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ラウンジミュージック講座/カーメン・キャバレロの師匠;Eddy Duchinについて [Lounge Music Project]

1950年代,空前の経済力を背景に,米国は政治的にも文化的にも世界一のリーダーとなりました。その豊かさを象徴するが如く,ピアニストのカーメン・キャバレロは華麗なピアノ技法による「ラウンジミュージック」で世界中の大人気音楽家となりました。

スウィング・ジャズのサウンドやリズム,ショパンやリストの流れを汲むピアノの超絶技法,豪華なオーケストラが「カーメン・キャバレロ楽団」の特徴です。

尤も'60年以後,敢えて言えばホワイトハウスを米国の頂点とする価値観が行き詰りや,社交界が縮小されると並行してのロック・ミュージックの台頭により,さしもキャバレロの活動も縮小を余儀なくされます。

とは言うものの大半の黒人ジャズメンと異なり,既に数億円の資産を蓄えたキャバレロは「生活に困る」という事とは無縁。オーケストラこそ解散しつつ,ジャズピアノトリオ形式の小編成にて高額なギャラによる演奏活動を継続しました。

'70年代には毎年のように来日しています。

実は僕が中学生時分(1970年代前半)にも,晩年のキャバレロが来日したらしく,テレビ中継にてその演奏会を鑑賞できました。当時の僕は,キャバレロが誰か,も認識しておらず,又,ジョン・コルトレーンみたいなモダンジャズこそ最高と思っていましたから,さして興味を抱いては観ませんでした。ただ印象に残っているのは「毎日八時間の練習を欠かさない」という話しでした。

たまたま当時の来日時の映像がYoutubeにありましたので観てみましょう。

「煙が目にしみる」http://www.youtube.com/watch?v=RfF58s
「愛情物語」 http://youtu.be/PkZ5pSNV79E

如何でしたか?

正直,今観ると「お歳のせいか技術的には衰えたかな」と感じますが,用意されたスタインウェイの整音といい調整といい良いとはいえず,弾き難かったのかも知れません。

もう一度,若い頃の演奏を聴いてみましょう。

「You're my everything 」
http://www.youtube.com/watch?v=kE0S_sCugnU&feature=colike

ピアノそのものが違う事もありますが,最後迄抜け切った音で軽やか,且,優雅に演奏しています。どうも'70年代あたりのキャバレロはちょっと「超絶技法で魅惑する」という点で,実際の技術低下に反し,気持ちの上で拘り過ぎたかも知れません。

僕は「愛情物語」等が大ヒットする前,1940年代の演奏の方が好きなのですが,ここで一人のアーティストの演奏を聴いてみましょう。

カーメン・キャバレロのお手本というか師匠格にあたる「Eddy Duchin」の演奏です。

実は僕自身「Eddy Duchin」については,ごく最近迄,全く知りませんでした。

Eddy Duchinは「愛情物語」の主人公となる実在の人物で,1930〜40年代に活躍し,若くして亡くなりました。

実は「若くしてなくなった」から映画として取上げられただけで,音楽的には特にどうという事もない人だろう,と僕は勝手に想像していたのですが,これはまったく認識不足でした。

とりあえず演奏を聴いてみましょう。

Sealt with A Kiss  http://www.youtube.com/watch?v=kE0S_sCugnU&feature=colike

非常に優雅な雰囲気です。ピアノの音質もクラシックの天才「ディヌ・リバッティ」を髣髴させるとても美しく柔らかいタッチです。

更に衝撃的(?)な音源がありました!

http://www.youtube.com/watch?v=2LR_jqS2A_Q&feature=colike

何の事はないカーメン・キャバレロが「to Love again」としてヒットさせた「愛情物語」そのものですね。勿論,日本人が知らないだけで,映画になる位ですから米国ではEddyは有名であり,別段,キャバレロが盗作した訳では全くないのですが,キャバレロ・スタイルといわれるものは,実はEddyが作り上げた,という事が分ります。

という訳で,次回もEddy Duchinについてお話しましょう。

リンクはカーメン・キャバレロがEddy役の演奏した映画「愛情物語」です。

愛情物語 [DVD]

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ラウンジミュージック講座/5,カーメン・キャバレロを聴いてみよう。 [Lounge Music Project]

第二次世界大戦後,ダンス音楽として親しまれていた「スウィング・ジャズ」は二つに分化しました。

一つが「スウィング・ジャズ」のリズムやハーモニーを複雑化し「鑑賞芸術」用音楽とした「ビ・バップ」というジャズのスタイル。チャリー・バーカーやディズー・ガレスビーという黒人の天才達によって創世されました。

他方はジャズ的即興や名人芸は省くとして,ジャズの斬新なハーモニーやフレーズに基づく豊かな編曲を持つ,気楽に聴ける「ダンス音楽」や「口ずさめるメロディー」を重視する「ポピュラー音楽」と呼ばれる新しいジャンルが放送局やレコード会社によって企画〜勃興しました。

実は「ビ・バップ」のチャーリー・バーカーが創世したサウンドなくして「ポビュラー音楽」も成立しなかった筈ですが,実は「ポピュラー音楽」はそれ迄の「スウィング・ジャズ」と大きく異なる特徴を有しました。

それは「ボーカル中心の音楽」になったという点です。

バッハ以来のクラシック音楽にしろ,オペラも含め,ボーカル音楽は全体の中では一部でしかなく,
クラシックの沢山の声楽曲はあるにしろ,ピアノやオーケストラ曲の方がより普及しています。

ジャズにおいても,1920年代の「ルイ・アームストロング&ホットファィブ」や'30年代の「デューク・エリントン楽団」等の人気バンドは器楽合奏が中心でした。

ジャズのスタンダード曲の殆どは,歌詞を持つ歌曲ですが,必ずしも歌唱ではなく,ピアノやサックス等の器楽演奏される事を重視して作曲され,むしろ「器楽で流行したから,歌手が歌えるように歌詞も付いている」という規格になっています。(勿論,歌詞自体は綿密に作り込まれていますが。)

ところが戦後に勃興した「ポピュラー音楽」は,突発的な即興ではなく,綿密に編曲されたジャズ・オーケストラを伴奏に従えた「歌手のレコード」が中心となりました。

ラジオが飛躍的に普及した際に,中継で生演奏を放送するというリスクの回避と,始めから人気のあるレコードを放送する方が視聴率を稼げるという事にメディアは気付き始めました。

その際に,一度放送を聴いただけでは判別が付かない音楽ではなく,分りやすく覚えやすい,という事で,複雑な即興演奏ではなく,計算された前奏や間奏を持ち,メロディーを伝える方法として最も早く,且つ,三分間で完結しインパクトを与えれる「ボーカル・レコード」に資本投下が集中しました。

当時の録音やオーディォ技術では低音や高音は充分で再生できず,電話機並みに中音のみ辛うじて再生てせきるにしろ,ボーカルならば比較的余裕を家庭用ラジオでも再生ができた事も「ポピュラー音楽」の中心がボーカルに移行した一因でしょう。

とはいうものの,クラシック音楽が声楽ばかりでないのと同様,ボビュラー系音楽においてもボーカルばかりでは観客の要望に応えれません。

「スウィング・ジャズ」から分化した他方である「ビ・バップ」はボーカルは例外であり,サックスやトランペット,ピアノ等の器楽による音楽でした。

かと言って「ビ・バップ」やクラシック音楽では好みや「ダンスや食事のBGM」という用途に合わず,「ポピュラー音楽=ボーカル」の器楽版を聴きたい(使いたい)といの需要も当然存在しました。

