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ジャズの歴史3/元奴隷だった人達が創成したブルースや黒人霊歌 [独断による音楽史]

前回は米国南部ニューオリンズの「奴隷農園の主人」だった多数の「クレオール」と呼ばれた「混血黒人」についてお話しました。

「混血児」が生まれる時点では、主人である白人男性と奴隷であった黒人女性との間で性的暴力があった事は確かですが、当時のニューオリンズが、元フランス領だった事から「フランス式の法律」が適用され、生まれて来た「混血児」に関しては、いわば「白人(当時の概念では白人というよりはカソリック教徒のフランス人=人間)」としての扱いを受けました。

その結果、遺産を引き継いだ「クレオール」達は、代が下がり、農園の繁栄に従って中上流階級の素養と教育を受け、ニューオリンズの市会議員の席の半分を占めるに至ります。

ところが南北戦争の南軍の敗戦により、ニューオリンズにも米国北部の価値観や法律が適用され、「クレオール」は「黒人」という扱いになると共に、巧妙に仕組まれた法律により、議員や銀行家と行った政経の中心から追放されてしまい没落します。

その結果、女性は、今でいう水商売や風俗業を、男性は、没落以前は「フランス式の教育」を受けた事もあり、ピアノやバイオリン等が弾ける人が少なくなく、「売春宿のピアノ弾き」に転じ、男女共、荒稼ぎする人が現れます。悲惨な転落を遂げた人も少なくない筈ですが……・

ところで「売春宿のピアノ弾き」になった「クレオール」達ですが、「ラグタイム」と呼ばれる音楽を創成しますが、最初から「ラグタイム」が弾けた訳でも、最後まで「ラグタイム」ばかりを弾いていた訳でもありません。

状況に応じて当時の流行歌やオペラ等クラシックの有名なメロディー、ポルカやセレナーデ等、要するに「BGM」として使えそうなものはなんでも「即興で編曲」して演奏していた筈です。

その中で当時、流行っていた軍楽隊の音楽である「マーチ」をピアノ編曲して演奏する内、「マーチのピアノ版」とでも呼ぶべきスタイルである「ラグタイム」スタイルが作られました。 

ピアノ発表会の定番でラグタイム名曲の一つ「エンターテイナー」を作曲したスコット・ジョプリンでは「クレオール」ではなく、いわば「ラグタイム」第二世代ともいうべき、元「奴隷黒人」の末裔ですが、「ラグタイム」の音楽スタイルに関しては彼の音楽をイメージすれば良いでしょう。

ところで気になる(笑)、「売春宿のピアノ弾き」のギャラを含めた生活レベルですが、凄腕のラグタイムピアニストともなれば、一晩に今のお金で十万~三十万円くらい稼ぎ、且、その内訳はピアノ演奏に対するチップのみならず、何人か抱えていた女性から貢がれたお金……つまり「ヒモ稼業」…も含まれていた訳で、羨ましいというか(笑)。

尤も、そうやって荒稼ぎしたピアノ弾きも「ラグタイム」のピーク以前に、南部ニューオリンズの水商売~風俗産業の全盛期を過ぎた頃から落ち始め、最後はロクな事にならず自業自得する人生に終わったようです。

尚「クレオール」が創成した「ラグタイム」に対し、奴隷時代に「クレオール」の主人から酷い目にあった元「奴隷」だった人達が創成したのが「ブルース」と「黒人霊歌」です。


今更言うまでもなく悲惨だった「奴隷黒人」の生活ですが、性的暴力の被害も半端でない

或る意味、「クレオール」と反対の立場にあった「奴隷」だった黒人達は、南北戦争後の「奴隷解放令」によって、以前よりは「人権」が保障された生活になったようです。

「奴隷時代」の黒人には「室内奴隷」と呼ばれる召使や料理人等の家の中の仕事をあてがわれた者と、綿花摘みや炭鉱掘り等の屋外労働をあてがわれた「屋外奴隷」と呼ばれた者とがいました。

勿論、「屋内奴隷」の方がマシなのですが、主人から見て「屋内奴隷」への抜擢に際しては、いわゆる「職業適性」と共に「主人に反抗しない」点も重視された筈です。
農園が大きくなるに従い、女性は「屋内労働」に、男性は「屋外労働」に分かれた筈ですが、女性の場合、主人の性暴力を受ける事は珍しくなく、また性暴力を行いやすいように「屋内労働」に配する場合もあったようです。

南部農園の「奴隷」と、刑務所の囚人が異なるのは、奴隷同士で男女の実質的な「結婚」が認められた点です。

尤も「結婚」後に「夫婦」として一緒に生活できる場合もあれが、主人の方針で週末の「通い婚」しか認めない場合もあったようですが、概ね好き合った者同士が「結婚」を願い出れば許されたようです。

それは「結婚」によって「奴隷」が精神的に安定し、労働に励む事が期待できたのと、最も重要な点は、「結婚」即ち「出産」によって生まれた子供は「奴隷」として扱う事ができたからです。

