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「習わずにピアノが弾けるようになる本」で挫折した人の為のジャズピアノ・メソッド [Lee Evans Society]

僕が主宰している「リー・エバンス・ソサエティ」は米国の教育家リー・エバンス教授による「ジャズピアノ」メソッドの普及活動を行っています。

この「リー・エバンス・メソッド」は「ジャズ」のみならず「ピアノ」の習得も重視します。

つまり「正統的なピアノ奏法」でジャズなりクラシックが弾けるようになる、という訳ですが、たいし対象は「ピアノ入門」~「上級」までカバーします。

昨日からリー・エバンスの「ピアノ入門~初級」について、対象者像に合わせてお話しています。
昨日は「ピアノもジャズも未経験な方」を対象としたお話。

今日は、現役世代の男性に多い
「習わずにピアノが弾けるようになる本」を「購入」して練習したが、結局、挫折して「ピアノを習う事を決意」した人

を対象としたお話。

本来、ピアノは習うものでした

僕の世代が「ピアノを弾けるようになりたい」と思った場合、「ピアノ教室に習いに行く」のが常識でした。

「教室にピアノを習いに来る」のは子供が多く、ご両親は「子供の為ならば」と奮発して月謝やピアノ購入費を捻出したものです。

従って従って子供の時に習い始め、学年が上がるに連れ、ピアノも進級し、高校生ともなれば、時々行われる「発表会」では「幻想即興曲」やら「悲愴ソナタ」あたりを弾く「トリを飾る」生徒も現れます。

たまには「大人の生徒さん」もおられましたが、案外「トリを飾る」程にはバリバリと弾けず、しかし「中の上」位の出番を与えられる、というのがよく見かけるパターンでした。

逆にいえば、いい年したオバサンやオジサンが「バイエル・レベルの曲」を弾くのはカッコ悪いから出演したがらない、というのも、よくあるパターンでした。

昔と比べ今は、「ピアノ教室」も沢変わりし、生徒さんの主流が「子供」から「大人」に移りつつあり、且、教室によっては平均年齢が七十歳位になるそうで、「大人」の中でも「シニア…特にご婦人」のご活躍が目立つようです。

「シニア」生徒さん達の良い点は、こう言ってはなんですが、あまり上手い人は少なく、教室の全員が「初心者」という事も当たり前。競うのではなく、仲間同士として「ピアノを楽しむ」という感じで、これは、とても良い事ですね。

或る意味、「子供」や「シニア」は「ピアノ教室に習いに行き易い」のですね。

現役世代の男性にとって「ピアノ教室」にて「ピアノ入門」するのはハードルが高いですか?

対して「子供やシニアに混じってピアノ初心者になるのは沽券に関わる」とか「時間がない」とかで、現役世代は「ピアノ教室」の敷居を高く感じたり、特に男性は「習わずにピアノが弾けるようになる本」やら「アプリ」で「独学」する方も少なくありません。

「独学」が悪いとは言いませんが、「習わずにピアノが弾けるようになる本」や「アプリ」で「ピアノが弾けるようになる」のか?といえば十中八九無理でしょうねぇ。

実際、僕の教室(大阪梅田Kimball Piano Salon)にも「習わずにピアノが弾けるようになる本」で頑張られた方が「レッスンの問合せ」で時々来られます。

何かと問題が多い「習わずにピアノが弾けるようになる方法」での独学

「試しに何か弾いて聴かせて下さい」というと、ショパンなりベートーヴェンなり、或いはジャズピアノの一部を、それなりに弾かれるので、正直、私も最初は驚きました。

但し、僕の所は「まともなピアノ教室」なので、「ショパン/華麗なるポロネーズ」や「ビル・エバンス/ワルツ・フォー・デビュー」が弾けようが(本当に弾けていれば良いのですが…)、レッスンとしては「基礎」からやって貰います。

すると、これが全然弾けないんですね。

ごく簡単な譜面さえ弾けない。一体どうやって「華麗なるポロネーズ」を曲がりなりにも弾けるようになったのか?と尋ねると、「楽譜にルビを打ち、CDを繰り返し聴いて音を覚える」を一年も二年も続けて、漸く「華麗なるポロネーズ」が弾ける(?)ようになった、との事。

僕としては「はぁー」と驚き、呆れるしかない、のは、よくぞ「辛抱強く」練習というか、「鍵盤探り弾き」を一年も、二年もやり続けるものだ、と感じるからです。

例えば僕の場合、クラシックでいえばリスト、ジャズでいえばアート・テイタムあたりの「難易度の高い楽譜」を練習しますが、初見で、物凄いゆっくりしたテンポならば、音を拾える曲しか、「練習」材料として取り上げませんものね。

「手も足も出ない楽譜」を気長に「練習」するよりは、「なんとかなりそうな曲」を沢山「練習」する内に、自然とレベルがあがり、以前は「手も足も出なかった曲」が、何とかなりそうになる訳です。

急がば回れ=「基礎」から学び事の重要性

二年や三年で「英雄ポロネーズ」が弾けるようになるとは思いませんが、二年でも「基礎からちゃんと学ぶ」と、色々と「ちゃんと弾ける曲」つまりレパートリーが増えてきます。

「アプリ」なぞは論外。

まともな音楽家ならば、「アプリ」で練習する位ならば、YouTubeで色々な名演奏を聴く方が遥かに「練習」になります。

「間違えずに鍵盤を押さえればよい」なんて発想は、「サプリさえ食べれば、食べ物は要らない」と同じ位にウソです。

「習わずにピアノが弾けるようになる本」の類を書いた人は、自分の経験で書いているだろうからウソではないが「間違っている」と断言できます。

独学するにせよ習うにせよ「基礎から始めるメソッド」が必要

仮に「独学」で学ぶにせよ、「好きな難曲を二年もかけて探り弾きして覚える」なんてのは「人生(=時間)の浪費」であり、絶対に「初心者用の教材」を最初のページから習得すべき。

ちなみに「ジャズ」で始めるならば「リー・エバンス」は、僕が関わっているから、という理由ではなく、客観的に見て良いメソッドだからお薦めします。

クラシックならば、「バイエル」は「昔からある」とか「当たり前過ぎてツマラナイ」という理由ではなく、「ピアノ教材として、音楽性も、技術習得も良くない」からお薦めしませんが、バスティンやトンプソン、中村菊子もの、或いはギロック関係にも色々と良いメソッドがあります。

個人的には「独学」でやるならば「バスティン」が良いかな、と思います。

問題は、「独学」で「正しく弾ける」のかという点。間違った弾き方で何年やろうが、大して上達しません。


「リー・エバンス・メソッド」の場合も「正しい弾き方」で弾かねば効果がありません。

ちなみに「正しい弾き方」というのは、クラシックの「正統的なピアノ奏法」という意味とほぼ同じですが、加えて「正しいジャズリズム」というものも必要です。

尚、これも誤解されていますが、クラシック、ジャズ双方の人がいう「ジャズ特有のリズム感」やら「ジャズ特有のハーモニー」や「ジャズ特有の弾き方」なぞは存在しません。

元々バッハやベートーヴェンやショパン等の「クラシック音楽に含まれていたリズムやハーモニー」を表出させたのが「ジャズのリズム」なのです。

他の所にも書きましたが、例えば「ハイドン」のハーモニーは、表向きこそ「古典派」ですが、背後にあるハーモニーは、二百年以上後のラベルや、ジャズのビル・エバンスやなんかと同じです。

いわば昔は「下着」であり人前では見せなかったシャツが、今では、当たり前のように人前で見せるのと同じ。基本的に「同じリズムやハーモニー」だから短期間の間に、ジャズは欧米で普及した訳です。

だから「リー・エバンス・メソッド」で「リズム感」について理解して頂ける訳ですが、現時点、これは「独学」では難しい訳で、やはり習いに来られた方が早いかと思います。

三教科制のレッスン

別な機会に詳しくお話ししますが、今迄「習わずにピアノが弾けるようになる本」の方法ででなまじ練習し「人生を浪費」されていた方が「リー・エバンス・メソッド」でのレッスンに来られた場合、三教科制で学びます。

尤も、これは他の対象者やレッスンプログラムも同様で「リー・エバンス・メソッド=三教科制」となります。

つまり下記のようになります。

・ピアノ教本(演奏テクニック) ・ソルフェージュ(作曲と和音付け他) ・楽曲

これについては、次回「3、これからピアノを始める或いはバイエル程度の経験があり、クラシックだけでなくジャズも学びたい」中学生以下のKids〜ジュニアの項でお話します!

つづく

リー・エバンス・メソッドで学べる音楽教室(大阪、横浜他)
大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon 講師 藤井一成
電話 07054385371 http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon
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「ジャズピアノを弾きたいが、ピアノ経験もジャズ経験もない方」の為のメソッド [Lee Evans Society]

クラシックピアノ教室にピッタリのジャズメソッドである「リー・エバンス」は、使用する方の「クラシックピアノのスキル」と「ジャズのスキル」を組合わせ、下記三種類のプログラムを用意しました。

1,ピアノもジャズも未経験な方対象 「ジャズもピアノも学べるリー・エバンス」 2,クラシックピアノ経験はあるがジャズ未経験な方対象「クラシック to ジャズ」 3,ジャズ(或いはLEM)経験のある方対象「 ジャズ・エレメント」

それぞれのプログラムを指導する「指導者認定制度」も「リー・エバンス・ソサエティ」として発足されます。

という訳でプログラムを順に説明しましょう。

今日は

1、ピアノもジャズも未経験な方対象 「ジャズもピアノも学べるリー・エバンス」。

対象
クラシックピアノ:未経験~バイエル程度 ジャズ・ポピュラー経験なし~コードネームを知っている

対象者像
・「ジャズピアノを弾きたいが、ピアノ経験もジャズ経験もない」大人 ・「習わずにピアノを弾けるようになる本」を「購入」して練習したが、  結局、挫折して「ピアノを習う事を決意」した大人 ・「これからピアノを始める或いはバイエル程度の経験があり、  クラシックだけでなくジャズも学びたい」中学生以下のKids~ジュニア

対象者像別にお話しましょう。

対象者像1「ジャズピアノを弾きたいが、ピアノ経験もジャズ経験もない」大人

こういう方は、僕の教室(大阪梅田Kimball Piano Salon)にも、よく来られます。
来られた方、全員に「リー・エバンス・メソッド」をお薦めする訳ではありませんが、
ジャズやボサノバ等を「聴くのが好き」という方であれば
「リー・エバンス・メソッド」をお薦めします。

但し、次の二つのパターンがあります。

・リー・エバンス・メソッドのみでレッスンする ・リー・エバンスとクラシックメソッドを併用する

私は「中学生以下のKids〜ジュニア」に関しては、「リー・エバンス」を使う場合、
必ず「クラシックメソッド」と併用するか、そもそもジャズなし、
クラシックだけで良い、と考えています。

しかし、高校生以上に関しては「リー・エバンス」だけで構わない、と思います。

そもそも「リー・エバンス」だけで「正しいピアノの弾き方」も
「楽譜の正確な読み方」等を学べる訳で、一、二年すれば「ジャズ」だけでなく、
例えば「バッハ/アンナ・マグダレーナの為の練習帳」のような「クラシックを弾きこなす基礎」
が習得できているからです。

「リー・エバンス」による「ピアノ入門課程」は、トンプソンやバスティン等の
「クラシック」と何ら変わりなく、但し、先生が弾く「伴奏パート」に
「ジャズ的なサウンド」が用いられている、というだけです。

「ピアノを弾けるようになる為には絶対必要な事」を「リー・エバンス」は学べます。

よくある「なんちゃってジャズ」や「ピアノ独習アプリ」等では、
ト音記号とヘ音記号が書かれた「大譜表」が用いられず、
「メロディーとコードネームだけが書かれた一段譜」だけが渡され、
「コードパターン」等による「我流の伴奏」を「楽しむ」という手筈になっています。

勿論、どういう「楽しみ」があっても良いのですが、これでは、将棋で例えれば
「はさみ将棋」や「将棋倒し」はできても、本来の「将棋」が永遠にできない、
という具合に限界が課せられてしまいます。

クラシック系ピアノしか弾けない方は、変に「一段譜を使った即興演奏」を有難がる傾向にありますが、こんなものは、別にどうって事はありません。

、当たり前のようですが「ト音希望とヘ音記号とで書かれたピアノ楽譜」を「正しい指使い」で弾けないと、「ジャズピアノを正しく弾く」事はできません。

また、これもクラシック系の方が苦手とする部分ですが、「コードネーム(ちなみに、これは日本語英語で、本来のChoed Symball といいます)」もどうって事がない知識です。

むしろ「クラシックの楽典」でも必修の「Ⅰ度の和音、Ⅴ度の和音」等の「和音記号」を理解しないと、「ジャズピアノ」は弾けません。

逆にいえば、そういう「楽典知識」や「楽譜を読み書きする能力」を培ってこそ、「ピアノを弾けるようになる」訳ですし、ジャズだろうが、クラシックだろうが弾けるようになります。

つづく

リー・エバンス・メソッドによるレッスン会場 
大阪梅田芸術劇場北向い Kimball Piano Salon 音楽教室 講師;藤井一成他
http://www.eonet.ne.jp/~pianosalon/Kimball_Piano_Salon

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「クラシックピアノ経験」と「ジャズ経験」を組み合わせたジャズメソッド [Lee Evans Society]

リー・エバンス・メソッドが三系統に分かれた理由

2020年に名称を「日本リー・エバンス協会」から「Lee Evans Society of Japan」と改めたのは、どうでも良い話(笑)として、最大の改革は「リー・エバンス・メソッド(以下LEM)」にありました。

と言うのは、以前のLEMは「ピアノ入門~中級迄(ソナチネ程度)迄」を対象としていたのに対し、新しいLEMは「中上級」迄をしっかりカバーしています 。

尤も「中上級」の「メソッド…或いはレッスンプログラム」を構築している際に、ハタと気づいたのは、そもそも何をもって「中上級」と呼ぶのか?という問題です。

クラシックピアノ経験とジャズ経験はバラバラだから

「クラシックピアノはショパンの名曲が弾けるが、ジャズ経験は全くない」という人もいれば、逆に「ブルース・ギターのプロだが、鍵盤経験は全くない」という人もいます。

男性に案外多いのは「ピアノはバイエル程度だが、ジャズ理論は勉強している」という人。

逆に「クラシック経験はないが、独学でジャズやブルースを弾けるが、ピアノ自体も理論も、どうも我流なので行き詰まっている」なんて人もおられます。

つまり「ピアノ経験」と「ジャズ経験」とがバラバラな訳で、単純に「ピアノ経験」だけで反対に「ジャズ経験」だけで、初~上級とグレードを決めると、「難し過ぎて弾けない」とか「音楽理論の部分が訳が分からない」とかのクレームが続出する筈。

加えて「リー・エバンス教材」に含まれるリー・エバンスのオリジナル作品は、一見、シンプルな「初級曲」でも、実は「ジャズ(理論)分析」の観点では「上級用の課題」として使えます。

という訳で「ピアノ経験」と「ジャズ経験」とを、どう組み合わせるのか、と色々と考えた末、「リー・エバンス・メソッド」は次の三種類となりました。


1,ピアノもジャズも未経験な方対象 「ジャズもピアノも学べるリー・エバンス」

クラシックピアノ:未経験~バイエル程度
ジャズ・ポピュラー経験なし~コードネームを知っている
2,クラシックピアノ経験はあるがジャズ未経験な方対象「クラシック to ジャズ」
クラシックピアノ:ブルグミュラー~
ジャズ・ポピュラー経験:なし~


3,ジャズ(或いはLEM)経験のある方対象「 ジャズ・エレメント」
ジャズポピュラーピアノ:経験あり、又はLEM「クラシツクto ジャズ」受講経験あり
ジャズ理論;コードやスケールを知っている、又はLEM「クラシツクto ジャズ」受講経験あり

夫々に対応した「指導者認定」プログラムもあります!

