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ブクステフーデの音楽に夢中になり休暇が過ぎても帰らなかったバッハ [独断による音楽史]

前回、バッハにとっての「信仰」とは「勤勉に生きる事」で達成される事だったのではないか、
という自説を立てて見ました。

僕はキリスト教については門外漢ですが、バッハが所属した「プロテスタント系教会の基本」
として「勤勉」が述べられてましたから、僕の説は間違っていないでしょう。

「勤勉こそが「信仰の実践」であるならば、
定説とされる「バッハ信仰が厚かったから(勤勉に励んだから)
高いレベルの音楽創造を成し得た」は真実と言えましょう。

但し「勤勉」に「沢山作ればいい」というだけではないのが「音楽の本質」でして、
高みに向かわぬ限り「芸術」としての存在価値はありません。

後世に「絶対に習得しなければならない教則本」と日本で信じられている
膨大な数の「ツェルニー練習曲」を遺したカール・ツェルニーは、
正に「勤勉実直」を絵に描いたような人物で、師であるベートーヴェンの信頼を得ました。

反面「芸術性」はゼロ。従って「ツェルニー練習曲」なぞ学ぶ必要はない、
否、「触れてはならない」駄作と言えましょう。

対してバッハのピアノ作品は初心者向けの小品でも高い品格と芸術性を有し、
学ぶ程に味わいと演奏技術が高まるという逸品揃い。

結局「勤勉でなければならない」が「勤勉なだけでは駄目」なのが芸術というものですね。

ところでバッハには若干18歳にして技能と学識、品格を備え
「アルテンシュタットの教会オルガニス兼指導者」という結構な地位を獲ますが、
教会とは諸事衝突を繰り返した、というのが前回からの話でした。

「教会と衝突した」から「信仰が薄かった」とも言いぬのは、
教会が批判する「バッハは勝手にオルガンを改造して困る」は、
バッハにとっての「神に近づく行為」の前では「教会のまどろこしい手続き」
なぞ飛び去った故、だからです。

という訳では今日は「アルテンシュタット教会と決別した要因」の他のものである
「休暇が過ぎても戻らない」「合唱団がまとまらない」
「オルガン室に女性を連れ込んだ」等についても偏見に囚われずに、
作品を追う事で検証してみましょう。


「休暇の四週間が過ぎても戻らず、三ヶ月後に戻る」

バッハは「アルテンシュタット教会オルガニスト」時代、
「四週間の休暇」を教会に申請し、認められます。

休暇申請自体は問題がなく、その目的が「当時最高のオルガニスト」と言われた
ブクステフーデの元に「学びに行く」とあれば、褒められはこそ何ら責られる事はありません。

問題は四週間の休暇に関わらず、実際にバッハが帰ってきたのが三ヶ月後だったという点。

交通事情が悪かった当時ですから、四週間の休暇の筈が六、七週間に伸びてしまったとて、
許容できる範囲だったにせよ、三ヶ月は前代未聞。

なぜ三ヶ月もかかったのか?

馬車代をケチって400キロの道のりを徒歩で旅行したバッハ

バッハはアルテンシュタットからリューベックまで400kmを徒歩で往復します。
当時、徒歩での旅行は珍しくはなく、少年期「修道院の付属学校」時代に
足腰を鍛えたバッハにとって400㎞の道のりは当然だったかも知れません。

尤も「アルテンシュタットのオルガニスト職」という「平民としては結構な収入と地位」
を得ていたバッハの経済力と身分からすれば、乗合馬車を利用するのが当然。

それを惜しんだはバッハが終生貫く「ケチ」が発露されたからでしょう。

ちなみに「ケチ=質素倹約」も「プロテスタントの教え」だそうですから、
この点でもバッハは「信仰が厚かった」と言えるかも知れませんね。

問題は400キロを徒歩で向かうとなれば、目的地のリューベックまで一週間から十日を要し、
往復二週間から20日が移動に費や去られるので、リューベックに滞在できる日数が
十日から二週間しかなくなる、という点です。

つまりバッハは「ブクステフーデの滞在は二週間もあれば充分」と考えた結果、
合計四週間の休暇を申請したのか、始めから三ヶ月くらい滞在するつもりだったが、
教会が四週間しか認めなかったので、勝手に「休暇延長」したのかは不明ですが、
恐らく旅立つ前は「二週間で充分」と算段したのでしょう。

ではなぜ休暇を過ぎても戻らなかったのか?

バッハを圧倒したブクステフーデの演奏

伝記作者によれば、滞在が延びたのはバッハが「ブクステフーデに気に入られた」からだそうですが、
僕は逆にバッハが「ブクステフーデの音楽を気に入った」からだと思います。

バッハの後年の行動から察するに、いくら「ブクステフーデが気に入った」とて、
自分が気に入らねばサッサと帰ってしまう、のがバッハの常でした。

実際には相思相愛だったようですが、バッハにとって「ブクステフーデの音楽」は
「気に入った」というレベルで済まず「圧倒」された、というべきでしょう。

1770年代初頭に若干18歳(現代の感覚では28歳位)のバッハが、
アルテンシュタット教会から「破格の年棒」で迎えられたのは、
バッハが既に「凄腕のオルガニスト」として評判だったからです。

にも関わらず老ブクステフーデの前でバッハは「実力差に打ち負かされた」。

日本では「バッハの伝記」にしか登場しませんが、
「ブクステフーデの音楽」とはどのようなものだったのか?