「クレオール」についてお話した祭、「白人主人」と「黒人奴隷」との「混血児」は、主人の側、つまり「白人」扱いされました(何度も書きますが、当時のニューオリンズでは「白人」「黒人」という人種分類ではなく「カソリック教徒」か「それ以外」という分類が重視されました。)

従って「混血児」を「奴隷」として労働に就かせる事は通常ありませんでしたが、「奴隷同士の間に生まれた子供」は心置きなく「奴隷」として扱う事ができました。

当時、「奴隷」の「結婚」は法的なものではなく、事実婚でしかなかったのは、そもそも「奴隷」には「人権」がなく、耕運機や掃除機のような「物」扱いでした。

従って他人が自分の「奴隷」を傷つけた場合は「弁償」を要求する事はあっても、自分が「奴隷」を傷つけようが殺そうが、法的には全く問題がありませんでした。

また「奴隷」として生まれた子供は、そのまま自分が使っても良し、「奴隷市場」で売っても良し、いずれにせよ、「奴隷として生まれる子供」が多いほど、主人には好都合でした。

そして生まれた子供を、主人を「売る」ために奴隷夫婦から取り上げたとしても、夫婦には何ら文句が言えませんでした。

尤も子供を「売り飛ばす」よりも、そのまま「奴隷」として育てる場合が多かったのは、人道的な理由からではなく、「農園の労働者」というのは頭数が多い方が良く、しかも「奴隷」だから賃金を払う必要がない自給自足の生活。

幼児は無理でも、少年の年齢になれば、雑用の一つでもできされば生産性は上がる訳で、奴隷の「家族ぐるみ」で使役させられた訳です。

対して北部が「奴隷廃止」を打ち出せたのも人道的な理由からではなく、例えば「工場労働者」の場合、労働者である男性にのみ賃金を払えば済む、仮に「奴隷制」で家族ぐるみを養う方が効率が悪かったからに過ぎません。

ところで南部の「奴隷農園」ですが、旧フランス領だったニューオリンズ、或いはフランスやスペイン系等の「カトリック教徒」の主人の元では、カトリック教会の方針やフランス式の法律に基づき、「白人主人と黒人奴隷」の間の「混血児」は「白人(=フランス人)」扱いされました。対して英国系の奴隷農園では北部の価値観や法律が適用され「白人主人と黒人奴隷との混血児」は「奴隷」とされました。

恐らく、「奴隷」とされたにせよ、半分は自分の血統が入っている訳で、最も過酷な「屋外労働」ではなく「屋内労働」に従事させるか、逆に早々と「売り飛ばしてしまう」事例も少なくなかったようです。

全く「人権」が認められなかった「奴隷黒人女性」の悲惨さはいうに及びませんが、「主人」の妻である白人女性の精神的な性被害も甚大でした。

キリスト教徒と言いますか「文明人」の常識として「一夫一妻制」であり、夫による妻以外の女性との性交渉は忌まわしいものとされていましたが、相手が「奴隷黒人」であれば、認められてしまう。

例えば、現代の日本で、夫が会社に行けば、部下の女性に対し問答無用で性暴力を行っても許される、被害者は部下の女性のみならず、夫の妻も含まれるといえましょう。

「奴隷農園」を描いた映画で、「悪役」である無慈悲な「白人主人」が登場しますが、或いは、ある奴隷女性には「優しい」主人よりも、夫人の方がギスギスして無慈悲な人に設定されている場合もあります。

これは夫人が「奴隷」に対し残虐な性格であったから、というよりは、夫の「公然となされる浮気」に苦しめられたからでしょう。

「クレオール」が「奴隷黒人」に対し、殊更に残酷だったのは、なまじ親しみを覚え、「クレオール」の息子や娘が「奴隷黒人」とデキてしまい、再度の「クレオール」を生み出す事で、自らの特権が削がれる事を恐れたからです。

という訳で、とにかく悲惨な状況にあったのが「奴隷解放令」発令以前の「奴隷黒人」であった事は確かで、発令後も、実際には他に行くところがなく、そのまま農園に留まった黒人が大多数だった、とはいえ、性暴力についての「人権」の状況が改善されたからです。


黒人音楽が居酒屋と教会で生まれた

奴隷解放令の発令後、それまで「奴隷」だった人達の生活は以前と比較してマシになった筈ですが、例えばロシア革命のように、それまで奴隷だった人達が、主人の財産を横取りして豊かになった、という事は全くなく、「人権」の若干の回復と共に雇用形態が現金あるいは物による「賃金労働」に変わりました。

或いは、「職業選択の自由」が若干広がり、農園から離れ、北部資本で作られた工場に労働者として働きに出る事が可能となります。

その結果、元「奴隷黒人」同士で若干の「貧富の差」が現れ、貧乏な農園で最低賃金で使役されるよりは、マシな賃金が貰える工場で働く方がいい、という人が増えました。

その結果、以前の「奴隷時代」と違い「嫁の来てがない黒人」も現れ、また現金収入を獲た事で、それまでの「自給自足」生活ではなく、今でいう飲食店や衣服や生活品を売る商店が出現し、また、それらを起業できる資本を持てた黒人と、そうでない黒人との間に「貧富の差」が広がります。

