジャズのよくあるフレーズ」が多様される「リー・エバンス・メソッド」の練習曲をお薦めします。

「ジャズフレージングとは何か?」については次回お話しますが、「正しいジャズフレージングで作曲されたもの」を練習する事で「正しいピアノ奏法」が習得或いは向上できます。

「リー・エバンス・メソッド」において、「一段譜による即興演奏」を学習段階では重視しないのは、「我流」で即興すると「間違ったジャズフレージング」を作ってしまい、当然「間違ったピアノの弾き方」になります。

従ってクラシックのピアノの先生が忌避する「ジャズを弾くと、クラシックピアノの弾き方が崩れる」という困った事態に陥ります。

「正しいジャズフレージング」を「フレージング自体の理解」を踏まえて、合理的な指使いで弾くからこそ「正しいピアノの弾き方」が習得される訳です。

次回「ジャズ的なフレージング」についてお話します。
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