SSブログ

「教会オルガンの改造が度が過ぎて文句を言われたバッハ」の話 [独断による音楽史]

前回、バッハは二十歳にして「凄腕のオルガニス」として評判になるものの、
「音楽監督」を務めていたアルテンシュタットの教会からは、
「自分勝手で、変な音楽を演奏し、女癖も悪い」という「困った奴」という
批判を受けた、というお話しました。

バッハの言動について教会曰く;

「オルガンを勝手に改造する」 「聴きなれない奇妙な音楽を演奏する」 「合唱指導ができない」
更に伝記作家がここぞとばかりに書く「オルガン室に女性を連れ込んでご乱行」云々の
スキャンダルも伝えられています。

僕がバッハについて書き始めたのは、

「バッハは本当に信仰が厚かったのか」
「信仰の厚さが創造活動に影響するのか」

という素朴な疑問からですが、どうやら
若干二十歳にして最初の出世とも言える
「アルテンシュタット教会オルガニスト」職時代の
バッハの「困った言動」にこそ、
バッハの「基本姿勢」が見えそうです。

という訳で今日は青年期の「バッハの困った言動」ついて
考えて見ましょう。


バッハが「オルガンを勝手に改造するので困った」という話

*改造自体は職務ですが‥

現在と違い、当時のオルガニストの職務は「演奏」に止まらず、
オルガンの調整や改造も含まれました。

従ってバッハが「熱心、且つ、頻繁に改造した事」自体は褒められにせよ、
教会から批判される行動ではありませんでした。

にも関わらず「勝手に改造して困る」と苦々しく批判されたのは、
その頻度と内容が「度を超えていた」事が一点ではないか、と思います。

もし「改造」したいと感じたならば、今で言えば教会に対し「改造申請書」を提出し、
長老なりにプレゼンテーションし、「裁可」を受けた後、
漸く「改造」に着手する、というのが本来の手順。

勿論「小さな改造」はバッハが現場の裁量でやっても構わない、という所。

ところがバッハは「申請書」なぞ無視していきなり「改造」、
その頻度や内容も「常識外れ」だった、と考えられます。

ここで考えたいのがバッハの「性格」。

音楽室の肖像画からは「重厚な人柄」がイメージされますが、
実際には物凄く「せっかち」で、日がな小言を連発し、周囲からは煙たがられるような
「コテコテのおじさん」ではなかった、と言うのが僕のバッハ観です。


「せっかちな性格」が災いした?

バッハが「せっかち」だったに違いないと思える根拠は「作品数の多さ」。

現在出版されているバッハの作品全てを「単に書き写すだけでも一生かかる」
と言われる程の物凄い量の作曲をこなします。

しかも更に驚くべきは、作品の殆どが名作と呼べる程のクオリティーの高さを保っている事と、
バッハは作曲以外にもオルガン演奏、学生への授業、合唱団やオーケストラの指揮、その他諸々の
普通人ならばその一つだけでも精一杯な仕事を並行してこなす超多忙な日々を送っていた事。

にも関わらず量、質共に高品質な作曲活動を生涯続け他のは驚嘆すべき事実です。


作曲するのも取り掛かるのも「物凄く速かった」

バッハの「作曲する速度」が物凄く速かった事は確かですが、
作曲の「仕事に取り掛かる」のも早かった筈だと思います。

そう思うのは、僕がバッハとは比較対象の範疇にすら達しないレベルに位置する点は
目をつぶって頂くとして、僅かながら作編曲活動(?)する身として想像するに、
作曲自体の速さ、と共に「仕事に取り掛かる」速度も人生を分岐するな、と実感できるからです。

例えば僕が作編曲や原稿の依頼を頂いた場合、毎回、締め切り間近まで放置してしまい、
いよいよ締め切りだという前日には流石に机に座るものの、
まず「気合をいれる為」にコーヒーを淹れて飲み、こういう時に限って気に障る
部屋の散らかりを大掃除までやって片付け、漸く机の前に座ると、
五線紙の書式が気に食わぬので印刷し直。

さぁ仕事にかかろう、と鉛筆を握ると急激に眠くなり、
翌朝「締め切りを伸ばして貰う」電話をから漸く仕事が始まる‥というのが毎回。

これがバッハだとどうなるのか?

