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ギロックvsリー・エバンス「ヒーリング編」 [Lee Evans Society]

前回、米国を代表する「ピアノ入門~中級対象のピアノメソッド」である「バスティン」や「ギロック」と不詳僕が国内代表となる「リー・エバンス・メソッド」との比較についてお話し始めました。

「レッスン・プログラム」としては完全だが、ちょい芸術性に欠ける「バスティン」。
「ピアノ教室の為の音楽教育哲学」として至高だが、ちょい音楽レベルに限界がある「ギロック」。

では「リー・エバンス・メソッド」は、それらの欠点を解消した最高のメソッドなのか?といえば、正直、そんな事は全然ありません[猫]

敢えて言え「リー・エバンス」は「ギロック」の「教育哲学」と共有できる部分が多々あり、音楽レベル(深み)では「ギロック」とバルトークの中間と言った所。

「ジャズのコダーイ」と言えば、解る人には解るでしょう。

バスティンとギロックとリー・エバンスを使い分けています

そもそも僕自身、自分の教室「大阪梅田Kimball Piano Salon」で「バスティン」や「ギロック(マーサ・ミアー)」は使っています。

僕が「Lee Evans Society of Japan」代表だからと言って、生徒全員に「リー・エバンス・メソッド」を強制したい訳でも、他の「バスティン」や「ギロック」を否定したい訳でもなく、生徒さんの能力や指向に応じて使い分けています。

僕の考えでは、

バスティンが向く生徒さん;
・ジャズやクラシックの知識がない。知っているのは「エリーゼの為に」や「子犬のワルツ」位。
・ピアノや音楽経験がない。

ギロックやリー・エバンスが向く生徒さん;
・ジャズやクラシックを弾きたい。
・ピアノ経験はない~初級程度

ちなみに、ウチの教室には「ピアノもジャズも経験がない人対象のジャズ・クラシック・ピアノコース」なんて長ったらしい名称のコースもあります。ジャズ系の「リー・エバンス」とクラシック系の「トンプソン」等を組み合わせたプログラムですが、僕的にはお薦め!です。
(詳しくは別な機会に説明します)

では「子供の時にクラシック教室でブルグミュラー~ソナチネ程度まで習った。×十年ぶりにピアノを再開したいのだが、今度はジャズに挑戦したい」とか「小学生時分からクラシックピアノを習っているが、中学生になったのでジャズ・ポピュラーも習いたい」なんて人はどうか?

これは「ギロック」か「リー・エバンス」がお薦め!ですが、どちらが合うのか?を判断して頂けるように、両者の違いについてお話しましょう。

ギロック、リー・エバンス共に「ジャズ」と「ヒーリング」

「ギロック」「リー・エバンス」の共通点として、「ジャズ」と共に今で言う「ヒーリング・ミュージック」スタイルで作曲されている事が上げれます。

ちなみに「リー・エバンス」の「ヒーリング曲集」は僅か三冊しかなく、他の膨大な作編曲作品は「ジャズ」スタイルであり、いわゆる「教材としての曲集」だけでなく、スタンダード名曲等の編曲した「Lounge Jazz コレクション」は普通に「ピアノ編曲作品」として人気を誇ります。下記参照
smoke.jpg



「リー・エバンス/Lounge Jazz コレクション」は教材用途のみならず、ショパンのワルツ同様に「ピアノ作品」として世界的な売れているので、エバンス先生としては敢えて「ヒーリング市場(?)」に進出する必要がなかったのかも知れません。

同じ「ヒーリング」曲集を比較すると、とりあえず「ギロック(ギロック先生とお弟子さん)派」が曲数で「リー・エバンス」を圧倒しますが、「作曲技法」については、一応「作曲の専門教育」を受けた僕の目から見れば「リー・エバンス」が圧倒的に高い、というのが偽らざる所。

「ギロック」は雰囲気こそ今っぽいが、作曲は、いわゆる「コード進行に基づく作曲法」に留まり、同じようなサウンドで聞こえて、例えばバッハやハイドンのような「立体的な構造」に欠けます。
ギロック.PNG


