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「バッハの信仰が厚かった」は本当? 「修道院生」時代の少年バッハについて [独断による音楽史]

前回から「キリスト教音楽」の象徴ともいえるバッハについて書いています。

「バッハは信仰が厚かった」
「信仰が厚いから良い(教会)音楽が作曲できた」
というのが「常識」。

勿論、バッハの膨大な「教会音楽」作品の殆どが歴史的名曲である事は事実です。

或いはカール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団の演奏が、
僕のようなキリスト教信仰がない者までを「敬虔な気分」にさせるのは
彼等の「信仰が厚さ」が好影響している事を疑う要はありません。

しかし、よくよく考えてみれば信仰が厚い」とはどういう状態にある人を指すのか?

更に「信仰は音楽創造に反映するのか?」という根源的な疑問は残ります。

という訳でキリスト教の方からお叱りを頂きそうですが、
「先入観に執われずモノを観る」事は「ピアノやボーカルが上達するコツ」でもある訳で、
今回はバッハについての「常識」を検証してみましょう。

*******
「修道院付属学校の給費生」として過ごした少年期のバッハ

先ずは「バッハの信仰が厚かった」という「常識」を検証する手段として、
バッハの生涯を見つめましょう。

バッハは8歳の時に母を、10歳時に父を亡く、
音楽家だった兄に引き取られ、音楽の勉強に励みますが、
やがて地元の「修道院付属学校の給費生」となります。

この「修道院付属学校の給費生になった」という人生のスタートが、
「バッハの信仰が厚かった」根拠の一つとされます。

ところでキリスト教について復習すると、
キリスト教には、ローマ教会を頂点とする古くからの「カソリック」と、
バッハの少し前の時代にドイツ人ルターによって始まった「プロテスタント」とがあります。

「プロテスタント」は「カソリックに抗議する」という意味で、
同じキリスト教ながら教義が異なり、いわば犬猿の仲らしいです。
尚「プロテスタント」にはルター派、カルバン派、福音派等色々な流派があります。

バッハは「修道院」の付属学校で学びますが、
「修道院」があるのは「カソリック」のみ。

「プロテスタント」は「修道院」を持ちませんが、
少年期のバッハが住むザクセン地方はルター派は例外的に「修道院」か設けられます。

これはバッハにとって幸運な事といえましょう。

バッハの「勤勉」は修道院付属学校の影響?

ところで「修道院付属学校」時代のバッハですが、
「給費生」に選ばれる位だから、成績優秀で信仰も厚かった、
と想像しますが、実は少し事情が異なるようです。

当時の「給費生」は現代の「特待生」とは少し事情が異なり、
成績が優秀だから給費される、という訳ではなく、
大雑把にいえば「経済的事情で学費は払えない」がある程度以上の資質が認められれば、
誰でも「給費生」になれたようです。

つまり当時の「給費生」は衣食住や教育を保障されつつ、
修道院で労働する、いわば「下働き」に雇われた、といえなくもない立場でした。

とはいえバッハが「雑用係としてこき使わた不幸な少年時代を過ごした」訳ではありません。

「修道院付属学校」とは「キリスト教の精神に倣って祈りと労働のうちに共同生活をする施設*」
とされます。

言い換えれば学費を納めれる者も給付される者も、学業のみならず、
「勤労奉仕」こそが「重要な科目」であり、
学費を稼ぐためにアルバイトをした、という意味ではありません。

ふと思い出したのが関大徹という坊さんが「禅」について述べた
「食えなんだら食うな」という本を思い出しました。

僕達部外者は「禅」といえば座禅を組んで瞑想をする事が「修行」のように想像しますが、
そうではなく、廊下の拭き掃除から土木工事までこなす「作務」こそが「修行」だ、
という意味の事が書かれてありました。

これも厳密にいえば「キリスト教の修道院」にせよ「禅寺」にせよ、
義務感で嫌々やる、とか学費を稼ぐためにやる、とかは論外。

「しんどい労働を提供する」から「修行をしている」という意味ではなく、
「自分を高める為に労働する」もっと言えば「労働という高める為のチャンスを与えられた」
と感謝できる「精神を培う」事が「修行」だ、という事らしいです。

少年バッハの「修道院生としての成績」は不明ですが、
課せられた「徹底的に身体を動かす労働」に対しては、
「安い給料でこき使われた」とい被害者感覚ではなく、
「身体と行動力と精神力を培う」とか「神への奉仕になる」という
「キリスト教精神」を修得した事は確かです。

教会と揉め続けたバッハの生涯

バッハのキリスト教「信仰の暑さ」については、
次章で述べますが、生涯に渡り「教会」と揉め、
更に職業的な必要性からプロテスタント・ルター派、同カルバン派、
カソリックと「宗旨替え」します。

つまり教会からすれば「突出した有能な音楽家」である事は疑いがないにせよ、
何かと「反抗的」な扱い難い信者であったようです。

ならばバッハの「信仰の厚さ」は大したものではなかったのかと言えば、
「精進努力する事こそ神の心に適う」という考えの履行において、
強靭であった、と言える訳ですね。

おっと時間が来ました。次回はいよいよ教会のオルガニストとして頭角を現しつつも、
様ざまな「けしからぬ行為」等で教会とぶつかり始める青年期のバッハについて述べます。

つづく

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PS リンクは関大徹著「食えなんだら食うな」

食えなんだら食うな―今こそ禅を生活に生かせ (1978年)

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「キリスト教」とバッハの関係 [独断による音楽史]

「教会音楽」の歴史的名曲が目白押しのバッハ

最近、僕の周辺に「クリスチャン」のが増えていて、
時々「キリスト教と音楽の関係」が話題に登ります。

僕自身は「クリスチャン」ではなく、教会に出かけた経験は、
学生時代に合唱団を手伝った位しかありませんが、
クラシックに限らずジャズも何かとキリスト教会と関わってきました。

ですからキリスト教の「宗教音楽(以下キリスト教音楽)」と呼ばれるジャンルが
存在する程ですが、皆さんは「キリスト教音楽」と聞い何を想い浮かべますか?

