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ラウンジ・ジャズにつて/「スゥイング」と「モダン」の違い [音楽スタイル]

ラウンジ・ジャズとモダン・ジャズの違い

僕にとっては「ラウンジ・ジャズ」とは「モダン・スゥイング・ジャズ」だと、ご説明しましたところ、ジャズ愛好家の友人から「モダン・スゥィング」という言葉自体が、お前の造語だから、一般には通じない、と言われてしまいました。

「モダン・スゥイング」。

どこかで聞いた言葉だから、僕の造語ではと思いますが、前回に続いて説明させて頂きます。

僕の感覚では「モダン・スゥインク」とは、1930年代の「スゥイング・ジャズ」や50年代の「モダン・ジャズ」の中間のジャズなのですが、ある方から「スゥイング・ジャズ」と「モダン・ジャズ」の違いをよく理解してないから、教えて欲しい、と言われたので、まずは、こちらから。

40年代にチャリー・パーカーやディジー・ガレスビー等によって造り出された「バップ」と呼ばれるスタイルを一般に「モダン・ジャズ」と呼びます。それ以前のジャズを「スゥィング・ジャズ」と呼ばれます。

「スゥィング」という言葉は、したがって音楽スタイルを現す場合と、「スゥイングしてる」と動詞というか形容詞として使われる場合があります。

「スゥイング・ジャズ(以下スゥイング)」と「モダン・ジャズ(同モダン)」の違いですが、まずリズムが異なり、「モダン」は細分化されています。というのは、「スゥイング」が基本的に社交ダンスの伴奏音楽として用いられた関係で、社交ダンスとして踊れぬ程のリズムの細分化は進められなかったのにのに対し、ショパンのワルツの如く、「モダン」は、ダンスと離れた「観賞用の芸術音楽」として生まれた事もあり、リズムと共に「ハーモニー」の複雑化が進められます。

ハーモニーについては「スゥイング」が7thや精々9thしか用いないに対し、「モダン」は#11thや♭13th等の「テンション」を伴った和音が基本となります。
尤も、1930年代当時といえばクラシックも、ドビッシーやシェーンベルク、ストランビスーによる高次科が行なわれているにせよ、一般的にはリヒャルト・シュトラウスやサンサース等の「ロマン派」が充分新しく通用していた訳で、ジャズも同様に9thが導入されたいた訳です。

ところで、今は「ジャズピアノトリオ」と言えば、ピアノ以外にはドラムとベースが用いられますが、「スゥィング」の場合、ドラムではなくギターがベースと共に使われます。
(下のリンクは「モダン・スゥイング」の巨人オスカー・ピーターソンの50年代当時の録音で、ギター&ベースによるトリオ編成となっています。オスカーは60年代以後はドラムとベースの編成になりますが…。)

ところで、ややこしいのが「モダン・スゥイング」で、「スゥイング」と「モダン」との「どういう中間なのか?」という両者の混ぜ具合が問題となりますが、概ね和音の構築やアドリブのフレーズは「モダン(バップ)」、リズムや全体の雰囲気は「スゥイング」という辺りが標準でしょう。
要するに元々「スゥイングジャズ」だった人が、当時の新しい流れとしての「モダン(バップ)」の理論や技術要素を取り入れた、という所でしょう。

僕は50年代以後の「モダンジャズ」も大好きですが、以前の「モダン・スゥイング」は更に好きで、自分自身は「ラウンジ・ジャズ」と称して「モダン・スゥイグ」のピアノ演奏をしていますし、プロデュースしたカフェのBGMとしても推奨しています。

なぜ好きか?或はカフェBGMに適するか?といえば、「芸術家」肌の「モダン」に比べ、「スゥイング〜モダンスゥイング」の人達は、「基本的に観客を楽しませよう、という「芸人」としての枠を持っているから、気楽に付き合えるし、BGMで聴ける訳です。かつ、音楽職人としての「芸の追求」もしっかり行なっており、その実、下手な芸術家より「芸術性」が高い訳です。

僕自身は「スゥイング」となると、ちょっと古いかな、と思いますが、「モダン・スゥイング」となれば、ハーモニーやフレージングも充分新しいし、かつ、ピアノ音楽については得てして「超絶技法」を誇示するきらいがあるにせよ、シンプルに弾く部分は非常に歌えている場合が殆どで、「歌のないポップス」&「ショパンライクなピアノ音楽」という所で、丁度良い、と思ってます。