それぞれの内容については次回、詳しく説明しますが、もう一つ、付け加えますと、
それぞれのメソッドについての「指導者認定」制度も発足させます。

この場合、例えば「指導者資格六級の講師は初心者を指導し、指導者資格三級の講師は中上級を指導する」という具合にはなりません。

例えば「ピアノもジャズも未経験」の方を指導する為に必要なスキルは、「上級者」を指導するのとは全く別なものが必要。

という訳で、三つのメソッドそれぞれに「指導者認定」があり、例えば「1,ピアノもジャズも未経験な方対象 「ジャズもピアノも学べるリー・エバンス」を指導できる資格に、いわば上中下が設定される、という訳です。

次回、その辺りについてお話します!
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クラシックピアノ指導者対象ジャズ指導者検定発足! [Lee Evans Society]

旧「日本リー・エバンス協会」を再起動し、名称を「Lee Evans Society of Japan」と改めたのはオマケ(笑)として、本気で改正したのが「リー・エバンス・メソッド」の中身です。
そもそも「リー・エバンス・メソッド」は日本で構築されました

厳密に言えば「メソッド」と「レッスン・プログラム」は別なもので、「メソッド」とは、敢えていえば「スズキ・メソッド」のように「楽譜を使わないでピアノを習得する」位に、根本的な音楽の捉え方からして独自のものを持つ体系となります。

実は「リー・エバンス・メソッド」にも他のジャズメソッド…例えば「バークリー音楽院のメソッド」…とは根本的に異なる発想が多くあり、なるほど「リー・エバンス・メソッド」というものが存在する事は確かです。

とはいえ、ここで言う「メソッド」とは「レッスン・プログラム」、つまり「この練習曲を学びつつ、こちらの和音付けを学び、それを併用曲で活用する」とか「練習曲の難易度準」を言います。

僕自身が学んだ日本の「クラシックピアノのメソッド」である「バイエル~チェルニー100番&ブルグミュラー~チェルニー三十番&インベンション&ソナチネ~」という流れも、
厳密には「メソッド」ではなく、「レッスン・プログラム」な訳です。

しかし「メソッド」だけあっても具体的に学んだり、教えたりはできず、「レッスン・プログラム」として教材を整備してこそ具体的に使える、というものです。

実は米国には米国ハルレナード社から出版された「リー・エバンス教材や曲集」は沢山存在しましたが、日本人が期待するような「レッスン・プログラム」は定まっておらず、例えば「バスティン」でいう所の「練習曲」は、どの本が初級下で、どの本が初級上なのか、よく分からない、という所でした。

そもそも、この本が「バスティン」が言う「練習曲」なのか「併用曲集」なのかも、よく分からない。

ちなみに「よく分からない」だけで、実は「レベル」や「種類(内容)」…例えば「練習曲」なのか「併用曲」なのか等の分類…も考えられて造られている、とは出版された全ての本を見本として持ち、本の説明と内容を照らし合わせて研究する事ができた僕の「発見」でした。

ですから2008年に「リー・エバンス教材国内上陸の第二弾」について「監修者」として関わった僕は、沢山の教材を整理し、「種類」と「レベル」で分類し、リー・エバンス先生の認可の元「リー・エバンス・メソッド」として発布しました。

当初の「リー・エバンス・メソッド」を修正

但し、実際に十年以上、自分で構築した当初の「リー・エバンス・メソッド」を生徒さんへのレッスンに使ったり、或いはお弟子さんであるピアノの先生達にレッスン教材として使って貰うと、色々と修正する部分が出てきました。

例えば、国内版「パフォーム・アプローズ(米国版TICLE THE IVORIES JAZZ STYLE)」は「初級上巻」に相当する「ピアノ教本」である「プレイ&ジョイ3巻(米国版JAZZ MATAZZ)と同時に学ぶ「併用曲集」としました。

ところが実際にレッスンで使ってみると、この「「パフォーム・アプローズ」は、一見、譜面は易しいが、「ジャズのリズムスタイル」のトレーニングをある程度はやらないと、弾きこなせない、つまりは「「プレイ&ジョイ3~4巻」修了した人の為の教材だと判りました。

その他、細々と修正すべき部分がありましたが、最も大きな変化は「米国原板」を導入した事です。


当初は「~初級下巻」までだったが、新たに「中上級」を追加する

元々「リー・エバンス教材の国内普及」は、遡る事、1980年代から「オクト出版社」さんが始めた事であり、国内上陸第二弾となる2008年より、僕が「監修者」として参加し、前述のように、僕によって「リー・エバンス・メソッド(レッスン・プログラム)」が構築されました。

勿論、出版社の業務は「本や楽譜を出版するだけ」なので、「リー・エバンス・メソッドの構築」等の音楽教育自体はノータッチですが、現実には僕と「オクト出版社」社長の木村氏とは「二人三脚」でやってきました。

ところが、僕に言わせれば「本の内容は良いが、タイトルやデザインが分かりにくく、つまりは売れ難いのではないか?」という点や「内容のプロモーション戦略」等については、「オクト出版社」が仕切り、挙句、一時期、僕が外される、という事態に陥りました。

その結果、本として販売部数に関しては惨敗され、挙句、僕の再参加を頼まれたは良いとして、一旦、「定位置安定」してしまったのを挽回できず、結局、出版不況もあり「オクト出版社」は業務を停止される、という事態になりました。

要するに「オクト出版社」から出版されていた「国内版」の使用が困難になった訳ですが、これは困る、というば困った事態ですが、僕としては、この祭、「米国原書」に切り替える事で、「リー・エバンス・メソッド」をリセットできるとも思いました。

このリセットについては、前述のように「使用する順番」を替えたり等の細々なした事もありますが、実は「米国原書への切替=国内版を無視できる」というメリットがあります。

というのは、「オクト出版社」との「二人三脚」時代は、「オクト出版社」とて「ビジネスとして自社が出版した国内版リー・エバンスを売りたい」という本音と共に、別な本音として「リー・エバンス・メソッドの良さを日本人に知って欲しい」というのもありました。

要するに「国内版に限らず、米国原書であっても必要があれば、メソッドに組み込んで使って下さい」とは「オクト出版社」から言われてはいました。

とはいうものの、「オクト出版社」に遠慮する訳ではないのですが、どうしても「オクト出版社から出版され、在庫として抱えている国内版」中心の「普及活動」になってしまいます。これは「ビジネス」的に「本の販売促進に協力しよう」という意味もありますが、実際に「オクト出版社から国内出版された本」つまり「初級中心」の教材が極めて重用だったからです。

但し、これも実際に十年もレッスンで使用してますと、生徒さんが「初級」を修了し、「中級」に突入します。

ややこしいのですが、「中級」の教材は、「オクト出版社による出版」ですが、ソニーミュージックが販売しており、且、ソニーミュージックは、それらを廃版にしてしまい、今後はソニーミュージックと交渉し、再販の権利を譲って頂くのか等の問題が生じました。

結局、これらの「中級」を含めて「初級」や更に下のグレードである「ピアノ入門」にしても、「米国原書」を用いる、という事になりましたが、その事によって、以前は、今一つ気合をいれれなかった「中上級」用の「レッスン・プログラム」を構築できるようになりました。

特に、「国内版」としては絶対に出版できなかった、リー・エバンス編曲による、僕が「ラウンジ・ジャズ・コレクション」と称した、スタンダード名曲集を起用する、といいますか、むしろ「中上級」の核として、これを据える事ができました。

加えて、リー・エバンス教材は、「定番」こそ米国ハルレナード社から出版されていますが、そうでない新しい教材がFJH社から出版されていますし、リー・エバンス先生ご自身のチャンネルでもオンライン出版されています。

それらを自由に活用できる、というのは、「国内版が使えなくなった」という問題を払拭できる程のメリットです(安定供給についてはハルレナード社と交渉中)。


指導者別の三種の「リー・エバンス・メソッド」を発足させます

「日本リー・エバンス協会」を2020年に「Lee Evans Society of Japan」と名称を変更し、「再起動」させたのは、単に「気分転換」ではなく、「教材を国内版から米国原書に切り替えた」事で「リー・エバンス・メソッド」の実際が大きく変わったからです。

そういう意味では「再起動」してまだ三年足らずですが、この新しくなった「リー・エバンス・メソッド」については、敢えて大々的な告知や宣伝を行いませんでした。

これは単に「宣伝する資金がない[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]」という物理的問題も大ですが、むしろ、内部で実際に使用し、修正したり、「補足教材」を製作する等が必要だったからです。

そういう意味では「リー・エバンス・メソッド」は「開店」前の「準備中」という所ですが、三年間、スタッフと共にあれこれと試行錯誤して判った事は、「リー・エバンス・メソッド」は三種類必要だ、という点です。

「メソッドか三種類ある」というのは、例えば松竹梅の如く「初級」「中級」「上級」の、いわゆる「グレード」ではなく、「目的別」に、或いは「指導者別」にプログラムを変える必要がある、という意味です。

「リー・エバンス・メソッド」は、必ずしもどこかの音楽教室に習いにいかず、独学でも学べるようなシステムを用意しますが、それも含めて「指導者」別、或いは「学習者の目的別」に三種類作ります。

例えばヤマハやカワイの「指導者グレード」は、例えばピアノなり電子オルガンなりの6級とか4級とかの「級」については、大体、整っていると思います。

以前、僕はヤマハの4級や3級の講師/演奏者対象に教えた事がありますが、よきも悪しきも、同じ級ならば、能力は同じ、かな、と思えました。

ところが「リー・エバンス・メソッド」の指導者検定或いは「養成講座」を受講される方というのは、既にピアノ等のレッスン活動をされておられる方が多く、ご自身の「レッスンプログラム」をお持ちの方が少なくありません、

要するに「クラシックピアノや電子オルガンは演奏できるし、教えられるが、ジャズピアノはできないので、自分も弾けるようになりたいし、また教えたい」という方が来られます。

或いは「生徒さん」については「ピアノもジャズも未経験」という方もおられれば、「クラシックピアノはショパンのワルツが弾けるが、ジャズ敬虔はない」とか「ポップスピアノによるコード奏法はできるが、ピアノの弾き方には自信がなく、また高度な音楽理論が必要なジャズの事は分からない」等々色々なケースがあります。

つまり「ピアノのスキル」「ジャズのスキル」はバラバラ。

音大ピアノ科出身で、ピアノ自体はプロだが「ジャズの楽譜は弾けない」、とか「ピアノはソナチネ程度だが、ジャズ経験は長い」とかバラバラなんですね。

そこで考えられるのが、次の三つのプログラム

1「ピアノもジャズも経験がない~初級の人対象」の「ピアノが弾けるようになる」コース 2「クラシックピアノ経験はあるがジャズ経験はない人」対象「クラシックからジャズ」コース 3、「ジャズ(或いはリー・エバンス)経験がある人」対象の「ジャズコース」

という所ですが、おっと時間が来ましたので、詳しい話は次回します!