単純にピアノなりサックスなりの器楽演奏が聴きたい,という需要もありますが,ダンスや食事の際に,ボーカルが入ると客席での会話の妨げになる,という点もあります。

その為とかっての「スウィング・ジャズ」から発展した創られたのが「ポピュラー音楽」としての器楽演奏です。いわゆる「ポピュラー・ピアノ」です。

では,ここで「ポビュラーピアノ」の創始者である最高峰;カーメン・キャバレロの演奏を聴いてみましょう。映画「慕情」のテーマです。http://youtu.be/OfC-NcDJXZ4

ついでに大歌手,アンディ・ウィリアムスによる録音も聴いてみましょう。http://youtu.be/j0XClu_oqkE

実はどちらも「サントラ」によるオリジナルではありませんが,知らずにどちらがオリジナルか,と訊ねられても分らない程,共に力強く印象的な音楽だと言えましょう。
且,ピアノかボーカルかの違いはあっても,同じ様なオーケストラ・サウンドによる伴奏が為されています。

カーメン・キャバレロは貧しいイタリア系移民家庭に育ち,クラシックピアニストとしての修練を経験しました。しかし「ショパン的なクラシックピアノの超絶技法」と「スゥイング・ジャズ」の音楽理論や「ポピュラー音楽」の感覚を融合し,独自のスタイルを創世しました。

もう一曲聴いてみましょう。1956年の大ヒットとなった映画「愛情物語」です。
(キャバレロはサントラも担当しましたが,その後のレコード版が大ヒットとなりました。)

http://youtu.be/s7mhWMC0QKs

如何でしたか?

ショパン〜リスト〜ラフマニノフ等の「クラシック・ロマン派」の華麗なるピアノ技法と,「スゥイング・ジャズ」のリズム感覚,更に「ポピュラー音楽」のオーケストラが混然となった非常に豪華な音楽だといえましょう。

1950年代当時のアメリカは,経済的にも,政治的にも,科学技術的にもダントツの世界一でした。
(二位はソビエトとされましたが…)。

僕は1960年代の生まれでずか,それでも70年代頃迄,1ドル360円で,日米の所得格差は20倍,高級ホテル等は余程豊かな日本人かアメリカ人(今にして思えば平均的な)を対象とし,アメリカというのは同じ地球上とは思えぬ豊かで先進的な国とイメージしていました。

ましてや'50年代ともなれば,日本のみならず第二次世界大戦で荒廃したヨーロッパのいかなる国家といえで対抗できませんでした。話しが脱線しますが,当時,世界一の高級車とは米国のキャデラックであり,輸出した日本のクラウンは「加速が悪いからアメリカの高速道路では合流できない」といわれ,ベンツのSクラスさえ,いわば軽自動車扱いされました。

クラシック界では1958年にヴァン・クライバーンが超絶技法ヲ要求されるソ連のチャイコフスキー・コンクールで優勝し,トスカニーニ指揮/NBC交響楽団に続きバーンスタイ指揮/ニューヨーク・フィルハーモニーが世界の一流の演奏家を集め,アメリカを世界の中心に格上げしました。

あらゆる物が豪華絢爛さを競った1950年代のアメリカにおいて,カーメン・キャバレロ等の「ポピュラー音楽」におけるピアノも華麗な技の競演と豪華さを誇りました。

これらの「スウィング・ジャズ」のサウンドとクラシックピアノの技法を組合わせた「ポピュラー音楽」は「ボールルーム=社交場」の音楽として発展しました。

即ち,豪華にはオーケストラ伴奏による「社交ダンス」や演奏会,小さな空間ではベースやギター,ドラムのみによるジャズ・コンポ編成やソロピアノ。

1960〜70年代のポップスの流行により「ポビュラーピアノ」はポール・モーリア等のロック・ポップス風や,更には'80年代以後はリチャード・クレーダーマンによる「子供のピアノ」風(?)へと人気が移りました。

しかし1950年代のカーメン・キャバレロ以下の「ジャズ・スタイル・ポピュラーピアノ」が持つ豪華さや,ラフマニノフのピアノ協奏曲を演奏するコンサートピアニストのような修練を積んだ「高い精神性」を有するスタイルこそが永遠の音楽だと言えましょう。

ちなみに「ジャズ・スタイル・ポピュラーピアノ」という呼び方は偉大なジャズ教育家;稲森泰利先生の命名ですが,一般的には「'50年代ボールルーム音楽」とも「イージーリスニング」と呼ばれます。

僕はいわゆる「ポピュラーピアノ」と聞くと,どうも「安請合いのインチキ演奏」を想像してしまい,偏見を持つ持ちますが,カーメン・キャバレロに関しては,なるほどダンス音楽やBGMとして「安心して」聴けますが,例えば大型スピーカーに向かって正座して(?)対決的に鑑賞しても,素晴らしい感動を得れます。

これはキャバレロに限らず,テディ・ウィルソンやアート・テイタム等の「スウィング・ジャズ」ピアニストもしかりですが,全身全霊を打込んで演奏だが,優雅に見える程に徹底的に修練を積んだが故に「安心して聴ける」という事と「気楽な音楽」を混同してはいけない,という教訓となります。

以上の事から,「Lounge Music Project」ではカーメン・キャバレロを頂点とする「Jazz Style ポピュラーピアノ='50年代ボールルーム音楽」を独自に「エレガンス・ラウンジ」と呼ぶ事としました。

そして,稲森泰利先生のメソード他による音楽教室の展開と共に,ピアノや器楽,ボーカルによる「エレガンス・ラウンジ」の音楽企画業務やコミュニティーを開きましたので,ご関心がある方は是非ご参加下さい。

PS; リンクはビクターが編集した「エレガンス/リラックス・イン・ザ・ムード」というCD。



エレガンス-リラックス・イン・ザ・ムード-

エレガンス-リラックス・イン・ザ・ムード-

  • アーティスト: パーシー・フェイス・オーケストラ,グレン・ミラー・オーケストラ,ヘンリー・マンシーニ・オーケストラ,レイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラ,ダニエル・リカーリ,ニニ・ロッソ,ヘンリー・マンシーニ,マントヴァーニ・オーケストラ,カーメン・キャバレロ
  • 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
  • 発売日: 2002/04/24
  • メディア: CD



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ラウンジミュージック講座/4-2 Fly me to the Moonの聴き比べ [Lounge Music Project]

参考迄に「Fly me to the Moon」の「ラウンジ・ボーカル」演奏を何人か聴き比べてみました。

ちなみに「Fly me to the Moon」は1960年前後に流行している関係で,Jazzというよりはラテンやロック的なリズムが使われ始めていますが,それでも「ラウンジ・ボーカル」の範疇に含まれる名曲といえるでしょう。

1,ブレンダ・リーによる「Fly me to the Moon」

白人の「可愛い系(当時としては)」歌手。http://youtu.be/ZIDYqECkhGA

2,ドリス・デーによる「Fly me to the Moon」

録音は1960年代半ば。1と比べると同じ白人でも「成熟した女性の色気(?)」あり。
http://youtu.be/j7bfudsfZjw

3,ナット・キング・コールによる「Fly me to the Moon」

男性歌手というか元々は歴史的ジャズピアニスト。黒人。正直,上記二人とは「役者が違う」な,という所
http://youtu.be/2z2CmrVsc2E

4,サラ・ボーンによる「Fly me to the Moon」

ベテランの黒人女性歌手。もう,これ以上には歌えないぞ,という上手さ,深さ。

http://youtu.be/3KdkDjB2JvM

という訳で,個人的には番号が下がるに従い感動が高まるけれども,まぁ,これから「ラウンジ・ボーカル」を学ぼうという方には1のブレンダ・リーのコピーから入られる方が無難でしょう。 
ベスト・オブ・サラ・ボーン

