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大阪梅田の「レンタル・ピアノ練習室」に設置の米国Kimballグランドピアノについて [ピアノ]

皆さん,こんにちわ。

僕が主宰する大阪/梅田にある「キンボール・ピアノ・サロン「レンタル・グランドピアノ練習室」設置してある米国製グランドピアノ「Kimball 170」について改めて紹介させて頂きます。

http://www016.upp.so-net.ne.jp/kimball

ご利用後の感想として「へぇー珍しいピアノですねぇ。どこのピアノですか?」等のご質問や
「すごく良い音してますね!国産とは全然違う!」というお褒めの言葉(もしくはお世辞)を
多々頂くからです。

勿論,お褒め頂ければ嬉しいのですが,正直言って「Kimball」は米国ではごく普通のブランドであり,全然大したピアノではないんですよ。

とはいえ「練習室」にKimball を設置し三年になりますが,日々,音が成長している感じで,
自分でいうのも何ですが「最近は音がなかなか良くなったなぁ」と感じます。

実は時々ピアノを入れ替えますが,現在のは1970年代に製造された木目の小型グランドです。

前述の如く,Kimball は高級ではない(と言っても1970年代当時の輸入価格はヤマハの倍くらいしたそうですが)、米国では日本のヤマハやカワイに相当する家庭用ブランドです。

僕が敢えてヤマハでもスタインウェイでもなくキンボールを設置したのは,それなりの考えがあっての事です(「ウソつけ!たまたまあったから置いだけ」ではないんか?との内部告発あり…汗)

「一時間お一人様六百円」という低料金を維持する為に,いくらなんでもスタインウェイやベーゼンドルファー級のブランドは設置できませんでした。

尤も「レンタル業務」を考えていなかった設立当初は1970年代製のハンブルグ・スタインウェイの中型グランドA(C5相当)」を設置する予定で,防音室の寸法を決めた程ですが,諸事情によりスタインウェイは中止…。

代わりに国産の「Diapasonの183E」という今よりは一回り大きいグランドピアノをいれました。

ヤマハでなくディアバソンにしたのは僕の好みです。

ディアパソン183Eは中古でよく出回るタイプですが,10万円以上かけて「名人調律師」徹底的に調整して貰うと実に弾き易い良いピアノになりました。

ちなみに183Eはディアパソン・グランド中で最も出回る型だそうですが,これ以後のは「本来のディアパソンではなくなっている=(カワイ色が強くなり過ぎた)」のと,逆に以前のは元の台数が少ないのと,古過ぎてオーバーホールが必要なので結局高価になり(新品と同額以上)に付き,市場には出回りません。

内情を明かすと「業界から暗殺(笑)」されかねませんが(既に「指名手配済みらしいですが…笑),
183の後ろにつくアルファベットの古い順にABCDE…と続き,Eが「最後のディアパソン」として指名買いされるらしいですが,実はDとかEとかは「大量生産=コストダウン」が進んだ,結構「プラスチッキーな音」のピアノなのです。

僕は下手クソですが「鍵盤ハーモニカ」を吹き,スタジオにもスズキのproメロディオンが転がっています。敢えて言えばヤマハの「ピアニカ」は「ヤマハっぽい音」がするし,スズキは敢えて言えばDiapason的な「太い音」がします。

それでメロディオンとディアパソンとで合奏を楽しんでいましたが,ピアノがKimballに変わると,どうにもメロディオンが「プラスチッキーな音」に感じられ,吹く気が失せました。

鍵盤ハーモニカは正に「プラスチックのボディ」を持ち,「プラスチックな音」がして当然なのですが,国産ピアノとならば違和感無く合奏できたのは,やはり国産ピアノが「プラスチッキーな音」なのでしょう。

かと言って183Eと同年代のヤマハG3グランドピアノについては,183Eと比較すれば「ブリキのバケツをぶっ叩いたような音」でフィールのないタッチとで,僕は圧倒的に「ディアパソン」派でした。

Kimball から話しが脱線しますが,ディアパソンに関しては,家庭用の183Eに関しては「ヤマハよりは音が深いが,輸入ものとは比較できないプラスチッキーな音」という印象でしたが,同じ時代の一クラス上の210E(セミコン)は寸法も大きいですが,別物といって良い位に国産として深い音を持ちました。

褒めてるのか貶してるのかは分りませんが,ベヒシュタインの150センチ台のベビーグランドピアノを弾いた時「おぉ,ディアパソン210みたいな音とタッチがする!」と驚きましたが,僕としては国産ではピカイチ的存在がディアパソン210Eでした。

