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「音楽で人に生きる力を与えれる音楽家になりたい」というご要望を頂ました。 [音楽ビジネス]

お久しぶりです,というか,この一週間もドロ沼のような忙しさにかまけ,ブログの更新が滞っておりました。本当は「今日は,これこれやりました」式の日誌報告型にすれば僕のブログも更新数が上がりますが,僕の日常なぞ人様に公開(というか露出)できるような面白い話しでは全くないので,わざわざブログネタにはできないのです。

何かピアノ又はパソコンの前から前とで移動するだけの日々。その他,身体の鍛錬少々。
その他の時間は,考えてみれば一日中,食べるか話すか,歌うか。その合間に寝るか雑事をする,というだけ。毎日,色々な人と会いますな。こういう仕事も,KImball Piano Salonでのデイレクターやって下さっている羽鳥さんみたいに「人と会うのが好き」な人には楽しいでしょうれども,僕は人と会う事は苦痛ではないが割合に面倒臭い,という性格です。

とはいえ「それやったらお会いしたい」というは,実は自分の(音楽以外の)趣味…と言ってもあまり無いのですが…に関する事。尤も先方さんは僕に会いたいかどうは不明ですが。

次が,やはり僕というかKimball Piano Salonやチャールストン倶楽部の活動にご賛同頂ける方。

逆に「文句を言いたい」人に会うのは正直気が重い。というか,どう考えても「文句を言いたい人」の方が多い筈なのですが,どういう訳かそういう人もアクセスされる事が皆無に近く…というか捨て置かれているのでしょうが…,賛同して下さったり,関心を示して下さい方の方が多く,一歩間違うと「裸の王様」化しますが,実は僕自身には色々な「師」がおり,四六時中「文句を言われる」状況でして,バランスが取られているのでしょう。多分。

という話はさておき,今日も「我田引水」になりますが,僕のブログを読まれて賛同された方からのメールを頂ましたので,抜粋してご紹介すると共に僕の追記を書かせて頂きます。

内容は僕が以前書いた「クラシックの近代音楽を理解する為にはジャズ和声を学ぶ方が早い」に関する部分です。

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Aさんからのお便り;

こんにちわ。藤井さんのブログを読ませて頂いた際,かねがね識りたい,と思っていた事が述べられてあったので驚くと共にお便りさせて頂ました。

現在,私は教育学部の音楽専攻の4年生です。

B県を中心に演奏の機会を頂き、今年は新人演奏会にも出演することが出来ました。

しかし、来年からは自分自身で生活の基盤を作らなければならないので、就職活動を経て、或る音楽関連企業に内定を頂き,来年から新生活を始める事になっております。

私は幼少のころピアノを習い始めてから音楽が大好きで、将来は、クラシックに限らずジャズや作曲もちゃんと勉強して、演奏家・アーティストになりたいという夢を今でも強く持っています。

内定を頂いてから、音楽関連のお仕事ではあるものの、ピアノと離れてしまうことがやはり引っ掛かり、ここしばらくは、『ピアノをもっと深いところまで勉強したい』『音楽の本質、深さをもっと追究したい』という思いがどうしても強くなり,調べていたところ、Kimball Piano Salon のホームページ、藤井さんのブログに辿りつきました。

記事では酷評されていましたが(笑)私も音楽の友社の【信号色の和声】を勉強していて、楽曲の分析が出来ると思っていましたが、今一つ実効性がなく,楽曲の深い部分が読めません。

そんな中,藤井さんの「ジャズ理論でこそクラシックの近代音楽は分析できる」という記事を読み本当に驚くと共に,そのような本質的で実践的な学び方にとても興味を引かれました。

大学に入って以来,私はジャズピアノに惹かれて、クラシックの譜面を追う作業ばかりで育ってきた私は、カプースチンならばできる!と思い、今はカプースチンの「変奏曲」を練習したりしています。

私は『音楽の本質を吸収する』事で、音楽で何かを成し遂げる人、そして自分の音楽が人の生きる力になる、幸せになって貰える、エネルギーや癒しを与えられる、そんな音楽家になりたいという思いを強く持ちます。

そして,それを実践しておられる藤井さんの門をくぐりたいと思いました。こんな私ですが,
入門をお許し頂けますでしょうか?