ベスト・オブ・サラ・ボーン

  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: ソニーレコード
  • 発売日: 1997/04/21
  • メディア: CD



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ラウンジ・ミュージック講座/その4,ラウンジ・ボーカルとは? [Lounge Music Project]

「ラウンジミュージック」の原型が1930年代の「スゥイング・ジャズ」にある事を前回話しました。

ジャズは1930年代の「スゥイング」,'40〜50年代の「ビ・バップ」,'60年代の「モダーン」と時代が進むに連れ「ダンス音楽」から「鑑賞芸術」へと体質変化していきます。

彼等の変化は,はしくれミュージシャンに過ぎぬ僕でさえ,よくよく理解できます。

例えば,「スゥイングの王様」ベニー・グッドマンでさえ,伝記映画では主な「仕事」は,ホテルのボールルーム(社交ダンス会場)でのダンスや食事の伴奏であり,演奏主体のコンサートは稀でした。

つまり凄まじい精進によって音楽を確立したにも関わらず,必ずしも最大の集中では聴かれない事が少くなかった訳です。故に「鑑賞」主体の音楽へと変化したくなりますね。

クラシックでは,ベートーベンが音楽を「ダンスや食事の伴奏」から,「鑑賞芸術」に改革したと言われます。

ジャズでは「鑑賞芸術」への転換は1940年代の「ビ・バップ」のチャーリー・パーカーを経て'50年代のマイルス・ディビス他によって確立された,と言えます。

問題は「観賞芸術」ではなく,いわば「実用」であるダンスや食事の音楽をどうするのか?という点にあります。

その結果,生まれたのが「ポピュラー音楽」という新ジャンルです。

1940年代以前のジャズは,良きも悪しきも「鑑賞芸術」として扱われず,誰もが気楽に聴け,ダンスもできるいわば「ポピュラー(=娯楽)音楽」でした。

というか1920年代頃には,違う意味で「気楽」ではない,つまり,マトモな大人が顔をしかめる反秩序的な「ふしだらで騒々しい風俗=Jazz」の音楽(=ラグタイム)として存在しました。(Jazzは元々は音楽ジャンルではなく風俗文化の名称であり,音楽ジャンル名となるのは1930年代以後です。)

ところで「シャネル・スーツ」といえば「上品な服装」の代表ですが,1920年代当時は,コルセットで締め付け,何重もの重ね着で身体を覆い隠す事が「女性の身嗜み」とされていた習慣に「目を覆いたくなるフシダラ」な服装とされました。

ところが同じ「シャネルスーツ」が'30年代には今でいうショートパンツ位の「カジュアルなスタイル」として容認され,'40年代には「上品なスタイル」として認めらるようになります。

同様に'20年代には「ふしだらで騒々しい」とされた「ラグタイム」は,'30年〜40年代の「スゥイング」へと音楽的進歩と共に一般にも許容され,戦後は「保守的で上品な音楽」として王族や大統領の晩餐会での社交ダンスを担う立場に昇格もしくは普遍化していきました。

(故に'40年代のトンがった若者は「気が狂ったようなリズム」と言われた「ビ・バップ」に飛びつき,更に「ビ・バップ」も'50年代半ばにはマイルス他によって「知的な芸術」へと格上げされます。)

'40年代以後,問題はジャズの主流がダンスや食事のBGMとしては複雑過ぎる「ビ・バップ=鑑賞芸術」に移行した事で,それに付いていけなくなった一般人は何を聴いたのか?という事ですね。

勿論,昔ながらの「スゥイング・ジャズ」や「ビ・バップ」のイディオム(=フレーズ)を取入れつつも,スタイル的には概ね昔ながら「スウィング・ジャズ」に留めた「中間派」も現れました。

「中間派」としてはオスカー・ピーターソンやエロール・ガーナー等の人気ジャズピアニストの名を上げれますが,'50年代当時は「ダンス音楽」の範疇から抜けていません。

しかし一般的には「ジャズ」という枠組自体が段々と難解に感じられ始め,それ故に生まれ,人気を博したのが後世に「ポピュラー音楽」と呼ばれる新しいジャンルでした。

特筆すべき点は「即興演奏」が殆どない,という点です。

ジャズにおいては1920年代に現代のロックスターのように「ルイ・アームストロングとホットファイブ」は,ルイ以下メンバーが繰り広げる「即興演奏」に観客は興奮しました。'30年代のデューク・エリントン楽団もしかりです。

ところが'40年代以後の「ポピュラー音楽」ではサウンドこそ最新鋭のジャズながら,基本的にはクラシック同様に「楽譜に書かれた編曲」を伴奏オーケストラが演奏し,「主役」である歌手も基本的にはメロディーをあまり崩さずに歌います。

「即興演奏」よりも「合奏の良さ」や「歌手の歌唱」を重視する,いわばクラシックのオペラのようなスタイルへと変わっていきます。

「ラウンジミュージックとは何か?」に対しては色々な考え方がありますが,僕が主宰する「Lounge Music Project」では,この'40〜50年代のジャズ・スタイルで作られた「ポピュラー音楽」こそを根本に置きます。

フランク・シナトラ,ドリス・ディ,ナット・キングコール等の大人気歌手達は,本来は「即興演奏」に長けたジャズメンである場合もありますが,敢えて一般観客に分り易い歌唱をスウィングやビ・バップの高度なサウンドで提供します。

実は彼等の歌唱はとても深く,技術的にも高度なものですが,気楽に楽しみたい観客にも対応できる,という事でアメリカン音楽の主流となります。

僕達「Lounge Music Project」では,この「'40〜50年代のJazz Style ポピュラー音楽」を「ラウンジ・ミュージック」とし,歌唱を「ラウンジ・ボーカル」と名付けました。

尚,これらのポピュラー音楽(ラウンジ・ミュージック)ではボーカルの代わりにピアノ等の器楽をメインとしたもの…カーメン・キャバレロ等…を「ボールルーム音楽」と呼びます。
(「Lounge Music Project」では「エレガンス・ラウンジ」と名付けました。)

「ボールルーム音楽」では「クリフォード・ブラウンwith Strings」のように,本来は即興重視のジャズメンだが,敢えて「即興」を為さず,歌唱部分をカバー演奏したものがあります。

或はオスカー・ピーターソンやエロール・ガーナー等のように,頭には「ポピュラー音楽」の歌唱を描きつつ,又,「ボールルーム音楽」の枠組は守りつつ,自在な即興演奏を行うアーティストもいます。

これらを「Lounge Music Project」では「ラウンジ・ジャズ」と呼びました。

という訳で'40〜50年代の「ポビュラー音楽=ラウンジミュージック(ボーカル)」についてお話してみました。

リンクとして,当時の大ヒット,ドリス・ディの「センチメンタル・ジャーニー」をお聴き下さい。

高度な編曲がなされたジャズオーケストラをバックにドリスが歌い上げます。

「ラウンジミュージック」の原型が1930年代の「スゥイング・ジャズ」にある事を前回話しました。

ジャズは1930年代の「スゥイング」,'40〜50年代の「ビ・バップ」,'60年代の「モダーン」と時代が進むに連れ「ダンス音楽」から「鑑賞芸術」へと体質変化していきます。

彼等の変化は,はしくれミュージシャンに過ぎぬ僕でさえ,よくよく理解できます。

例えば,「スゥイングの王様」ベニー・グッドマンでさえ,伝記映画では主な「仕事」は,ホテルのボールルーム(社交ダンス会場)でのダンスや食事の伴奏であり,演奏主体のコンサートは稀でした。

