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ラグタイムは「即興がない楽譜に書かれた音楽」はウソ?2 [独断による音楽史]

没落クレオール、女性は売春婦、男性は売春宿のピアノ弾きに

前回、日本では馴染のない「クレオール(混血黒人)」についてお話しました。

白人と黒人の混血が存在する事は想像できますが、キリスト教カソリックに基ずくフランス式法律が施行されていた米国南部ニューオリンズでは、「奴隷の黒人女性」と「主人の白人男性」との間に生まれた混血児は、主人の側、つまり「白人」身分となります。

そして混血児「クレオール」は、父親の財産を相続し、「奴隷農園」の主人となりましたが、奴隷に対する扱いは、なまじ白人主人よりも酷く、また結婚に際しては、悪くて同じ「クレオール」、できれば「白人」との結婚を望み、三代も経て四分の一黒人という事になりました。

カソリック教会による「奴隷黒人」に対する積極的な布教はなく、要するに教会としては、「奴隷黒人」は「人間」として認めなかった反面、「クレオール」については「フランス系のカソリック教徒」として分け隔てなく扱われました。

また代を重ねるに連れ、「クレオール」が主人である「奴隷農園」も発展し、やがてニューオリンズの市会議員や銀行家となり、南北戦争時分には、ニューオリンズの市会議員や銀行家の半数が「クレオール」が占めていました。

問題は「南北戦争」後ですが、「奴隷解放」令により、「クレオール」が運営する農園も経営難に陥ったのと、「奴隷解放令」と共に南部で施行された「人種分離令」により、 「白人」と「黒人」が同じ場所で働けなくなります。

「南北戦争」敗戦まで、南部ニューオリンズの「クレオール」は、自分が「黒人」だという意識がなく、また法的には、社会的にも「黒人=奴隷」ではなかったのですが、リンカーン率いる北軍の勝利の後に施行された法律により「クレオール」は「黒人」という扱いになります。

実は南北戦争終結後に乗り込んできた北部人達が最初にやった事が、ニューオリンズの権力者達を、「白人」と「黒人」とに分離する事で、北軍への反乱勢力を弱らせ、また南部「白人」を北部勢力に取り込む事でした。

また北軍の方針として、南部の綿花農業を弱体化し、英国が植民地であるインドで生産した安い綿の輸入を促進する事による商業利益を上げる、という事もあり、その方法として「奴隷解放」もあり、特に「クレオール」の奴隷農園は崩壊していきます。

要するに「南北戦争」の敗戦により「クレオール」は没落する訳ですが、没落した「クレオール」達はどうしたのか?

軽蔑していた元奴隷黒人と共に、北部資本で作られた工場に働きに出る者も少なくありませんでしたが、いっそ「売春宿」を営む「クレオール」も少なくありませんでした。

と言っても、当時の記録によれば「クレオール」の大部分が悪くても中流階級で、上流階級も少なくなく、北部から乗り込んできた兵隊や商人達には「高嶺の花」が自由にできて良かった、みたいな逸話があります。

女性が売春婦ならば、男性が就いたのが「売春宿のピアノ弾き」でした。

南北戦争以前の「クレオール」は、確かに「奴隷である黒人女性」と「主人である白人男性」との間の、性的搾取によって生まれた混血児でしたが、主人の側で育てられ、その際に「フランス人としての教育」を受けました。

代を経て財力を増した「クレオール」の子弟の中には「本国」フランスに留学する者もあり、フランス的な中流~上流の教養を身につけた訳で、当然、音楽を習得する者も少なくありませんでした。

勿論、習得するのは「黒人音楽」ではなく、ヨーロッパのクラシック音楽だったのと、基本的に室内で演奏するピアノ、バイオリン、フルート、クラリネット等の「室内楽器」でした。

後にニューオリンズで「ジャズ」として合体する元奴隷黒人による「ブルース」はバンジョーや歌、「マーチバンド」は屋外用のトランペット等の屋外楽器だったのに対し、「クレオール」の音楽はピアノやバイオリンと言った室内楽器だったのとは対照的です。