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リー・エバンス教材の国内版製作開始!スタッフ募集もしましょ [Lee Evans Society]

かってリー・エバンス教材国内版を出版していたオクト出版社さんの事

よくよく考えてみれば「音楽教育」活動が、楽器屋さんや出版社とベッタリくっついている、というのは奇妙な話です。

とはいえ楽器や楽譜がないとピアノを学べませんので、いい意味での「二人三脚」は必要ですし、「リー・エバンス教材」の普及も元は音楽之友社によって1980年代初頭に始まりました。

当時の音楽之友社の担当者が、その後「オクト出版」株式会社を立上げ、発売こそ東芝EMIやソニーミュージックながら、出版活動を続けたのは、単に「ビジネス」というよりは、「まともな出版社/編集者」の喜び、つまりは「リー・エバンスへの愛情」が動機だと思います。

僕にしても、一時期、オクト出版のビジネス事情から断絶しましたが、オクト出版あってこそ、「リー・エバンス」を具体的に始めれた訳ですが、2020年頃、オクト出版の活動が完全に停止してしまいました。

つまり、オクト出版との「二人三脚」が消滅した訳で、少なくとも「精神的」には「困ったなぁ」と思ったのですが、冷静に考えれば「実質的には大して困らないな」とも気付きました。

2013年に、オクト出版社長から、以前の経緯に対する謝罪と共に改めての「リー・エバンス普及」を依頼されたものの、オクト出版がやってくれたのは、オクト出版が在庫する「リー・エバンス本」を発注したら発送してくれただけ。

「リー・エバンスのプロモーション」について電話会議しても、実際には何もせず、
何のことはない「一冊でも本を売ってくれ」と望んでいるだけ。

あぁ、なるほど「出版社」と「音楽講師」の意識は全く違うな、と思いました。

音楽講師と出版社とでは「リー・エバンス教材」を扱う目的が異なる

僕達「音楽講師」は「生徒さんのレッスンの充実」が「目的」。その為に必要或いは好影響するから「リー・エバンスの音楽教育システム」が欲しいだけ。つまり具体的には「出版物を購入する」という事になります。

ところが「出版社」は「出版物を売る」のが「目的」であり、どうせならば「売れる」且「内容が良い物」を「商品」として作る。その成果を出す為に「リー・エバンスを活用してくれる音楽講師が増えれば良い」となる訳。

まぁ利害関係は一致するので「二人三脚」が可能でしょうが、僕達「音楽講師」としては「本が売れようが売れまいが関係なく」レッスンするし、「出版社」としては「レッスン活動がどうなろうが本を売りたい」となりましょう。

勿論、「二人三脚」のパートナーだから、可能な限り、利害関係が一致する事を伸ばしたい訳ですが、これが僕としては「足枷」になっていた事も事実です。

というのは「リー・エバンス教材や曲集」の全てをオクト出版が販売しているのであれば、利害関係が一致する部分が増大します。

実際、そういう観点では「利害が一致する部分」が大きい、つまり「オクト出版から出版されていた教材」は現在に至る「リー・エバンス・メソッド」の最重要部分をカバーします。

つまり「ピアノ入門〜初級」部分は、全てオクト出版から出版されていました。

問題は「中級」や「上級」で、「中級」についてはオクト出版による出版ながら、実際の販売は東芝EMIを経てソニーミュージックに移っていました。

また「中〜上級」に必要となる「ラウンジ・ジャズ・コレクション」は、国内出版された事もなければ、今後もない、という事。

誤解無きように何度も書きますが、オクト出版が「リー・エバンス」を国内出版したのは「ビジネス」だからという理由と共に「リー・エバンスの教育や音楽を日本で普及させたい」という純粋な気持ちからでした。

ですからオクト出版の売上には全くならないが、ソニーミュージックに販売権が移っていたり教材や、国内出版されていない曲集を、僕が「リー・エバンス・メソッド」として使用する事には何の反対もしませんでした。

勿論「できればオクト出版から出版された本を優先的に普及=販売して欲しい」とは思っておられるでしょうけれども。

必ずしも、こういう「出版社の都合」に留意する事は、オクト出版自体が望みませんでしたが、僕の方で気にしてしまい、見えない足枷になっていた事も事実です。

しかし、2020年頃にオクト出版の活動が完全に停止してしまった以上、オクト出版を頼りにする訳にもいかない反面、オクト出版の足枷が外れた訳で、「自由に発想する事」ができるようになりました。

国内版ではなく米国原書を使う事のメリットとデメリット

リー・エバンス教材の、オクト出版による国内版が使えなくなった事で、否応なしに米国原書をAmazon等から購入する事を余儀なくされた事のメリットとデメリットが生じました。

デメリットは、勿論「教材としての安定供給に不安」が生じた事。

メリットとしては、好き嫌いが分かれてしまうデザインの国内版ではなく、大人が観ても、子供が観ても、なかなか良い米国原書に移れる事と、何よりも、オクト出版からは出版されなかった教材や曲集を重用できる事でした。

「安定供給」についてはリー・エバンス先生のご紹介で米国原書を出版するハルレナード社を紹介して頂き、「日本への安定供給」について「商談」を開始。

この部分については、今後も話し合いが必要ですが、正直言って、僕にとっては、リー・エバンス先生やハルレナード社と取り決めしなければならない問題は他にありました。

つまり「日本リー・エバンス協会の設立」や「リー・エバンス・メソッドの構築」等の承認やリー・エバンス先生やハルレナード社との協力関係の確立です。

尤もそれらについても、何ら問題なくクリアできましたが、むしろ、ここからが僕達にとっての「道」が始まった訳です。

米国原書+翻訳本或いは説明本や動画の製作

ハルレナード社としては、僕が「国内出版権」を買取り、僕が出版社として国内版を出版する事を打診されましたが、この話からは逃げました(笑)。

勿論、将来的には考えなくもないのですが、現時点、これをやったとてハルレナード社には大金が転がりこむものの、逆にいえば僕は大きな借金を背負うだけで、大してメリットはありません。

その事よりも問題にしたのは、敢えていえば「リー・エバンス教材」は、原書に書かれた文章を翻訳すれば出来上がる、正にオクト出版がやってしまったスタイルでは真価が発揮できず、沢山の注釈や補足説明が必要だという点です。

つまり原書1ページに対し、少なくとも1ページの補足説明等を僕達が書かない事には、「リー・エバンス教材を使いこなしてのレッスン」ができません。

ちなみに「補足説明」と言っても、僕が書く訳ですから「ではリー・エバンスではなく、藤井一成の本になってしまうのではないか?」と言われると完全には否定できませんが(笑)、「リー・エバンスを看板にして自分(藤井一成)のメソッドを売りたいのではないか?」と言われれば、それは違うと完全否定できます。

なぜならば、矛盾するようですが、僕自身のメソッドは別にあり、これはこれで展開したいのと、中途半端に「リー・エバンス」をからませると、収拾が付かなくなる事は確か。

勿論、僕が「リー・エバンス教材の説明」をしますと、どうしても僕の「価値観や感性」が混入しますが、敢えて言えば、他の誰よりも僕がやった方がベターだとは思います。

従って、単に米国原書を翻訳しただけの物ではなく、僕やスタッフによる「補足説明」をつけたものが良い、それどころか、「補足説明」をメインとする出版をした方が、「リー・エバンス教材の使い方を色々な方に理解して頂く」には得策です。

勿論、商業ベースの出版をするとなれば大変ですが、別段「リー・エバンス教材を看板にして自分が儲けたい」訳では全くないので、著作権の関係で原書を購入して頂いた方には、無料で「翻訳と補足説明」を配布しても構わないと考えています。

更に言えば、僕達の立場でいえば、そもそも「本にする」のは面倒だから、YouTube動画で無料公開しても良い訳です。

要するに新しくなった「日本リー・エバンス協会」としては、Amazon等で国内販売される「リー・エバンス教材」が、その趣旨を理解できるように本なり動画なりセミナーを打てれば、「目的」である「リーエバン教材の普及」に一歩近づくというものです。

なんて訳で、「日本リー・エバンス協会(まだ公式な団体になっていないので、現時点では協会設立準備室という立場ですが)」で、リー・エバンス教材米国原書を翻訳したり、その内容を伝えたり、或いはセミナーを担当したりしたい方を募集しますので、ご興味がある方は僕あてにメール等を下さい。 (フェイスブックページの「Lee Evans Society of Japan」にアクセスし、メッセージを下さい)

ところで「日本リー・エバンス協会」の業務として「リー・エバンス・メソッド」の構築と普及があります。その辺りについて次回お話しますね。

 




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ラウンジ・ジャズ・コレクションなリー・エバンス・メソッドを主軸に再起動 [Lee Evans Society]

「リー・エバンス協会」を再起動させる

前回の続き

一旦、関係が切れていた「日本リー・エバンス協会」に僕が復帰した最大の理由は、ズバリ言って「敢えてやりたい人」が「他にいなかった(笑)」事に尽きると思います。

なにしろ、2009年頃に名目上は設立されたものの、僕が復帰した2003年頃には、「普及活動」とやらは完全に行き詰まり、教材だけは無暗に出版されるものの、広報もできいなければ、そもそも「使い方」を理解している人もいない、という有様。

つまりは「先行き真っ暗」という状態でした。

国内出版元であるオクト出版が「リー・エバンス第二弾」に取り組んだのは、「商売」もありましたでしょうが、それだけではなく「こういう素晴らしい教材を日本の音楽教室で使って貰いたい」という純粋な気持ちが強かったから、という事は判りました。

それで出版の為に会社の資本をつぎ込んでしまった様ですが、結局、「楽譜出版の老舗」の一つであったオクト出版社は、会社として立ち行かなくなり、廃業してしまいます。

僕自身は、オクト出版社の経営とは全く関りがありませんが、要するに「全く売れない事が原因で、会社までダメになってしまった」リー・エバンスを、資金もなく再建するのは、なんとも困難な話でありました。

加えて、僕は「リー・エバンス協会」だけではなく、それぞれは全然小さなプロジェクトならが「Lounge Jazz Moods」「チャールストン俱楽部」「Shizen」という名目の、音楽演奏と教室の活動に朝から晩まで追われていました。

また教室としても、或る意味「ジャズピアノ科」の実質的な多数派となる「初級」クラスの教材として、「ラリー・ミンスキー」や「マーサ・ミアー」にハマっており、「リー・エバンス」を使う余地はあまりない、という状況もありました。

かと言って、オクト出版社同様に、僕もまた「リー・エバンスの良さを多くの日本のピアノ教室に広めたい」という強い想いはありました。

結局、僕自身は活動には限界があったので、僕のお弟子さんで「現役ピアノ講師」をやっておられる方々に「リー・エバンス」の研究や普及活動をお願いしました。

しかし、これが大失敗!

変な話で、職業こそ「ピアノ講師」だけど、敢えて僕の所にレッスンに通うのは、「脱ピアノ講師」といいますか「ラウンジジャズのピアノ奏者」への転身するべく能力を習得する為、という訳で、優秀なお弟子さんに限って「リー・エバンス普及」はやりたがらない、というジレンマが生じました。

要するに、オクト出版社には「資金がない」という問題が生じていましたが、僕の所は、資金のみならず「人材」もいない、という問題に直面しておりました。

逆に言えば、僕が期待したようにはやってくれないものの、「リー・エバンスの音楽」の研究については強い興味を持つ人は現れ、且、そのまま何年も勉曲を続けてくれた訳で、指導している僕自身の「リー・エバンスの音楽」の理解が高まりました。

リー・エバンス「 ラウンジ・ジャズ・コレクション」の素晴らしさ

僕自身は、元々は「教材」として「リー・エバンス」を見ていなかったのですが、お弟子さんと一緒に研究する内に、「リー・エバンスの音楽」つまり作編曲作品の素晴らしさを再認識する、というか、実は「漸く理解」できるようになりました。

また僕自身の演奏スタイルであった「ビンテージ(或いはエレガンス)・スゥイング」と称する「1930~40年代のジャズピアノ・スタイル」の「基礎」としても「リー・エバンスの音楽や教材」が使える、という事も解ってきました。

それ以前は「ビンテージ・スウィング」の「基礎」は、「マーサ・ミアーの1920年代ニューオリンズ・ジャズ・スタイル」だと考えていましたが、テディ・ウィルソンやアール・ハインズ、アート・テイタム等の「ビンテージ・スウィングの巨人達」の音楽影響は、「リー・エバンス」にも強くある。

つまり「リー・エバンス」を熱心に勉強(練習)すれば、やがては「ビンテージ・スウィング」に連なる、だから「マーサ・ミアーなし」でもやっていけるな、と思いました。

逆に「1960~70年代のスムースジャズ」的なものは「ラリー・ミンスキー」も良いが、「リー・エバンス」の方が或る意味では良く、つまり「ラリー・ミンスキーなし」でもやっている、と思いました。

結局、やや断腸の思いでしたが、「マーサ・ミアー」や「ラリー・ミンスキー」を捨ててしまい、「リー・エバンス」一本で、僕の教室の「初級~中級」クラスは賄える、と結論づけた次第です。

ちなみに、或る意味、僕のメイン活動であった「Lounge Jazz Moods」は、1950年代のナット・キング・コール・トリオ(ピアノ弾き語り)やドリス・ディの音楽スタイルを標榜していましたが、1960年代の「ジャズ・ロックやボサノバ」もやっていました。

1960年代の「ジャズ・ロック」というのは、後年の「フュージョン」の原型ですが、ギターの「ウエス・モンゴメリー」やオルガンの「ジミー・スミス」、ピアノの「ラムゼイ・ルイス」が有名。

「ボサノバ」といえぱアストラッド・ジルベルトの「イパネマの娘」が有名ですが、これらの音楽スタイルに、1960~70年代にかけてリー・エバンス先生は編曲者やディレクターとして関わっておられ、「リー・エバンス/ラウンジ・ジャズ・コレクション」は正にこの世界を背景として造られています。

僕自身は、どちらかといえば、1960年代の「ジャズ・ロック」よりも、1950年代のナット・キングコールのような、スゥイングジャズ基調の方が好きですが、実際には「ジャズ・ロック」も演奏できます、というか、結構、やってきた訳です。

つまり「Lounge Jazz Moods」の「音楽教室の教材」としても「演奏の材料」としても「リー・エバンス」は使える訳で、益々、僕自身の「リー・エバンスとの関係」は高まりました。

個人的に困ったのが「コロナ渦」で、それまで僕の教室での多数派だった「ジャズボーカル科」が活動できなくなりましたが、なぜか「ジャズピアノ科」は微妙に生徒数が増えました。

また以前からの「人材」も、僕が想像していた形とは違いますが、徐々に育ってきたのと、今、アシスタントをやって下さっているYuriさんのように、ミュージシャンだけど「音楽教育活動」にも熱心で、比較的若い年代層の人も増えてきました。

もう、こうなってくれば、僕も「リー・エバンスの普及や研究の活動」にフル体制でぶつかるしかない!と決心した次第。

ところが、又しても、ここに大きな問題が起こります。

リー・エバンス教材の国内版の流通が止まる

「音楽教室」活動で使う場合に最も主流になる「ピアノ入門」や「ピアノ初級」過程に相当する「リー・エバンス教材」は2009〜2011年頃に大量に出版されました。

しかし「段々と売れなくなった」事でオクト出版社は廃業した訳ですが、逆にいえば、それらの出版物は「大量の在庫」として倉庫に眠っている筈でした。

ところが、僕がいよいよ人材も集まり、僕自身の状況もピントが合ってきた2020年頃、オクト出版社長が健康上の理由で活動できなくなり、在庫管理ができなくなりました。

要するに、当時はAmazonでは直接販売していませんでしたが、元のオクト出版に頼めば楽譜を送って貰えた訳ですが、それができなくなってしまいました。

なんのかんの言っても「パートナー」であってオクト出版社長である木村氏の活動停止は、僕にとっては、精神的にも、実質的にも打撃できた。

どうしたものか?