つまり凄まじい精進によって音楽を確立したにも関わらず,必ずしも最大の集中では聴かれない事が少くなかった訳です。故に「鑑賞」主体の音楽へと変化したくなりますね。

クラシックでは,ベートーベンが音楽を「ダンスや食事の伴奏」から,「鑑賞芸術」に改革したと言われます。

ジャズでは「鑑賞芸術」への転換は1940年代の「ビ・バップ」のチャーリー・パーカーを経て'50年代のマイルス・ディビス他によって確立された,と言えます。

問題は「観賞芸術」ではなく,いわば「実用」であるダンスや食事の音楽をどうするのか?という点にあります。

その結果,生まれたのが「ポピュラー音楽」という新ジャンルです。

1940年代以前のジャズは,良きも悪しきも「鑑賞芸術」として扱われず,誰もが気楽に聴け,ダンスもできるいわば「ポピュラー(=娯楽)音楽」でした。

というか1920年代頃には,違う意味で「気楽」ではない,つまり,マトモな大人が顔をしかめる反秩序的な「ふしだらで騒々しい風俗=Jazz」の音楽(=ラグタイム)として存在しました。(Jazzは元々は音楽ジャンルではなく風俗文化の名称であり,音楽ジャンル名となるのは1930年代以後です。)

ところで「シャネル・スーツ」といえば「上品な服装」の代表ですが,1920年代当時は,コルセットで締め付け,何重もの重ね着で身体を覆い隠す事が「女性の身嗜み」とされていた習慣に「目を覆いたくなるフシダラ」な服装とされました。

ところが同じ「シャネルスーツ」が'30年代には今でいうショートパンツ位の「カジュアルなスタイル」として容認され,'40年代には「上品なスタイル」として認めらるようになります。

同様に'20年代には「ふしだらで騒々しい」とされた「ラグタイム」は,'30年〜40年代の「スゥイング」へと音楽的進歩と共に一般にも許容され,戦後は「保守的で上品な音楽」として王族や大統領の晩餐会での社交ダンスを担う立場に昇格もしくは普遍化していきました。

(故に'40年代のトンがった若者は「気が狂ったようなリズム」と言われた「ビ・バップ」に飛びつき,更に「ビ・バップ」も'50年代半ばにはマイルス他によって「知的な芸術」へと格上げされます。)

'40年代以後,問題はジャズの主流がダンスや食事のBGMとしては複雑過ぎる「ビ・バップ=鑑賞芸術」に移行した事で,それに付いていけなくなった一般人は何を聴いたのか?という事ですね。

勿論,昔ながらの「スゥイング・ジャズ」や「ビ・バップ」のイディオム(=フレーズ)を取入れつつも,スタイル的には概ね昔ながら「スウィング・ジャズ」に留めた「中間派」も現れました。

「中間派」としてはオスカー・ピーターソンやエロール・ガーナー等の人気ジャズピアニストの名を上げれますが,'50年代当時は「ダンス音楽」の範疇から抜けていません。

しかし一般的には「ジャズ」という枠組自体が段々と難解に感じられ始め,それ故に生まれ,人気を博したのが後世に「ポピュラー音楽」と呼ばれる新しいジャンルでした。

特筆すべき点は「即興演奏」が殆どない,という点です。

ジャズにおいては1920年代に現代のロックスターのように「ルイ・アームストロングとホットファイブ」は,ルイ以下メンバーが繰り広げる「即興演奏」に観客は興奮しました。'30年代のデューク・エリントン楽団もしかりです。

ところが'40年代以後の「ポピュラー音楽」ではサウンドこそ最新鋭のジャズながら,基本的にはクラシック同様に「楽譜に書かれた編曲」を伴奏オーケストラが演奏し,「主役」である歌手も基本的にはメロディーをあまり崩さずに歌います。

「即興演奏」よりも「合奏の良さ」や「歌手の歌唱」を重視する,いわばクラシックのオペラのようなスタイルへと変わっていきます。

「ラウンジミュージックとは何か?」に対しては色々な考え方がありますが,僕が主宰する「Lounge Music Project」では,この'40〜50年代のジャズ・スタイルで作られた「ポピュラー音楽」こそを根本に置きます。

フランク・シナトラ,ドリス・ディ,ナット・キングコール等の大人気歌手達は,本来は「即興演奏」に長けたジャズメンである場合もありますが,敢えて一般観客に分り易い歌唱をスウィングやビ・バップの高度なサウンドで提供します。

実は彼等の歌唱はとても深く,技術的にも高度なものですが,気楽に楽しみたい観客にも対応できる,という事でアメリカン音楽の主流となります。

僕達「Lounge Music Project」では,この「'40〜50年代のJazz Style ポピュラー音楽」を「ラウンジ・ミュージック」とし,歌唱を「ラウンジ・ボーカル」と名付けました。

尚,これらのポピュラー音楽(ラウンジ・ミュージック)ではボーカルの代わりにピアノ等の器楽をメインとしたもの…カーメン・キャバレロ等…を「ボールルーム音楽」と呼びます。
(「Lounge Music Project」では「エレガンス・ラウンジ」と名付けました。)

「ボールルーム音楽」では「クリフォード・ブラウンwith Strings」のように,本来は即興重視のジャズメンだが,敢えて「即興」を為さず,歌唱部分をカバー演奏したものがあります。

或はオスカー・ピーターソンやエロール・ガーナー等のように,頭には「ポピュラー音楽」の歌唱を描きつつ,又,「ボールルーム音楽」の枠組は守りつつ,自在な即興演奏を行うアーティストもいます。

これらを「Lounge Music Project」では「ラウンジ・ジャズ」と呼びました。

という訳で'40〜50年代の「ポビュラー音楽=ラウンジミュージック(ボーカル)」についてお話してみました。

リンクとして,当時の大ヒット,ドリス・ディの「センチメンタル・ジャーニー」をお聴き下さい。

高度な編曲がなされたジャズオーケストラをバックにドリスが歌い上げます。

PS;こういうボーカルが歌える方,歌ってみたい方は「Lounge Music Project(Kimball Piano Salon/大阪梅田)」にご連絡下さい。


<STAR BOX>ドリス・デイ

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Sony Music Direct
  • 発売日: 2003/07/24
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ラウンジミュージック講座/3-2 「テディ・ウィルソン」のピアノを堪能しよう! [Lounge Music Project]

前回は「スゥイングの王様」,ベニー・グッドマンについてご紹介しました。

1930〜40年代の「スゥイング・ジャズ」は映画「ベニー・グッドマン物語」で舞踏会シーンが印象的なように「ラウンジミュージック」そのものとも言えます。

但し私達「Lounge Music Project」では,そのものの「スゥイング・ジャズ」ではなく,流れを汲みつつ現代化した1950年代の「ボールルーム(=ラウンジ)ミュージック」他を扱います。

しかし「ラウンジミュージック」の原型とも言える「スウィング・ジャズ」に親しむ事はともて有意義です。少なくとも「ラウンジミュージック」を学ぼうとする演奏家の方には必修の音楽教養や技術ともいえます。

ところで「Lounge Music Project」併設の音楽教室(Kimball Piano Salon /大阪梅田)では,ピアノとボーカルのレッスンをしている事もあり,ジャズピアノの各スタイルを歴史を追って学ぶ事を奨励しています。

「ジャズピアノ教室」といえば古くて1950年代の「バップ」,或は'60年代の「モード」しか学べない事が少なくないのは,そもそも教える講師自身が,「バップ」以前のスィングやラグタイム等を学んでいないケースが日本では少なくないからです。

という僕自身も「チャールストン倶楽部」を主宰する迄,「スゥイング」以前のスタイルは殆ど学べてなかったのですが,実際に触れてみると,最早「スゥイング」「ストライド」「ラグタイム」等の古いスタイルを学ばずして,ジャズもR&Bも理解できないのではないか,とさえ感じるようになりました。

