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敢えて「ギロック・ジャズ」の魅力その2/米国ピアノとの相性良し [Lee Evans Society]

前回も「リー・エバンス・メソッド」についてお話する筈が、何のことはない、ライバル(?)の「ギロック(マーサ・ミアー)」の宣伝(?)に熱くなってしまいました[exclamation]

公平に見て「リー・エバンス」の方が作曲技能などでは「ギロック」に勝る、と思いますが、あるレベル以上の作曲家を比較する場合、技能の優劣だけではなく、その音楽が好き嫌いか、という事も選択する大きな理由ですね。

という訳で今回も「リー・エバンスを普及する立場」を離れて、僕自身も好きな「ギロック(マーサ・ミアー)」の魅力についてお話します。

きっかけは「ニューオリンズ・ジャズの研究」とキンボールピアノ

僕が「ギロック(マーサー・ミアー)」に取り組み始めたのは、2011年位ですが、当時、ウちの教室スタッフだった若い女性の要望がきっかけでした。

そのスタッフは、僕がやっていたような「モダンジャズ」ではなく、古い「ニューオリンズ・ジャズ」を学びたい、と言い出し、ならば「ギロック」が正に「ニューオリンズ・ジャズ」スタイルで作曲しているから、「ギロック」や、ギロックの仲間であるマーサ・ミアーの「Jazz,Rag&Bluese」を教材として使い始めた訳です。
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という話を前回させて頂きましたが、もう一つの理由として、僕のスタジオ(練習室)のグランドピアノを米国製「キンボール」に入れ替えた事も大いに関係しています。

南部風の音がするキンボールピアノと、南部風ジャズの「ギロック」

「キンボール」は米国中部の都市シカゴが本拠地のピアノメーカーで、創業はスタインウェイより古い十九世紀半ば、「家庭用のピアノ」ブランドとして1990年代まで営業しました。

「キンボール」が創業した19世紀半ばの米国は、南北戦争後に「ピアノブーム」が起こったのは、それまで輸入に頼っていたピアノを米国でピアノを生産始めた事、「給料を貰って働く労働者」且「ピアノに憧れる家庭」が激増した事が原因でしょう。

19世紀末、つまりリストの晩年頃、米国のピアノ生産「量」は既に世界一になっただけでなく、「質」の方でも、スタインウェイやチッカリング等の米国一流メーカーの新技術はヨーロッパのピアノにも多大な影響を与え、世界中の「ピアノの基本設計」を大幅に変えてしまいます(その辺りについては、別な機会にお話ししましょう。)

(蛇足ながら、スタインウェイ社は、米国での創業~成功後、創業者一族の出身地であるドイツに戻って「ハンブルク・スタインウェイ」社を創業。第二次世界大戦後はドイツでのライバルであるベヒシュタインが操業できなかった事もあり、トップに躍り出ると共に、本家の「米国スタインウェイ社」の質的没落も相まって、今やスタインウェイ=「ハンブルク・スタインウェイ」と定まった訳です。)

「米国ピアノ」の黄金期は、だから19世紀末から1920年代頃と言われますが、当時は、質的にも、技術的にも、米国の一流ブランドであるスタインウェイ、チッカリング、クナーベ、メーソン&ハムリンが世界を制しました。

但し、第二次世界大戦後は、米国の一流ブランドはスタインウェイのみが、かろうじて生き残りつつ、新たに勃興してきたのが米国の大量生産される「家庭用ピアノ」であるキンボール、ウーリッツァー、ストーリー&クラークのようなブランドです。

実は第二次世界大戦前のヤマハは、米国の「メーソン&ハムリン」だったかの工場を視察し、多くを学ぶと共に、ハンドメイドによる高級ピアノを目指していましたが、第二次世界大戦後は、番頭さんだった川上源一氏が悪くいえばヤマハを創業者から乗っ取る、と共に、今でいう業態変化させます。

つまり「上級を目指すピアノ造り」から、安価な「大量生産ブランド」に転じる訳ですが、これもキンボールのような米国の「家庭向きの大量生産ブランド」のビジネスを真似した、と思われます。

要するに、大雑把にいえば、「日本のキンボール」がヤマハやカワイだった訳ですが、1970年代頃からヤマハは「家庭向きの大量生産ピアノ」に飽き足らず、一つ上の「セミプロ向き」クラスのピアノ開発を目指します。

その際、米国スタインウェイを徹底的に研究したのは宜しいが、何を血迷ったのか、米国スタインウェイ社に対し「スタインウェイの店で、ヤマハを販売してくれ。ヤマハはスタインウェイと違ってBクラスだから市場が違うからいいだろう」と提案した、と言います。

その際、見本としてヤマハ・グランドピアノを見せ、「どうです?実に巧みにスタインウェイを真似したでしょう」と自慢したのは、スタインウェイから「よく頑張ったね」と褒められると純情にも考えたからでした。

これ今でいえば、中国の自動車メーカーが、ホンダそっくりの車を作ったのは良いとして、ホンダに「そっくりの二級品を作ったら、ホンダの販売店で売ってくれ」と言うようなもので、ホンダから激怒される事はあっても褒められる筈がないのと同様、スタインウェイ社からヤマハは拒絶されてしまいます。

尤も中国の自動車と違い、その時点ですら、スタインウェイ社の技術者が驚く程にヤマハの出来は、スタインウェイを除く他の米国メーカーのいかなるピアノよりも良く、「将来、ヤマハが米国のピアノメーカーの市場の悉く奪うのではないか」と危惧したそうです。