「奴隷時代の方が良かった」とは誰も思わないにせよ、「解放後」も新たな悩みが続発し、結局、稼いだ賃金で、今でいう居酒屋に集まって騒いでは憂さ晴らしをする、という「不真面目(?)な生活」に落ちてしまう人も現れます。

その結果、生まれたのが後に「ブルース」という歌手によって歌われた音楽です。

何度か書きましたが「奴隷が綿花摘みの苦しみを歌ったブルースが生まれた」という説は、実はありそうでない話であり、むしろ「奴隷解放後」にこそ「ブルース」が生まれたと考えられます。

当初は今でいう居酒屋で「歌が上手い人」が声を披露する程度だったようですが、段々と「歌手」を職業にする人が現れます。

「ブルース」は確かに「悲しみ」や「怒り」が根底にあるにせよ、いわば大阪の漫才の如く、面白く、皮肉があり、何よりも「芸人」としての力量が必要でした。

果てして、より多くの人から拍手を貰えた人が、より多くの「綿花を摘む苦しみ」を経験したのかどうか不明ですが、「芸人」あるいは演奏家としての「才能」があった事は確かです。後世の人は、やたらと黒人の「苦しみ」について語りたがりますが、「才能」や「努力」について無視したがりますが、より良い「ブルースマン」は「苦しみ」以上に「才能」と「努力」があった、と考えるべきでしょう。

ブルースとラグタイムを禁じたキリスト教会

奴隷解放後、黒人の「人権」が回復すると共に、若干の経済生活と自由が始まりました。
私が「ブルースは綿花摘み作業では生まれない」と想うのは、「苦しみ」や「怒り」を訴える歌なぞ、主人が許す筈がなく、ある程度、自由に表現できるようになったのは、「解放後」だと思えるからです。

それにしても「過激な表現」は不可能だった訳で、大阪の漫才のような、皮相な表現で、泣き笑いを誘った訳です。

ところで、当時の「ブルース」について、「奴隷黒人」の指導者的立場であった「キリスト教会」は、「ブルース」自体も、「居酒屋で乱痴気騒ぎをするような生活」も否定しました。

「クレオール」の所で書きましたように、南部ニューオリンズはフランス領だった事からキリスト教「カトリック」の影響が強く、「カトリック」の基では「クレオール」は「人間=カソリック教徒」扱いでしたが、「奴隷黒人」は人間扱いされませんでした。

従ってカトリック教会が「奴隷黒人」に対しキリスト教を布教する、という事はありませんでしたが、南北戦争の南軍の敗戦後、北部から沢山の「キリスト教プロテスタント教会」が進出し「黒人教会」を多数設立しました。

奴隷解放以前から、地域によっては「キリスト教プロテスタント教会」の勢力が強く、主人共々「奴隷黒人」もプロテスタントに強制的にき入信させられ「黒人教会」に通わされましたが、当時の「黒人教会」が設けられ目的は「正しい奴隷の在り方」を教える為でした。

同時に「黒人教会」内部の進化により、奴隷制度の時代から「黒人の地位向上」という発想と、その指導的立場を担うようになりました。

南北戦争後に、南部にも「キリスト教プロテスタント」の「黒人教会」が設立され、多くの元「奴隷」だった人が教会に通うようになりますが、それは「信仰」目的と共に、「学問」を習得する為でもありました。

「黒人教会」の考え方の基本として「黒人も、しっかりと知性や教養を身に着ければ、白人からも信頼され、やがては同等の人間として扱って貰える」があり、これは一歩間違えると「黒人である事」を止め、「白人」と同化する、という事になります。

尤も当時、明治維新を迎えた日本も、日本の国際的地位を向上させる方法として、日本的なものを排し、只管に欧米の生活スタイルを取り入れたりした訳で、「黒人教会」の考え方が奇妙だった訳ではありません。

ところで「黒人教会」が「黒人の地位向上」の為に、「黒人らしさ」の放棄と共に、勤勉さや清潔さを掲げますが、その真逆に位置したものが「ブルース」や居酒屋でした。

言葉がないので「居酒屋」と書きましたが、当時は飲食だけでなく、売春婦がたむろし、色々な犯罪も行われ、あまり健全な場所ではなかったのと、「ブルース」の本質である「苦しみ」や「怒り」或いは「皮肉」というものは「黒人教会」の基本方針と相容れぬものでした。

もう一つ「黒人教会」が否定した「黒人音楽」が「ラグタイム」でした。

「ラグタイム」が元々「カトリック教徒」である「クレオール(混血黒人)」から生まれた事は問題ではなく、また「ラグタイム第二世代」ともいえる、後世に「ラグタイムの王」と呼ばれたスコット・ジョプリン他は「クレオール」ではなく、「奴隷黒人」家庭の出身です。

「黒人教会」が「ラグタイム」を問題視したのは、「ラグタイム」が元々「売春宿の音楽」として発達した事と、「黒人的」であるからでした。

一方、「黒人教会」が推奨した音楽は「黒人霊歌」でした。

(ジャズの歴史4/黒人霊歌に続く)


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