ピアノといえば、前述のオスカー・ピーターソンやエロール・ガーナー、ジョージ・シアリング、アンドレ・ピレビン等でしょう。

対して「モダンジャズ」ですが、「スゥイング〜モダン・スゥイング」に比べて、パフォーマーとして無愛想というか、初期のチャーリー・パーカーとかディジー・ガレスビーあたりは割合愛想良いのですが、50年代半ば以後の巨人達であるマイスル・ディビスに至っては、ステージではニコリともしなかった、といいます。

これは50年代当時の黒人としては革命的な態度であり、それまで黒人というのは最低でも笑顔を見せており、わざとアホな事を言ってモミ手で機嫌を取る、というブッシュ大統領の前での小泉前首相のようなコメディアンぶりが常識でした。(ちなみに「ロン・ヤス」と堂々とした態度で接し、僕達に希望を与えた中曽根氏も、レーガン元大統領の認識では「政治家」ではなくコメディアンだったそうですが…)。

マイルスがそういう態度を取らなかったのは、別段、気難しい人格だったかではなく、クラシックの演奏家同様に「良い演奏」を「聴かせてやる」以外の事に価値観を認めなかったのでしょう。
例えばヘルベルト・フォン・カラヤンやアイザック・スターンの演奏会では、観客は緊張してマエストロを迎え、演奏を拝聴します。それに対して「音を楽しむと書いて音楽という。気楽に楽しみましょう」とか見当違いの意見をいう人もいますが、むしろ、クラシックの巨匠のそういう凛として精神性で持って、僕達はドロ沼みたいな日常から解き放たれる深い愉しみを頂れる訳です。
そしてマイルスも、そういう精神性に根ざした音楽をやっている訳で、アイザック・スターンがバイオリンを持って登場するが如くに、トランペットを持ってステージに上り、多くの人に精神的な悦びを与えた、という所でしょう。

とはいえ、毎回「芸術」だとシンドイ訳で、もう少し「ユルい」音楽があっても良く、それが「ラウンジ・ジャズ」だというのが僕の主旨ですが、話しの「芸術=モダン・ジャズ」に戻しますと、こちらは、演奏技術的にも、音楽理論的にも極限を目指した即興演奏を繰り広げます。

「分り易い音楽=ポップス」だとすれば、「分り難い」の極地が「現代音楽(や前衛ジャズ)」、かなり分り難いが「モダン・ジャズ」、それよりはずっとポップス寄りが「モダン・スゥイング=ラウンジ・ジャズ」となります。

ところが、モダンジャズのアーティスト達ですが、いつもフルにアドリブを展開した訳でなく、聴き易い「ラウンジ・ジャズ」作品もレコード録音しています。
ピアノではないのですが、チャーリー・パーカーという「モダンジャズ」の始祖で、アドリブの天才であるサックス奏者が、「ウィッズ・ストリングス」というアルバムを作っています。

ジャズ系の場合、「ウィズ・ストリングス」物はというのは、クラシック音楽というよりは、イージー・リスニング風の音楽を意味し、パーカーによるこれも例外ではありません。

そもそも、当時のポピュラー曲(流行歌)を、ストリングス・オーケストラを伴奏に、ストレートに(アドリブを加えず)メロディーを吹くだけ、という演奏であり、「硬派(?)」なジャズマニアからは「商業主義」的と批判される「ポヒュラー(=ラウンジミュージック)」に分類されるレコードとなります。

実際、パーカーとしては最も売れたレコードらしいのですが、但し、一応、プロである僕のを目を通して分析するに、伴奏のストリングス・オーケストラは安普請ながら、パーカー自身は、ビミョウな装飾音を加えたり、メロディーをフェイク(崩して)し、相変わらず高度な音楽理論に基づく演奏を展開しており、且つ、メロディーの歌わせ方も一流です。

パーカーといいオスカー・ピーターソンといい、凄いテクニックで弾きまくる(吹き捲くる)という事に目を奪われがちですが、シンプルに、或は、スロー・バラードを演奏すると、絶妙の歌い方を聴かせる訳で、やはり大一級のアーティスただな、と痛感させられます。

もう一つ「モダン・ジャズの天才が録音したラウンジミュージック」の例を上げましょう。

パーカーより若い世代に属するトランぺッターであるクリフォード・ブラウン。これも「ウィッツ・ストリング」というタイトルですが、これはパーカーのレコードに比べれば遥かに伴奏編曲が良く、しっかりした企画で録音が進められています。
クリフォードによるスロー・バラード演奏が絶品の極上の「ラウンジミュージック(ラウンジ・ジャズというべきか)」。

パーカーにしろクリフォードにしろ、これで伴奏は同じで、ソリストが普通程度ならば、別段、どうという事のないレコードになる訳で、やはり「最高の芸術家」による演奏は全てを転換させると思います。