という訳で「スゥイングの王様=ベニー・グッドマン」の話しが出たついでに,グッドマン楽団のピアニストであるテディ・ウィルソンについて補足説明してみましょう。

テディ・ウィルソンは黒人でありながら,白人(厳密にはユダヤ人なので白人ではない)であるグッドマン楽団に誘われ,史上初の「カーネギーホールで演奏した黒人」となりましたが,今回はその手の逸話ではなく,音楽的な部分について注目してみましょう。

テディのスタイルは「ストライド」と呼ばれる「1拍目と3拍目が10度,2拍目と4拍目に和音
を弾く」奏法(=編曲法)を取ります。

これ,ゆっくりならばまぁできますが,テディの場合,メトロノーム=128以上の速いテンポでも平然とこれを弾きます。

実は僕が高校生時分である1978年頃,リバイバルしたベニー・グッドマン楽団としてテディも来日し大阪は万博公園「オーレックス・ジャズ・フェスティバル」で演奏しました。

当時の僕は「スゥイング・ジャズ」には全く興味がありませんでしたが,テディ・ウィルソンの偉大さは認識しており,演奏はしっかり聴きました。その時に「これは凄い!」と驚嘆したのは,先程の「ストライド奏法」をもの凄く速いテンポで行い,且,演奏中,身体は微動だにせず,音楽も毛程に狂わない,という超絶技法についてです。

とはいえ,今になってテディの演奏を楽譜に書き取ったり,市販されている採譜を分析しますと,驚嘆すべきは超絶技法のみならず,もの凄く綿密な音楽が構築されている点にあります。

僕自身は「ストライド奏法(もしくはスゥイング・ベース奏法)」は前述の如く,一拍目はルートを弾き,3拍目は5thか適当な音を弾く,と習いましたが,改めて分析すると,そんな甘いものでは全然ないのですよ。

まるでバッハの音楽のように,3拍目同士が別な和声ラインを構築し,又,右手と左手の関係についても,網の目のような緻密な立体構築を成します。

テディ・ウィルソンのみならず,師匠格のアート・テイタムにして超絶技法の持ち主で,そちらに関心が集中しがちですが,コンビュターのように緻密で有機的な編曲や即興が成されていた事こそ脅威的な事実だと思います。

テディやアート・テイタムはショパンのようなフレージングやピアノ編曲の感覚を有し,実際,テディはショパン曲の演奏が巧みだったそうですが,テディと同時代の「ニューヨーカー」としてクラシックの大作曲真家セルゲイ・ラフマニノフがいた事を思いだしてみましょう。

テディが最初のピークを迎える1930年代は,1917年に勃発したロシア革命を逃れた音楽家が多数ニューヨークに住んでいたそうですが,彼等はどちらかといえば当時としてはやや古い「19世紀的なロマン派」風の音楽感覚の持ち主が多かったようです。

'30年代といえばシェーンベルクやバルトーク等のような「近現代音楽」がクラシック音楽のメインになりつつある時代ですが,ラフマニノフやプッチーニ等は,新世代の技法を取入れつつも,19世紀的な古い感覚が残っています。

アメリカは文化的にはヨーロッパより少し遅れており,シェーンベルクのような現代音楽ではなく,ショパンやリストの流れを組むラフマニノフが大ブレークする訳です。

且,同じニューヨークで活動する黒人音楽家であるアート・テイタム以下のスゥイング・ジャズのピアニスト達が,ラフマニノフ的な「ロマン派のピアノ技法」を競って導入するのは,まるでラフマニノフのような超絶技法こそ理想と感じたが故でしょう。

一方でデューク・エリントンに代表されるドビッシーやラベル風の不要な装飾を排したモダーンなピアノ用法も生まれつつありましたが,一般の観客にはラフマニノフやスウィング・ジャズ・ピアノ等の「19世紀ロマン派」風ピアノがもてはやされます。

ところでショパンやリストのピアノ音楽が嫌いな人は,やたらと超絶技法を見せびらかすのが嫌だといいますが,実はそれらの楽聖達の音楽は表面的な装飾を削ぎ取ってしまっても,まるで「バッハのような対位法的なライン」が構築されている事を知らない場合が多々あります。

よく「ショパンはメロディーと伴奏という形だから弾きやすいが,バッハは両手にメロディーがあるから難しい」という人がいますが,ショパンもバッハ同様の多声音楽である事が理解されていないのは残念な事です。

同様にテディ・ウィルソンのピアノも,単に左手の10度がもの凄く速いテンポで弾かれるとか,右手の華麗な装飾音符が凄い!という点にのみ注目されがちですが,そうではなく,バッハのような多声的な構築を行っていた,という事にこそ注視すべきです。

且,それがテディ自身のみならず,ベニー・グッドマン楽団においては,グッドマンのクラリネットとテディのピアノがフーガのように立体的にからみあっていく,という点にも注視すべきでしょう。

又,強力な「スゥイング感」も特筆ものです。後年,テディはヤマハの自動ピアノ用にも沢山の録音をしますが,非常に優雅に演奏していますが,同時に強力にスゥイングし,ソロピアノだけでも聴く人をダンスに立上がらせてしまいます。

テディのスタイルは後年の「ラウンジミュージック」に大きな影響を与えますが,超絶技法はともかく,気品や芸術性の高さや綿密な構築と共にスウィング感でテディに勝る人はいません。
以上,「スゥイング・ジャズ」のピアノを代表するテディ・ウィルソンのスタイルをまとめますと下記のようになります。

1,ショパンやリスト等の19世紀的ロマン派ピアノ感覚を有する。
 何故ならばラフマニノフが同じ街に住みロマン派的音楽で大ブレークしていた。

2,超絶技法と共に緻密な計算に基づく。つまり上記楽聖他のクラシック音楽の技法や教養を
徹底的に身につけていた。

3,強力なスゥイング感を持ち,ピアノ一台のソロでも観客を踊らせた。

という訳でリンクはテディ・ウィルソンのCD


アイ・ガット・リズム

アイ・ガット・リズム

  • アーティスト: テディ・ウィルソン,ジーン・レミー,ジョー・ジョーンズ
  • 出版社/メーカー: ポリドール
  • 発売日: 1998/06/17
  • メディア: CD



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ラウンジミュージック講座/3, その前に「ベニー・グッドマン」を聴いてみよう。 [Lounge Music Project]

「ラウンジミュージックとは何か?」について一言で表せば「社交ダンスの音楽&飲食のBGM」となりましょう。但し,これも色々な種類があり過ぎます。

そこで僕が主宰する「Lounge Music Project」では「1950年代のボールルーム(社交)音楽」に絞って展開しています。

尤も,これは次の二系統に分かれます。

1, 白人のダンス音楽…ポピュラー系;カーメン・キャバレロやマント・バーニー他
2,黒人によるダンス音楽…ジャズ系;with Stringsものやオスカー・ピーターソン等の「中間派」

二つを比べますと「白人のダンス音楽」が基本的に白人専用だったのに対し,「黒人による〜」は黒人観客用というよりは大半が白人観客向けだった,という側面を忘れてはなりません。

勿論,黒人ファンも多かった筈ですが,「黒人による黒人の為のラウンジミュージック」は「ジャズ系」よりも当時生まれた「R&B(リズム・アンド・ブルース)」に移っています。

1930年代位迄,ジャズ系音楽は白人黒人問わず,「教養的なクラシック音楽とは違う,大衆的なダンス音楽=ラウンジミュージック」でありました。ところが'40年代,'50年代と進むに連れ,マイルス・デイビスやジョン・ルイス,スタンケントン等の尽力により,ジャズは音楽的に「観賞用芸術」に発展した反面,「気楽なダンス音楽」としての立場から離れていきます。