ところで「売春宿」の音楽ですが、金管楽器による「マーチバンド」は音量が大き過ぎ、「クレオール」のピアノ弾きによる演奏が丁度良い訳ですが、後に「ラグタイム」と呼ばれるスタイルだけではなく、ワルツやポルカ、セレナーデ等「売春宿のBGM」に相応しい音楽はなんでも演奏したようです。

ピアノで演奏した「マーチ」=「ラグタイム」

ところで「ラグタイム」ですが、後に「ラグタイムの王」と呼ばれた「スコット・ジョプリン」が作曲した「ラグタイム」数々の名曲が有名ですが、本来は「マーチ」でした。

「南北戦争」の際に、南軍、北軍共に軍楽隊が「マーチ」を演奏しましたが、「ラグタイム」と同じころに「マーチの王」である「スーザ」の「マーチ」の数々の名曲が流行します。

かと言って、軍楽隊率いる「マーチ」はどこでも聴ける訳でなく、ピアノ編曲したものが家庭やバー、売春宿で演奏され、それが発展し、「ラグタイム」と呼ばれるピアノを中心とするスタイルが造られました。

「ラグタイム」は即興がない「楽譜に書かれた音楽」だ、というウソ

「クレオール」によって始められた「ラグタイム」ですが、「売春宿のピアノ弾き」という裏ぶれたイメージはさて置き、ある程度以上の能力を持つ人は、極めて稼いでいた、といいます。

具体的な数字は忘れましたが、当時、上等にスーツを仕立てられるくらいのチップを毎日稼いでいた、といいます。要するに日給十万円位あったり、或いは何人かの売主婦のヒモになったりで、稼ぎはあったが自堕落な生活を送り、やがて人生を崩壊させてしまうような人も少なくなかったようです。

前述の「ラグタイムの王」と呼ばれた「スコット・ジョプリン」は性病には苦しめられましたが、むしろ「豊かではないが温かい家庭」を持ち、また終始勤勉に音楽に勤しみましたが、ジョプリンは「クレオール」ではなく、元奴隷の家系。

後述しますが、ニューオリンズのような元フランス領では、キリスト教カソリックに基づくフランス式の文化や法律が用いられ、黒人女性と白人男性との間の生まれた混血児は「白人=フランス人」として育てられましたが、英国系或いはキリスト教プロテスタントが支配した地域では、混血児は「黒人」として扱われました。

その代わり、プロテスタント教会は、早くから奴隷黒人へのキリスト教布教もしくは強制を行い、多くの奴隷黒人が「黒人教会」に通いました。

カソリックの場合、そもそも奴隷黒人が教会に入る事を禁止、或いは消極的だったのに対し、プロテスタントは積極的に「黒人教会」に取り込みます。

これはプロテスタントの方が「人類愛」に燃えていたからでは全くなく、「黒人教会」とは「奴隷としての正しい生き方」を学ぶ場であった訳です。

但し、当の「黒人教会」の黒人牧師は、単に「奴隷」の身分に留まらず、白人と同等の扱いを受けるべく、黒人への啓蒙を行いました。と言っても「革命」を起こして権利を得る、というものではなく、「勤勉」に学び、働き、白人に認めて貰う、という穏健な考え方でした。

実は「ラグタイム」はカソリック、プロテスタントの両方から嫌われた音楽でしたが、それでも「プロテスタント教会」の黒人牧師であった父親に影響か、スコット・ジョプリンは終生勤勉に励みます。

「努力によって人生を切り開く」という事をジョプリンは実践した訳ですが、対してカソリックに属した「クレオール」の場合、そもそも「白人主人によるお手付き」という暴力が結果として幸運を招き鳥い身分から脱却した他、結婚に際しても「クレオールでも構わないから結婚してくれる白人」を探した結果、いまでいう「ニート」のようなだらしない白人を配偶者に迎える事例が少なからずありました。

要するに「努力で人生を切り開く=プロテスタント」と、「幸運が舞い降りて成功する=カソリック」が変な形で奴隷黒人やクレオールに関わった訳ですが、クレオールは基本的に「棚ボタで成功した怠け者」の血統ですが、案外、音楽的才能がある場合もあり、後に「ニューオリンズ・ジャズ」を創生するシドニー・ベシェやジェリー・ロール・モートンといった「天才」を生み出します。

つづく


















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