これも時効だから明かしますが,210Eが現役である1980年代の半ば,僕はあるホールで演奏する事になり,備え付けのヤマハのフルコンであるCF(確かCFⅡ)の「缶詰を叩いたような音」と「威張り腐ったホール所属の調律師」にブチ切れ,ディァパソン(カワイ)にお願いし210Eを貸し出して貰いホールに入れました。

その時に僕の演奏を録音した人の話しでは,CFは270センチもある「フルコン」だが,音が「キャンキャン」しているから一見鳴っているようで,録音メーターの音圧が上がらず,セミコンに過ぎない210Eは柔らかい音だが,しっかりメーターの音圧が上がり驚いたとの事でした。

(尤も翌年は,そのCFの音が落ち着いたのと,何故か調律師さんの愛想よくなり,こちらも面倒になったので,そのCFを結構気にいって弾きましたが…。

ちなみに1990年代のCFⅢ(だったかⅢS)の完璧に調整してあったのを弾かせて貰い,タッチ,ペタルと共に「驚嘆すべき良さ!」に僕はすっかり参ってしまうのですが…)

ディアパソン・グランドピアノについては,実は何台か所有しましたが,同じ183でもBだったかCについては,もう「全然別世界の音」,或はA以前,つまりハンドメイドで創られたオリジナルの170については「下手なベヒシュタインをしのぐ!」と驚嘆しました。

尤もオールド物のディアパソンに出会うのは後年の話しですが,183E現役当時は,ヤマハのG3やC3よりは「好みに合う」にせよ「どうも輸入ピアノとは世界が違うなぁ」という気持ちでした。

当時,僕には結構親切,且,良心的に接してし下さるが,素人さんには,とんでもないピアノを売りつけるある販売店があり,僕は出入りしていました。その店(会社)は米国のボルドウィンというピアノの輸入代理店でもあり,僕は色々と弾かせて貰いました。

当時の僕は「米国ピアノ=ホンキートンク」みたいなイメージがあり,ボルドウィンにも偏見がありました。むしろ「ディアパソン最高!」と思ってた訳で。

実は僕が「インターナショナルなリズム感やハーモニー感の習得」に向かうのは30才前後からの話しで,当時は例えば「クラシックのピアノ教本は,音大教授も使われている白い表紙のシリーズを使う」という「和製クラシック」のピアノ弾きの一人でした。

故に「ピアノの良し悪し」を判断する耳も指も持合わせておらず,ボルドウィンに関しても,そもそも鍵盤が波打っている(高さが揃ってない)のを見て「駄目だ!」と一笑しました。

それでも,これは今でもそうですが,あらゆるピアノを弾きたい,という好奇心があったのと,当時,20代半ばの僕は「場末の酒場のピアノ弾き」としては結構「売れっ子(?)」で色々な「ジャズ(風)ボーカル」のオネェさん方と毎晩のようにカクテル片手に,今で言う「ストライドピアノ」の真似事をして稼いでいました。

自分では,映画「カサブランカ」に出て来るピアニストのような雰囲気で演奏し,ハンフリー・ボカードのような格好をしたくて,当時としてはステイタス性があった「エーボンハウス」という国産英国調のスーツを着込み,サスペンダーで吊るしたズボンに,ラルフ・ローレンだかの幅広ネクタイをなびかせ,自分では「いけてる」つもりで,インチキ臭い「場末のピアノ」稼業に精を出していた訳です。
(尤も,それ以外の時間は只管に勉強と練習,シンセサイザーによる多重録音制作に励んでいましたが)

当時,定期的に演奏していた或る高級バーにカワイのアップライトピアノがあり,それが格好は良いが,どうも音が硬くて弾き難く,「確かピアノ屋にあった同じ様な方のボルドウィンは大分良かったぞ」と思い,早速,改めてボルドウィンを弾きにいきました。

実は当時はカワイとボルドウィンは何らかの提携関係があったとか何とかの噂を聞きましたが,外見はよく似た家具調のスピネットピアノなのですが,実際に弾き比べると「本物のボルドウィン」の何とも弾き易い事。

酒場やレストランでよく弾いていた「As time goes by」の左手10度がとても弾き易いのと,
右手のメロディーが歌わせ易くて「あのバーにもこんなピアノがあればいいな!」と思いました。

