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ギロックVSリー・エバンス「ジャズ編」1 [Lee Evans Society]

「ピアノ入門~中級用メソッド」として人気のバスティン、ギロック、リー・エバンスのどれが良いか?という「対決」の三回目。

ちなみに僕は「リー・エバンス・メソッド普及」を目指す「Lee Evans Society of Japan」の代表なので、当然「リー・エバンス」一押しなのですが、僕自身の教室である「Kimball Piano Salon 大阪梅田」では生徒さんに応じてバスティン、ギロック、リー・エバンス他を使い分けています。

という訳で「優劣」では判定できないのですが、僕の私見(今更言うまでもなく、全てが私見ですけど笑)では「完全なレッスンプログラム」では「芸術性」ではちょっと落ちるかな、というのが「バスティン」。

「ピアノ教室における最良の教育哲学」を確立したのが「ギロック」。

僕自身「ギロックの教育哲学」に奉じている訳ですが、実はウィリアム・ギロック先生が特別な考え方をお持ちだった、というよりは「まともな芸術家(案外に少数ですが)」ならば誰でも想う事を明白にされた、という訳ですが、これ一点だけでもギロック先生は偉大だと言えます。

リー・エバンス先生の場合は、ギロック先生が提唱されたような「教育哲学」は当然の事として、わざわざ述べられてはいませんが、教材や作編曲作品が物語っています。そして作編曲については、リー・エバンス先生の方が「ギロック派」よりも一枚上手と言えましょう。

そもそもリー・エバンス先生とはどういう方なのか?

米国のメジャー・レーベルの作編曲家として活動を開始されたリー・エバンス先生

1960年代にNYの音楽大学を卒業された後、リー・エバンス先生は「ジャズピアニスト」として米国のメジャー・レーベルから七枚のレコードをリリースする傍ら、編曲家やディレクターとして、キャロル・チャニング、トム・ジョーンズ、エンゲルベルト・フンパーディンク、キャット・スティーブンス、ギルバート・オサリバン、エマーソン・レイク&パーマーなどのヒット作を担当されます。

日本でいえば三枝 成彰氏や服部 克久氏のような存在だった訳ですが、三枝氏や服部氏からあく抜きした感じ。

私も詳しくは聞いていませんが、1960~70年代の米国テレビの音楽も多数手がけておられますが、「1960~70年代の米国テレビドラマ」と聞いて「わんぱくフリッパー」やら「ナポレオン・ソロ」「奥様は魔女」なぞか思い浮かぶ人は、なかなかのご年齢ですね(笑)。私も浮かびましたが。

YouTubeで見つけた「ナポレオン・ソロ」https://youtu.be/WfRzeS8RTKg?si=LgpHtLFeOqNLrmEd

Lee Evans 先生の編曲とピアノ https://youtu.be/C8Gzd7DBonY?si=KCJ1Mz0uFBHHSHpM

要するに若いころから業界内では「実力派の編曲家、ディレクター、ピアニスト」として活動されておられた訳ですが、1980年頃から「音楽教育」、正確には「リー・エバンス・メソッド」を発表されます。

詳しくは別な機会にお話ししますが、1980年代初頭に生まれた「リー・エバンス・メソッド」はそれまでの如何なる「ジャズメソッド」とも異なる考え方が特徴であり、直後に日本に輸入された際は「黒船来航」のような衝撃を関係者に与えました。

早い話、当時、二十歳過ぎだった僕も、この時の「リー・エバンス・ショック」に見舞われ、簡単に言えば当時、音楽之友社から出版されたリー・エバンス関係の教材の全てを購入し、数年かけて、その全てを自学したのは、そもそも日本に「リー・エバンス・メソッドで教えれる先生」なぞいなかったからです。

尤も音楽之友社から出版された全ての教材をやってはみたものの、なるほど「ピアノ自体は上達」したものの一向に「ジャズピアノ」は弾けませんでした。

結局、この時に国内上陸した「リー・エバンス」教材は、一部に過ぎず、最も重要な「基礎部分」を欠いていたのと、これは現在もですが、リー・エバンス先生の説明が少なすぎで、どう使うべきなのか、さっぱり分からない、と言う困った理由からです。

その後、出版社が音楽之友社から東芝EMI、ソニー・ミュージックと変わるものの、それらの欠点はなんら改善されず、ただし、それなりに本自体は売れ続けていた、という状態が二十年以上続きます。

2008年に、自分でいうのもなんですが、僕が監修者として参加した「リー・エバンス・メソッド国内上陸の第二弾」になって、漸く僕他数人が、「リー・エバンス・メソッド」の全容を知り、オクト出版社から寛容な「基礎部分」の教材二十数冊分(国内版は原書二冊を一冊にまとめて十一冊)が出版されました。

尤も、僕自身、「リー・エバンスの本質」を理解するのに、それから十年以上かけ現在に至る訳ですが、その間、矛盾するようですが、僕は「ギロック派」のマーサ・ミアーさんのジャズ教材にハマったりもしていました。

始めから「教育者」だったギロック先生

リー・エバンス先生のプロ音楽家としてのキャリアに対し、ギロック先生はどうか、といえば、ピアニストや作編曲家として業界を闊歩した、という事は皆無のようです。

高校の英語教師として職歴がスタートし、広告代理店勤務やらクラシック歌手の伴奏をやったりしたもの、ピアニストとしても作編曲家としても大したものではなかった、というのが偽らざる所です。