現代で例えれば仮にランチの時にバッハの元へ仕事依頼の電話がかかった、とします。
バッハならば左手で受話器を握り、打ち合わせをしつつ、机の上の五線紙に書き始め、
夕食の前には完成した作品をファックスで送信する、という日常だったように想像します。

そして「凄い速度で作曲ができた」のは「才能」もありましょうが、
少年期の「修道院付属学校」で身につけた「勤勉さ」こそが、
「才能」を具体的に開花させた「能力」だと言えましょう。

「のろい教会の裁可」なぞ待てなかったバッハ

話を戻しますと「思い立ったら即実行」する事がバッハのモットーですから、
「改造申請書」するより早く、朝までかかって「改造」し「翌朝、教会に事後申告」する筈が、
朝来てオルガンを見ると新たに改造したくなる‥を繰り返し、気づいたら、
別物みたいな改造がなされてしまった、という事でしょう。

つまり今の感覚で感覚で言えばバッハ「組織に収まらないアウトロー」的な
「我儘勝手な人物」だと感じる上司も少なくなかったようです。

高い理想の前には下界の思惑は無視する

ところで「バッハは信仰が厚かった」という通説を検証しよう、
というのが小文の始まりでした。

尤も「キリスト信仰とは何か?」という根本がはっきりしないと、
バッハの信仰が厚かったのかどうか判定しようがありません。

とはいうものの門外漢の僕が書物で調べて程度での知識で書きますので、
「間違っていたらごめんなさい」ですが、バッハにとっての「信仰」とは、
「教会で祈る」とか「聖書を学ぶ」に加え、
「勤勉に生きる」事こそが「信仰」の要諦ではなかった、と思います。

言い換えれば「ハードワークする」という事こそ、
「信仰」を「実践」している事であり、いわば
「神の御心に叶っている」状態だったと自覚できたのでしょう。

従って「至高の音」が出るようにオルガンの改造を続ける事は、
バッハにとっての「神に近く行為」であったと言えます。

その至福の時間の前では「教会のご機嫌なんざに構ってられるか!」
という教会にとっては「我慢できない態度」を取っても不思議はありません。

バッハの「不祥事」として「勝手にオルガンを改造する」に加え、
「休暇を過ぎても帰って来ない」「合唱団をまとめれない」という職務上の問題と共に
「オルガン室に女性を連れ込んだ」という個人的なスキュンダルも山のようにありました。

その原因はバッハが「信仰」心を欠く我儘勝手な人物だったからではなく、
バッハ式「信仰」を徹底させてからの教会との「歪み」が生じたから、というのが真相のようです。

という訳で次回は更に教会を悩ませた「休暇を過ぎても帰らない」
「合唱団をまとめれない」「オルガン室に女性を連れ込んだ」という逸話から、
「真実」を考えて見ましょう。

(つづく)

kimball Piano Salon http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月からの新URL)

PS. リンクはグレン・グールドによるバッハ曲のオルガン演奏。

本来ピアニストであるグールドが弾くオルガンは、
よくイメージされる「バッハ=荘厳な大聖堂の響き」ではなく、
小学校の足踏みオルガンを大きくした、という規模のもの。

これで聴くバッハもなかなか乙なものです。


バッハ:フーガの技法/マルチェルロの主題による協奏曲/イタリア風アリアと変奏

バッハ:フーガの技法/マルチェルロの主題による協奏曲/イタリア風アリアと変奏

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: SMJ(SME)(M)
  • 発売日: 2008/11/19
  • メディア: CD



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:資格・学び

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。