とはいうものの「ホンキートンク風のピアノだから,この手のカクテルピアノ演奏が合うのは当然かん」,それ故「クラシックは合わないだろう」と思ってた訳です。

僕のピアノを聴いて店の人が「いいねぇ。酒でも飲みたくなるねぇ」なんていいつつ「好きなだけ弾いていいよ」と許可を得た事もあり,楽譜を持ち「ショパンのワルツ」を弾いてみました。

これは,あっけなく良くて「合格」。

とはいうもののラグタイム・ジャズとショパンは似通った部分もあり,これが弾けたといってもクラシック全般が合うとは限らない,と思い「バッハの平均律」を弾くと,これも全然良いのです。

実は最近はあまり弾きませんが「平均律」は18歳位から25年位毎日弾いてましたが,当時も結構綿密に勉強しており,例えば「一番/ハ長調」の転調具合なぞも暗記しており,微妙に調が変わる感じを表現しようと四苦八苦していたのがボルドウィンではあっさりと表現できたのです。

バッハ平均律プレリュードというはグノーが「アベマリア」の伴奏にそのまま転用しましたが,
なるほど国産ピアノだと転用したくなる,というか,何だか平板な音楽に聴こえるのです。

ところがボルドウィンで弾くと,見えてなかった抑揚が見え,呼吸も感じられ,これだけで充分。
ちなみに今見ると,バッハ自体のフレージングとグノーが後付けした旋律の流れは合致しておらず,
いわば「ちゃんと伊勢エビのお刺身にケチャップをかけて食べている」ような案配で,
グノーのB級度を証明してしまいます。

話しを戻しますと,ショパンやバッハは良かったが「流石にこれは駄目だろう」思えた「モーツァルトのソナタ」をボルドウィンで弾きますと,これ又,全然弾き易いではないですか!

一体これはどうなってるのだ!

当時,学校のヤマハや自宅のディアパソン等の国産ピアノ以外に弾くとすれば,ホールにあったスタインウェイのフルコンか時々弾かせて貰ったドイツのグロトアン(スタインヴィッヒ)位のものですが,
なるほどスタインウェイやグロトリアンは良いが,まさか米国の「ホンキートンク」風のアップライトが,ディアパソンのグランドピアノより良いとは思ってなかったので,凄く衝撃を受けました。

だから,もしお金が貯まったらディアパソンのグランドピアノはそのままとし,横に並べてボルドウィンのアップライトを買おうと思ってました。確か当時70万円位で買えた筈ですが…。

何故,国産グランドピアノより米国アップライトの方が音が良かったかのか考えますと,
結局,国産が「硬い合板とプラスチック」でできたに対し,ペニヤだったかも知れませんが,
合板と木材と良質な鉄骨を使ったボルドウィンが使っていたが故でしょう。

或は根本的な「持って生まれた音楽性」が違ったのか。

とにかく以来,すっかり米国ピアノに関心を持ち始めたのですが,結局,ボルドウィンのアップライトは買わずじまい。

これも脱線した話しになりますが,1980年代半ば頃から僕は「酒場のピアノ弾き」稼業や,楽器店の音楽講師業に見切りを付け,ある音楽スタジオに転職します。且,ピアノ以上にデジタル・シンセサイザーやMIDIにのめり込み,ある期間,殆どピアノ自体を弾かなくなります。

ボルドウィンのアップライトが70万円と言ってましたが,ある時期は毎月30万円位器材を買込み,バブル到来に乗ったとはいえ,今にして思えば100万円単位の器材を消費した訳で,これをやらなければボルドウィンのアップライトなぞ何台も買えたな,とえらく損した気持ちになります。

とはいえマッキントッシュコンビューターで制御する10台以上もあるシンセサイザーや音源モジュールによる,一々パソコンやミキサーを立ち上げないと音一つでない大掛かりなシステムや,部屋中に配線が這い回る様子が時期からどうにも面倒に思え,遂に爆発し「やっぱピアノに戻ろう!」と決意しました。

結局,ライブ用のENSONIQ KS32と,ヤマハ PF-P100という据え置き型デジタルピアノ他のみを残し他は処分,更にはシーケンサーの使用も面倒になり「シンプル・イズ・ベスト!」とヤマハの自動伴奏機能付きクラビノーバ CVP87やKORG i2というキーボードに集約。

ENSONIQはベーゼンドルファーを真似したデジタルピアノだったせいか,ショールームで弾かせて貰ったベーゼンドルファーがとても良く思え始めたのがこの頃です。

当時は「ピアノとストリングによるニュー・エイジ(ヒーリング)・ミュージック」が僕のスタイルでしたが,ヤマハピアノとヤマハシンセサイザーによる組合わせが良くて,家庭用のCVPやPSRキーボード(ボータートーン)なぞも使い始める始末。