米国ハルレナード社との交渉が始まる

結局、リー・エバンス先生と話合い、オクト出版抜きで、また「国内版」を用いずに、米国原書と「翻訳」を組合わせる事で教材については対応し、米国の出版元であるハルレナード社に直接お世話になる事になりました。

その事で、或る意味、オクト出版に遠慮して、それまでメインとして使えなかった旧「東芝EMI~ソニーミュージックから国内出版された中級用教材」や、全く国内出版されなかった「ラウンジ・ジャズ・コレクション」、或いはリー・エバンス先生の新しいレーベルの教材や楽譜を積極的に使えるようになりました。

という訳で、コロナ渦での僕の教室のゴタゴタをすり抜け、また、国内版の色々なしがらみも解け、漸く自由にといいますか、別な意味では不自由ですが、新しい「リー・エバンス協会」を2021年に発足、或いは「再起動」させた次第です。

次回は今後の展望についてお話します。



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僕がクビになった「リー・エバンス協会」に復帰した経緯 [Lee Evans Society]

2008年に僕は「リー・エバンス教材」国内上陸の「第二弾」に「監修者」として関わりますが、いざ国内版が出版された2009年に、国内代理店であるオクト出版社から、ファックスが届きました。

何かと思えば、一方的に「日本リー・エバンス協会」をクビに処す、という通知と共に、
「リー・エバンス教材に関わる事」もならぬ、との通知。

極めて理不尽ですが、内心、ホッとしたのも事実です。

実は内心ホッとした「リー・エバンス協会」クビ

当時の「日本リー・エバンス協会」自体、オクト出版社が創立した訳でなく、僕が結成した訳で、本来であればオクト出版社がどうこう言える立場ではありません。

勿論、気合を入れて関わってきた「リー・エバンス」と切り離されてしまう事は「精神的苦痛」ではありましたが、正直言って、「解放されて良かった」と感じました。

僕は、若いころに、確かに「リー・エバンス教材」第一弾で「練習」しましたが、実際に「ジャズ・ピアノの習得」は稲森康利先生や塩沢修三先生のメソッドで成したのと、或いはバリー・ハリス=三上クニ氏のメソッドや「オスカー・ピーターソンの練習曲」にもハマっていました。

要するに長年「リー・エバンス抜き」で「レッスン活動」や「自分の勉強=演奏の仕事」をやってきた訳で、「リー・エバンス教材」がないから、と言って自分の教室や演奏が崩壊する、という事はない、という事が一つ。

それと、なまじ「日本リー・エバンス協会」なぞと名乗り始め、また、当時は僕個人の教室まで「リー・エバンス教室」に改変しなければならない、という変なプレッシャーがあり、それ自体は良いが、好きだったオスカー・ピーターソンやバリー・ハリス等を捨てねばならない、と思い込んでいました。

確かに「リー・エバンス」は良いが、オスカー・ピーターソンやバリー・ハリスを捨てるのは苦痛だ、苦悩(笑)していた訳で、再び「リー・エバンス」抜きに戻っても、音楽活動の面では影響がなかったからです。

そに加えて、オクト出版社には悪いが、どうもオクト出版社が製作した「国内版」の出来について納得できない部分があり、これを掲げ、これに専念する、というのは苦戦を強いられる、と感じていました。

という訳で「これを機会にリー・エバンスなしの音楽生活に戻ろう!」と気分を切り替えた次第です。

クビになったお陰でラリー・ミンスキーの良さを知る

実は2008年にオクト出版社と「リー・エバンス」を一緒にやろう、と合意した時分は、相反するようですが、他のメソッドである「ラリー・ミンスキー」や「英国王立音楽院メソッド」その他のあるゆる「ジャズピアノ・メソッド」を僕は研究していました。

その全てが良いな、と思えましたが、「ビジネスとして具体化」できたのがオクト出版=「リー・エバンス」だった、というのが僕の側の真相でした。

ちなみに「オスカー・ピーターソン」等はピアノ自体のスキルが「中級」以上でないと弾けず、「ピアノ入門者や初心者でも弾けるジャズピアノ・メソッド」として浮上したのが、「リー・エバンス」「ラリー・ミンスキー」「「英国王立音楽院」でした。

当時の感覚では「どれも捨てがたい」といいますか、「告白」しますと、口でいう程に、僕自身が「リー・エバンスの良さ」を理解しておらず、むしろ「ラリー・ミンスキー」なんかの方が良いな、と想ったりもしました。

それで「リー・エバンス」関連からの出入り禁止を喰らったので、「ラリー・ミンスキー」に「乗り換え」、スタッフだったある女性ジャズピアニストと研究すると、これは、これで本当に良いんですねぇ。

リー・エバンス先生は、1960年代にジャズピアニストとしてデビューされ、実際にホレス・シルバーなんかとお付き合いがあったそうですけど、確かにホレスや当時のハービー・ハンコックなんかの影響がある、と僕は思います。

但し、前回書きましたように、「初級教材」としては「自分のスタイル」ではなく、「ジャズの基礎」である「1930年代のスウィングジャズ」スタイルで作曲されておられます。

対してラリー・ミンスキーさんは、もっと若い世代で、僕と同様に「後になって、1960年代のハービー・ハンコックやマッコイ・タイナーなんかの音楽を知った」世代なんです。

いわば僕が「大阪人」だから言って、毎日、たこ焼きを食べている訳でも、全ての会話が「大阪弁」である訳でもない、のと同様、リー・エバンス先生のような「本当に1960年代にデビューざれたジャズピアニスト」というのは、案外にもっと古いスタイルの影響が混ぜこぜて出てきます。

対してラリー・ミンスキーさんの場合、東京の役者が演じる「大阪人」みたいなもので、いわば「たこ焼きを食べながら、実際とはアクセントや用法が違う大阪弁を喋る」、つくられた「1960年代のハービー・ハンコッくのようなモード奏法」で作曲します。

だからお決まりの「クオーター・ハーモニー(四度で積み重ねた和音・例えはC F♯BE)」がバンバン出る訳ですが、そればかりでもなく、「本物のモード奏法」についての勉強もでき、「ラリー・ミンスキー」は相当良いぞ!と認識しました。

にも関わらず、「ラリー・ミンスキー」の方向に進まなかったのには、別な理由がありました。

エレガンス・スウィングやチャールストン・ラグというのスタイルを提唱したので、ギロックやマーサー・ミアーが良く思えてきた

「リー・エバンス」から離れた2010年頃になると、僕の音楽志向が変わってきました。

と言いますか、当時、集まり始めた若い生徒さん達の「希望」が、以前の僕の音楽スタイルと違うものだったのです。

本来、僕はオスカー・ピーターソンやバリー・ハリス等の「1950年代」のスゥイングジャズやモダンジャズが専門で、演奏の仕事としては「ラウンジジャズ」を自称し、一年360日位、毎晩、ホテルやなんかでピアノを弾いていました。

そんな事を二十歳の頃から二十数年も続ける事に疲れた、というか、どうにもこうにも厭きてしまったんですね。

要するに「夜の生活」から「昼の生活」つまりは「夜のピアノバー」ではなく、昼間の明るいカフェで、もう少し明るい音楽をやりたいな、と思うようになっていました。

加えて、当時の二十歳過ぎの若い生徒さんに言わせると、例えば「フュージョン」やら「モダンジャズ」は、なるほど「ジャズパーには合っている」が、そもそも、そんな所には興味がない、「では、どんなジャズが良いのか?」と色々とCDを聴かせました。

すると驚いた事にファッツ・ウォーラーとかルイ・アームストロングみたいな1920年代のニューオリンズ・ジャズや1930年代のスゥイング・ジャズが最もイイ、という訳です。

実は「聖者の行進」が有名なトランぺッターであるルイ・アームストロングなんて、勿論、聴いた事はあるし、名前も知っていましたが、全然興味がなく、真剣に聴いた事はありませんでした。

しかし、若い生徒さん達が、そういうのを聴いて盛り上がるし、かつ、「こういうジャズを教えて欲しい!」とか言い出す訳ですね。

と言われても、自分でも弾けないし、これという教材もない。

正確には、たまたま有していたファッツ・ウォーラーやテディ・ウィルソンやらの楽譜を持っていましたが、僕が長年勉強したきた「モダンジャズ」は全く勝手が違い、そもそも難しくて弾けないし、一体、どういう方法で編曲しているのかも見当が付かない。

それで毎日、生徒さん達と集まっては、ああでもない、こうでもない、と奏法の研究をしたり、手に入る教材を購入しましたが、たまたまAmazonで検索した際に「マーサ・ミアー」が初級向けの「ニューオリンズジャズ」スタイルのピアノメソッドを展開している事が判りました。

更に言えば、これは多分、現在の米国のトッププレーヤーらしいのですが、ジュディ・カーマイケルさんという金髪女性ピアニストが、1920年代の「ストライドピアノ」のメソッドを作っていると判りました。

それでジュディさんにコンタクトし、教材を回して貰ったり、またジュディさんの演奏楽譜を解析したりで、少しづつですが1920~30年代スタイルのジャズピアノが自分でもできるようになったし、(結局、未だに、できる、と言える程にはできませんけどね)、何はともあれ「レッスン」できるようになりました。

また、どういう訳か「ジャズボーカル科」の生徒さんも増え、これも忙しくなったし、そういう人達を集めての「チャールストン俱楽部」というプロジェクトの音楽活動も忙しくなった。

そもそもスタジオ(教室)の備品であるグランドピアノが、偶偶ですが、米国のキンボールというブランドの、よきも悪しきも「音は暖かい」がどうも「ホンキートンク」なものに換わり、都会的な「リー・エバンス」ではない、シカゴやパリ風のスウィング・ジャズへと転身し、完全ではないが「夜バー」から「昼のカフェ」に転職(?)したりしました。

要するに「リー・エバンス」の事は完全に頭のなかから消え去り、それなりに充実した音楽ライフを歩み始めた頃に。突然、現れたんですよ。

四年ぶりに再会した「リー・エバンスの世界」だが

新しい音楽プロジェクトである「チャールストン俱楽部」を掲げ、ニューオリンズジャズやら「パリ風スゥイングジャズ」なぞを自称し(笑)、ビストロでワインを飲みつつチーズを齧っているようなある日、四年ぶりにオクト出版社長から電話が入りました。

オクト出版は東京の会社ですが、社長が僕の事務所がある大阪まで来られる、との事。

それでお会いすると、「四年前の無礼の数々」を謝罪されると共に、「再び、リー・エバンス普及をやって欲しい」との事。

四年前に、僕はを一方的にクビにしたのは、オクト出版の「ビジネス的な理由」といいますか、詳しく聴きますと、オクト出版自体が騙された、といいますか「勘違い」していた事が発端だったようです。

いずれにせよ、過去の事は水で流しましょう、とわだかまりなく言えたのは、別に僕が人格者だったからでは全くなく、「リー・エバンス」と離れたからこそ、新しい「充実した音楽生活」ができたから、という「余裕」からでしょう。

もう一点は、オクト出版社長の木村氏と同様に、僕もまた「リー・エバンスの価値」を人一倍認識しており、これを日本で普及させないのは、「音楽の神様」に申し訳ない、と思えた事。

要するに、四年間、僕抜き、違う人にシフトして、「リー・エバンス普及」をやってみたが、結果は良くなかった、との事。その人が悪い訳ではありませんが、「リー・エバンス」を普及するには「ジャズピアノが弾ける事」「様々なジャズメソッドに詳しい事」「ジャズ教育の経験がある事」が必要。かつ「クラシック経験もある事」が条件。

なかなか、そういう都合の良い人がいる訳ではなく、結局、バスティンやギロックが変形したもの位にしか「リー・エバンス」を理解できず、ならはせバスティンやギロックの方がいいでしょう、と多くの人に感じされてしまった次第。

加えて、本の作りの問題や、プロモーションの不味さもあり、オクト出版としては「社運を賭けてリー・エバンスを始めた」訳ですが、見事にコケてしまった、という所でした。

なんにせよ、「リー・エバンスの普及」は僕の方が適任だろうな、とは思いましたが、過去の経緯は水に流すとして、再びやるとなると大問題がありました。

まず何よりも、四年間の間に僕自身も僕の音楽プロジェクトも「リー・エバンス抜きの体制」で固められていた事。

また、気に入った「ラリー・ミンスキー」も含めてリー・エバンスのスタイルである「1960年代のモードジャズ」ではなく、その真反対とも言える「1920~40年代の古いジャズ」に当時の僕が専心していた事。

おまけに、本来は「ピアノ教室」だった筈が、なぜか「ジャズボーカル」の生徒さんが増加してしまい、しかも、単なる生徒さんではなく、一緒にライブ等をやりましょう、とかになっていて、下手すると「ジャズピアノ教育」自体に充てれる時間があまりなかった事。

そんな事で「リー・エバンス普及」を再開したとして、どこまでできるのか不明。

かと言って、「リー・エバンスの国内普及」は僕がやるしかないぞ、とも思いました。


改めて認識した「リー・エバンスの凄さ」

結局、僕の教室の「ジャズピアノ科」については、初級は四年間かけて安定させた「マーサ・ミアー」が多数をしめつつも、変なもので、僕が「リー・エバンスを再びやろう」と思うと「リー・エバンスで学びたい生徒さん」が集まり始めました。

尤も「初級用」教材でピアノを弾く生徒さんではなく、上級用の「ラウンジジャズ・コレクション」楽譜を楽曲分析し、「高度なジャズ理論」を学びたい、という人達でしたが。

それで判った事は、実は「ラリー・ミンスキー」よりも「リー・エバンス」の方が難解だ、という事と、僕が以前、どこかで習った「モード奏法」の知識はまるで役に立たない、という事。

正直言って、リー・エバンス編曲の「ラウンジジャズ・コレクション」は「弾くだけ」ならば直ぐ弾けましたが、コード進行の分析となると、僕も「歯が立たない」というか、確証が持てない部分だらけ、というか、無理矢理理屈をつけただけだ、としか言いようがない程度にしかできなかったんだすよ。

それでも一曲づつ分析し、段々とリー・エバンス先生の「編曲技法」というものが解析できるようになると、もう、想像したのと全然違うな、と嬉しい悲鳴が上がりました。

要するに一言でいえば「リー・エバンスの音楽は凄く良い!」という事なんですが、
それは勿論、結構なのですが、具体的な「リー・エバンス普及」については、
新たな大問題が浮上してきたのです。

つづく
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クラシックピアニストにお薦めのジャズ・メソッド国内上陸が失敗した理由1 [Lee Evans Society]

「クラシックピアニストやレスナーにお勧めのジャズメソードであるリー・エバンス」は1980年代の「第1弾」が、2008年に「第二弾」が黒船の如く国内上陸を果たしました。

ところが出版された数々の「リー・エバンス教材」は出版部数と言う観点では、「第一弾」こそ「物珍しさ」から、それなりに売れたものの、「第二弾」に関してはさっぱり、と言う結果のままフェイドアウトしました。

なぜこうなったのか?について敢えて明らかにすると共に、僕が主宰する「日本リー・エバンス協会」による「リー・エバンス・メソッドの国内普及の再起動!」について今日はお話します!

