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Elegance Swing/我が「ホテルのピアノ弾き」入門 [ピアノ]

最近「クラシックづいてるな」と冷やかされてしまう僕ですが,僕自身は中学生の頃,ルービンシュタインの「ショパン/ノクターン全集第二巻」に感動し「ピアノ稼業」に入りましたし,「学歴」もクラシック系しかなく,尤も「クラシックピアノ」と遠そうな「アシッド・ジャズ」にはまっている時もクラシックピアノの勉強は欠かした事がありません。

僕はジャズ業界(?)でこそ「妙にクラシック寄りな奴」と思われているかも知れませんが,
クラシックの世界では全然「ジャズピアノ奏者」としか見られません。

かと言って「クラシックのジャズの中間」にいる訳ではなく,
完全に「ジャズ系」の領域に暮らす訳ですが,
最近,俄に「クラシック・レッスン」への興味がわいてきました。

僕が絶えずクラシックピアノを学んで(練習し続けて)来たのは,
「趣味」ではなく,「プロのジャズピアノ奏者」としてのスキルアップの為です。

逆に言えば別段人前で「軍隊ポロネーズを弾く」とか「悲愴ソナタで感動させる」とかは全く考えず,
「ピアノ奏法」の向上と,それこそ「趣味」的な「弾く楽しみ」の為です。

僕は二十代からの十年あまり「バッハ/平均律ピアノ曲集」ばかりを練習し続けました。

実はほんの最近迄忘れていましたが,若い頃はフランス近代音楽の作曲家ガブリオレ・フォーレにも傾倒してたらしく,自宅の本棚から,もう鉛筆でびっしり書き込みしまくったフォーレの楽譜集が何冊かでてきました。

どう説明していいのは分かりませんが,僕にとっての「作曲」のお手本はフォーレであり,ジャズを含む「ピアノの弾き方」のお手本はバッハの音楽であり,例えばベートーヴェンのピアノ・ソナタなぞほんの数曲しか弾いてませんが,例えば「平均律ピアノ曲集」については様々な楽譜やCDを買い集め,運指法やフレージングの違いを「研究」したりしました。

ピアノ練習自体は,とにもかくにも「ジャズピアノの練習」が猛烈に忙しく,正直,クラシックピアノに充てる時間がなかった事もありますが,「クラシックピアノを目指そう」という気持ちもなく「平均律」のみを只管に学ぶ,という年月を過ごした次第でした。

尤もいつ頃から「クラシック曲のレパートリー」を増やし始めたのかは忘れましたが,
ジャズピアノについては或る程度の見通しがたった事と,同時にジャズの即興や作曲に行き詰まり,
打開として色々なクラシック曲を学び始めました。

実はベートーヴェンのピアノソナタなぞ何となく敬遠していましたが,
ジャズが分かり始めてから改めて「ピアノソナタ全集」なぞを見直すと,
これが何とも面白い,いうか,とてつもなく良くできた音楽だ,と分かり始めました。

そういえば来日していたドイツ人チェンバリストと友達になり,
バッハについて(と言ってもハ長調の前奏曲について),フレージングやハーモニーについて,
色々と話込む内「君はとても良く知っているなぁ」と言われ,
変な話ですがレッスン(?)のまねごとをしたりしました。

その時分かった事は,やたら分析していたので,なるほど,このモチーフはこう繋がり,
この響きはどこに解決する,という事はバッハが専門のドイツ人に負けない位に理解できたものの,
いざピアノで弾くと,これがもう彼にはかなわないのです。

技術的にどうこうでなく,彼が弾くとバッハが「スゥィング」している感じ。
僕が弾くと「ハノン」みたいに聴こえる訳です。

だからと言って悲観なぞ全くしなかったのは,どの道,自分はクラシックのピアノ奏者ではないからな,という気持ちからですが,むしろ(悔しいという程ではないにせよ)一寸した衝撃だったのは,
当時,自宅で使っていた国産のDiapason 183E というグランドピアノを彼が弾くと,
柔らかい響きのまま,しかし,たっぷりした音量で別物みたいに鳴る点です。

確かそれは1990年代前半,僕が30歳になる前の話ですが,
しかし,その時分から二年位はシンセサイザーによる音楽にはまり,
「指の維持」の為にバッハを弾く以外は殆どピアノには触れない年月を過ごしました。

結局,コンビューターで12台のシンセサイザーを制御して音楽を作る,という事に
ある段階でギブアップした事や,どこだったかで弾かせて貰ったベーゼンドルファーの美しさにすっかり魅せられ,再び「ピアノの世界」に戻ります。