その内,あるご縁でお隣の台湾に移住,というかバカンスに出かけた所,レコード会社や現地のヤマハから仕事を頂き,ずるずると生活開始。

1990年代初頭の台湾での南国生活で見ると,日本では何とも思わなかったヤマハやトヨタ,ソニーや資生堂等の日本メーカーものがとてもが良く思えました。

というか例えばトヨタ車が高くて,日本では高かったルノーやフイアット等のイタリアのフランス車が安く,ピアノについてはヤマハが高くて米軍のお流れのキンボールやボルドウィン等が米国ピアノが安かった訳です。

結局,朝はヤマハで教え,昼はスタジオかオフィスの仕事をこなし,夜はホテルでピアノを弾くか,クラブ(ディスコ)でキーボードを弾く,という現在に至る生活パターンが始まる訳ですが,暇があれば楽器屋めぐりをしました。

日本にはない変な楽器や,日本ならば値打ちものの凄い楽器が価値が認められず放置してあるなんと事が多々あり面白かったからです。

とにかく,やたらキンボールのピアノがあり,しかも調律なぞせず,ガタガタのまま放置してある,というのが普通でしたが,弾いていると案外楽しい,というか,レンタルで貸して貰ったヤマハ・グランドピアノより案外に音楽的に感じられたのです。

且,契約していたスタジオには古いベーゼンドルファーのフルコンがあり自由に使わせて貰いました。

僕は未だにビンボーですが,ピアノには恵まれていて,日本にいた時分からスタインウェイやベヒシュタインの大きなグランドピアノで練習させて貰っていましたが,ベーゼンドルファーはあまり新大阪のショールームで触らせて貰う程度でした。

ところが,そのスタジオにあったベーゼンは日本で見たのとどうも違う感じ。
タッチも音色もまるで異なるのです。

これは後から分ったのですが1970年代頃迄のベーゼンとそれ以後ではアクション・メカニズムがまるで変わってしまい,ボディの塗装等も相当変わっていたのです。台湾にあったのは1970年代頃の古いタイプで「シングル・アクション(ウィーン・アクション)」でボディが薄いイメージの古いタイプ。

僕はどういう訳か,この旧型のベーゼンのフルコン(275)に縁があり,帰国後もしばしば弾く機会に恵まれましたが,この「シングル・アクション」タイプのはおよそ弾き難いピアノでした。

それでも毎日弾いてる内に段々なじみ,むしろ現代の「ダブル・アクション」を積むベーゼンより良く思え始めました。

かと言って,おいそれと自分用にオールド・ベーゼンドルファーを買込む,という訳にもいきませんが,そういえば60〜70年代は米国キンボール社がベーゼンドルファー社を傘下に収めていたから,もしかして自分の練習用にキンボールを手にいれればどうか,と考えたのです。

勿論,ベーゼンドルファーとキンボールとでは「絹と麺」「鱧の刺身とハンバーガー」位に違います。
そういわれれば,後年,日本ベーゼンドルファー社にキンボール・グランドの修繕をお願いした時,
たまたま預かりであったヤマハ・グランドピアノG2に比べ,キンボールがいかに駄目か,を言われてしまった記憶があります。

ところがベーゼンのトップ技術者であるK氏はキンボールを分解しつつ,例えばベーゼンと同じ「シュワンダー(ウィーン)アクション」が用いられている事,設計的に同じ(というか,そのままコピーした)事を指摘し,「国際とは本質的に違う」事を他の方に説明して下さいました。

(かと言って,ベーゼンとキンボールはまるで異なるピアノですが)。

1990年代終わりから日本生活の再開,2000年から現住所での「スタジオ&サロン」開き,2005年からの「キンボールピアノ」の導入をもって新体制となりました。

キンボールを選んだのは,僕個人的想いでとしては「米国生活」ではなく,台湾での「南国生活」を思いだすとともに,ヤマハとはマッ反対の価値観でできたピアノとしての「魅力」にひかれてのです。

勿論,ベーゼンドルファーを引合に出して云々するピアノではありませんが,安物なりに,木材と鉄骨の音がし,結構,タッチも繊細。

ハノンを弾いても今イチ生えませんが,バッハやモーツァルト,ショーベル等のはなかなか良く,ジャズもやはり良い,といのうが,このピアノ。

一時間600円で。宜しければお使い下さい!

ご利用はホームページへアクセス下さい。
キンボールグランド.jpg





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