不完全だった「第一弾」

僕は、1980年代初頭の、リー・エバンス教材国内上陸「第一弾」については、学習者)として使わせて頂く、という一ユーザーの立場でしたが、2008年の「第二弾」にはご縁があり「監修者」として関わりました。

その際、「リー・エバンス教材」の全容を知る訳ですが、知ってから見ますと、1980年代の「第一弾」は基礎である「初級用」を飛ばして、いきなり「中級」から始まっており、且つ「中級」以後もない、という「だからジャズピアノが弾けるようにならなかっのだ」としか言いようがない代物だった、と分かりました。

もっとも1980年代の「第一弾」を出版した音楽之友社の取捨選択は、ある意味では間違っていないのは、ユーザー(対象者)として想定した、僕も含む「クラシックピアノの経験があり、且つ、ジャズピアノが弾けるようなりたい者」がソソラレルのは「中級用(後年に編集される「96のエチュード」他)だと見抜いていたからです。

これは、いわば英会話教室が、「外国人講師と楽しく会話しているサロン」の風景だけを見せて生徒募集し、実際にサロンに生徒を放り込んでしまうようなもので、放り込まれた生徒は当初こそ感激するものの、「基礎」がないから何もできずに挫折してしまう、というようなものです。

こうなったのは音楽之友社が「金儲け主義」だったからでは全くなく、「クラシック経験者がジャズを始める際に必要な基礎」が何か理解できていなかったからだと思います。

実際、僕自身、この「リー・エバンス教材」の「第一弾」を2~3年一生懸命に練習したものの、なるほど「ピアノ演奏技術」は向上し、「コードやアドリブのパータン」の持ち数を増やせましたが、これでも以前の「なんちゃってジャズ」状態から脱却できていません。


「第二弾」が売れなかったのは、出版企画の失敗が一因

2008年に僕がリー・エバンス教材国内版「第二弾」出版の「監修者」として参加した事で、「第一弾」の間違い、つまり「基礎」レベルの教材を無視した事と共に、その「基礎」部分のリー・エバンス教材がとても素晴らしい事を知りました。

かと言って、それを「出版物として伝える」事は容易ではない、と察しました。

僕が「第一弾」で練習した頃から既に二十数年が経過し、僕は他のメソッドによって「ジャズピアノの演奏方法」を習得し、且つ「ジャズ教育」も専門としておりました。

そういう立場で観れば、リー・エバンスは「使える教材」である事は確かですが、困った事に、リー・エバンス先生ご自身による「リー・エバンス教材の使い方」的な本が殆どない、という状態でした。

なぜないのか?といえば、リー・エバンス先生が怠慢だったからではなく、なまじ、あるレベル以上の深みを持つ教材については、指導する側や学ぶ側の経験や技能、感性の違いで、何層もの使い分けができてしまうからです。

クラシック系メソッドですが、同じく米国系の「バスティン」は極めて良くできて「レッスンプログラム」で、よきも悪しきも「誰が教えても同じような効果」が得られます。

逆言えば、それ以上の効果はない訳ですが、バッハの「アンナ・マクダレーナの為の練習帳(初級向けの小品集)」にせよ、リー・エバンスにせよ、詳しい説明はないが、色々な用法で、色々な事が学べます。

逆にいえば、趣旨を理解できないと、「こんなん簡単や」的に流されてしまいます。

実際、Amazon等の評価でも「ジャズ的要素がない」などという書き込みがありましたが、「ジャズピアノが弾けない人」がリー・エバンス練習曲を弾くと「ジャズに聴こえない」事は確かです。

対して、僕自身も含め「ジャズに精通している者」が弾けば「立派なジャズ」になります。

そういえば、僕のお弟子さんである「プロのブルース・ギター奏者」は、この「リー・エバンス教材初級」で「ピアノ入門」しましたが、彼はリー・エバンスの練習曲の新しい曲を弾くたびに、「典型的なブルース・フレーズが、しかし、デファメルした形で沢山登場する!ええ曲やなぁ」と喜んでおりました。

かといって「ジャズやブルース経験がないと使えない」のではなく、クラシックピアニストやレスナーは元より、ピアノ初心者も、「リー・エバンス教材」で勉強(練習)を続ける事で、自然と「ジャズやブルースの感覚が習得できる」という仕組みです。

問題は、闇雲に弾いただけでは、Amazonの評論家氏のごとく「ジャズ的要素がない」で終わってしまう訳で「リー・エバンス教材の正しい学び方」を知らねばなりません。

ところが、そういう事をリー・エバンス先生自身は殆ど説明されておられないんですよねぇ。


第2弾が売れなかった他の理由

2009年にオクト出版から「リー・エバンス教材第二弾」全11冊が華々しく出版されましたが、大して売れないままにフェイドアウトした他の理由として、敢えて明かせば、国内版に関しては、「本としてのセンスが時代遅れだった」事を指摘できます。


1980年代初頭の他にライバルがなく、そもそも「ジャズは習うものではないっ!慣れるものだっ!」「ジャズの即興は感性や才能でやるものだっ!」などという「文盲な人達」が気勢を上げていた時代だからこそ、真反対に位置する「リー・エバンス教材」は輝いて見えました。

ところが二十数年を経て、「ジャズは学ばねばできない」とは言い切れないにせよ、「学ぶ」事が常識になり、米国バークリー音楽院への留学や、その流れを汲む音楽教室が日本に乱立しており、今更「リー・エバンス」と名乗るだけでは誰も振り向いてくれません。

僕自身は「バークリー音楽院」の亜流のメソッドで学びましたが、結論的にいえば「バークリー音楽院のメソッド(少なくとも亜流は)」どうも好きでなく、その後に「バリー・ハリス・メソッド」に転じたり、改めてリー・エバンスに触れる事で、その良さを理解しました。

要するに「バークリー音楽院メソッドとは違うジャズメソッド」だからこそリー・エバンスは存在価値がある訳ですが、そういう事は全く主張せず、リー・エバンスの「ピアノ練習曲(プレイ&ジョイ)」につけられたサブタイトルは「ジャズ風練習曲」。

つまり「なんちゃってジャズ」を自称するようなものですが、そもそも本物の(?)の「なんちゃってジャズ」本で溢れている訳で、益々、リー・エバンスの真価は理解されません。

そもそもシリーズ名称が変だった

加えてシリーズの「プレイ&ジョイ」「ラーン&クリエイト」「パフォーム&アプローズ」という日本語英語が「昭和感覚」なのは我慢するとして、タイトルから本の内容が全く見えてきません。

「プレイ&ジョイ」なんて名称よりも普通に「ジャズピアノ練習曲」とし、
「ラーン&クリエイト」なんぞよりも「作曲教本」「ジャズ和音教本」等の方が、
内容が伝えやすい筈。

更に問題となったのが表紙の絵で、これは実は「ポップアート感性がある人」が観れば「いいなー」と気に入られる優れものですが、「アート感覚がない人」には「子供っぽい」と拒否されます。

この点でも「監修者」と称された僕と、出版社の意識がズレていたのですが、僕自身は「リー・エバンス教材」は大人用と看做していたに対し、出版社は「中学生くらいのジュニア」を主な市場と想定しました。

その考え自体は間違っていませんが、中学生が「アート感性」でもって表紙を楽しめればよいのですが、普通の中学生ならば「なにこれ、子供の落書き?」と拒否してしまうでしょう。

とは言え、問題は「ポップアートだからダメとか良い」という話ではなく、表紙から中身が想像できない点です。

例えば僕も愛用している「ヘインズのTシャツ」の袋は、中身のシャツが見えるようになっており、そのコットン素材に惹かれる訳ですが、これが中身が見えず、例えば「イワシの缶詰」のようにイワシの絵が描かれてあれば、恐らく誰も購入しない筈です。

そもそもリー・エバンスとは何か?を伝えていない事も失敗の原因

要するに表紙の絵にせよ、タイトルにせよ、「ヘインズのTシャツの袋やロゴマークが中身を想像させる」が如くに、リー・エバンス国内版もデザインすべきでしたが、全くそうではありませんでした。

或いは本自体はさて置き、「そもそもリー・エバンス先生とはどういう方で、リー・エバンス教材の特性は何で、誰が、どういう具合に用いるべきか?」という部分が、全くプロモーションされなかった点がフェイドアウトした要因だと思います。

ちなみに、そのあたりについて「監修者」である僕は内容を伝える原稿を書き、必要な場所に「補足説明」を挿入するべく、編集会議の時点では色々な原稿を作りましたが、できあがってきた出版物には、それらの全てはカットされていました。

更に種を明かせば、2009年にリー・エバンス国内版第二弾が出版された後、僕は一枚のファックスで、「リー・エバンス監修者」や「リー・エバンス協会」をクビになり、それどころか「リー・エバンス教材」と関わる事をオクト出版から一方的に禁じられてしまいます。

その四年後のある日、東京からオクト出版社長が、大阪梅田にある僕のオフィスに現れ、四年前の理不尽を謝罪されると共に、再び「リー・エバンス国内普及の主導」を依頼されます。

僕は過去の事には拘りがなく、謝罪を受け入れる事には全く問題がなかったのですが、四年を経た2003年時点では、僕が「リー・エバンス国内普及」に関わるには、あまりにも大きな問題が起こっていました。

次回、その辺りについての事情と共に、その後のリー・エバンス普及への取り組み、また2000年の「日本リー・エバンス協会~Lee Evans Society of Japan」のリニューアル、今後の展望についてお話します!
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クラシックピアノしか習った事がない人が安心して学べるジャズ・メソッド [Lee Evans Society]

「日本リー・エバンス協会」とは米国の著名なジャズ教育家であるリー・エバンス教授のジャズやヒーリング音楽等のメソッドと作編曲作品の普及活動を行うグループで、僕が代表となります。

リー・エバンスの教材の「日本上陸」は、1980年代初頭の「第一弾」と、2008年の「第二弾」とがあり、後者については僕も監修者の「名目」で関わりますが、本当の意味で僕が関わり始めたのは、ごく最近、2020年頃からです。

リー・エバンス教材国内上陸第二弾に僕が加わった理由

2008年頃に僕が「リー・エバンス・メソッド国内上陸第二弾」に参加したのは、僕が「リー・エバンス・メソッド」を必要としたからですが、これは僕自身の「ジャズ技能の向上」ではなく、僕が関わる「ジャズ教室」の「レッスン・プログラム」として必要だったからです。

「ジャズ教室」は趣旨によって色々な「レッスンプログラム」がありますが、僕が目指したのは「クラシックピアノしか習った事がない人」が「安心して学べるジャズ・レッスン」体制を作り上げる事でした。

僕が「クラシック出身」なのか?と言えば、学歴こそ「クラシック系音大作曲科」卒ですが、入学する以前から、実際はさて置き、メンタリティの上では僕は「ジャズ・ミュージシャン」であり、「ジャズの基礎がクラシック」だから音大に進学した訳です。

とは言え、一応は「クラシック」に関しては和声学や対位法等の「クラシック作曲に必要な技能」や「クラシックピアノ」は学んでおり、「ド素人ではない」事も事実でした。

大して「ジャズ」については学ぶ機会がなく、「我流」で「即興演奏」活動を始め、「聴く方も訳が解ってない場合」に限りオーディションに合格し、ライブハウス等に出演させて貰い、自分では「一人前」のつもりでした。

尤も成人式を過ぎる頃から、自分の「インチキ」ぶりに嫌気が差し、卒業して社会人(?)になったのを機に「ライブ活動(笑)」を停止すると共に「ジャズ教室プロ養成科」なるものに入会し、「オーソドックスなモダンジャズ」の勉強を始めました。

しかし「ジャズ教室」の選択を誤ったらしく、何も教えて貰えないまま、反面「ジャズは学ぶものではない、慣れるもの、盗むものだー!」という一見正しいが間違っている標語のまま、レストランやバーのBGM演奏の現場に放り出されてしまいました。

