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バッハは18歳にして年収450万円で「教会オルガニスト」に抜擢 [独断による音楽史]

皆さん、こんにちわ。「教会音楽とバッハの関係」と称し、
「バッハは信仰が厚かった」「信仰がバッハの音楽創造の源」等の
「常識」検証する、という罰当たりな事を始めました。

前回はバッハが少年期を「修道院付属学校」で過ごした事で、
「神学」はさておき「勤労奉仕」や「活動的な身体」という
「キリスト教精神に基づく心身」を培えたようだ、という結論を得ました。

今回は第三回目として、いよいよ音楽家としてのスタートを切る
青年期のバッハの「信仰」を伝記を参照に考えてみました。

最初の「就職」は地元の宮廷楽団のバイオリン奏者

「修道院付属学校」で音楽、一般教養、神学等の学問に加え、
「勤労奉仕の精神」と「活動的な身体」を習得した10代のバッハは、
今でいう「卒業」後、地元ワイマールの宮廷楽団にバイオリン奏者として
「就職」します

尤も当時「宮廷楽師への就職」は、現代の音大生が「競争に勝ち抜いて
念願のオーケストラ入団を果たす」という程にはめでたいものではなく、
現代で言えば「調理師学校卒業後に、志望したホテルのレストランに就職できた」
という程々のめでたさ、という所でしょう。

そもそも当時の音楽家(音楽職人と呼ぶべきか)は、
「特別に才能がある」とか「音楽が物凄く好きだ」からこの道に進む、
というものではなく、特殊な職能とはいえ、現代で言えば、
「家業の蕎麦屋さんを継ぐために修行をする」過程で成れる職業選択の一つでした。

バッハが「宮廷楽団のバイオリスト」に就職できたのも、
「才能に恵まれたから」という大袈裟なものではなく、
現代で言えば「調理師学校を卒業したからホテルのレストランに就職」し、
「見習い」として仕事を始めた、という程度でしょう。

半年後に「新しくできた教会のオルガニスト」に「転職スキルアップ」

晴れて「宮廷楽師」として「新社会人」としてスタートを切るバッハですが、
半年後に、アルンシュタットの新教会に新型オルガンが設置された、
と当時の「就職情報誌」に相当する「口コミ」で聞きつけ早速「転職」の面接に出かけます。

結果はバッハの圧倒的なオルガン演奏に満場一致で採用決定
教会のオルガニスト兼聖歌隊の指導者に「転職スキルアップ」。

「転職」で「年収が三倍」に!

「宮廷楽師」から「教会のオルガニスト」に「転職」したのは、
「信仰が暑いバッハは教会に居たかった」という説もありますが、
やはり「年収アップ」が理由でしょう。

社会システムが現代と異なるので貨幣の価値が異なりますが、
単純に現代の邦貨で換算し、前職の「宮廷楽師」が年収60万円程度、
対して「転職」後の「教会オルガニスト」が年収150万円程度。

恐らく、それぞれの数字を三倍にしたのが現代日本での貨幣価値に
相当すると思われますから、「宮廷楽士(見習い)」が年収150万円、
「教会オルガニスト」が一気に年収450万円に「転職アップ」。

これが当時18〜19歳のバッハの職と報酬ですが、
当時は12〜3歳位から「丁稚奉公」を始め18歳位で「親方」として独立した訳ですから、
当時の18歳は現代の28歳位に相当するでしょう。

つまり現代で例えれば、バッハは28歳の時に、
地元の小さなホテルのボーイさんだったのが、
大きなホテルのフロア・マネージャーに抜擢された、
それまでの三倍の450万円の年収になった、という所でしょう。

ちなみに「宮廷楽士」の給料は安い、という意味ではなく、
バッハがいわば「見習い」だったから僅かな報酬しか得れなかった訳で、
後に別な宮廷の「楽長」に就いた際には現代の貨幣価値で年収数千万円の待遇を得ます。

又、少年期から青年期にかけてのバッハは半年から数年に一度の割合が「転職」を繰り返しますが、
これは「職を転々とした」という意味ではなく、当時から近代に至る欧州では、
同業の中で腕を磨いてはより条件の良い職場へ変わっていく、というのが正常でした。


「見習い楽師」中に驚異的な進歩を遂げた少年バッハ

「修道院付属学校」を「卒業」して一年を経ず「若いが凄腕のオルガニスト」として
ブイブイ言わせ始めるバッハですが、ほんの半年前までは薄給の「見習い楽師」でした。

この辺りについて「伝記作者」は詳しく書きませんが、
バッハはモーッアルトのような「天才少年」ではなく、
最初の職である「宮廷楽師」の際も格別の待遇を受ける存在ではなかったようです。

にも関わらず僅かな期間で他を圧倒するオルガニストに成長し得たのは、
バッハに「才能があった」事は勿論ですが、少年期に兄からの受けた厳しい教育
(=職業訓練)も有効だった事と共に、やはり少年期の「修道院付属学校」で叩き込まれた
「精進努力」という「キリスト教精神」の実践の成果でしょう。

そういう意味でバッハは「信仰が厚い」人と言えますが、
現実のバッハは生涯に渡り、音楽上でも「素行(の悪さ)」の点でも、
教会から批判され続けます。

オルガン室に女性を引き込みクビ(?)に

若くしてアルンシュタットの教会オルガニストという誇らしい職に就いたバッハですが、
前述のごとく「より良い条件を求めて」という理由と、教会側との衝突が原因で、
三年を満たずして「転職」を余儀なくされます。

アルテンシュタットの教会がバッハと対立した理由を並べますと

1,オルガンを勝手に改造する。
2,休暇を過ぎても帰って来ない。
3,「不協和音と不揃いのリズム」のおかしな音楽を作曲する。
4,合唱団の指導がよくない。
5,素行(特に女性関係)が悪い。

等々挙げられます。

要するに教会の立場では、バッハは若くして才能はあるものの、
ワガママ放題で変な事を色々とやる、扱い難い困った人物だった、
と言えた訳です。

ところでバッハと言えば、音楽室の肖像画や荘厳な教会音楽から、
「真面目一方のお硬い人物」=「信仰が厚かった」とイメージされます。

にも関わらず伝記作家がここぞとばかりに書くように、
神聖な礼拝堂のオルガン室に女性を連れ込んで「お楽しみ」に耽った訳ですから、
「素行が悪い」と言いましょうか「ファンキーなオヤジ」ではなかったのか、
なんだかホッとするような逆のイメージを描いてしまいます。

実際、バッハに計20人の子供が生まれた(生存できたのは10人)事も、
バッハが「精力絶倫」ぶりと共に「ファンキーさ」の心証となり得ましょう。

更に拡大解釈し「バッハの信仰が厚かった」は嘘ではないか、
と言い出す人も出てくる始末です。

実際はどうだったのか?

そこで「オルガン室に女性を連れ込んでバッハはナニをやったのか?」

そのあたりについて「伝記」ではなく、
残された作品から調べてみましょう。

(つゞく)
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