実際、日本人の僕としては、喜ぶべきか困惑すべきかは分かりませんが、1980年代頃には、ヤマハやカワイが米国のピアノ市場を制覇した影響で多くの米国ピアノメーカーが倒産し、1990年代には「キンボール」も廃業してしまいます。


工作精度のコスパ世界一のヤマハと、音楽コスパ良しのキンボール

1970年頃の、発展途上だったヤマハのピアノを弾くと、「スタインウェイをコピーしたBクラス品」とという気がします。

言ってみれば「スタインウェイの音色」が組まれた電子ピアノのようなものですが、最近の電子ピアノはとても進歩し、僕も一台購入する予定ですが、いくら進歩した、と言っても「ピアノの代用品」である事には変わりません。

「ヤマハはピアノではない!ピアノによく似た代用品だ!」なんて言えば、下手すると訴訟されかねませんが(笑)、実際、米国のホールやスタジオでも「スタインウェイがないのであればヤマハがいい」選択されたのは「スタインウェイの代用品」と考えられたからです。

米国でコンサートグランド(フルコン)をマトモに造ったのは、本来は「家庭用~セミプロ用」だった「ボルドウィン」ですが、フルコんに関しては、傘下に収めたドイツ・ベヒシュタインの協力もあり、「スタインウェイは嫌い、ボルドウィンが良い」というファンによって指名されます。

注目すべきは「ボルドウィン」では「スタインウェイの代用」にはならない、という点で、いわば「極上のステーキ」がスタインウェイだとすれば、ヤマハは「安いステーキ」という所ながら、「ボルドウィン」はステーキではなく、「すき焼き」だったりする訳。

欧米のメーカーの考え方は、スタインウェイが「ステーキ」料理だから、自分達はステーキではない、焼き肉やすき焼き、肉のタタキ、という具合に「他の料理」で勝負しようとなりますが、日本のメーカー、或いは近年では中国のメーカーというのは、その辺りの節操がなくて、平気で「安いステーキ」を作ってしまいます。

おっと、また話が脱線した。

それでヤマハだからこそステーキならぬ「スタインウェイの代用品」が勤まりましたが、キンボールとなれば、「料理」自体がステーキではなくバーベキューやハンバーガーだったりする訳。

つまり「安いステーキ」VS「良い肉のくず肉で作ったハンバーガー」と言う図式になり、どちらを選択するべきかは一概には決めれません。

とは比較にならない程に安っぽいが、他の欧米ブランドと比較しても、「性能」面でスタインウェイに相当に接近しつつあります。

では当時の、つまり、僕のスタジオにあるキンボールはどうかといえば、そもそもスタインウェイ的な音楽性とは全く違う(実際、当時のベーゼンドルファーを資本傘下に持ち、どことなくベーゼンドルファーぽいピアノを目指した、という事もありますが)楽器としかいいようがありません。

よく「アメリカ的な音」といわれますが、そうではなく、実は「19世紀のピアノ」な音なんですね。

或る意味、今時の「ジャズ」は正に「ヤマハやカワイのグランドピアノ」と共に成長してきた訳ですが、キンボールに限らず、米国の「家庭向きピアノ」を弾くと、19世紀の、例えばシューマンやショパン、ブラームスあたりの小品、なるほど「ラグタイム」なぞがピッタリと来ます。

正直言って、僕自身はキンボールが格別に好きだった訳ではなく、適時入れ替えていたピアノが、たまたまキンボールになった、というか、元々は某ホテルのラウンジに設置するつもりで、暫定的にウチの練習室(大阪梅田Kimball Piano Salon)に入れた、という経緯でした。

結局、僕以上にキンボールが気に入ったスタッフが色々といたのと、どの道、小さな練習室で、小さなグランドピアノ(C2相当)だから音楽的にできる事が限られており、プロがピアニズムを追求するような場でもないか、と割り切り、いっそ屋号も「キンボール・ピアノ・サロン」に改め、音楽的に正に「ギロック」的な方向に進んだ、という次第でした。



いう生徒さんがいた事と、さんも含め「南部」出身なので南部スタイルである「ニューオリンズ・ジャズ」なのは当然とも言えましょう。

対して、リー・エバンス先生は、ニューヨーク出身であり、同じ1920年代のジャズであっても「ニューヨーク・スタイル」で作曲されます。

僕は大阪出身ですから「大阪ジャズ」スタイルなのか、と言われれば、そもそも「大阪ジャズ」なんてものは存在しない訳ですが、話すと「大阪弁」である事は確かです。

ちなみに英語を話す際も「日本なまり」が強いのですが、自称「英国風英語」だったり「米国風英語」だったりの真似はできなくもありません。

要するに「ジャズ」は基本的に外国(米国)のものだから、まじめに模倣すればする程、「米国風」になりたい訳ですが、「南部出身」の「ギロック派」の方々は、僕が大阪弁で話すように「南部ジャズ」をやり、同様に「北部出身」のリー・エバンス先生は「北部ジャズ」をやります。

その辺り面白いものですね。

という訳で今日も時間が来たので変な所で話を終えますが、「ギロック=南部ジャズ」という事のお話ができので、次回こそは「リー・エバンス=北部ジャズ」についてお話し、「南部ジャズと北部ジャズの違い」についてもお話したいと思います。

Kimball Piano Salon 代表 藤井一成 http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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