ジャズではなくてポピュラーピアノです、という欺瞞

勿論「ジャズピアノ」なんて弾けないのですが、当時もは(今もかな?)「ポピュラー・ピアノ」という名称の「実際はインチキなだけ」の演奏で出演料を貰うようになりました。

今から思えば、僕が入会した「ジャズ教室」に見切りを付け、京都にあった藤井貞泰先生や坂本輝先生による「本物のジャズピアノ」の「教育」を行う場に転出すべきでしたが、今と違ってネット情報もなく、レッスン会場がどこなのか判らず、ご縁がないままでした。

否、正確に言えば藤井貞泰先生から学んでいる知人もいたから、その気になれば、貞泰先生から学ぶことができた筈ですが、実は「ビビっていた」んですよね。

「本物」が来ると逃げてしまった惨めな年月

藤井貞泰先生の元では「レベルが高い講座」が行われている、と聞き、そんな場に放り込まれても手も足も出ない自分だとすれば、惨めなだけだろうし、実際、当時の僕の技能や知識のレベルでは、レッスン会場で「塩をかけられたナメクジ」のようにイジケタ筈です。

要するに「藤井貞泰先生のレッスンに堂々と乗り込める」レベルまで「ジャズピアノの基礎」を習得しなければせならない、という事位は判ったものの、具体的な方法として試行錯誤の末、坂本輝先生著「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズの全ての教材を完全習得する事にしました。

結局、全ての「ワークブック」に鉛筆で書き込み、それを練習するを続けた結果、二年位後には「ジャズアドリブ・バターン」や「ジャズコード・パターン」を覚え、それをコピペした「ジャズピアノ(に似たもの)」が弾けるようになりました。

その頃には某楽器メーカーの勤め人を辞め、フリーランスといえば体が宜しいが、今でいうフリーターとして音楽事務所が回してくれるままレストランやバー等の「ジャズピアノ(に似た演奏)」の仕事をこなしていった次第でありました。

とはいえ、大阪にも「本物のジャズピアニスト」は幾らでも存在した訳で、大塚善正先生や寺井尚之先生の演奏を間近に聴くについて、「レベル」ならば宜しいが、「種類」が自分とは違うぞ、という事にも気付きました。

「なんちゃってジャズ」は何年たっても「なんちゃってジャズ」

先生方が「本物のジャズピアニスト」であるならば、僕は今でいう「なんちゃってジャズ」に過ぎず、「なんちゃってジャズ」を何年、何十年経験しようが、永遠に「なんちゃってジャズ」からは脱却できない、とも気付きました。

「本物」と「なんちゃって」の違いは、例えば「カレー・ライス」を作るとして、市販の「ハウス・バーモントカレー」を使い、幾ら具に工夫を凝らした所で、それなりに美味しい事は確かですが、本来の意味での「料理」ではない、もしくは「料理性が低い」ものとなります。

対して、結果的にはイマイチでも、自分でスパイスを調合して作るのが「本物のカレー」。

確かに低い段階では「自分でスパイスを調合したカレー」よりも「バーモントカレー」の方が美味しいかも知れませんが、十年作り続けても「バーモントカレー=なんちゃってジャズ」である事は変わりません。

逆に当初は未熟でも「スパイスを調合してのカレー作り」を続ければ、やがて、美味しい「本物のカレー」が作れます。

藤井貞泰先生のレッスンは、いわば「スパイスを調合してのカレー」に対しての批評から始まる訳で、「バーモントカレー」しか作った事のない僕はビビッて参加できなかった訳です。

尚、前回も書きましたが、坂本輝先生の「リアルのジャズレッスン」は「バーモントカレー」ではなく、いわば「スパイス」の一つ一つの理解から始まるような、「本物のジャズピアノ」に連なるものであった筈です。

但し、坂本輝先生の教材を出版していた音楽之友社が「ジャズ教材」から撤退してしまい、本来は出版されたであろう、いわば「スパイスを作ったカレーの作り方」に相当する「ジャズピアノのメソッド」が僕には手に入らず、僕は行き詰まってしまいます。

クラシックピアノの「練習曲」に相当したリー・エバンスに驚喜する

当時というか、多分、現在もあまり変わっていないと思いますが、一般的な「ジャズピアノの勉強方法」としては、次の事をやりました。

ピアノ演奏技術の向上として ・クラシックピアノの練習 音楽理論の習得として ・クラシックの和声学等の勉強 ・ジャズの楽典の勉強 ジャズアドリブやジャズコードの習得として ・レコードからジャズピアノ演奏を採譜し、練習してコピペする

前回も書きましたが、坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」は良い教材だとは思いますが、いわゆる「指使い」が書いておらず、練習を続けると「間違った指使い=間違ったピアノの弾きかた」の癖が付きかねませんでした。

それを回避する為に「クラシックピアノの練習曲」等を熱心に練習する訳でずか、
それでも、どうも「ジャズピアノを弾くとクラシックピアノが下手になり、クラシックピアノの練習に励むとジャズが弾けなくなる」という現象は相変わらずでした。

これは今にして思えば、僕の「ジャズ」が「なんちゃってジャズ」であった事は確かですが、同様に「クラシックの弾きかた」と思っていたものが、実は「なんちゃってクラシック」に過ぎなかったからの現象です。

「本物のクラシックピアノの弾きかた」と言いますか「演奏原理」を習得できていれば、バッハを弾いたからと言ってショパンが弾けなくなる筈がない、のと同様、ジャズを弾いたから、と言ってクラシックが「くずれる」事もありません。

また「本物のクラシック」を理解していれば、つまり「なんちゃってクラシック(和製クラシック)のリズム感」ではない「ドイツやフランスの正統的クラシックのリズム感」を理解していれば、例えば「バッハやベートーヴェンを熱心に練習する程に、ジャズでのリズム感も向上する」という事になります。

「なんちゃってクラシック」同様に「なんちゃってジャズ」のリズム感も「間違っている」が故に、両立ができない、という訳です。

それはさて置き、僕が、そういう事が理解できるようになるのは、十年以上後の話であり、僕としては「モシュコフスキーのようなクラシック練習曲」と「レッツ・プレイ・ジャズピアノのジャズパターン」を毎日練習し、両者を「なんとなく融合させる」事を続けました。

或いは、当時の僕は「ジャズ和声」の方法を知りませんでしたから、「クラシック和声」の方法と「ジャズ楽典」を「なんとなく融合」させる研究をしていました。

そういえば、当時「ニューエイジ・ミュージック(後の「ヒーリング・ミュージック」)で売り出していた「中村由利子」さんが、まだ売り出さて有名になる前に、ジャズ雑誌のピアノ講座様に編曲された「スターダスト」だったか何だったかの楽譜がありました。

これが、バランスよく、綺麗にハーモニーが付けられており、「なんちゃってジャズ」式に「コードパターン」をはめ込んだものとは全く違うので、羨ましく感じました。

まぁ、今、観れば格別驚くような編曲ではなく「普通にJazz-Voicing(ジャズ和声付け)」しただけと思いますが、当時の僕には「どうやれば、こういう具合にできるのか?」と羨んだものです。

要するに「なんちゃってジャズ」からの脱却が「今後の人生の為の絶対条件」だった訳ですが、今迄の勉強方法では「何十年経ってもバーモントカレー=なんちゃってジャズ」である事も解っていました。

そんな時に音楽之友社から「リー・エバンス教材」が発売され、つまり「リー・エバンスの国内上陸」の「第一弾」が行われ、「黒船来航」のように衝撃を受けた僕は市販されたリー・エバンス教材の全てを買い込みました。

それで練習すべきものは練習し、理論や和音付けの課題は全て書き込んで、リー・エバンスに専念します。

とにかくありがたかったのは、リー・エバンスには「ハノン」あるいは「レッツ・プレイ・ジャズピアノ/マスターシリーズ」のような「パターン練習」はありませんでしたが、どこかで聴いたような「ジャズフレーズ」が「正確な記譜」で用いられ、しかも全曲「正しい指使い」がふられていた事です。

リー・エバンスで練習しても「なんちゃってジャズ」から脱却できなかった訳

それで二年くらい練習した訳ですが、なるほど「綺麗にジャズフレーズを弾けるようになった」事は確かですが、相変わらず「ジャズピアノのハーモニーやアドリブの方法」は判らず、結局「コードパターン」や「アドリブパターン」が増えただけ。

「なんちゃってジャズ」が「洗練された」だけ。以前よりはマシだが、いわば「ハウス/バーモントカレー」が「ハウス/クロスブレンドカレー」にグレードアップしただけ。

これではダメだなぁ、という事は自分でも判りました。

2008年の第二弾監修の際に判った「第一弾の欠陥」

時は過ぎ、2008年にご縁があり、僕はリー・エバンス教材「国内上陸第二弾」に「監修者」として関わる事になりました。

出版元であるオクト出版社から頼まれた訳ではなく、僕が自分が監修する「ジャズ教室」用の教材として必要だったから、「第一弾」の教材を引き続き販売していたオクト出版にコンタクトしたのが話の始まりです。

1980年代初頭に国内上陸した「第一弾」は、出版元が音楽之友社から、東芝EMI、ソニーミュージックと変わりつつ、出版自体はオクト出版が行っていましたが、僕が心配したのは、今後の安定供給でした。

結局、「第二弾」の国内上陸に僕も関わる事になりましたが、その時、初めてリー・エバンス教材や編曲作品の全貌を知りました。

何のことはない、「第一弾」が国内上陸した際に、国内出版した教材の取捨選択が全く間違っている事、つまり「基礎」部分が欠落しており、且「中級以後」も欠落しており、これでも僕が経験したように「ピアノ練習」ができるだけ。

つまり「第一弾」の国内版だけでは、どうやっても「ジャズピアノが弾けるようになる」事は不可能だったのです。

結局「第二弾」は「基礎=ピアノ入門〜初級」に相当する部分の「国内出版」が行われましたが、ここにも大きな問題がありました。

つまり「リー・エバンス教材の使い方」が、本だけでは絶対に理解できない、という点です。

「使い方」が分からなくて当然なんだから

1980年代半ば頃から、僕はリー・エバンス「国内上陸した第一弾」で数年練習を続けましたが、それから20年の間に、稲森康利先生のメソッドや塩沢修三先生のメソッド、オスカー・ピーターソンの教材、バリー・ハリス/三上クニ氏の教材等により、まがりなりにも「ジャズピアノ」が弾けるようになっていました。

また「ジャズ理論」にも強くなると共に、自分で「ジャズ和声学」のメソッドを執筆できるようになりました。

そういう「一応は習得した者」から見れば、リー・エバンス教材はとても優れています。

且、その素晴らしさは、かっては良いと思えた「芸大和声」や「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」のような「トレーニングペーパー」的な、「グレード制度的なもの」ではなく、正にバッハの「アンナ・マクダレーナの為の練習帳(小品集)」や「長谷川良男先生の大和声学教程や対位法他」や「ヘンリー・シャロンの和声」のように「深み」があるものです。

つまり「初級向けの課題」は、なるほど初級者でも一応は解答できますが、上級者が別の視点で全く違った解答ができます。

困るのは、そういう「説明」が全くなされていないのが、リー・エバンスに限らず、オスカー・ピーターソンにせよ、バッハにせよ、「芸術性の高いメソッド」の在り方なのです。

要するに、リー・エバンス教材で「指導する者」の音楽スキルが問われますが、それでも最低限度の「説明」は必要な事は明白です。

困る事のもう一点として、同じ「クラシックピアノの先生や生徒」であっても、米国人ならば「前提」としてできる事が、日本人だと「全く知らない」という事が多々あります。

例えば、京都に行きますと、「レンタル着物屋さん」が沢山あり、外国人観光客が、着物を着付けて貰って京都観光を楽しまれておられますが、日本人と同じような顔つきや体形である中国や韓国の方は当然として、欧米の白人女性も綺麗に着物を着こなされておられます。
勿論、「レンタル着物屋さん」が「正しい着付け」をされたからで、僕達日本人が観ても違和感のない仕上がりになっていますが、ハリウッド映画で出て来る「着物を着た日本人やアメリカ人」は大抵、変な着付けや、着物の選択になっています。

ハリウッドともなれば、本当は「正しい着付け」ができる人なぞ幾らでもいる筈ですが、「アメリカ人がイメージする着物の着方」になるから、なんとも奇抜な装いになる訳です。

同じ事が「リー・エバンス教材」にも当てはまり、米国のピアノの先生や生徒ならば、ジャズ経験がなくとも普通にできる事が、日本人だと、クラシックピアノの先生や生徒に限らず、ライブハウスで演奏しているジャズミュージシャンだろうとも、いわば「ハリウッド映画の着物の着こなし」的に本来とは違ったものになります。

つまり「振袖は未婚女性の晴れ着で、浴衣は本来カジュアルで、紋付は礼服、振袖は必ず下着である襦袢を着て、帯をしめる事云々」を説明するように、「楽譜のここは、こう弾いて、この記号は、こう解釈して云々」と説明しなければなりません。

その全ての説明は無理として、僕が「リー・エバンス教材国内版第二弾」の出版に「監修者」として参加した際には、実は「条件」として、いわば「リー・エバンス教材の使い方」と共に「日米の音楽感覚の違い」についても若干の説明を加える筈でした。

その為の原稿も提出しましたが、出版された教材のどこにもそれはなく、やたらと冊数こそ出版されたものの、果てして「リー・エバンス教材の使い方」がどれだけの人に理解できたのか不明のまま、市場からフェイドアウトしてしまった所存です。

という訳で、次回は「リー・エバンス教材」とは何なのか?についてお話しますね。













「日本リー・エバンス協会」とは米国の著名なジャズ教育家であるリー・エバンス教授のジャズやヒーリング音楽等のメソッドと作編曲作品の普及活動を行うグループで、僕が代表となります。

リー・エバンスの教材の「日本上陸」は、1980年代初頭の「第一弾」と、2008年の「第二弾」とがあり、後者については僕も監修者の「名目」で関わりますが、本当の意味で僕が関わり始めたのは、ごく最近、2020年頃からです。