ところで「ラウンジミュージック」の名盤として数々の「ジャズ・ボーカル」のレコードを上げれます。どういう訳か、「女性ボーカル」というだけで、他のジャズ(=芸術音楽)とは区別され、自動的に「芸人=ラウンジミュージック」に分来されてしまいます。その分、録音予算がかけられ、ストリングス・オーケストラ伴奏を付こう事ができますが、結局、歌手本人の「芸術的レベル」もが低いと全体として大したものにはならないようです。

僕の好みからすれば、ビリー・ホリデー、カーメン・マックレー、サラ・ボーンという50年代以前の黒人女性歌手のレコードがやはりお奨め。
以前、「レイ」という黒人R&B歌手のレイ・チャールズの伝記映画を観てますと、
元々「ポップス」であるレイが、更に大手レコード会社と契約するに当たり、仲間だったバンドを切り捨ててストリングスと録音する際、切り捨てられたメンバーから「商業主義に走った」と愚痴られるシーンがありました。
元々「ポップス」であるバンドにも関わらず、大編成ストリングスは「商業主義」としてバカにされる訳ですから、ましてや「ジャズ」歌手にとってのストリングス伴奏は「最も芸術的でない仕事」だったかも知れません。

但し、演奏業の端くれ、として想うに、大予算を投資とのストリングス伴奏の録音は、「売れる=沢山のギャラが貰える=会社から高い評価を与えられた」訳で、
案外に「楽しい仕事」な筈です。実際、上記歌手の録音を聴くに、バンドでセッション的(=低予算)録音したものは、「ジャズ」として尊ばれ、編曲されたストリングス付き(=高予算)録音は「当時のポップス=ラウンジミュージック」として軽く観られていますが、に分類されるようですが、録音作品としてはストリングス付き=ラウンジ物の方が何よりも歌自体が良い思います。

ちなみに「ストリングス」物がどうも宜しくない例として、
「ニュー・ジャズ」のビル・エバンスを上げれますが、伴奏にクラウス・オーガマンやミッシェル・ルグランというイージー・リスニングの大御所の編曲と指揮で録音されているものの、エバンスのone and onlyな「深さ」に伴奏がついていけてない感じ。ルグランが同じく担当したオスカー・ピーターソンや、オーガマンが担当したダイナ・クラールの録音は非常に良いと感じましたが…。

ところで「女性ジャズ・ボーカル」といえば「You'd be so nice to come home to me」でヒットした「ニューヨークのため息」;ヘレン・メリルが有名ですが、「You'd be 〜」は「ヘレン・メリルwithクリフォード・ブラウン」というタイトルのジャズ・レコードに収められた一曲です。クインシー・ジョーンズが編曲を担当し、第一級のトランぺッターであるクリフォード・ブラウンを起用した「お金のかかった」完成度の高い名盤です。

とはいえ、僕自身の正直な所として、ヘレン・メリルは、ヘタクソだし、芸術性も大した事なく、別に名盤とも思えません。むしろ伴奏は安物臭いが、歌手としは第一級の上記黒人歌手のレコードの方が僕は好きです。

ボーカルといえば、オスカー・ピーターソンと同時代の黒人である、ナット・キング・コールがやはり偉大な存在でしょう。娘は、ナタリー・コールという「親の七光り」で一応スターであるR&Bシンガーですが、ナット本人も、R&B系「ポップス・シンガー」として売り出され、大スターになります。

尤も「ポップス・シンガー」に「転身」する50年代以前は、「ジャズの弾き語り」トリオを率いていました。僕は、むしろ、この時代のナットキングが大好きで、且、自分の「ラウンジ・ジャズ」のお手本としています。

結局、「ポップス歌手に転身」した後に、経済的大成功を収めた訳ですが、
元々というか本来の彼は「モダン・スゥイング」のジャズピアニストであって、
ちょうどオスカー・ピーターソンを簡略化したようなピアノをベースト/ギターによるトリオを率いて「弾き語り」していました。

ちなみに後年大成功した事と、それ以前についても、「歌手」としての人気は得ていたらしいのですが、米国では彼のピアノ自体はあまり注目されなかったようですが、実は、ハーモニーといいフレーズの構築といい、実に高度且つ斬新。
ピアノとボーカルの両方での研究の価値ありです。

ロマンス/シングス

ロマンス/シングス

  • アーティスト: バーニー・ケッセル,ハーブ・エリス,レイ・ブラウン
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1998/06/17
  • メディア: CD



アーリー・イヤーズ・オブ・ナット・キング・コール・トリオ

アーリー・イヤーズ・オブ・ナット・キング・コール・トリオ

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ディウレコード
  • 発売日: 1993/04/26
  • メディア: CD



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