僕は「バッハのトッカートフーガ」のよなうオルガン曲や
「フォーレのレクイエム」のような合唱曲、
古くはペルコレージの「スタバトマーテル」、
新しくはオリビエ・メシアンの「世の終わりの為の四重奏」
なんてのを想い出しますがいかがですか?

「キリスト教音楽」の作曲家も沢山いますが、
やはり「巨匠」を一人あげるとすればバッハにトドメがさされます。

バッハにはオルガン曲やカンタータ、「マタイ受難曲」や「ロ短調ミサ」他
「キリスト教音楽の歴史的名曲」が目白押しにあります。

音楽的にも凄いが「宗教的」にも凄いのがバッハの「教会音楽」

バッハの「教会音楽」の凄いのは、キリスト教の信仰がなくても、
バッハの「教会音楽」を熱烈愛好する、という音楽ファンが沢山いる点でしょう。

僕にした所で、カール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団/合唱団による
「マタイ受難曲」等を聴きますと、音楽的にも感動しますが、
何やら「敬虔な気持ち」になる訳で「キリスト教信仰」がほんの少しは芽生えてしまう訳で、
バッハ音楽の「キリスト布教」の「威力」はバツグンですね。

https://youtu.be/pf4UNJqv_-A(リヒターの「マタイ受難曲」の動画)

では、この「威力」はどこから来るのか?
やはり「信仰」の力なのか?

バッハは「信仰が厚かった」は本当?

バッハについては紐解くと「バッハは信仰が厚かった」と書かれてあります。

少年期を「修道院の付属学校」を成績優秀の給費生として過ごし、
最初の「就職」もその教会のオルガニストならば、
最終職も聖トマス教会の学長と付属音楽学校の校長。

何かしら教会と関わり、
生涯に人間業とは思わない程の量と高い質の
「教会音楽」を作曲しています。

「音楽家のキリスト信仰」で思い出すのが前述のカール・リヒター。

リヒターは戦後東西分裂したドイツにて「バッハの教会音楽」の至高を目指して
ミュンヘン・バッハ管弦楽団を設立。バッハ演奏では世界一ともいえる指揮者、
チェンバロ、オルガニストであり「バッハ研究」でも世界一。

戦前のドイツで生まれ、何と二百年前にバッハが校長を務めた聖トーマス教会の
付属音楽学校で学びます。しかも成績優秀だったリヒターは、卒業後、
二百年前にバッハ同様に同教会のオルガニスト職に就きます。

ところで「ミュンヘン・バッハ管弦楽団」によるカンタータやミサが、
深い精神的感動を呼び起こすのは、管弦楽団の演奏技術が高い事もありますが、
合唱団について、選抜の条件として、プロに限らず、声が良いとか、歌が上手とか以上に
「信仰の深さ」が求められているからだ、とも言われています。

https://youtu.be/c80yKlT4A74 (リヒターの伝記。合唱団の練習シーンあり)

バッハ音楽の崇高さの理由の一つが「信仰の厚さ」にある事は間違いありませんが、
しかし「信仰」と「音楽創造/演奏」はどう関わっているるのか?
と聞かれると実はよく分からないのですね。

そもそも「信仰が厚い」と言われているバッハですが、
音楽については、教会側から当時の感覚としては「俗っぽい」とか、
「不協和音や攻撃的なリズムが多すぎる」とかのクレームが続出。

長老との喧嘩が絶えず、とはいえ、それが「音楽進化の必然」として許されるとして、
音楽室のバッハの肖像画の「厳しさ」とは逆に、若い頃のバッハは、
礼拝堂のオルガン室に女性を連れ込み、「お楽しみに耽り」教会から叱責される等、
むしろ松山千春のようなトンデモ人物だったと記録されています。

まぁ「ファンキー」な面が見えてくるのは微笑ましい(?)として、
そもそも本当にバッハは「信仰の厚かった」のか、という疑問も感じてしまいます。

キリスト信仰がバッハの創造性に与えた影響とは?

という訳で前置きが長くなりましたが、
バッハは「キリスト教音楽」に如何に関わったのか?
或いはバッハのキリスト信仰が音楽創造にどのように影響したのか?

その辺りを「先入観」に捉われず、史実と作品から解析する事で、
新たな「真実」を迫ってみたくなりました。

題して僕の独断による「キリスト教」とバッハの関係について、
お話しましょう。

つづく

PS リンクは「カール・リヒター マタイ受難曲」抜粋

バッハ:マタイ受難曲(抜粋)

バッハ:マタイ受難曲(抜粋)

  • アーティスト: リヒター(カール),バッハ,ミュンヘン・バッハ管弦楽団
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック
  • 発売日: 2015/05/20
  • メディア: CD



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