但し「ピアノ初~中級者」向けの作品を書くとピカ一であり、また「広告代理店勤務」という経歴にも拘わらず、いわば反「広告代理店」的な「純粋な音楽教育」を提唱。

その後は多くの人に愛される作曲家であり、教育家として生涯を貫かれた訳ですが、「作曲技術」自体について比較すれば、やはりプロ中のプロだったリー・エバンス先生には一段劣る、と思います。

但し、前回書きましたが、ギロック先生に限らず、グレンダ・オースチンさん以下のギロック門下は、「ピアノ初~中級」レベルにも拘わらず「聴いて映える」演出が巧みであり、単なる「教材」ではなく、「人に聴かせたい作品」として魅力的に仕上がっています。

まぁ、そこが「ギロック派」の欠点といえなくもないのですが…。

という事はさて置き、今日は「リー・エバンスVSギロック」対決第三弾として、両者の「ジャズスタイル」の違いについてお話しましょう。

南部派の「ギロック」と北部派の「リー・エバンス」

一言に「ジャズ」と言っても、年代や地域で色々な「スタイル」があります。

前述のようにリー・エバンス先生自身は1960~70年代に作編曲家/ピアニストとしてデビューされた訳で、今も「1960年代」の、僕が勝手に造語した「Lounge Jazz」スタイルの人といえます。

ちなみに「1960年代のLounge Jazz」といえば

アストラット・ジルベルト&スタン・ゲッツ/イパネマの娘、https://youtu.be/a8wcZUUXJFs?si=cT0Q1c99pegN_cyb
ラムゼイ・ルイス/|ジ・イン・クラウド https://youtu.be/lcIn3cZEhUo?si=87plzwZyRGBXYprt

等の「ボサノバ」と呼ばれるスタイルや、当時、一世を風靡したロックと結合した「ジャズ・ロック」などとのスタイルが生まれ、リー・エバンス先生自身は、それらを含む、もう少しゆったりとして「イージー・リスニング・ジャズ」に関わられたようです。

但し、「リー・エバンス・メソッド」の「初級」も、「1960年代Lounge Jazz」の簡単版なのか、といえば全然違うのです。

なんちゃって、ではなく「ジャズの基礎」として学ぶ1920年代ジャズ

日本だと「ジャズピアノ初級」と称し、ビル・エバンスやウィントン・ケリーあたりの「モダンジャズ」ピアノを勝手に安易に編曲した「なんちゃってジャズ」が楽譜として与えられる場合が少なくありません。

これはクラシックピアノでいえば「ショパンの革命のエチュードが弾けるようになりたい」というピアノ入門者に対し、サビの部分のみを単音のメロディーで弾かせるようなものです。

「革命のエチュード」を単音と鳴らしたからと言って、何かが習得できる訳ではありません。

実は米国では「ジャズ」の「基礎」として、この手の「なんちゃってジャズ」ではなく、「古い時代のジャズ」正確には「ジャズになる前のラグタイムやブルース等」を学ばせる、と考えが確立しています。

「ショパン」が弾きたいからと言って、「なんちゃってショパン」ではなく、「バイエル」はともかく、バッハやハイドン等の古い時代の音楽を「基礎」として学ぶのと同じです。

日本で「ジャズ」つまり「モダンジャズ」の先生が、「なんちゃって(モダン)ジャズ」を教材して用いる傾向にあるのは、先生自身が「モダンジャズ」以前の「スウィングジャズ」や更に古い「ニューオリンズ・ジャズ」「ディキシーランド・ジャズ」、更にそれ以前の「ラグタイム」なぞを知らないからなのです。

先生自身がまともに勉強した事がないのに、生徒に教えれる筈がありませんが、「クラシックピアニスト」で、例えショパンやリストの名曲の快演で売れたにせよ、バッハやベートーヴェン等の古典やバロックを勉強した人は皆無の筈なのに、「日本のジャズ」に関しては、精々1940~60年代「モダンジャズ」の中で古いのや新しいのみしか知らない、という人は珍しくありません。

これでは「ジャズの基礎がない」と言われも致し方ない訳ですが、その話はさて置き、「リー・エバンス」にせよ、中上級は「リー・エバンス先生自身のスタイルである1960年代Lounge Jazz」を課題としまずか、「ピアノ入門~初級」においては、そうではなく「1920年頃のジャズ」、大雑把に「初期ジャズ」と呼ばれるスタイルを課題曲とします。

この点は「ギロック」も同じですが、尤もギロック先生が果たして「モダンジャズ」を弾けるのかどうか不明ですが、しかし「1920年代の初期ジャズ」はちゃんと弾け、そのスタイルで高密度な作曲をされておられるのは、大したものだと言えましょう。

尤も、これが当然と言えるのは、例えば「日本文学を志す人」が、吉本ばななや村上 春樹は愛読しているが、夏目漱石や森鴎外は読んだ事がない、というのと、逆に漱石や鴎外、志賀直哉等は熟読したが、今時の作家は読んだ事がない、というのでは、明らかに「漱石は熟読しているが、吉本ばななは読んだことがない」という人の可能性が遥かに大きいと思えるのと同様です。

但し、同じ、1920年代の「初期ジャズ」でもリー・エバンス先生の「北部」と、ギロック先生や派閥の「南部」とでは相当に違ったものになります。

おっと時間が来ました。次回「北部ジャズ=リー・エバンス」と「南部ジャズ=ギロック」についてお話します。つづく

写真は1960年代の米国テレビドラマ「ナポレオン・ソロ」
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