2008年頃に僕が「リー・エバンス・メソッド国内上陸第二弾」に参加したのは、僕が「リー・エバンス・メソッド」を必要としたからですが、これは僕自身の「ジャズ技能の向上」ではなく、僕が関わる「ジャズ教室」の「レッスン・プログラム」として必要だったからです。

「ジャズ教室」は趣旨によって色々な「レッスンプログラム」がありますが、僕が目指したのは「クラシックピアノしか習った事がない人」が「安心して学べるジャズ・レッスン」体制を作り上げる事でした。

僕が「クラシック出身」なのか?と言えば、学歴こそ「クラシック系音大作曲科」卒ですが、入学する以前から、実際はさて置き、メンタリティの上では僕は「ジャズ・ミュージシャン」であり、「ジャズの基礎がクラシック」だから音大に進学した訳です。

とは言え、一応は「クラシック」に関しては和声学や対位法等の「クラシック作曲に必要な技能」や「クラシックピアノ」は学んでおり、「ド素人ではない」事も事実でした。

大して「ジャズ」については学ぶ機会がなく、「我流」で「即興演奏」活動を始め、「聴く方も訳が解ってない場合」に限りオーディションに合格し、ライブハウス等に出演させて貰い、自分では「一人前」のつもりでした。

尤も成人式を過ぎる頃から、自分の「インチキ」ぶりに嫌気が差し、卒業して社会人(?)になったのを機に「ライブ活動(笑)」を停止すると共に「ジャズ教室プロ養成科」なるものに入会し、「オーソドックスなモダンジャズ」の勉強を始めました。

しかし「ジャズ教室」の選択を誤ったらしく、何も教えて貰えないまま、反面「ジャズは学ぶものではない、慣れるもの、盗むものだー!」という一見正しいが間違っている標語のまま、レストランやバーのBGM演奏の現場に放り出されてしまいました。

勿論「ジャズピアノ」なんて弾けないのですが、当時もは(今もかな?)「ポピュラー・ピアノ」という名称の「実際はインチキなだけ」の演奏で出演料を貰うようになりました。

今から思えば、僕が入会した「ジャズ教室」に見切りを付け、京都にあった藤井貞泰先生や坂本輝先生による「本物のジャズピアノ」の「教育」を行う場に転出すべきでしたが、今と違ってネット情報もなく、レッスン会場がどこなのか判らず、ご縁がないままでした。

否、正確に言えば藤井貞泰先生から学んでいる知人もいたから、その気になれば、貞泰先生から学ぶことができた筈ですが、実は「ビビっていた」んですよね。

藤井貞泰先生の元では「レベルが高い講座」が行われている、と聞き、そんな場に放り込まれても手も足も出ない自分だとすれば、惨めなだけだろうし、実際、当時の僕の技能や知識のレベルでは、レッスン会場で「塩をかけられたナメクジ」のようにイジケタ筈です。

要するに「藤井貞泰先生のレッスンに堂々と乗り込める」レベルまで「ジャズピアノの基礎」を習得しなければせならない、という事位は判ったものの、具体的な方法として試行錯誤の末、坂本輝先生著「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズの全ての教材を完全習得する事にしました。

結局、全ての「ワークブック」に鉛筆で書き込み、それを練習するを続けた結果、二年位後には「ジャズアドリブ・バターン」や「ジャズコード・パターン」を覚え、それをコピペした「ジャズピアノ(に似たもの)」が弾けるようになりました。

その頃には某楽器メーカーの勤め人を辞め、フリーランスといえば体が宜しいが、今でいうフリーターとして音楽事務所が回してくれるままレストランやバー等の「ジャズピアノ(に似た演奏)」の仕事をこなしていった次第でありました。

とはいえ、大阪にも「本物のジャズピアニスト」は幾らでも存在した訳で、大塚善正先生や寺井尚之先生の演奏を間近に聴くについて、「レベル」ならば宜しいが、「種類」が自分とは違うぞ、という事にも気付きました。

先生方が「本物のジャズピアニスト」であるならば、僕は今でいう「なんちゃってジャズ」に過ぎず、「なんちゃってジャズ」を何年、何十年経験しようが、永遠に「なんちゃってジャズ」からは脱却できない、とも気付きました。

「本物」と「なんちゃって」の違いは、例えば「カレー・ライス」を作るとして、市販の「ハウス・バーモントカレー」を使い、幾ら具に工夫を凝らした所で、それなりに美味しい事は確かですが、本来の意味での「料理」ではない、もしくは「料理性が低い」ものとなります。

対して、結果的にはイマイチでも、自分でスパイスを調合して作るのが「本物のカレー」。

確かに低い段階では「自分でスパイスを調合したカレー」よりも「バーモントカレー」の方が美味しいかも知れませんが、十年作り続けても「バーモントカレー=なんちゃってジャズ」である事は変わりません。

逆に当初は未熟でも「スパイスを調合してのカレー作り」を続ければ、やがて、美味しい「本物のカレー」が作れます。

藤井貞泰先生のレッスンは、いわば「スパイスを調合してのカレー」に対しての批評から始まる訳で、「バーモントカレー」しか作った事のない僕はビビッて参加できなかった訳です。

尚、前回も書きましたが、坂本輝先生の「リアルのジャズレッスン」は「バーモントカレー」ではなく、いわば「スパイス」の一つ一つの理解から始まるような、「本物のジャズピアノ」に連なるものであった筈です。

但し、坂本輝先生の教材を出版していた音楽之友社が「ジャズ教材」から撤退してしまい、本来は出版されたであろう、いわば「スパイスを作ったカレーの作り方」に相当する「ジャズピアノのメソッド」が僕には手に入らず、僕は行き詰まってしまいます。

クラシックピアノの「練習曲」に相当したリー・エバンスに驚喜する

当時というか、多分、現在もあまり変わっていないと思いますが、一般的な「ジャズピアノの勉強方法」としては、次の事をやりました。

ピアノ演奏技術の向上として
・クラシックピアノの練習

音楽理論の習得として
・クラシックの和声学等の勉強
・ジャズの楽典の勉強

ジャズアドリブやジャズコードの習得として
・レコードからジャズピアノ演奏を採譜し、練習してコピペする

前回も書きましたが、坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」は良い教材だとは思いますが、いわゆる「指使い」が書いておらず、練習を続けると「間違った指使い=間違ったピアノの弾きかた」の癖が付きかねませんでした。

それを回避する為に「クラシックピアノの練習曲」等を熱心に練習する訳でずか、
それでも、どうも「ジャズピアノを弾くとクラシックピアノが下手になり、クラシックピアノの練習に励むとジャズが弾けなくなる」という現象は相変わらずでした。

これは今にして思えば、僕の「ジャズ」が「なんちゃってジャズ」であった事は確かですが、同様に「クラシックの弾きかた」と思っていたものが、実は「なんちゃってクラシック」に過ぎなかったからの現象です。

「本物のクラシックピアノの弾きかた」と言いますか「演奏原理」を習得できていれば、バッハを弾いたからと言ってショパンが弾けなくなる筈がない、のと同様、ジャズを弾いたから、と言ってクラシックが「くずれる」事もありません。

また「本物のクラシック」を理解していれば、つまり「なんちゃってクラシック(和製クラシック)のリズム感」ではない「ドイツやフランスの正統的クラシックのリズム感」を理解していれば、例えば「バッハやベートーヴェンを熱心に練習する程に、ジャズでのリズム感も向上する」という事になります。

「なんちゃってクラシック」同様に「なんちゃってジャズ」のリズム感も「間違っている」が故に、両立ができない、という訳です。

それはさて置き、僕が、そういう事が理解できるようになるのは、十年以上後の話であり、僕としては「モシュコフスキーのようなクラシック練習曲」と「レッツ・プレイ・ジャズピアノのジャズパターン」を毎日練習し、両者を「なんとなく融合させる」事を続けました。

或いは、当時の僕は「ジャズ和声」の方法を知りませんでしたから、「クラシック和声」の方法と「ジャズ楽典」を「なんとなく融合」させる研究をしていました。

そういえば、当時「ニューエイジ・ミュージック(後の「ヒーリング・ミュージック」)で売り出していた「中村由利子」さんが、まだ売り出さて有名になる前に、ジャズ雑誌のピアノ講座様に編曲された「スターダスト」だったか何だったかの楽譜がありました。

これが、バランスよく、綺麗にハーモニーが付けられており、「なんちゃってジャズ」式に「コードパターン」をはめ込んだものとは全く違うので、羨ましく感じました。

まぁ、今、観れば格別驚くような編曲ではなく「普通にJazz-Voicing(ジャズ和声付け)」しただけと思いますが、当時の僕には「どうやれば、こういう具合にできるのか?」と羨んだものです。

要するに「なんちゃってジャズ」からの脱却が「今後の人生の為の絶対条件」だった訳ですが、今迄の勉強方法では「何十年経ってもバーモントカレー=なんちゃってジャズ」である事も解っていました。

そんな時に音楽之友社から「リー・エバンス教材」が発売され、つまり「リー・エバンスの国内上陸」の「第一弾」が行われ、「黒船来航」のように衝撃を受けた僕は市販されたリー・エバンス教材の全てを買い込みました。

それで練習すべきものは練習し、理論や和音付けの課題は全て書き込んで、リー・エバンスに専念します。

とにかくありがたかったのは、リー・エバンスには「ハノン」あるいは「レッツ・プレイ・ジャズピアノ/マスターシリーズ」のような「パターン練習」はありませんでしたが、どこかで聴いたような「ジャズフレーズ」が「正確な記譜」で用いられ、しかも全曲「正しい指使い」がふられていた事です。

それで二年くらい練習した訳ですが、なるほど「綺麗にジャズフレーズを弾けるようになった」事は確かですが、相変わらず「ジャズピアノのハーモニーやアドリブの方法」は判らず、結局「コードパターン」や「アドリブパターン」が増えただけ。

「なんちゃってジャズ」が「洗練された」だけ。以前よりはマシだが、いわば「ハウス/バーモントカレー」が「ハウス/クロスブレンドカレー」にグレードアップしただけ。

これではダメだなぁ、という事は自分でも判りました。


2008年の第二弾監修の際に判った「第一弾の欠陥」



時は過ぎ、2008年にご縁があり、僕はリー・エバンス教材「国内上陸第二弾」に「監修者」として関わる事になりました。

出版元であるオクト出版社から頼まれた訳ではなく、僕が自分が監修する「ジャズ教室」用の教材として必要だったから、「第一弾」の教材を引き続き販売していたオクト出版にコンタクトしたのが話の始まりです。

1980年代初頭に国内上陸した「第一弾」は、出版元が音楽之友社から、東芝EMI、ソニーミュージックと変わりつつ、出版自体はオクト出版が行っていましたが、僕が心配したのは、今後の安定供給でした。

結局、「第二弾」の国内上陸に僕も関わる事になりましたが、その時、初めてリー・エバンス教材や編曲作品の全貌を知りました。

何のことはない、「第一弾」が国内上陸した際に、国内出版した教材の取捨選択が全く間違っている事、つまり「基礎」部分が欠落しており、且「中級以後」も欠落しており、これでも僕が経験したように「ピアノ練習」ができるだけ。

つまり「第一弾」の国内版だけでは、どうやっても「ジャズピアノが弾けるようになる」事は不可能だったのです。

結局「第二弾」は「基礎=ピアノ入門〜初級」に相当する部分の「国内出版」が行われましたが、ここにも大きな問題がありました。

つまり「リー・エバンス教材の使い方」が、本だけでは絶対に理解できない、という点です。

1980年代半ば頃から、僕はリー・エバンス「国内上陸した第一弾」で数年練習を続けましたが、それから20年の間に、稲森康利先生のメソッドや塩沢修三先生のメソッド、オスカー・ピーターソンの教材、バリー・ハリス/三上クニ氏の教材等により、まがりなりにも「ジャズピアノ」が弾けるようになっていました。

また「ジャズ理論」にも強くなると共に、自分で「ジャズ和声学」のメソッドを執筆できるようになりました。

そういう「一応は習得した者」から見れば、リー・エバンス教材はとても優れています。

且、その素晴らしさは、かっては良いと思えた「芸大和声」や「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」のような「トレーニングペーパー」的な、「グレード制度的なもの」ではなく、正にバッハの「アンナ・マクダレーナの為の練習帳(小品集)」や「長谷川良男先生の大和声学教程や対位法他」や「ヘンリー・シャロンの和声」のように「深み」があるものです。

つまり「初級向けの課題」は、なるほど初級者でも一応は解答できますが、上級者が別の視点で全く違った解答ができます。

困るのは、そういう「説明」が全くなされていないのが、リー・エバンスに限らず、オスカー・ピーターソンにせよ、バッハにせよ、「芸術性の高いメソッド」の在り方なのです。

要するに、リー・エバンス教材で「指導する者」の音楽スキルが問われますが、それでも最低限度の「説明」は必要な事は明白です。

困る事のもう一点として、同じ「クラシックピアノの先生や生徒」であっても、米国人ならば「前提」としてできる事が、日本人だと「全く知らない」という事が多々あります。

例えば、京都に行きますと、「レンタル着物屋さん」が沢山あり、外国人観光客が、着物を着付けて貰って京都観光を楽しまれておられますが、日本人と同じような顔つきや体形である中国や韓国の方は当然として、欧米の白人女性も綺麗に着物を着こなされておられます。
勿論、「レンタル着物屋さん」が「正しい着付け」をされたからで、僕達日本人が観ても違和感のない仕上がりになっていますが、ハリウッド映画で出て来る「着物を着た日本人やアメリカ人」は大抵、変な着付けや、着物の選択になっています。

ハリウッドともなれば、本当は「正しい着付け」ができる人なぞ幾らでもいる筈ですが、「アメリカ人がイメージする着物の着方」になるから、なんとも奇抜な装いになる訳です。

同じ事が「リー・エバンス教材」にも当てはまり、米国のピアノの先生や生徒ならば、ジャズ経験がなくとも普通にできる事が、日本人だと、クラシックピアノの先生や生徒に限らず、ライブハウスで演奏しているジャズミュージシャンだろうとも、いわば「ハリウッド映画の着物の着こなし」的に本来とは違ったものになります。

