スゥイングジャズ・スタイルのラウンジミュージックを展開します! [Lounge Music Project]
カーメン・キャバレロが音楽を担当した「愛情物語」の実在の主人公,エディ・デューチンの音楽を知った事で「1930年代のスゥィング・ジャズ・スタイルのラウンジミュージック」という手もあるのだが,と発想を得ました。
僕は大阪梅田にて「ラウンジ・ミュージック・プロジェクト(LMP)」と「チャールストン倶楽部」という集団を主宰しています。
前者はホテル等の音楽企画をするいわば「音楽事務所」であり,後者は「カフェ開業」の準備を進める「1920〜40年代の音楽文化ファン」コミュニティーです。
両者は業務が異なりますが,取扱う音楽志向も少し異なります。
「 Lounge Music project」では 「1950〜60年代のラウンジミュージック」を,
「チャールストン倶楽部」では「1920〜40年代のラグタイム〜スウィング」を志向します。
その他,僕は「Kimball Piano Salon」の音楽教室では50〜60年代の「モダンジャズ」をお教えし,自身の活動として「クラブ・ジャズ」も'90年代半ばより取組んでいました。
つまりは「ジャズ」と名がつけば何でもかんでも手を出す,というか,自習や人にレッスンする必然から古今のジャズに関わってきた訳です。
但し,最近に至り,何でもかんでもやる,というのが億劫というか物理的に難しくなってきました。
考えてみれば,音大生時分から始めたジャズピアノとは30年も関わっている訳ですが,オールマイティにやっていた訳でなく,最初の10年位はキース・ジャレットの物真似風('70年代式),次の10年は巡り会えた塩沢修三先生や稲森泰利先生のメソードでビル・エバンス('60年代式)な独学し漸く確証を得ると共に,演奏の仕事としてはデジタル楽器を駆使した「ニューエイジ・ミュージック」に関わりました。
この10年は生ピアノに回帰し,且,仕事上の必要もあり「1950年代の音楽」=オスカー・ピーターソンやバリー・ハリスのメソード('50年代式)の習得を目指しつつ,エロール・ガーナーや「ラウンジミュージック」のカーメン・キャバレロ的な演奏を生業としました。
どういう訳か段々と古いジャズに戻って行きましたが,この一,二年は1920年代の「ニューオリンズ・ジャズ」や'30年代の「スゥイング・ジャズ」が好く思えてきて「チャールストン倶楽部」なるコミュニティーを主宰しました。
尤も「チャールストン倶楽部」的な「クラシック・ジャズ」への関心は,自発的なものでなく,市場のニーズがきっかけです。
僕自身は1960年代の生まれですが,'50年代風の物が好きで,例えばカフェならばスタバ,ファッションならばGAPが「私のお気に入り」でした。
そもそも日本の「ジャズファン」は,古くて1940年代の「ビ・バップ」,中心は'50〜60年代ジャズとなり,戦前の「スゥイング」は疎い,という人が少なくありません。
僕自身この十年前迄は'30年代の「スゥイング」は殆ど聴きませんでしたし,20年代の「ラグタイム」なぞ人名すら知りませんでした。
どうも戦前の「スゥイング」以前と,戦後の「ビ・バップ」以後てはファン層が違う,というか,端的には「ジャズ・ファン」にとって'30年代のベニー・グッドマンやユービー・ブレイクは「ジャズ」ではなかった訳です。
又,日本で「ジャズ教育」は,端的には日本人として二人目の米国バークリー音楽院に留学者となる渡辺貞男氏が,1970年に持ち帰った「バークリーシステム」の基礎による名著「Jazz Study」を「ジャズ理論」の基盤とします。
僕が私淑した坂本輝,藤井貞泰,稲森泰利各先生は理論的根幹を恐らく「jazz Study」に置かれているかと思います。
その事でビル・エバンスやウィントン・ケリー,チック・コリア等の60年代以後のジャズ・ピアノの読解が容易になります。
だから1950年代以後の「モダン・ジャズ」や「Jazz Study」的な理論体系を僕自身の拠り所としていました。
ところが(たまたまかも知れませんが)僕の周辺の若者に試聴させると,50年代以後の「モダンジャズ」より,ルイ・アームストロングやアート・テイタムみたない「クラシック・ジャズ」の方がいい,というのです。