私事ですが,最近,あるイベントに出かけた際,アトラクションとして1920年代様式「ディキシーランド・ジャズ」の演奏会を楽しませて頂きました。
ピーター・マイヤーズさんというディキシーの歴史に関わるお爺さん他のバンドが,広い広場で家族連れの1000人位の観客へ演奏する訳ですが,クマさんの縫いぐるみも登場し,子供達は総員ピョンピョン跳んで踊りまくり,おじさん,おばさんも踊りまくりと,とっても健康的で楽しい一時となりました。http://youtu.be/JqCMFudfDjc(リンクは別な人;日本人の素晴らしいディキー演奏家;外山喜雄
氏の演奏)

ところで'50年代位のジャズとなれば,そもそも子供向きでも,実際にダンスをするようにも,としての地位に近づく反面,そもそも'50年代ともなればジャズは子供向きでもなければ,ダンス音楽でもなく純粋な「鑑賞芸術」としての側面が発展します。

大体,第二次世界大戦前の「スゥイング」とよばれるジャズは実際にダンスができる,というか,ダンス音楽として発展してきた訳です。

'40年代に現れたディズー・ガレスビーやチャーリー・パーカー等による「ビ・バップ(或はモダン・ジャズ)」と呼ばれる新しいジャズはテンポが猛烈に速かったり,ダンスとしてはリズムが入り組み過ぎてたりで「ダンス音楽」としては相応しくありません。

クリンスト・イーストウッド監督による映画「バード」はチャーリー・パーカーの伝記映画ながら,内容的には間違いだらけで笑ってしまいますが,それでも「参考」になったのはパーカー他の演奏に合わせ,当時はダンスしてしまう黒人がいた,という事です。
(http://youtu.be/RL9xiEqvvkg リンクは映画「カンザスシティ」から)

僕はそれまで「バップでは踊れない」と聞かされてきましたが,イーストウッドの映画ではバップに合わせて踊りまくる黒人がいて驚きましたが,考えてみれば,これは現代の「クラブ」で床をクルクル滑ったりトンポ返りをする若者ダンサーがいるにしろ,それが例外に過ぎないのと同様,ウソではないにしろ一般的な話しではないでしょう。

参考;映画「バード」 http://youtu.be/fS0M-GjgEi8

ところが一つの前の「スゥイング」ジャズとなれば,正に「ラウンジミュージック」として社交ダンスもできれば,食事や歓談のBGMにもなるし,そもそも「ボールルーム(晩餐会の開かれる社交場)」の音楽としてウィンナ・ワルツやなんかに替わって用いられた訳です。

勿論,黒人も白人も関係なく,皆で聴いてた訳ですが,'40年代の「ビ・バップ」となると当時としては奇抜な服装(と言っても今観るとオーソドックスで上品なスーツやワンピースですが)による若者が,マトモには踊れない奇妙な音楽を始めた,という訳で,「皆で揃って楽しめる」という音楽ではなくなってきます。

'50年代になるとマイルス・デイビス以下の尽力で「ビ・バップ」は「ハード・バップ」と呼ばれる知的で洗練された音楽へと発展しますが,クラシック同様に「難しい音楽」となり一般黒人は聴かなくなるし,白人としても,そもそも「ダンス音楽」ではないので「使わなく」なります。

「バップ」の高度な和声やフレーズは取入れるとして,「スゥイング」ジャズの分りやすさや「ダンス音楽適用」に守ったのが「中間派」と呼ばれるオスカー・ピーターソンやレスター・ヤング,エロール・ガーナー等です。(これらは「2,黒人によるラウンジミュージック」として取上げます)

参考:エロール・ガーナー「Misty」http://youtu.be/nAaZzQWk8V4

一方で「スウィング・ジャズ」にクラシック・オーケストラ的な要素を加えたのが,「1,白人によるダンス音楽」であり「ボールルーム」と呼ばれる音楽スタイルです。

何れにしろ原点である「スゥイング・ジャズ」についても識っておかねばなりませんね。

という訳で今回は「ラウンジミュージック」が始まる'50年代の前の時代,'30年代〜40年代に黄金期を迎えた「スゥイング・ジャズ」についてちょっと聴いてみましょう。

映画「ベニー・グッドマン物語」http://youtu.be/G1yqHZWfQCE

ベニー・グッドマン楽団による演奏です。

ベニー・グッドマンは「スゥイングの王様」と呼ばれたクラリネット奏者で,史上初,黒人をメンバーに入れたバンドを結成します。

1920〜30年代当時,黒人が演奏者として白人の最高級ホテルで仕事する事は全く構わないものの,大スターであったジョセフィン・ベーカーやデューク・エリントンでさえ宿泊や食事どころか玄関からの出入りもままならず裏口から入り,キッチンを通ってステージに上がる,という「人種差別」が米国では法的にも認められていました。

白人バンドが黒人向け会場で演奏する事はまず無かった筈ですが,黒人演奏家が白人向け会場で演奏する事は「使用人」との立場であり問題がありませんでした。
ところが白人と黒人が一緒にステージに上がる,という事は不可能で,ましてやレギュラー・メンバーとして固定する事は,山口組の組長を大臣として迎える位にあり得ない話しでした。

しかし山口組組長を大臣に据えれば案外に日本政府もシャキっとしそうなの同様以上に,黒人メンバーのテディ・ウィルソンやライオネル・ハンプトンと言った天才達を融合した事により,
ベニー・グッドマン楽団は「スウィングの王様」となります。

ちなみにベニー・グッドマンといえば今観ると「人の良さそうなお爺さん」であり,当時もとっても紳士的なイメージがあったそうですが,メンバーの伝記によれば,これ程,人間性が悪く,
付合い難い人はいなかったそうです。

考えてみれば「史上初の白人/黒人混合バンド」を結成し,「史上初カーネーギー・ホールで演奏会をしたジャズバンド」になる「反骨精神」と「理想主義」を掲げた御仁な訳で,なるほどバルトークやストラビンスキーが作品を捧げた「第一級の芸術家」でもあった訳です。

確かに「スゥイング・ジャズ」は楽しく踊れたり,甘いバラードで女性を口説く(笑)のにも使えますが,それらの「娯楽性」と共に「高い芸術性」も有していた事は確かです。

次代の50年代ラウンジミュージックを考える時に30年代のスウィングについて頭に入れて置く事はとても大切な事です。
ベニイ・グッドマン物語 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: ユニバーサル・ピクチャーズ・ジャパン
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ラウンジ・ミュージック講座/その2. '50年代ボールルームについて [Lounge Music Project]

Lounge Music project(大阪梅田)」による「ラウンジ・ミュージック」の定義を復習してみましょう。

ラウンジ・ミュージックの条件

1,社交ダンスの伴奏音楽を担当する。
2,食事や歓談のBGMも担当する。
3,高い芸術性を有する。

となりました。

「ボールルーム(社交の場)」の楽団として,ダンスや食事/歓談の音楽であれば定義に沿う訳で,古くはテレマンやヘンデル等の「バロック音楽」,今時は「スムース・ジャズ」迄色々なジャンルの音楽が該当します。

ちなみに50〜70年代位迄の「ラウンジ・ミュージック」のレコードを鳴らしますと,うまい具合にダンスをしたり,休憩したり,お帰り(笑)頂いたりできるような構成にになっています。
尤もこれはいわゆる「ラウンジ・ミュージック」に限らず,ポピュラー音楽全般のレコードやCDにもあてはまる話しですが…。