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A様;

お便りありがとうございました! 又,ご就職おめでとうこざいました。この就職難の時代にあって,
就職できた人は,やはり幸運かと思います。

さて「音楽で人の生きる力なる〜」という下りには深い感銘を受けました。
まだ学生のご年齢でありながら刹那的でなく,キチンとして「人生の意味」をお考えのようなので,
Aさんと共に御学である大学の方にも強い敬意を抱く次第です。

ぶっちゃけた言い方をすれば「今時の若者はなかなか頼もしいな」というものですが,
私の元に入門される極めて若い方でも「人として考えるべき事」を考えておられる方がおられて感心させられてしまいます。

むしろ,いい歳をしたオバさんで「何とか努力しないで,感性だけで演奏して,稼げる方法ないですかぁ?」とマヌケな質問をして来られる事例が稀とはいえあり「維新の会にでも尋ねてくれ」と答えていましたが…。

勿論,如何に素晴らしい理念であっても具現化できる能力や人脈,縁,経済力等が伴わなければ,絵に描いた餅になりましょうし,それらは一朝一夕でできるものではありませんから,コツコツとして努力を始めねばならない事は言う迄もありません。

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さてお考えにあった「音楽の本質を吸収する』事で、音楽で何かを成し遂げる人、そして自分の音楽が人の生きる力になる、幸せになって貰える、エネルギーや癒しを与えられる、そんな音楽家になりたい」という理念ですが,是非,具現化というか,そういう人に成って頂きたいと思います。

問題は「どうすれば,そういう人になれるのか?」という事ですね。

「ジャズ和声を勉強すべき」というのは「能力習得の目標」に過ぎませんが,むしろ本題である「どうすれば,そういう人になれるのか?」とは能力云々以前の「どう生きるのか?」というシンプルにして広大なテーマになり,僕自身も四六時中考えている問題にぶち当たります。

僕自身はいわゆる「癒しの音楽」は目指しませんし,人の演奏に関しても正直言って「癒し系」については,大体「駄目な奴が手っ取り早く稼ぐ」為にやっている場合が多く,つまりは未熟な演奏が殆どなので,聴いていて却ってイライラざせられます。

むしろ何かしら技術的にも表現的にも限界に挑戦したような音楽,例えばジャズならばマイルス・ディビスやビリー・ホリデー,キース・ジャレット,クラシックならばアルフレッド・コルトーやヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏の方が感動するし「癒される」というか,聴いた後に元気になります。

幾ら「感情を込めた」ものであってもヘタクそな演奏は,まぁ本人が楽しむのは勝手として,聴かされると迷惑に感じます。よく「ボランティア演奏したい」なんて話も伺いますが,「あんたの演奏なぞ,聴く方がボランティアと違うか? ボランティアしたければ掃除か洗濯でもさせて貰った方が有益だよ」と言って潰してしまいます。少なくとも僕の生徒さんが「ボランティアしたい」何て言って来られれば,その人の限界を突破したようなレッスンでシゴキまくり,且,練習につぐ練習を課し,その人なりの限界突破したような型でしか行く事を禁じますが,それでも実際にそれを為し,その上で現場に向かうという方がおられまして,変な話「うちの生徒さんも,なかなか大したものだ」と感心しました。

つまり「感動を与える」という事は,自分自身は犠牲的と迄は言わないにしろ,ある意味,苦しい,といいますか,自分のもてるものを全て捧げる位でないと達成できない,という事です。

僕はいわゆる「プロ演奏者」なので「演奏」に際してはギャラを要求するし,支払いが当然とされますが,「プロ」ではない「アマチュア」の人に限って「ボランティア演奏」を希望する場合が少なくありません。「プロと違うから,ギャラを取るような演奏はできないが,ボランティア演奏ならばできる」とか言う訳ですが,そういう話を聴く度に「アホか!」と僕は思い上記のような対応になります。

例えばユニクロが被災地に新品のフリースを送った,という話があり,これは極めて効果的,且,誠意がこもった行為でしょう。ところが誰だったか「要らなくなった服」要するにナフタリン臭い着物やらシミだらけのシャツやらを送った人がいました。なるほどボロだろうが何だろうが,無いよりはズッとマシですが,考えようによっては「支援」ではなく逆に「ゴミの処分」を被災地に押付けた,ともいえます。

同様に「マトモには誰も聴いてくれない演奏」を暇を持て余しといるとはいえ,被災地や老人ホームで聴かせる,というのは,いわば不要なゴミを捨てに行くようなもので,むしろゴミ的演奏に付き合って下さる方が余程「ボランティア活動」と考えられるでしょう。

つまり少なくとも自分の中の絶対限界には挑戦したものでないと,幾ら「感情を込めた」としても,
ゴミの一種でしかなく,自分自身の修練という事が絶対的な条件となりましょう。

という訳で「人に感動を与える」音楽に達する為には,簡単にいえば「感情を込める」事でなく,物理的にも時間的にもコストを懸けた何かしら犠牲的といいますか奉仕的な「生き方」を自らに強いる事と,それを瘦せ我慢でなく楽しめる心というものを持ち続ける必要があります。

続く  Kimball Piano Salon 主宰 藤井一成 http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball

PS;リンクは世間の評判とは裏腹に本当は「大奉仕精神」の持ち主だった「クラシック界の帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤンの自伝。


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