何故,「クラシック・ジャズ」を好むのか考えた所,思い当たる点として,実は今時のブティックやカフェの流行が,1920〜30年代風のインテリアになっているからかな,と。
僕のスタジオの近くにある「Nu茶屋町+」あたりはいかにも「1920〜30年代」風のインテリアです。残念な事に店内BGMは,「モダン・ジャズ」が流れている事が少なくなく,これを「クラシック・ジャズ」に替えると雰囲気が更によくなるのですが…。
そんな訳で「クラシック・ジャズ」へのニーズが高まりつつあった訳ですが,「チャールストン倶楽部」カフェみたいな予測ではワイワイガヤガヤした「西洋居酒屋」風の空間は良いとして,ホテル関係では「クラシック・ジャズ」はにぎやか過ぎるかな,と思っていました。
とろこがエディー・デューチンの録音を聴くと,「スゥィング」を基調に「ブキブキ」や「チャールストン」「フォックス・トロット」等の1920〜40年の「クラシック・ジャズ」を基調にホテルで使える「ラウンジミュージック」しています。
つまり「エディ・デューチン・スタイルのラウンジミュージック」を核とすれば,「チャールストン倶楽部」で推進している「クラシックジャズ」を「ラウンジミュージックプロジェクト」に転用し,両者の統合も可能となります。
という訳でして,スゥイング・ジャズ・スタイルのラウンジミュージックに取組みたいと思います。
逆に「愛情物語」の音楽は,キャパレロのピアノ自体は1930〜40年当時のデューチンとほぼ同じという事は分りましたが,伴奏のリズムは1930年代当時には存在しなかった「ビ・バップ」系であり間違っている訳です。
僕がデューチンの音楽自体には感動しつつ,逆に映画「愛情物語」に物足りなさを感じるのは,そもそも1930年代に,どうやって,ああいうスタイルの音楽を生み出しのか?という事がまるで描かれていない点が一つ。
もう一つは,ここがカーメン・キャバレロと違う所ですが,1920〜30年代のジャズ(当時は「ジャズ」とは呼びませんが)の巨人,ファッツ・ウォーラーや
僕は大阪梅田にて「ラウンジ・ミュージック・プロジェクト(LMP)」と「チャールストン倶楽部」という集団を主宰しています。
前者はホテル等の音楽企画をするいわば「音楽事務所」であり,後者は「カフェ開業」の準備を進める「1920〜40年代の音楽文化ファン」コミュニティーです。
両者は業務が異なりますが,取扱う音楽志向も少し異なります。
「 Lounge Music project」では 「1950〜60年代のラウンジミュージック」を,
「チャールストン倶楽部」では「1920〜40年代のラグタイム〜スウィング」を志向します。
その他,僕は「Kimball Piano Salon」の音楽教室では50〜60年代の「モダンジャズ」をお教えし,自身の活動として「クラブ・ジャズ」も'90年代半ばより取組んでいました。
つまりは「ジャズ」と名がつけば何でもかんでも手を出す,というか,自習や人にレッスンする必然から古今のジャズに関わってきた訳です。
但し,最近に至り,何でもかんでもやる,というのが億劫というか物理的に難しくなってきました。
考えてみれば,音大生時分から始めたジャズピアノとは30年も関わっている訳ですが,オールマイティにやっていた訳でなく,最初の10年位はキース・ジャレットの物真似風('70年代式),次の10年は巡り会えた塩沢修三先生や稲森泰利先生のメソードでビル・エバンス('60年代式)な独学し漸く確証を得ると共に,演奏の仕事としてはデジタル楽器を駆使した「ニューエイジ・ミュージック」に関わりました。
この10年は生ピアノに回帰し,且,仕事上の必要もあり「1950年代の音楽」=オスカー・ピーターソンやバリー・ハリスのメソード('50年代式)の習得を目指しつつ,エロール・ガーナーや「ラウンジミュージック」のカーメン・キャバレロ的な演奏を生業としました。
どういう訳か段々と古いジャズに戻って行きましたが,この一,二年は1920年代の「ニューオリンズ・ジャズ」や'30年代の「スゥイング・ジャズ」が好く思えてきて「チャールストン倶楽部」なるコミュニティーを主宰しました。