逆にこの時代といえど「芸術ジャズ」や「芸術ロック」はダンス用ではなく「観賞」目的に創作されているしレコードの編集も必ずしも「ラウンジ」用には成っていません。

例えば'60年代のセシル・テイラーやオーネット・コールマン等のフリー・ジャズ,或はマイルス・デイビスのカルテットなどはベートーベンの交響曲同様にコンサートホールでの鑑賞を前提としダンスには全く適していません。

話しが脱線しますが,電化サウンドを導入した'70年代以後のマイルスについては好みが分かれる所ですが,「ダークメイガス」や「パンゲア」等の45分一曲というジャズとロック,現代音楽を融合した「人類史上最高の芸術音楽」の一つといえましょう。

但し,それらの重い作品に比べれば1968年録音のやや軽い「イン・ア・サイレント・ウェイ」については,当時のダンス音楽であったゴーゴー(?)スタイルながら「極上のラウンジ・ミュージック」として成立しています。

考えようによっては,マイルスも「ジャズ系現代音楽」ともいえる方向ではなく,この「ラウンジ・ミュージック」をコンセプトとして次代を発展すれば「ジャズの歴史」も相当変わったかと想像します。尤も「イン・ア・サイレント・ウェイ」的音楽は現在「スムース・ジャズ」というジャンルとして拡大しており,現在の米国で「Lounge Music」といえばこれを指す場合も多々ある程です。

ところで僕達「Lounge Music Project」では,「スムース・ジャズ」やDJミックスのものは正式には扱っておらず,1940〜1950年代の「ラウンジ・ミュージック」を中心に展開します。
(僕個人は「スムース・ジャズ」にも取組んでいますが…)。

逆にクラシック音楽のある部分を「ラウンジ・ミュージック」として取込んでしまいます。

前置きがやたら長くなりましたが,僕達が核とする「'50年代ラウンジ・ミュージック」についてお話しましょう。

僕達が「'50年代ラウンジ・ミュージック」から扱うものには次のニ系統があります。

1,白人のダンス音楽…「ポピュラー」に属する社交ダンスの(ボールルーム)音楽。
カーメン・キャバレロのピアノやマント・バーニー楽団,
           ブロード・ウェィ・ミュージカル等

2,黒人によるダンス音楽…白人と黒人の社交ダンス使用を考えた音楽。
            伴奏や曲自体は「ポピュラー」だが,一級のジャズメンが,
            ジャズの即興性は放棄し「メロディーを歌わす事」に専念。
            チャーリー・パーカーやクリフォード・ブラウンのwith Strings,
マイルス・ディビスの「クアィエット・ナイト」。ボサノバ。
            ジャズ・ボーカル一般,ナット・キング・コールや
            オスカー・ピーターソンやエロール・ガーナー等の「中間派」


その他にクラシック音楽やラテン音楽,「チャールストン倶楽部」で扱う「1930年代のスゥイング・ジャズ」等もありますが,ここでは上記二系統に絞って話しを進めましょう。

という訳で詳しくは次回に続きます。ちなみにリンクは「2,黒人によるダンス音楽」のスター,しかし,本来は最高のジャズピアニストであった歌手;ナット・キング・コールの「Fly Me to the Moon」

http://youtu.be/2z2CmrVsc2E
ナット・キング・コール・ベスト

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  • アーティスト: ナット・キング・コール
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2002/02/20
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ラウンジ・ミュージック講座/その1,定義 [Lounge Music Project]

「ラウンジ・ミュージックとは何か?」という議論がよく為されます。

公式的には「ホテルや空港のロビー,カフェ・ラウンジ等のBGM」と言う事になり,ならばハイドンの弦楽四重奏曲からリチャード・クレーダーマン迄,相当広い範囲の音楽が「ラウンジ・ミュージック」として括れます。

但し僕が主宰する「Lounge Music Project」では,様々な「ラウンジ・ミュージック」中の特定のスタイルに絞り取組みます。

いわば「Lounge Music Projectのスタイル」がある訳ですが,その話しの前に「ラウンジ・ミュージック」に対する僕独自の考え方を述べてみます。

僕は「ラウンジ・ミュージック」の成立には次の三種類の起因を考えます。

a,始めから「ラウンジ・ミュージック」として企画された「ラウンジ・ミュージック専門家」
によるもの。(カーメン・キャバレロやポール・モーリア,リチャード・クレーダーマン等)

b, 本来は「観賞用=芸術音楽」だったが「ラウンジ・ミュージック」として転用されている物。
 (マイルス・ディビスの「カインド・オブ・ブルー」,ショパンの「ワルツ」等)

c,ジャズやクラシックの「芸術家」がビジネスとして「ラウンジ・ミュージック」に取組んだ
物。(チャーリー・パーカー等の「with ストリング」やブラームスの「ハンガリアン舞曲」等)

僕が主宰する「Lounge Music Project」としてが主に取組むのはaとc,つまり「元々ラウンジ・ミュージックとして企画された音楽」であり,それが「ラウンジ・ミュージック専門家(専業者)」によるか「芸術家」のアルバイト(?)によるかは問いません。

又,「本来のラウンジ・ミュージックとは何か?」という定義付けに関しては,僕は「社交ダンスの伴奏音楽=ダンス・ミュージック」である,と考えます。

「ラウンジ・ミュージックの定義付け」については国際会議で決められた訳では全くなく,何となく誰かが言い始め,日本では「ホテルや空港のロビーのBGM」という事になっていますが,
間違いではないにしろ,根本を欠いていると思います。

というのは日本には本来の意味での「ラウンジ」空間が存在せず,実感として「ラウンジ・ミュージック」の原点を覚えていないからです。

「ラウンジ」というのは「新地や銀座にあるホステスさんがいる酒場」ではなく,アメリカの「ボールルーム」つまり「社交」の場…上は大統領晩餐会,下はホームパーティの会場…を意味します。

日本では「社交ダンス」という観点が欠落していますが,欧米では格式の高い場程,ダンスが行われ,勿論,終始ダンスする訳でなく,食事や歓談もある訳で,それらの伴奏として「ラウンジ・ミュージック」が生まれた,と考えるべきです。

そして(ラウンジ)ミュージックなくしてダンスはできませんから,音楽(=演奏者)は日本のパーティーのように「予算があれば呼ぶ」ではなく,音楽なくしてダンスというかパーティーそのものが成立しない訳で,何が何でも音楽が必要となります。

僕はかねがね「西洋人は音楽を大切にするが,日本人は音楽を軽視する」という話しを聞かされ,「何故,西洋人は音楽を大切にするのか?」と疑問に思い続けていました。

或は19世紀前半にはヨーロッパで,後半はアメリカで「ピアノブーム」が興り,人々が我先にピアノを求めた,というので「西洋人は左様にピアノが好きなのか」と驚くと共に「何故,好きなのか?」と疑問に思いました。

ハタと気付いたのは,19世紀時点ではレコードもラジオもなく,音楽を聴く,となれば「生演奏」しかなく,かと言って王侯貴族ではあるまいし,お抱え楽団を持つ訳にはいきません。

18世紀と19世紀の違いは,実は「中産階級」の勃興にあります。昔は「お抱え楽団」を所有する王侯貴族か音楽なぞ無縁な庶民階級しか存在しませんでした。
ところが植民地からの膨大な利益や商工業者の増大により,王侯貴族でも水呑み百姓でもない,
貯金や資産を持つ「中産階級」が発達し,「我家の楽団」としてのピアノを設置し始めました。

しかし,何故,高価なピアノを設置して迄,家庭に音楽を必要としたのか,を考えた場合,レコードやラジオがないから,たまには演奏会に出かけるとして,日常,音楽を聴くには家族や友人による家庭でのピアノ演奏が好都合だった,という理由もありましょう。