対して「リー・エバンス」は「モード奏法」と呼ばれるドビュシー(とバッハ)的な技法で作曲されている点はさて置き「立体的な構造」を有します。
光.PNG


この音楽における「立体構造」とはなんぞや?という話になると、それだけでブログを三本くらい書かねばならないので説明は割愛しますが、ベートーヴェンは「立体的」、チェルニーは「非立体的」。

モーツアルトは「立体的」、サリエリは「非常
「楽曲分析」した場合、「ギロック」を分析できる人は少なくないのですが、「リー・エバンス」を本当に分析できる人は多くない筈です。

蛇足ながら。日本の「ライブハウス」に行くと、ジャズピアニストの多くが、「モード奏法」と称し、マッコイ・タイナーやチック・コリア風に弾き、つまり「左手は四度構成の和音を叩き、右手は意味がない音を沢山弾きまくる」とかをやっています。

しかし、これらは本物とは似て非なるものであり、本物の「モード奏法」は「リー・エバンス」の作品にある複合和声や複合リズムによって作られるものです、という話しはさて置き、少なくとも「作曲技法」という観点で「リー・エバンス」は「ギロック」の数段上と言えます。

では「ギロック」は駄目なのか?と言われれば、そんな事はないのが、音楽の面白い所ですね。

高速道路を140キロで巡航するならば「リー・エバンス」、街中を走るなら「ギロック」という例え

前回、「ギロック」は自動車メーカーで例えればダイハツやスズキのような「軽自動車専業メーカー」であり、「リー・エバンス」の「初級対象曲」は「大メーカーが作った軽自動車」だと表しました。

トヨタや日産のようなフルラインナップの大メーカーが「軽自動車」を作れば、基本的な技術には問題はないが、「商品」としては今ひとつ「楽しいもの」が作れないらしい。

その点、ダイハツやスズキのような「軽自動車メーカー」は「かゆい所に手が届く」商品企画力と共に、大した技術力は持ち、例えばトヨタが小型開発に際してはダイハツに技術を請う、とか、メルセデス・ベンツが、「軽自動車」を開発しようとして、ダイハツやスズキの軽自動車を購入し試行錯誤するも「こんな物は作れない!」と降参した、という話を何かで読みました。

結局、あっと驚くような新発明的な技術力はないが、既存の技術をとことん使い切り、メルセデスでさう作れない「商品」を実際に作ってしまうのが「軽自動車メーカー」の凄い所。

そして「ギロック」もしかり。

ちなみにメルセデスは「スマート」、同じくドイツのVWは「ルポ~up」という、実質「軽自動車」を開発しますが、これらを「軽自動車」感覚で購入した日本人の多くが後悔すると共に、改めて日本製「軽自動車」の良さを実感するそうな。

例えば「VW UP」で街中をちょこちょこ走ると、乗り心地もイマイチ、しかも運転しずらい、ところが高速道路を140キロで何時間も巡航する、となると国産の上級車に劣らぬ運転感覚と乗り心地で
「これは大したものだ」と感心する、と言われています。

音楽に話しを戻せば、同じ「ヒーリング曲集」でも、「ギロック」が国産軽自動車的だとすれば、「リー・エバンス」は「VW UP」のようなドイツメーカーが開発した「軽自動車」という感じ。

こういう言い方はあまりよろしくないが、「ピアノ初級~中級を習う生徒さん」というのは、いわば自動車免許を取って、近場の買い物や送迎用に車が欲しい、という感じで、「国産軽自動車的なギロック」が楽しめます。

そういう意味で「ヒーリング曲集」の「ギロックVSリー・エバンス」は「ギロックの勝利(?)」とも言えますが、そもそもスタイルが異なるので比較も二者択一も不要でしょうが、敢えて「リー・エバンス」の方が良い、という考え方もあります。

自動車で例えば経済的に余裕のあるお父さんが「娘さんが免許を取ったので車を買い与える」として、国産軽自動車は、その最初の一台の最有力候補ではありますが、お父さんによっては「娘にもヨーロッパの車文化に興味を持って欲しい」なんて思う方がいる訳です(多分)。

そうなると「ドイツ車入門」としてスマートやUPを買い与える訳ですが、当の娘さんは、何かの機会に運転した友人の国産軽自動車の運転のし易さに驚くと共に、同時に「深み」がなくツマラナイと感じるかも知れません。(蛇足ながらVW UPはボディサイズこそ軽自動車ながらエンジンは1リッターの普通車枠となります)