尤も「チャールストン倶楽部」的な「クラシック・ジャズ」への関心は,自発的なものでなく,市場のニーズがきっかけです。
僕自身は1960年代の生まれですが,'50年代風の物が好きで,例えばカフェならばスタバ,ファッションならばGAPが「私のお気に入り」でした。
そもそも日本の「ジャズファン」は,古くて1940年代の「ビ・バップ」,中心は'50〜60年代ジャズとなり,戦前の「スゥイング」は疎い,という人が少なくありません。
僕自身この十年前迄は'30年代の「スゥイング」は殆ど聴きませんでしたし,20年代の「ラグタイム」なぞ人名すら知りませんでした。
どうも戦前の「スゥイング」以前と,戦後の「ビ・バップ」以後てはファン層が違う,というか,端的には「ジャズ・ファン」にとって'30年代のベニー・グッドマンやユービー・ブレイクは「ジャズ」ではなかった訳です。
又,日本で「ジャズ教育」は,端的には日本人として二人目の米国バークリー音楽院に留学者となる渡辺貞男氏が,1970年に持ち帰った「バークリーシステム」の基礎による名著「Jazz Study」を「ジャズ理論」の基盤とします。
僕が私淑した坂本輝,藤井貞泰,稲森泰利各先生は理論的根幹を恐らく「jazz Study」に置かれているかと思います。
その事でビル・エバンスやウィントン・ケリー,チック・コリア等の60年代以後のジャズ・ピアノの読解が容易になります。
だから1950年代以後の「モダン・ジャズ」や「Jazz Study」的な理論体系を僕自身の拠り所としていました。
ところが(たまたまかも知れませんが)僕の周辺の若者に試聴させると,50年代以後の「モダンジャズ」より,ルイ・アームストロングやアート・テイタムみたない「クラシック・ジャズ」の方がいい,というのです。
何故,「クラシック・ジャズ」を好むのか考えた所,思い当たる点として,実は今時のブティックやカフェの流行が,1920〜30年代風のインテリアになっているからかな,と。
僕のスタジオの近くにある「Nu茶屋町+」あたりはいかにも「1920〜30年代」風のインテリアです。残念な事に店内BGMは,「モダン・ジャズ」が流れている事が少なくなく,これを「クラシック・ジャズ」に替えると雰囲気が更によくなるのですが…。
そんな訳で「クラシック・ジャズ」へのニーズが高まりつつあった訳ですが,「チャールストン倶楽部」カフェみたいな予測ではワイワイガヤガヤした「西洋居酒屋」風の空間は良いとして,ホテル関係では「クラシック・ジャズ」はにぎやか過ぎるかな,と思っていました。
とろこがエディー・デューチンの録音を聴くと,「スゥィング」を基調に「ブキブキ」や「チャールストン」「フォックス・トロット」等の1920〜40年の「クラシック・ジャズ」を基調にホテルで使える「ラウンジミュージック」しています。
つまり「エディ・デューチン・スタイルのラウンジミュージック」を核とすれば,「チャールストン倶楽部」で推進している「クラシックジャズ」を「ラウンジミュージックプロジェクト」に転用し,両者の統合も可能となります。
という訳でして,スゥイング・ジャズ・スタイルのラウンジミュージックに取組みたいと思います。
逆に「愛情物語」の音楽は,キャパレロのピアノ自体は1930〜40年当時のデューチンとほぼ同じという事は分りましたが,伴奏のリズムは1930年代当時には存在しなかった「ビ・バップ」系であり間違っている訳です。
僕がデューチンの音楽自体には感動しつつ,逆に映画「愛情物語」に物足りなさを感じるのは,そもそも1930年代に,どうやって,ああいうスタイルの音楽を生み出しのか?という事がまるで描かれていない点が一つ。
もう一つは,ここがカーメン・キャバレロと違う所ですが,1920〜30年代のジャズ(当時は「ジャズ」とは呼びませんが)の巨人,ファッツ・ウォーラーや
The Eddy Duchin Story/Eddy Duchin Remembered
- アーティスト:
- 出版社/メーカー: Fine & Mellow
- 発売日: 2007/11/05
- メディア: CD
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