ちょっとYou-tubeで聴いてみましょう。

曲はブクステフーデ作曲「シャコンヌホ短調」

https://youtu.be/VhUrdCisQW0

とても美しく、深い音楽です。

僕が驚いたのは「バッハそっくり!」な事。
勿論、バッハが真似(お手本)にした訳ですが。

ついでに同曲をオーケストラに編曲した演奏も。

https://youtu.be/3574_DY545c

これは編曲者のセンスのお陰もありますが、
現代の作曲家であるサミエル・バーバーやシュスタコービッチのような
モダーンな音楽に聴こえます。

「バッハ=初級 vs ブクステフーデ=中上級」の実力差

バッハはブクステフーデの音楽に圧倒されますが、
当時のバッハの実力はどれくらいだったのか?

上記の如くバッハは若干18歳にして、「破格の待遇」でアルテンシュタット教会が
契約したのは既に「凄腕のオルガニスト」として名を馳せていたからです。

当時のオルガニストは作曲家も兼ね、つまり作曲家としてもバッハも第一級だった訳ですが、
「アルテンシュタット時代」の作曲作品は殆ど残っておらず、幾つかの「これは使える」と
バッハ自身が感じた作品は、後年バッハ自身の加筆によって改作され現代に遺ります。

それらを含め遺された作品から察するに、当時のバッハの作曲技能は、
大雑把なイメージで言えば、現代のピアノ教本でもある「子供のバッハ」や
「初めてのバッハ」等の「初心者向け」作品という所でしょう。

これでも当時としては「凄腕」と言われてのは、
当時の一般的なプロテスタント教会の音楽のレベルは、
大雑把なイメージで言えば、
僕達の小学生時代の「音楽の授業」のような感じ。

「足踏みオルガンの伴奏」に合わせ「春の小川」や「埴生の宿」等を
皆で歌う、という程度。

それに比べれば、初心者向けと言えどバッハ作曲の「メヌエット」や「ジーク」等の
「初心者向けピアノ作品」は格調高く、当時としては複雑でモダーンな響に聴こえた筈です。

対して当時のバッハを驚かせた「フクステフーデの音楽」は、
これもイメージになりますが、バッハの中級向けとされる
「インベンション」や「フランス組曲」等あたりのレベル。

ブクステフーデの演奏(自作自演や即興演奏)を聴いたバッハは、
「フーガでやれる事はブクステフーデがやり尽くした」「もうやれる事はない」
とヘナヘナと崩れた、とも言われます。

丁度、19世紀末から20世紀初頭のクラシック作曲家が、
「ワグナーが調性音楽でやれる事は全てやり尽くした」とか、
「ショパンとリストとでピアノ音楽でやれる事はやり尽くした」と絶望したのと同様。

ちなみに「ワグナー以上の事はできない」と考えたシェーンベルクは、
今日、現代音楽と呼ばれる「無調音楽」の音楽体系を創り、
ドビッシーはショパンやリストとはまるで異なる手法のピアノ音楽を造り、
「違う道」へと進みます。

僕が想うに、後年、バッハの息子達が、放蕩の末に野垂れ死した長男のフリーデマンを別にして、
「バッハ風」の音楽スタイルの道は取らず、次世代の「古典派」風の音楽に傾倒したのは、
時代の流行、という事もありましょうが、バロック様式の音楽について父バッハが
「やり尽くした」からやれる事はもうない、と見切ったからでしょう。

ブクステフーデの限界を超えたバッハ

十九世紀末にワグナーやリストの音楽が「究極」的なものだったから、
それを超えれない、と考えた後世の作曲家は、まるで異なる音楽を造る事で
いわば自身の市場を開拓します。

対して「ブクステフーデがやり尽くしたから、もうやれる事はない」と
ヘナヘナと崩れた、と言われているバッハはどうしたか?

正に「ブクステフーデが打ち立てた前人未到の壁」を超える事を自らに誓います。

そもそも伝記作家がいう「ヘナヘナと崩れた」という説も間違っている筈で、
後年のバッハの行動から察するように、ブクステフーデの音楽に圧倒された際、
「おーし、やったるでぇ!」と(大阪弁ではない筈ですが)奮起し、
ブクステフーデの音楽を徹底的に学ぶ事とそれを超える事を始めた筈です。

「人が出来る事は自分も出来る」というのがバッハの信条だった筈で、
正にこれらの「勤勉」こそがバッハにとっての「信仰の実践」でした。

そして数年を経ずして生まれたのが
「名作」と呼ばれる「トッカータとフーガ ニ短調」です。

(つづく)

Kimball Piano Salon http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon(2021年2月からの新URL)

Linkはブクステフーデのオルガン曲でなくあえてチェンバロ曲


ブクステフーデ:ハープシコード曲全集

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  • アーティスト: ブクステフーデ
  • 出版社/メーカー: Brilliant Classics
  • 発売日: 2012/02/28
  • メディア: CD



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