ドビュッシーに繋がる「リー・エバンス」、やっぱ「ギロック」な「ギロックのヒーリング」

自動車の場合、仮にVW UPやメルセデス・スマートで「ドイツ車入門」したからと言って、その次に上級車を購入する資金や理由があるとは限りませんが、「リー・エバンスのヒーリング」で入った人はドビュッシーに繋がります。

実際、リー・エバンス先生はそういう意図で「ヒーリング曲集」を作曲したと言われます。

対して「軽自動車」で入門したからと言って、次も「軽自動車」を購入するとは限らない点では同じですが、「ギロック」で「ヒーリング入門」した人は次も「ギロック」に留まる可能性が少なくないと思います。

というのは「ギロック」正確には「ギロック派」はウィリアム・ギロック先生を頂点として、グレンダ・オースティんやキャロリン・ミラー、キャサリン・ロリン等のそれぞれが一門を構える有能なお弟子さんがおり、ギロック先生の「教育哲学」は当然として「音楽の雰囲気」も「ギロック風」。

つまり「ギロック派」の何れかで入門した人は、「ギロック派」の音楽を習得するだけで十年以上費やし、下手すれば「生涯ギロック派だけを弾く」羽目になりそうです。

これはギロック先生が意図とは逆の結果なのですが「ギロック派の音楽だけで一生終わる」という事になりかねません。

「バスティン」でさえ、初級こそバスティン自身の作曲が多い物の、級が上がるに連れ、既成の「楽聖」の曲が増え、最終的にクラシックピアノの王道に繋がるようにできています。

「リー・エバンス」も同様で、ジャズならば「リー・エバンス」で入門しても、最終的には「ビル・エバンス(名前も音楽も似ていますが別人)」なりに繋がり、ヒーリング曲集がバッハやドビュッシーのようなクラシックに繋がります。

自動車ならば、例えダイハツのミラなりトヨタ・カローラを何代(台)も乗り継ごうが、「生活の道具」として割り切れば賢明な選択といえますが、「ピアノ音楽ライフ」で「生涯ギロック」というのは(実際らは他の作曲家の作品にも触れる筈でしょけど)最善の道とは言えないと思います。

「ギロックの魅力」として巷で言われる「易しく弾けるのに、派手に聴こえる」というのは、正に「軽自動車専門メーカーの軽自動車」という所ですが、これが一種の麻薬で、逆に「実際は物凄く難しいが、そう聴こえない」バッハのインベンションあたりは避けてしまう、という事が起こりかねません。

「リー・エバンス」で入ると、案外にバッハのインベンションも受け入れる土壌が作らます。

勿論、これは極端で大袈裟な話かもだとは思いますが、「生涯ギロックを楽しむ」のか、「リー・エバンスを経過して次に進む」のか、が「ギロック」と「リー・エバンス」の特性だと思います。

そして、正直言って、子供は別として大人で「初級の人」は十年後に「上級」に「進級」している可能性は低く、「初級~中級」のまま横にレパートリーを広げる、という人の方が多く、ならば「ギロック派を全て網羅する」というのも「ピアノ音楽ライフ」としてアリです。

北部NYのリー・エバンスと南部テキサスのギロックの違い
結局、「リー・エバンス」と「ギロック」の音楽違いは、「生き馬の目を抜くNY=リー・エバンス」と「保守的だがスローライフなテキサス=ギロック」の生き方の違いともいえますが、敢えて「優劣」を付ければ「リー・エバンス」の方が上でしょう。

しかし「ギロックの良さ」とは正に「優劣を争わない優しさ」にあると言えましょう。


という訳で「ヒーリング・ミュージック」における「リー・エバンス」と「ギロック」の「対決」は、そもそも主旨が違う両者を「対決」として比較するのが間違いでした、という結論になりました。

更に両者の「ジャズ」については、同じ「ジャズ」といえども、正に「音楽スタイル」が違うので比較できませんが、違いについては知っていて損はないので、次回、「リー・エバンスVSギロック」の「ジャズ編」をお送りします。

Lee Evans Society of Japan 代表 Kimball Piano Salon 大阪梅田主宰 藤井一成

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Kimball Piano Salon https://www.facebook.com/kimballpianosalon


















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