つまり「食後の一時を娘の弾くピアノで団らんする」という楽器メーカーのカタログのようなシーンが実現していたかも知れません。しかし,僕がどうも納得できないのは「果たして,それほど迄にして音楽を聴きたいのか?」という疑問が残ります。

現代の僕達で考えてみると,例えばバレーが好きだからと言って,仮にテレビ放送やDVDがなく,勿論,家庭にバレー団を呼べないとして,娘や奥さんにバレーを習わせて,自宅で踊って貰おうか,とは考えないでしょう。

僕は19世紀の欧米での「ピアノブーム」の原因は「家庭で音楽鑑賞したい」というような「教養」目的よりも,むしろ「ダンスの伴奏」という「実用」にあったのではないか,と思います。

当時は異性同士が単に話しかけるのも不躾とされ,しかし「社交ダンス」の際に,一緒に踊って下さるように頼む事はマナーに叶う,とされていました。つまり「出会い系」の常識的な手段が「社交ダンス」だった訳ですが,音楽がなければダンスができません。

理想的には「お抱え楽団」を所有する事でしょうが,一般階級の場合,一台のピアノがあり,それなりの弾き手がいれば,「ダンス」が開催できます。パーティーをする場合,ダンスの有無で盛り上がり方が相当違うだろうし,そもそもダンスができないパーティーは人が集まらない訳で,それ故,ピアノ設置は「栄える家」の必需であり,アマチュアが弾ける「ダンスミュージック」曲集は引張りだこ,ショパンやシューマン,ブラームス,リスト等人気作曲家達が次々に「ワルツ」「マズルカ」「舞曲集」を出版します。

ショパンの「ワルツ」については「実際には踊れない観賞用として作曲された」と学校で習いましたが,本当に「実際に踊れない」のか「実際には踊った」のか検証する必要があります。恐らくショパン自身は「実際に踊れる」ように作曲したが,ピアノブームによる弾き手の腕比べの材料として使われ,より速く,技法を見せびらかすように扱われたかも知れませんが,楽譜に戻り,技法の見せびらかしでなく,実際に踊る事に留意すれば,極上の「ダンスミュージック=ラウンジ・ミュージック」としての側面が現れます。

つまり「ピアノ」も「ダンスミュージック=ラウンジ・ミュージック」も「教養の為の音楽鑑賞」を目的とした,というよりは「出会い系の楽しみ」もしくは「晩餐会を成功」を増進させる「実用(音楽)」アイテムとして発達してきた事が推測できる訳です。

但し,ただ「踊れれば良い」というものではなく,より「芸術性の高い」ものが求められ,後世に遺っていきます。

以前,僕は梅田阪急百貨店で開催された「フランス・フェア」に出かけ,アンティーク売場で,19世紀末〜20世紀初頭に出版された数々の家庭用「ラウンジ・ミュージック」の楽譜を見せて頂きました。単に飾っておくだけでも雰囲気があって良かったのですが,曲自体はどうって事のない他愛ない代物でしたが,当時は「ヒット」してたかも知れません。

「Lounge Music Project」では1950年代の「ボールルーム・ミュージック」いわゆる「イージーリスニング」と呼ばれるカーメン・キャバレロ他やジャズメンによる同種の音楽にポイントを当てますが,結局,今,CDで聴けるものは当時の一握りに過ぎず,大部分は淘汰されています。

或は上記の考え方に基づき,僕はクラシック音楽も「ラウンジ・ミュージック」として括れるものの存在を主張しますが,これもバッハやベートーベン,ショパン等の楽聖の作品が良く,当時は人気があったかも知れないが今は消えてしまった作曲家は取上げません。

「ラウンジ・ミュージック」というのは,「芸術鑑賞」の対象というよりは,「歓談〜食事〜社交ダンス」を仕切る為の「実用音楽」だと言えますが,同時に「芸術性」の高いものが求められ,且,遺った,という事は忘れてはなりません。

以上,「ラウンジ・ミュージックの定義」について述べてみました。

次回は「Lounge Music Project」で扱う「クラシック系」「ポピュラー系」「ジャズ系」の「ラウンジ・ミュージック」について説明します。

という訳でリンクはゲーリー・クーバー主演映画「昼下がりの事情」より「魅惑のワルツ」。
これはジャズでもクラシックでもない,ヨーロッピアン・トラッド・ミュージックが発展したような「ラウンジ・ミュージック」です・
http://youtu.be/M2abgTrBIRo


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「ラウンジ・ミュージック・プロジェクト」について [Lounge Music Project]

早速「ラウンジ・ミュージック・プロジェクト」についてのお問い合せを頂きました。

大阪梅田「Kimball Piano Salon」と系列の「Lounge Music Project(以下LMP)」の業務は次のようになります。

1,ホテルやレストラン等の音楽プロデュース,演奏者派遣(提携するK音楽事務所にて)。
2,音楽教室
3,Studio

1のプロデュースや演奏者派遣は何が何でも営業拡大しよう,という訳では全くなく,
元々は「内部進学」というか当音楽教室の生徒さんや僕自身が必要に応じて出かけて行って演奏する,という程度の取組みでしたが,有力なディレクターを得た事もあり,業務拡大し,
色々な場所で,色々な演奏者の方の演奏を,と発想を改めました。

2の音楽教室は,1とも関係があり,元々は「音楽教室によって人材が育ったから,どこかの演奏の仕事を頂く」というスタンスだったのですが,ある程度,演奏する場を確保するから,その仕事をこなせる「人材を育成しよう」と改めました。

但し,僕の所は,いわゆる「音楽事務所」ではないので,例えば「登録制」で演奏者を集め,適当な仕事を斡旋し歩合を頂く,というビジネスはやりません。

関西に限っても,ホテル等で結構「使われていないピアノや空間」がある訳で,そこに「生演奏」があれば良いぞ,という想いからビジネス展開している訳ですが,基本的には「いい音楽=これならば人様に聴かせて上げたい演奏者」との邂逅,もしくは育成が前提であり動機です。

3のStudioに関しては,Kimball Piano Salon(KPS)の様な「場所」を意味するのでなく,夫々の自宅のピアノだろうがバソコン上でも場所は問わず,「Lounge Musicを創造する」作業場といいます。
僕自身の場合は,KPSのスタジオも使いますが,基本的には自宅のピアノや机の上が作業場となります。

「ピアノでLounge Musicの練習をしたり,作編曲をする」という事が主な仕事ですが,僕自身に関してはオーソドックスな,つまり「LMP」で扱う1950年代のボールルーム・ミュージック(いわいゆるイージーリスニング)=生ピアノで演奏する音楽…のみでなく,密かに「スムース・ジャズ」の試行錯誤もしています。

「スムース・ジャズ」というのは,DJや打込みを伴奏にピアノやサックス等がアドリブするジャズの事で,現在の米国では「Lounge Music」といえば,これをさす場合が少なくありません。

僕は,別段,流行っているから自分もやっている訳でなく,「スムース・ジャズ」という言葉が生まれる前,1990年代初頭から取組み始め,十年以上かけて自分の方法論を形成しつつある,という所ですが,尤も現在「スムース・ジャズ」をやっている人達は僕と似た様な経緯をお持ちでしょう。

以上が「Lounge Music Project」の業務ですが,根本的な「ラウンジ・ミュージックとは何ですか?」というご質問が残っていましたね。

次回は「ラウンジ・ミュージックとは何か?」という事を考えてみましょう。

という訳でリンクは僕が好きな「ラウンジ・ミュージック」の一つである「クリフォード・ブラウンwith ストリングス」から…。

Clifford Brown With Strings

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  • アーティスト:
  • 出版社/メーカー: Polygram Records
  • 発売日: 1998/05/19
  • メディア: CD



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