且,活動拠点を海外に移し,又,当時講師業をしていたヤマハが貸してくれた事もあり,
ディスクラビアというMIDI機能付きのグランドピアノとシンセサイザーによる
「ニューエイジ・ミュージック(今でいうヒーリング)」の自作自演を始めます。

実は今でも結構「ビル・エバンス風のジャズピアノ」は得意なのですが,
当時もビル・エバンスが元にしたフランス近代音楽の「ドビッシー」風のサウンドを,
自己のスタイルとしています。

かと言ってドビッシー自体は学生時代に精々「ベルがマスク組曲」だったかをいい加減に弾いただけだったのですが,まがりなりにもピアノのデモンストレーターとしてギャラを頂けるようになった身としては,いい加減では駄目だな,と想い,ドビッシーも練習始めました。

正直,それ迄,ヤマハピアノは好きではありませんでしたが,当時の発売されたCF2だったか3だっかを弾かせて貰いますと,アフタータッチによる音の微振動とか,ソフトペタルとサスティーンペタルを連動させての音色変化が下手なスタインウェィより自在にできるので腰を抜かす訳です。

当時のヤマハはシンセサイザーでもVL1とかPFP500とか,素人には扱えない,何かしら狂気のような「コントロール性能」に拘った凄い楽器を作っていた訳です。

本当はシンセサイザーの世界にも未練がありましたが,ピアノ弾きとしてやって行く為には,
シンセを捨てて,ピアノに専念するしかない,と分かってましたから,
クラシックピアノも色々と練習始めた訳です(別段クラシックピアニストを目指した訳ではありませんが)。

尤も,「講師業」では今一つ食えなくて,結局は,二十代の時に散々やった「ホテルのピアノ弾き稼業」に逆戻り。よく「ミュージシャンで食えなくてアルバイトに講師業を始めた」なんと聞きますが,僕は逆パターンが多くて「ピアノ弾き」で稼ぎ,「道楽(趣味ではなく)」で講師業もする,というパターンが少なくないんです。

尤も「ホテルのピアノ弾き」なんてのも本当は大嫌いで,その仕事から離れる為に「シンセ/スタジオの仕事」を目指したのに,結局挫折して,相変わらず黒服だったか白いタキシードだったかを着せられたバーのピアノの前に座らせられたので,非常に「屈辱的」な想いをしました。

30代の前半は台湾に住んでまして,自分としてはクリエイティブな活動としてMIDIグランドピアノを駆使しての「ニューエイジミュージック」や,段々とはまってきた「ジャズピアノ教育」活動がありましたが,相変わらずの毎夜の「ピアノ弾き稼業」がありました。

当初は昼間の仕事だけで何とかやっていけるかな,と想いましたが,
(金遣いが荒かったせいもありますが…汗)どうも生活に不自由し,
「困った時のピアノ弾き稼業」という訳で「落ちぶれた」訳です。

とはいえ,相当な高級ホテルだった事から,
米軍関係と思われる米国人が集まっていまして,
ピアノの周りでカクテルかなんかを飲んでる訳ですね。

高級ホテルといっても,台湾で,且,米国人が相手ですから,
気楽に「ようビル元気?」とか言ってブラブラとピアノの前に座り,
ヘタ糞な英語力を駆使して「紳士淑女の皆さん,何とかかんとか」と話しつつ,
パラパラとピアノを弾き始め,常連のカップルを見つければ,
「ステファニー,今宵のドレスはまるでダリアのようだ。ステキなお二人の為に,
As time goes byを捧げます」とか日本語だと絶対に言えない恥ずかしい台詞を,
カクテル片手にしゃべり弾きし,皆さんの拍手を頂く,という日々が始まります。

尤も「ノリがいい」というか日本だととてもではないが「嘘臭く」てやってられない,
「カクテルピアノ」なぞも外人相手だと何だかマトモというか「楽しい演奏」をしてる感じがして,
始めて「ホテルピアノ弾き」もそう悪い仕事ではないな,と思い始めた訳です。

且つ,どうせならば上達したいと思い始め,それまで「ニューエイジ」系,つまりドビッシー風のピアノ奏法しか考えてなかったのを,「スゥイング・ジャズ」つまり「ショパン風」ピアノ奏法の修得にも情熱を傾けるようになりました。

ショパンなんて嫌いでしたが,これは,これでやり始めてるなかなか良い音楽なんですね。

つづく
愛情物語〜オリジナル・サウンドトラック盤

愛情物語〜オリジナル・サウンドトラック盤

  • アーティスト: カーメン・キャバレロ
  • 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
  • 発売日: 2002/05/02
  • メディア: CD



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