つまり「振袖は未婚女性の晴れ着で、浴衣は本来カジュアルで、紋付は礼服、振袖は必ず下着である襦袢を着て、帯をしめる事云々」を説明するように、「楽譜のここは、こう弾いて、この記号は、こう解釈して云々」と説明しなければなりません。

その全ての説明は無理として、僕が「リー・エバンス教材国内版第二弾」の出版に「監修者」として参加した際には、実は「条件」として、いわば「リー・エバンス教材の使い方」と共に「日米の音楽感覚の違い」についても若干の説明を加える筈でした。

その為の原稿も提出しましたが、出版された教材のどこにもそれはなく、やたらと冊数こそ出版されたものの、果てして「リー・エバンス教材の使い方」がどれだけの人に理解できたのか不明のまま、市場からフェイドアウトしてしまった所存です。

という訳で、次回は「リー・エバンス教材」とは何なのか?についてお話します。














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ピアノタッチを美しくする「ジャズピアノ」のリー・エバンス・メソッド

ジャズピアニストを目指すものの、「インチキ即興演奏」から始まり、何とか「なんちゃってジャズ」までは「進化」できた。僕でしたが、それではダメだということぐらいはわかっていました。

話は1980年代初頭、僕が20代前半の頃です。

僕が「インチキ即興演奏」から「なんちゃってジャズ」まで「進級」できたのは、大金を払って入会した「ジャズ教室プロ養成科」のレッスンではなく、独学で練習を続けた「坂本輝先生/レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズ全巻のお陰でした。

坂本先生の教材は、僕が中学〜高校生の時に使っていた通信教育の「トレーニングペーパー」に似ており、或いは受講した事はありませんが「公文式の勉強」と似ており、細分化された課題をパターンとして只管に繰り返し練習する、というものでした。

この考え方は、当時の僕に最も納得ができるものでした。

僕はピアノを始めたのが10歳で、しかも専門的に音楽教育を受けた事がなかったので、いざ高校生になって音大入試の講座に出向きますと、「出来が悪い」どころの騒ぎではなく、あまりにも何もできないので、子供の頃から英才教育を受けたライバル(?)受験生は元より、先生からも「人間以下」の扱いをされてしまいました。

それでも懲りずに続けれたのは、勿論、才能があったからでも、ハングリー精神に溢れていたからでもなく、単に「田舎の高校生」特有の無知な故の楽観からでした。

とはいえ「人間並みにピアノが弾けるようになる」事が絶対に必要だった訳で、種々のハンデを何とか克服する方法として考え出したのが「ハノン全曲を毎日弾き通すこと」でした。

ハノンに二時間半くらいかけ、その後、ツェルニーやバッハ、ベートーヴェンなんかを練習し、その後に「作曲の勉強」をやる、という、今にして思えば「完全に間違った」つまり「最も効率が悪い勉強法」をやってしまった訳です。

その結果、音大時代はピアノの先生から「作曲科の学生にしては、指は動くね」と言われましたが、「指は動く」と言う評価は、「指が動かない」よりはマシにせよ、「演奏としてはロクなものではない」というダメ出しだった事に気付いたのも、ずっと後の話でした。

尤も「純朴な田舎の学生」だった僕は「褒められた」と勘違いし、「よく動く指」で「めちゃくちゃにピアノを弾きまくる」スタイルの「インチキ・フリージャズ」のライブ活動に励んだ次第です。

流石に「これではダメだ」と「インチキ性」を自覚し、「ジャズピアノを基礎から学ぼう」とばかりに坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」の練習に励んだ結果、「インチキ」だったのが「なんちゃってジャズ」位に「進級」できた訳です。

ジャズピアノの励むとクラシックが弾けなくなり、クラシックピアノに励むとジャズが弾けなくなる、というジレンマに悩む


僕は音大卒業後は某楽器メーカーに三年ほど勤務しましたが、勤め人は体質に合わない事もあり、退職し、二十代半ばには、フリーランスのピアノ弾きに堕ちました。

前述のように「なんちゃってジャズ」レベルのピアノ奏者でしたが、当時はそれでも「仕事」は結構あり、当時は大卒初任給が10万円位の時に、ホテルラウンジやら何やらでピアノを弾くと1万円位貰え、且、仕事は毎日あったので、取り敢えず「小遣いには不自由しない」日々でした。

尤も某ラウンジに「転職」すれば一晩2万5千円、且、隣接するラウンジも同額出してくれ、半時間おきに交互にやれば一晩で5万円も稼げる、というので、余程、その話に話に乗ろうかな、と迷ってしまいました。

 思い留まったのは「そんな事よりも、本物のジャズピアニストになりたい!」という「人生の目標(価値観)」を確認したからでした。

そういえば僕が「仕事=BGM演奏」していた某ホテルラウンジに大塚善勝先生が出演される、との事で「見学」に行きました。ちなみに大塚先生のギャラは、はっきりした額は忘れましたが、特別に安くして貰って10万円位だったと関係事務所から伺いました。

つまり僕の10倍のギャラを取られた訳ですが、それが羨ましい、とは思わなかったけれども、大塚先生の演奏の素晴らしさ、「正統性」が羨ましい、と感じました。

そういえば、当時の僕が感心した「大阪在住のジャズピアニスト」としては、大塚善勝先生の他、「オーバーシーズ」と言うライブハウスを経営していた寺井尚之先生がいます。

寺井先生は楽器にも拘り、ヤマハの小型グランドピアノでしたが、工場も含め気に入った個体を探し求められ、大切に弾かれ、僕は論外として滅多なピアニストには触らせない、との事。

美しく、豊かな音色で「オーソドックスなモダンジャズ」を演奏されておられましたが、後に知ったのですが「トミー・フラナガン」という歴史的なジャズピアニストが唯一「弟子」として認めた方だそうです。

僕が注目したのは、「ジャズ的要素」もさることながら「音色の美しさ」です。僕も「タッチが綺麗」とかは言われていましたが、現実に「ジャズピアノ」としては大して美しく弾けなかったのは、「なんちゃってジャズ」レベルはクリアするも、「本物のジャズピアノ」の奏法やハーモニー等を全く習得してなかったからです。

しかし、そんな事も理解してなかった僕は「練習量さえ増やせば、綺麗な音色で弾けるようになる」と呑気に考えていました。

確かに練習量は多い方が良いのは確かですが、「何を、何の為に練習するのか?」はっきりと理解していないと、永遠に「なんちゃってジャズ」から脱却できない訳ですが、当時の僕は「ジャズ的練習」としては前述の「坂本輝先生のレッツ・プレイ・ジャズピアノ」しかやりようがありませんでした。

もう一つの「練習」が実は「クラシックピアノ」でした。

当時も「ハノン」はやっていましたが、「練習曲」としては流石に「ツェルニー」からは脱却し「モシュコフスキー」あたりを熱心に練習し、なるほど、それなりの効果を実感していました。

尤も困った問題が生じていました。

ジャズを弾くほどにクラシックが下手になり、クラシックを弾くほどにジャズが下手になった!「なんちゃってジャズ」の顛末

それは「なんちゃってジャズ」でジャズを演奏するほど、クラシックピアノが「崩れる」というか下手になり、慌てて「クラシックピアノの練習」に励みますと、今度はジャズやボサノバが弾けなくなった事です。

周囲の人の話では「ジャズとクラシックとでは弾き方が違うから両立はできない!」との事。これは「ジャズ」「クラシック」の夫々の人から言われました。

何しろ当時は、「クラシック声楽家がジャズをやりたい」と入門志願すると先生から「酒とタバコで喉を潰して来い!」などと言われていました。

流石に、そんな「バカな話」を信じる程には僕は愚かでなかったのは、偉大なジャズピアニストであるビル・エヴァンスやジョン、ルイス、バド・パウエル等が「クラシックピアノにも精通していた」ことを知っていたからです。

或いは、当時、僕が「具体的にお手本」にしていた「リッチー(リチャード)バイラーク」はと言う1日8時間練習するうちの6時間位はクラシックを練習すると聞いたからです。

では、なぜ当時の僕が「ジャズとクラシックの両立」ができなかったのか、と言えば、自分で「クラシックの弾き方」とか「ジャズの弾き方」と称していたものが「なんちゃって=ニセモノ」に過ぎなかったからです。

そういえば、学生時代にイタリア語の勉強を始めると英語が読めなくなったのと同じです。
例えば、Fiveは英語では「ファイブ」と呼びますが、これをイタリア語読みすると「フィーべ」になってしまいます。


こうなってしまうのは、日本の英語教育で用いる「発音記号」が間違っている、とは言いませんが、結局、「発音記号」から「カタカナ読み」し、イタリア語については「ローマ字読み」をやはり「カタカナ読み」するからです。

もし本来の「ヨーロッパ語の読み方」を理解すれば、英語だろうが、イタリア語だろうが、フランス語だろうが、それなりに読める筈ですが、万事「カタカナ読み」と「耳から覚えた、それらしい発音」、つまり「なんちゃって英語/イタリア語」だから矛盾する訳です。


つまり、僕の「ピアノの弾き方」は、クラシックにせよ、ジャズにせよ、「なんちゃって」だったから、クラシックとジャズとで矛盾してしまう訳です。

とはいえ、当時はそんな事は知らず、単に「ジャズの練習の内容が悪い」と考えていました。

そういえば坂本輝先生の教材には「指使い」が書かれておらず、「間違った指使い=弾きかた」で練習しているのではないか、という恐れが常にありました。

実は「指使い」というものは、フレージングから導かれるものであり、僕が高校生の時に学んだように「正しい手の形や指つがい」があり、それが常時出て来るようにハノンやツェルニーを沢山練習しなければならない、というのは「間違い」なんですね。

例えば、僕が「ミ」と「ファ」を同じ「2の指」で弾くと「ジャズピアニストだから変な指使いで弾く」なんていう人がいるので驚きました。

勿論「ミ」と「ファ」を「2~3」という具合に隣の指で弾く事もありますが、これは「どちらで弾いても構わない」訳でなく、「音楽的な必然性」から同じ指で弾いたり、隣接する指で弾いたりします。

ちなみに「ウィーン原典版のモーツァルト」や「アルフレッド・コルトー版のショパン」には、「同じ指で隣接する音を弾く」指定が沢山ありますが、これは「指の都合」ではなく、「フレージングの解釈」から来るものなのです。

尤も、そういう「指使いとは何か?=正統的なピアノ奏法」を僕が学ぶのは、それから十年後の事ですが…。

リー・エバンス・メソッド「96のエチュード」に出会う

ところで「ジャズピアノを美しいタッチで弾けるようになる」には、「クラシックピアノの練習を頑張る」事も「坂本輝先生のレッツ・プレイ・ジャズピアノを頑張る事」も間違いではない、とは思いましたが、効率が良いのは「ジャズで作曲された練習曲」を沢山弾く事だ、とは想いつきました。

それで本屋に通っては色々な「ジャズの練習曲」の楽譜を探しましたが、殆どの曲集が「指使い」が書かれておらず、その本の是非はさて置き、前述の「間違った指使いでジャズを沢山弾くとクラシックピアノが下手になる」というジレンマから脱却できないだろう、と思いました。

そんな時に出会ったのが、当時、19クラシック系出版社である「音楽之友社」から発売された「リー・エバンス」の教材でした。

後に「音楽之友社」が手を引き、東芝EMIやソニーミュージックから、合本されて「96のエチュード」として出版された「クラシックからジャズの技法」全六巻や「ジャズ即興の技法」全五巻、或いは色々な音楽理論の本でした。

クラシックのツェルニーのような練習曲が沢山並び、且、レコードで耳にした「ジャズフレーズ」がその中にちりばめられています。

重要な点は、明瞭な記譜と、全曲に付けられた「指使い」でした。


リー・エバンスの「練習曲」は、ツェルニーやモシュコフスキーのようで、確かにピアノ奏法の上達に役立った

坂本輝先生の「レッツ・プレイ・ジャズピアノ」シリーズは、いわば「ジャズのハノン」ともいうべき「パターンを前調で繰り返して弾く」メカニカルなものでしたが、リー・エバンスの「96のエチュード(旧「クラシックからジャズの技法))は、ツェルニーやモシュコフスキーのような「練習曲」のスタイルでした。

つまり「本当はジャズピアノの練習をしたいが、適当な練習曲がないので、ピアノ演奏上達の為に使っていたモシュコフスキーやモシュレスの練習曲」をやらなくても、このリー・エバンスだけで「ピアノ演奏技術」が上がる、から効率が良い、と思えた訳です。

実際、「普通に長調や短調の音階やアルペジオの練習」も含まれており、且、前述のように「沢山の、どこかで聴いたジャズフレーズが、正しい指使い付きで」盛り込まれていました。

それで二年位かけて全てのリー・エバンスの「練習曲」を練習し、なるほど、かっての「なんちゃってジャズ」だと問題になった「ジャズを弾くほどクラシックが下手になる」事もなく、ピアノとジャズが上達したように思えました。

ただし!

この時点では、日本で出版されていたリー・エバンスの教材の全てをやったものの、大して「本物のジャズピアノ」が弾けるようには全くなっていませんでした。

相変わらず「なんちゃってジャズ」であり、単に以前よりも「アドリブパターン」や「コードパターン」が増えただけ。

では「リー・エバンス教材はダメなのか?」といえば、そんな事は全くない。

つまり「リー・エバンス教材の正しい使い方」が僕のみならず、同じく練習した人達の大多数に解らなかった事が問題。

結局、それから二十数年を経た2008年に「リー・エバンス教材」の「第二弾」が上陸し、また、こう言ってはなんですが、僕が関わった事で、漸く「リー・エバンス教材の使い方=価値」が発揮されるようになった訳です。

という訳で次回は「リー・エバンス教材第二弾の上陸」についてお話します。

リンクは僕の公開レッスンを録画した動画です
https://youtu.be/GeO76wcUuDE
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